11.
この日の天気はどんよりとした曇り空。いまにも雨が降ってきそうな曇天模様だ。
天気が悪いと訓練にも若干の気だるさがつきまとう。
けれどやらなくては上手くなるものも上手くはならない。
息を深く吐き出して、弱気を口から吹き飛ばしてからアリョーシの背中に乗っていつものように洞窟を出る。
そこまでは一緒だけど、今日はちょっと違うことをやる。
上空にアリョーシが滞空している間に俺は彼女の背中を蹴って空中に身を踊らせる。
両手両足を広げ、空気の抵抗を全身で受け止める。
体感ではゆっくりと落ちている気がするが、実際よりももっと早く落下しているに違いない。
俺は両手にモヤを出現させる。
噴射するんじゃない。膜を広げるように腕の腹から後方へとモヤを伸ばしていく。
モモンガやムササビが滑空するために皮膜を広げる方法をイメージする。ここ最近身につけたモヤの応用だ。
アリョーシは速度を緩めながら俺の後ろからついてくる。
もし俺がしくじってモヤを消してしまった時に咥えて拾うためだ。
一度ならず二度くらいはとちって地上に落ちたこともあったから、心配してくれているんだろう。
あの時は痛いなんてもんじゃなかった。内臓が潰れたんじゃないかって本気で思ったほどだ。呼吸もできないし視界がチカチカするし、いいことなんて一つもない。
けど痛みを知ることで失敗を犯すものかと思えるのだから、案外痛みも捨てたもんじゃない。
体を左右に傾けて進行方向を変えつつ、着地する準備にかかる。
木々の間を縫うように進めばいよいよ地面が見えてくる。
足を着地させるのと同時に体を前に倒す。そして、勢いのまま前に転がって受け身を取る。
慣れたもんだ。
体についた草の葉や土埃を手で払いのけてアリョーシが来るのを待つ。
数分もしないうちに、人間の姿になったアリョーシが木の上から降りて来た。
俺のように受け身なんて取らなくとも、モヤを足に出現させ、クッションがわりにしてそっと着地して見せた。
「随分上手くなったじゃない」
アリョーシが言う。
「母さんに比べたらまだまだだよ」
「そりゃそうよ。あなたと比べてこっちは何百年も生きているんだから。簡単に越えられたら困るわ」
フンと鼻を鳴らして、胸を張りながらアリョーシが言った。その何百年の壁を越えるに当分超えられそうにないが、かと言って練習をしなければ壁をより高く俺に立ちふさがるだろう。
森につけばあとはいつもの通りの訓練が待っている。壁を乗り越えるためにも練習だ練習。
努力のかいあって、日をおうごとに木を渡る速度は早くなっていく。
枝に飛び移った瞬間には次の枝に飛び移れるように力を入れる。
言葉で言えば単純な話だがこれに加えてモヤの調整も動きながらやっていくのだから、練習が終わることには体も頭もクタクタになっている。
アリョーシについていくために毎度毎度全力以上の力をもとめられるのだが、アリョーシはまだ力を余しているようで、汗ひとつかいていない。
これまで俺もアリョーシの元で経験を積んできてはいるが、それもアリョーシの数百年の軌跡に比べればたいしたことではない。
けれど、いつかはアリョーシの大きな背中が小さく見える時が来る。
きっと。いや、多分……。
その時まで練習に次ぐ練習をしていくだけだ。
今日はいつにも増して早さを重視して追いかけっこを行なった。
地面の上から木の上まで。縦横無尽に逃げるアリョーシの背中を、俺は夢中で追いかけた。
ドラゴンの血が通っていると言っても、俺の体には少なからず人間の血も混じっている。
そのせいかどうかは知らないが、アリョーシよりも先に俺の息が上がっていく。
ゼェゼェと息を吐きながら、遠くなっていくアリョーシの背中を追っていく。
このまま諦めて降参しても良かったのだが、ただ参ったというにはどうしても癪に触る。
髪の毛一本、皮一枚でもアリョーシに触ってみせたい。
アリョーシが木から降りて地上を走る。
俺はそのまま木の上を走り、彼女を頭上から追っていく。
まだ余裕綽々と言った様子で、ちらちらと俺の方を向いては、アリョーシが手招きをしていた。
これには俺も少々苛ついたが、それだけで脚力と能力を使いこなせられれば世話はない。
最初の頃よりもモヤの出力も強められるようになったし、何より体も体力も鍛え上げられた。
とはいえ、バカみたいに全速力で走り続ければ疲れるものも疲れるし、ここ最近のアリョーシのテーマは『限界への挑戦』らしく、オーバーワークもびっくりな長時間全力レースが展開される。
いくらドラゴンの血が濃いからって言っても、生粋のドラゴンに体力で勝てるほど俺の体も出来上がってはいない。
おちょくりながら、それでもアリョーシはペースを落とすことはない。
唾でも吐きつけてやりたかったが、そんなことをしてもアリョーシに届くわけもない。
第一そんな汚い真似は彼女に向けてやりたくなかった。
まぁ、単なる見栄だろうけど、やりたくないことをやっても仕方ない。
枝を蹴り、木々の葉を揺らし、俺はアリョーシの背中を追う。
すると、何かを見つけたのだろうか。アリョーシの足が止まった。
これをチャンスと思った俺はすぐさまアリョーシに飛びかかろうとした。
しかし、アリョーシは俺に向けて手をかざしてきた。
『そこで待て』。
そんな意味が込められていたかどうかは分からない。分からないけれど、俺は踏ん張った枝から向かいの枝に飛んだだけで、アリョーシの元に行くことはしなかった。
何かいたのか。アリョーシの方へ視線を落としていた。
そして聞こえてきたのは、銃声だった。