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アリョーシが落ち着くのを待ってから、アーロンは再び対面側の椅子へと戻った。
涙に濡れた彼女の目元は赤くなり、かすかに潤んだ瞳も充血している。
「……それで、あの子は元気なの」
ようやくアリョーシの声が聞こえた。だが、先ほどの覇気はなりを潜めていて、その声色はひどく弱々しいものになっている。アーロンはなるべくその声色に気を取られない様に、平然を装って言葉を選んだ。
「ああ。元気だとも。少なくとも私の知る限りはね」
「そう……よかった……」
その時になって、アリョーシの顔にふっと笑みがこぼれた。過去のアリョーシが見せたことのない、慈しみと安堵とが込められた、ひどく儚げな笑みだった。アーロンはその表情を見て何とも言えなくなり、彼女を真似して笑みを作る。が、それはアリョーシに比べてしまえば、ただ頬をあげて目を細めただけの、ひどく作り物めいたものだった。
「リュカは……あの子は君のことを思って行動をしたのだ。おそらくは、君が連れ去られた時からね。その時からきっとあの子なりの覚悟を持って、エデンに来たのだと思うのだ」
アーロンが思うリュカという少年。その行動に対する弁解を、彼は自然と始めていた。もちろん本人に聞いたこともない、あくまで独自の解釈による弁解だ。本当のところとは違うかもしれないし、見当違いも甚だしいものになってしまうかもしれない。
しかし、アリョーシを少しでも納得させ、その上で安堵を与えられるのであれば、少しの嘘をつくことも当然の様に思えていたのだ。
アリョーシは、アーロンの弁解をただ黙って耳を傾けていた。お前に何が分かる。あの子の一体何を知っているというのだ。三十年も合わなかった、お前に。そんな風に思われているのかもしれない。ただ、リュカに関することを話していると、彼女は少しだけ嬉しそうに聞いているように見えた。
「君を探すために、自警団に協力させ、リーコンで調べ、私までたどり着き、そして今君へとたどり着いた。まったくあの子の行動力には目を見張るばかりだよ。まるで、君の若い頃を見ているかのようだ。そそっかしく頑固で、やり通すまで行動を止めようとしない。本当にそっくりだよ。あの子は、やはり君の……」
「……いいえ、あなたと私の子供よ」
アリョーシの言葉に、アーロンはどきりとした。それまでわずかに視線をそらして話していたが、その言葉を聞いた途端にアリョーシの顔を見た。
アリョーシはまっすぐにアーロンを見つめていた。そこには怒りも殺気もない。慈しみとそして哀れみを込めた視線がアーロンへと送られる。彼はそれに対してどこか許された様な心持ちを抱いた。
何に、とは自分でも分からない。それは彼女への後ろめたさからか、それとも子供のことなどこれっぽちも気にかけてこなかったことへの後悔か。そのどちらでもある様で、そのどちらでもない様な気さえする。
ぐるぐると渦巻くそれらの黒い感情を、アリョーシは見透かした。そしてその上で彼女はそう言ったような気がした。独りよがりの身勝手な妄想、とは分かっていたけれど、アーロンは彼女の視線に応える様に頬を歪めたのだった。
「……そうよね。あの子は私たちの子供ですものね。大人しくしていることなんて、できるはずもないわよね」
まるで自分に言い聞かせる様に、アリョーシは細い声で呟いた。
「君なら……君なら親が何者かによってさらわれたら、どうする?」
「……追いかけるわね。絶対」
そういう彼女の頬がわずかに歪む。そして、そうかそういうことかと、ひどく腑に落ちた様な顔をした。
「私がこんなんだから、きっとあの子に受け継がれちゃったのね」
カラカラと喉を鳴らしてアリョーシは笑った。自分自身でも我慢できぬことを、我が子が我慢できるはずもない。そんなことを思っているのかもしれない。
「なら、私たちは信じてあげないと。あの子が無事に私たちの元へ来ることを」
「ああ、そうだな」
互いに視線を合わせて微笑む彼ら。それを阻むように部屋につけられたスピーカーからけたたましい物音が響いた。チューニングのあっていない汚い電子音だ。思わず耳を塞ぎたくなったが、しだいにその音は声の形を作り出していく。
『お話の最中申し訳ありません、社長』
それはロベルトの声だった。アーロンは不快な視線をスピーカーへと注ぎ、アリョーシは鋭い殺意に満ちた視線をそこへと向ける。
「ロベルト……」
『いや、あなたが自警団の連中とつながっていることは分かっていましたが、まさかあの少年までもつながっているとは思いもしませんでしたよ。これは予想外だ』
声色からでは判断はできないが、しかし一つも予想外と思っている節はなかった。まるで小馬鹿にでもする様な、余裕そうな雰囲気が声から伝わってくる。
『しかし、そうと分かればあなたをそこから出すわけにはいかなくなった。変に合図をされて、そこのご婦人やドラゴンたちを逃がすようなことになってはたまりませんからね』
さも得意げにロベルトは言うが、それは何となく想像がついていた。
あの自動扉を開くためには内と外についた端末に、カードキーを通す必要がある。出ようと思ってもそれを持ったロベルトはユミルを連れて出て行ってしまってそれが出来ない。
ここから出ることは許されない、ということは納得ができた。が、一つの謎がまだ解決をされていない。なぜ、ユミルまでも連れて行ったのかと言うことだ。
「ユミルくんは、無事だろうね」
『ええ、無事ですとも。なにせ私の隣に立っていますからね』
「ユミルくんに危害を加えるなよ」
『分かっていますとも。そう心配をなさらないでください。いや、他人を心配するよりもご自身の身を案じたほうがよろしいと思いますが』
嫌味ったらしい声が降りかかる。全く人を苛立たせるのが得意なやつだ。
『ともかく、しばらくはそこでご婦人と大人しくしていてください。あなたの処遇はおって考えさせていただきましょう。それよりも、客人たちを出迎えねばなりませんので』
「客人? まさか……」
客人の内容を聞くためにスピーカーへと声をかけたが、ロベルトの声はぷつりと途絶えてしまった。




