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7..........

「降りろ」


 トムの声が聞こえた。どうやら到着したようだった。

 車を降りて見ると、生物が腐ったような嫌な匂いが鼻をついた。鼻を腕で守りながら辺りを見てみると、なるほどこんな匂いがお似合いな場所だった。


 そこはエデンの中でもスラムと揶揄される地区だ。暮らしているのは移民や貧困者、ホームレスといった、エデンの市民から忌避される人々だ。NPOや慈善団体、さらには正義心に駆り立てられた志願者(ボランティア)でなければ、好き好んで立ち寄ったりはしない。


 風化によって朽ちた外壁や、コンクリのビルには落書きが書かれている。それは社会への不満や自身を誇示するような内容がほとんどで、とても見る気分にはならなかった。トムは落書きなどに目もくれず、近くにあった巨大なビルへと俺たちを誘った。


 ビルの中には形ばかりのエレベーターが一台と壊れたエスカレーターがひっそりと置いてある。元は会社でも入っていたのか、パーテーションや蛍光灯の残骸が床のそこここに散乱している。部屋を区切っていた壁や扉は何者かによって破壊され、その名残だろう鉄筋がコンクリートの断面から顔を出していた。


 トムはそれらの残骸には目もくれず、エレベーター脇へと抜けていく。そこには非常用の階段があったが、彼はそこを迷いなく登っていった。


 彼の歩みに従って進んでいくと、廊下の先で大きな鉄の扉にぶっつかった。それは防火扉だった。両手を広げてもあまりある大きさ。トムは防火扉につけられた小さな扉を開けると、その中へと入っていった。不思議に思いながらも彼の後に続くと、冷たい風が頬をかすめた。


 そこは、このビルの屋上だった。雨風で薄汚れた床に錆びついて手すり、室外機。あとは用をなすこともなくなった貯水槽がぽつねんと置かれている。


 そこには、俺たちの他に人影があった。


 「ハリー、首尾はどうだ」


 トムは双眼鏡を覗く男に声をかけた。その途端アパートにいた際にトムがある二人の名前を言ったことを思い出した。それは、今回の計画に協力してくれる自警団員の名前だった。


 「ああ。動きはあったよ」


 ハリーはトムの方へと顔を向けた。そばかすの散りばめた頬にクリクリとした目。天然パーマなのか茶色い髪の毛の先はくるくると丸みがあった。全体的にどこか愛嬌を感じさせる顔をしている。


 黒い瞳がトムから背後にいた俺たちへと向けられる。事情はすぐにわかったのだろう。アマンダたちに軽く手を振ると、再び顔をトムに戻した。


 「面白いぜ、お前も見てみろ」


 まるで子供のように嬉々とした表情を浮かべたまま、ハリーはトムに双眼鏡を渡した。トムは双眼鏡を覗いてその先を見つめる。俺は視線の先を追っていくと、その先になにやら様子の違う建物があることに気がついた。


 というのは、その建物だけにはやけに人の姿があったからだ。それがボロをきた貧困者の子供だとか、ホームレスの老人だとか。そういう釣り合った(・・・・・)人々ならば特に違和感もなかったが、そこに見えた小さな人影はそういう風には見えなかった。


 トムから望遠鏡が飛んできて何気なく覗いてみたとき、ようやくその人影の正体がわかった。


 屋上に佇むいくつもの黒スーツの男たち。手には自動小銃を抱え、建物の周囲に目を光らせている。物騒なことこの上なかったが、それが目指すべき場所だと言うことは、簡単に分かった。


 「発信機の場所もあそこで止まってる。どうやら間違いないらしいぞ」


 それまで口を開くことのなかった男が、ようやくこちらに顔を向けてきた。


 後頭部でくくり上げられた長い金髪。それでも二枚目を彷彿とさせたが、その期待は裏切られなかった。ビーチにいそうな浅黒い肌、整えられたヒゲがいいアクセントになった、実にいい男がそこにはいた。この男が、残るディックという男なのだろう。


 「アーロン氏が入っていくところは見た?」


 俺から双眼鏡をひったくったアマンダが、覗き見ながらディックに話しかける。


 「ああ。彼の連れと副社長の姿も見たよ。発信機の存在がバレた様子もないし、順調そのものさ」


 「結構。警備の状況は?」


 「ここから見た限りは屋上に十人、それに建物の周囲を十五人、いずれもなかなかな警備状態だ。外があんなんだから、きっと中も厳重に人員を配置しているに違いない」


 ディックは肩をすくめると再び顔を建物の方へと向ける。


 「ゼレカ、あそこの図面ってあるかしら?」


 アマンダが何気なく問いかけると、ゼレカは首を横に振った。


 「だよね。私もあんな建物知らないし、ロベルトのやつも教えてなかったもの。でも、確かにこんな場所にドラゴンを匿っているだなんて、誰も思ってみないわねぇ」


 「感心している場合じゃないですよ」


 「焦るんじゃないの……ゼレカとディック、ハリーはここから援護をお願い。私とトム、それにリュカくんは突入するわ。あからさまに危険だけど、一応注意は怠らないでね」


 アマンダの指示に俺は少し安心した。ここまで来ておいて自分だけ部外者扱いされたならどうしようかと思っていたから。


 「それからゼレカはあの建物に仕掛けられたカメラをのぞいてみてちょうだい。あれだけの警戒態勢をしいているんだから、カメラの一つや二つあるでしょうから」


 「わかった」


 「よろしい。それじゃ、夜闇に乗じて行動を始めましょう」


 アマンダはふと顔を西へと向ける。そこには山肌へと沈んでいく夕日があった。赤く焼けた空は次第に紫に、それから黒へと色を変えていく。名残惜しげに夕日を見つめるアマンダは、少し儚げな表情をしているように思えた。が、それも日が沈んでしまうと闇の中へと消えて、うっすらと彼女の輪郭が分かる程度になってしまう。

 

 「さて、始めましょう」


 暗闇の中からアマンダの声だけが聞こえてくる。俺はこくりと力強く頷いてみせたが、心中ではばくばくと鳴り止まない鼓動を抑えるのに必死だった。期待と不安に苛まれるのはこれが初めてではないが、この時はより不安が俺の心を強く包み込んでいた。

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