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世界の守り手  作者: 白銀
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第二章 「地の底から現れしもの」

 第二章 「地の底から現れしもの」



 ユウとリネアはまだ食堂にいた。

「ねぇ、いつまでここにいるの?」

 リネアが空になったコップを揺すって中の氷を転がしながら尋ねた。暇なのだと直ぐに判る。

「ああ、四人目を見つけたんだ」

「四人目?」

 ユウの言葉にリネアが首を傾げる。

 その仕草はほんとうに可愛らしい。実年齢は十七歳だが、精神的には三、四歳ぐらい若いだろう。

「ちょっと遠くにいた人だから、遅くなってるんだ。この店で合流する予定なんだよ」

「ねぇ! どんな人?」

 リネアが身を乗り出す。

「リネアの倍くらい年上の人だよ」

 変わらない微笑のまま、ユウは答えた。

「その人って強いの?」

「大丈夫、強いよ」

 リネアの言葉にユウは笑みを深めてみせた。

 並の腕ではユウの仲間にはなれない。ユウが頼まれる仕事は重大なものが多く、それ故に厳しいものになる。文字通り、命懸けの場面も数多くある。しかも、そこら辺の旅人が話す程度とはレベルが違うものだ。

「よぉ、そこのねーちゃん達、俺らと酒でも飲まねぇか?」

 明らかに酔った二人組みの男がユウとリネアに声をかけてきた。

 相当に酔っているらしい。ユウを女だと勘違いしている。確かにユウは中性的な顔立ちをしているといえなくもない。だが、れっきとした男だ。

「ねぇ、もしかして五人目とかもいるの?」

「この人達は違うよ」

 不思議そうに目を瞬かせるリネアにユウは首を横に振った。笑みは絶やさずに。

「話聞いてる?」

 男達が僅かに眉根を寄せる。無視されたとでも思ったのだろう。

「ごめんね、人と待ち合わせしてるから他の人を誘ってよ」

 ユウがやんわりと断る。

「いいじゃんよー、ちょっとぐらい」

「あ、来たかな」

 男達が食い下がった時、ユウは店の中に入って来た男に視線を向けていた。

 体格の良い、筋肉質の大男だった。無精髭を生やした厳つい顔をしている。向こうもユウを見つけたらしく、二人組みの背後へと進んで来る。

「おいユウ、この坊主二人は知り合いか?」

 背後からかけられた声に二人組みが振り返り、固まった。

 男の身長は高く、標準的な身長の二人組みよりも頭一つ大きい。しかも分厚い胸板と傍目から見ても判る筋骨隆々な男だ。背中には人間の頭を軽く叩き潰せそうな程に大きな槌を背負っている。

 破れたのか、袖の無いシャツにズボンというシンプルな格好をしているがそれ故に筋肉が強調されて威圧感が増している。

「ひ、ひぃぃぃー!」

 二人組みは逃げ出すのを、男は眉根を寄せて見つめていた。

「なんだあいつら」

 逃げ出されたのがショックだったのか、男が渋い顔をする。

「やっぱり、ちょっと遠かったかな?」

 ユウはいつも通りの微笑を湛えたまま、男を見上げた。

「そりゃあな。にしても、お前ら二人で全部平らげたのか?」

 テーブルの上の食事後を見て、男が尋ねた。

「ああ、さっきまで二人いたんだけど、二人とも別行動するって出て行ったんだよ」

「そうなのか?」

 男がユウからリネアに視線を向けた。

「あたしだって、こんなに食べられないよ」

 リネアが口を尖らせる。

 その仕草を見た男があからさまに表情を歪めた。

「……ユウ、こいつも仲間なのか?」

「不満かな?」

 大男の言葉に、ユウは笑みを浮かべたまま答える。

「お前の観察眼を信じねぇわけじゃねぇが、若過ぎないか?」

「見た目で判断しちゃ駄目だよ、ディガン」

 ユウは優しく声をかける。

 確かに、普通の人間から見ればリネアが戦う様を想像するのは難しいだろう。彼女の性格は前向きで明るい。戦いとは無縁な空気すら持っている。

「ディガン? おじさんディガンって言うの?」

 リネアが首を傾げた。

「ディガン・ブローナムだ。お嬢ちゃん」

 そう言って、ディガンはリネアの頭の上に大きな掌を置いた。

 厳つい顔付きではあるが、穏やかな表情だった。

「食事はもう取ってある?」

「ん? ああ、来る途中で食べて来たぞ」

「じゃあ、宿の方に行こうか」

 ディガンの返事を聞いて、ユウは席を立った。それを見てリネアが続いた。

 カウンターで料金を支払い、店を出る。

 その間、リネアはディガンの筋肉に興味津々といった様子だった。ディガンの筋肉は確かに珍しいぐらいに強靭だ。長年鍛えた結果ではあるが、リネアには物珍しいのだろう。

「ねぇ、おじさんはどのぐらい強いの?」

 店を出た直後、リネアはディガンに尋ねた。

「ふむ……試してみるか?」

「うん!」

 暫し考え込んだ後、ディガンが告げた言葉にリネアは即答で頷いた。目を輝かせてすらいた。

「二人とも武器は使わないでね」

 ユウはそう言いながら人通りの少ない道に入って行った。

 二人は後を追って路地に入り、向き合う。勿論、武器はユウに預けて。

 リネアは手を組んで背伸びをしながらディガンを見る。対峙した後に見せる無防備な姿にディガンが片眉を上げた。リネアがにっこりと微笑み、ディガンが更に気落ちしたように表情を歪める。

「ほっ!」

 不意に、リネアが地面を蹴って駆け出した。

 軽やかにステップを刻み、身体の位置を変えながら数歩の距離にいるディガンへと接近する。ディガンが目を見開いた。重心を一歩ごとに変え、一直線ではなくジグザクに近付いて来るリネアに攻撃をしようとして、できなかった。重心を定めず、急所にさえ攻撃をくらわなければリネアは直ぐその場で衝撃を受け流して進める。一直線に進んでいないのは攻撃の方向と自分の進む方向を合わせないためだ。

 リネアが放った回し蹴りを、ディガンは軽く受け止めた。鍛え抜かれた筋力が反射行動をすぐさま実行に移している。彼が纏う筋肉の壁を貫くには、リネアの攻撃は軽過ぎた。リネアの筋力も見た目からは想像もつかないほど鍛えられている。だが、ディガンのようなパワー重視の筋肉ではない。リネアの場合は瞬発力の極めて高いスピード重視の筋肉なのだ。

 蹴りを受け止められた腕を蹴飛ばして、リネアがディガンの脇にある壁へと跳んだ。身体を捻って両足で壁を蹴ってディガンの頭の上を飛び越えた。

 ディガンが背後を振り返った時、リネアはそこにいなかった。そして、ディガンは倒れていた。

 傍から見ていたユウには全て見えていた。

 背後に回った瞬間、リネアは振り返るディガンを追って背後を維持した。そして、両手でディガンの肩を右へと押し、足払いをかけた。重心の位置をそのままに身体のバランスを崩されたディガンは、そのまま横転して倒れたのだ。

「ね、文句ないでしょ?」

 ユウは倒れたディガンの顔を覗き込んで告げた。相変わらず笑みを浮かべたまま。

「お嬢ちゃん、名前は?」

 そうだな、と呟いてからディガンはリネアに名を尋ねた。

「リネアだよ。リネア・キュリエ!」

「リネア・キュリエ……!」

 ディガンはリネアの名を聞いて飛び起きた。上体を起こし、不思議そうに首を傾げるリネアを見上げる。

「だが、何故……!」

 ディガンがユウを見上げた。

「彼女は、純粋なんだよ」

 微笑を湛えたまま、ユウは告げる。優しげな声だった。

 かつて、この世界の裏で暗躍していた殺し屋がいた。暗殺術に長け、素早い身のこなしでどんな戦士も彼を捉えられなかったという。その男は自らをキュリエとだけ名乗っていた。

 捨てられていたリネアは彼に育てられ、名を与えられた。そして、彼の全てを学んだ。人を殺し、生き延びる術を。

 子供が暗殺術を仕込まれていると思う者は少ない。だからこそ、キュリエはリネアを自らのパートナーとして仕事を続けていたのだ。リネアならば相手も油断する可能性が高い。ちょっとした芝居でも打たせれば注意を引き付ける事もできる。もっとも、リネアは誰に対しても友好的だった。たとえ、相手を殺す依頼を受けていても。

 幼い頃より武器を持たされ、生きて来たリネアにとって人を殺すという行為は悪ではない。そして、善でもない。リネアには善悪の判断は皆無といっても良かった。楽しいか、そうでないか。それを望むか望まないか。その程度の判断しかない。

 故に彼女は純粋だった。

「じゃあ、あんたが……?」

 ディガンの問いに、ユウは首を振った。

「僕じゃないよ。確かに、彼女に色々教えてはいるけれど、ね」

 既にキュリエという男は死んでいる。キュリエの死には立ち会ったが、ユウが殺したわけではない。

 ユウはリネアを連れて暫く世界を回り、様々な一般教養を教えていった。一人で暮らすには、彼女の性格は余りにも幼過ぎた。リネアはキュリエの死に涙を流さなかった。彼女にとって、人が死ぬというのは当然の出来事に過ぎない。誰でも最後には必ず死ぬものだと、リネアは受け入れている。キュリエの死も、なんでもなかったかのように受け止めていた。誰を憎むでもなく、これからの生活に不安を抱くでもなく。

 勿論、自分が捨て子だったという事実もリネアにとっては何でもない。ただ自分が生きているという現実だけがリネアの全てだった。

「昔は大変だったよ。背後に立つとすかさず攻撃してきたからさ」

 ユウの笑みに苦笑が交じった。

 背後を取らせない、というキュリエの教えだったのだろう。街中での生活をほとんど体験していなかったためか、常に命を狙われると思って生きて来たようだ。背後に立つ者は容赦なく殺そうとする。敵と対峙している時ならいいが、そうでない時や仲間と背中合わせになるような場面で攻撃されてはかなわない。

 そういった面を、ユウは改善させてきたのだった。

「おじさん、やっぱりあんまり強くないんじゃない?」

 リネアがユウに同意を求める。

「そうかもしれないね」

「おいおい、そこはフォローしてくれてもいいんじゃないか? 俺をメンバーに引き抜いたのはお前だろ?」

 ディガンがユウの返答に肩を落とす。

「油断してたっていうのはディガンの落ち度だからね」

 ユウが微笑む。

 ディガンは苦笑を返した。

 相手がリネアだからといって見た目で油断していたのはディガンだ。それを否定はできない。負けた理由が油断していたから、というのは油断する方に落ち度がある。見た目で相手を油断させるのもリネアの武器の一つに他ならない。

「まぁ、リネアとは相性が悪かったかもしれないけどね」

 一撃の重さが自慢のディガンにとって、回避力と攻撃速度に重点を置いているリネアは弱点とも言える。一発でも攻撃が命中すればリネアのような軽い相手には致命傷だ。しかし、そういう弱点を持っているからこそ、リネアのような者は攻撃の回避や反撃の腕を鍛えている。

「じゃあ、宿に向かおうか」

 ユウの言葉に二人が頷いた。

 辺りはすっかり暗くなっている。欠けた月の明かりが路地裏をいっそう暗くしている。

 三人は路地裏から大通りへと戻った。

 首都ガルダースに近いだけあって、夜になっても開いている店が多く明かりが絶えない。行き交う人々も昼間より少ないものの、まだ見受けられる。

「……どうしたの、ユウ?」

「うん、ちょっと……妙な感じがする」

 ユウの表情に変化を見つけたリネアが首を傾げた。

 常にそこにあった笑顔がない。僅かではあるが、真剣な眼差しが垣間見える。

 ユウは今、街に流れている空気の変化を感じ取っていた。普通の人間には感じ取れない些細な変化を、ユウは感じていた。肌触り、とでもいうのだろうか。気温の変化でも、風向きの変化でもない。第六感に刺激してくるような感覚だった。

 そして突如、街中に悲鳴が響き渡った。

「行こう!」

 走り出したのはユウだった。

「あ、おい、ユウ!」

 続いてディガンとリネアが走り出す。

 街の北側出入り口付近で、大勢の人間達が腰を抜かして座り込んでいた。

 中央には、人ではない存在がいた。

「ありゃ、何だ……?」

 ディガンが口元を引き攣らせて呟いた

 首がなく、胴体と頭が一緒になっているような印象を受ける生物だった。腕は指先が地面に突きそうな程長い。足は太く、比較的短かった。全体的に土のような色をしており、腰巻のようなものをしている以外は何も身につけていない。不恰好な泥人形とでも形容した方が判り易いような外観をしている。

 口は大きく、目は丸い。首がないせいか、猫背なようにも見える。

「ユウ、あれが敵なの?」

 リネアが問う。薄気味悪さなどを感じていない様子だ。

「その前に、皆を逃がさないと」

 ユウは冷静に告げた。

 今、ここで戦うのはまずい。人が多過ぎる。彼らを何とかしなければ戦闘に巻き込んでしまいかねない。

「リネア、ディガン、少し強引でもいいから皆を避難させて!」

 ユウの指示にリネアは頷いた。

「お前はどうするんだ?」

「彼と、話してみる」

 ディガンの問いに、ユウは答えた。

「お前、正気か!」

「力だけで解決しようとするのは良くないよ」

「話が通じる相手かどうかも判らねぇってのにか?」

「だから試すんだよ」

 ディガンを言い包め、ユウは前に進み出た。

 リネアは既に人を抱えて遠くへと走り出している。距離を取った後、抱えた人を置いてまた戻り、別の人を引っ張っていくつもりだ。ディガンも大声で逃げるように叫びながら人を抱えて走り出している。いわゆる力持ちのディガンなら一度に四、五人は運べるようだ。

「最近、各地で人を襲っているのはあなた達なのですか?」

 ユウは問う。

 魔物のような存在の足元には、無残にも殺された女性の遺体が転がっている。鋭利な刃物で切り刻まれたかのように、身体がばらばらになっている。辺りには血と肉片が飛び散り、噎せ返るような血の臭いが立ち込め始めていた。

 相手は、ユウをじっと見つめている。

「何故、人を襲うのでしょうか?」

「人間……許さぬ……」

 聞き取り難い声ではあったが、『彼』はそう告げた。

 ユウは目を鋭く細めた。

「何故、許さないのですか?」

 ユウの問いに、彼は答えない。

 ただ、感情の見えない瞳だけを向けていた。


 *


 ゼアは夜の平原を歩いていた。交通機関の発達に伴い、自分の足を使って旅をする者は今ではめっきり減ってしまった。だが、自分の足で外の世界を歩くだけで心も身体も鍛えられる。頼れるものは自分一人しかいない。何かあった時、助けてくれる存在は近くにはなく、全てが自力の世界。

 欠けた月を見上げ、ゼアは夜の平原を歩き続ける。

 まだ眠るには早い。もっと先へと足を進めよう。

 静かな平原を一人歩くゼアの足音だけが風の音に交じる。

 だが、不意にゼアは足を止めた。

 虫の声がしない。夜行性の鳥の囀りもない。ただ、風の音だけしかしない。

 妙だ。

 そう感じた時には、刀に手をかけていた。

 ゼアの目の前で地面が盛り上がる。内側から膨らんだように、何かの存在をそこに感じていた。

 無言で身構えるゼアの目の前で、地面の中から奇妙な泥人形のようなものが這い出してくる。普通の人間が見たら魔物と呼ぶだろう、気味の悪い姿をしていた。身体と一体化した顔を持ち、長い腕を太い足を持つ化け物だ。

「噂の魔物、か……?」

 眉根を寄せ、ゼアは呟いた。

 今までに見てきた野生動物とは根本的に違う生物だった。未知の生物を相手に、ゼアはどう動くべきかを冷静に見極めている。攻撃してくるようなら、敵と判断するつもりだった。

 赤茶色の鞘に納められた刀の柄を握り締める。

 相手が何を考えているのか判らない。攻撃方法が予測できない。無闇に突っ込んでいくのは逆に危険だ。

 背筋に寒気を感じ、ゼアは反射的にその場を飛び退く。

 直後、ゼアの頬を何かが掠めた。

 頬が浅く裂け、僅かながら血が滲み出た。

「今のは……!」

 金属片、とでも呼ぶしかない。鋭利な刃物と化した金属片がゼアの頬を掠めた。

 ゼアは信じられないものを見るような目で化け物を見つめた。

 今や、化け物は全身に刃物を突き立てられたような姿になっている。だが、実際は化け物の体内から刃が飛び出しているのだ。その一つを射出したのが先程の攻撃に違いない。

 どういう仕組みかは判らないが、あの化け物は体内で金属を精製できるようだ。その上、任意に射出できる。しかも、かなりの高速で。

 化け物は出てきた場所から動かす、刃物を射出する。

 最初は一発ずつ、ゼアの様子を見るように。だが、ゼアが回避していくにつれて、化け物が放つ刃の数が増え始めた。一つから二つ、二つから三つ、と直ぐに増えていく。

 舌打ちし、ゼアは刀を抜き放った。

 刀を振るい、放たれる金属片を弾き飛ばす。金属音が響き渡り、辺りに金属片が散らばる。

「くっ……!」

 思わず呻いた。

 速度から覚悟していたが、一撃が重い。高速で射出される金属片を弾いた腕に衝撃が伝わっている。

 横に跳び、放たれる金属片を刀で弾く。姿勢を低くして、ゼアは地面を強く蹴飛ばした。雨のように降り注ぐ金属片の中を、ゼアは駆ける。

 長い黒髪が揺れ、金属片が服を掠める。刀の届く間合いまで止まる事なく走り抜ける。

 息を細く吐き出してゼアは刀を振るった。刀身が月光を反射し、光の筋を描き出す。

 だが、その軌跡が止まった。

「なに……っ!」

 化け物の身体から生えた金属片が刀を受け止めていた。

 速度も角度も申し分なく、並の金属ですら切断できるはずの一撃を化け物は受け止めている。化け物が精製できる金属がそれだけ高純度なのだ。だが、それだけではない。

 ゼアは確かに化け物の肌の部分目掛けて一撃を見舞ったはずだった。ゼアの剣閃を見切れる者は少ない。

 反射神経も化け物並と見て間違いない。

「っ!」

 攻撃を受け止められ、動きの止まったゼア目掛けて金属片が降り注ぐ。

 ゼアはその場から直ぐさま飛び退いた。

 着地と同時に横へ身を投げ出すように転がり、その上で更に後方へ飛び退いて距離を取る。

 人間より上の戦闘能力がある相手だと考えるしかない。

「ならば……」

 ゼアは今、手にしている刀を鞘に納める。そして、もう一振りの刀へと手をかけた。

 即ち、神器へと。

 神器を使うに相応しい相手だ。

 散弾のようにぶちまけられた金属片へ目掛けて、ゼアは抜刀と共に刀を振り抜いた。

 黄金の閃光が煌めき、金属片を吹き飛ばした。化け物が光に瞳を細め、顔を庇うように腕を掲げる。

 刀身は黄金の輝きを放ち、絶えず雷撃を周囲に放出している。鋭く研ぎ澄まされた刃の切断力は並の刀の比ではない。ゼアが普段愛用している名刀よりも、数段上の強度と切れ味を持っている。ぶつけ合えば、ゼアの刀の方が切断されてしまうだろう。

 同時に、刀身が纏う雷撃は他の武具にはない特性だ。この雷撃は持ち主の意思に応じて形を変える。形を変える雷撃にも切断力がある。この神器は、いわば雷撃の刀だ。

 名を、『翔雷』という。

 化け物の持つ特殊な能力に対抗するには、神器を使う以外に手はない。ゼアの刀で歯が立たずとも、神器ならば話は違うはずだ。

 ゼアは駆け出した。

 身の危険を感じ取ったのか、化け物が後方へと跳躍した。見た目からは想像もできない跳躍力で、化け物が飛び退いた。人間三人分の身長を軽く飛び越えるぐらいの高さだ。

 空中にいる間、化け物は金属片を射出し続ける。ゼアは神器を水平に構え、柄を握り締めた。その意思に答え、刀が帯びた雷撃が壁のように広がる。火花を周囲に撒き散らしながら、ゼアが大地を疾駆する。

 金属片が雷撃に引き寄せられて周囲に方向を変え、ゼアを避けるように後方へ流れていく。

 着地した化け物が腕を振るった。人間のそれとは比較にならない速度で振るわれた腕を、神器は受け止めて見せた。

 腕に生えた金属片を伝って、雷撃が化け物の体内に流れ込む。

 酷く濁った絶叫を上げ、化け物が後退った。

 ゼアは神器を引き、化け物を振り払うように薙いだ。

 雷鳴が轟き、刃が化け物の身体を通過する。顔を横一直線に両断された化け物が崩れ落ちる。

 人間のものよりも粘度の高い、琥珀色の体液が溢れ出てきた。あるいは、それが化け物の血液なのか。

 化け物の死体を見下ろしながら、ゼアは神器を鞘に納めた。

「何だ、こいつは……」

 戦闘前は危険だと判断して後回しにしていた事を改めて考える。

 外観から、今まで発見されてきたどの生物とも違うと感じたが、実際に戦ってみてそれはほぼ確信に変わった。人間よりも身体能力の高い生物は存在するが、何より金属を体内で精製し、打ち出すという能力が他の生物とは明らかに違う。

 加えて、琥珀色の血液だ。今、世界中で確認されているどんな生物も、血は赤い色をしている。だが、この化け物は赤い血がない。切断面を見ても、人間や動物を切った時のそれとは異なっている。琥珀色の血液の中に臓器が浮いているといった形容が正しいのかもしれない。

 魔物、と呼ばれるのも頷ける。

「確かに、神器が必要な相手だな……」

 ゼアは口の端を吊り上げた。

 これだけの相手と戦えるなら、修行にはもってこいだ。

 人の限界を超えた敵と戦える。

「ふっ、面白い……!」

 ゼアは笑みを浮かべた。

 この化け物を何体も相手に戦えるというのなら、ユウと共に動く価値がある。

 無論、複数体を相手に勝ち残れる可能性は高くない。一体だけなら神器の力で圧倒できたが、何体も同時に相手をしていたら勝敗は変わっていた可能性がある。

 だが、死ぬ危険が高ければ高い程、ゼア自身が鍛えられる。それだけ強くなれるのだ。

 ゼアは踵を返した。今から戻れば、朝には街に戻れる。

 ユウの様子を見る限り、あの街で一泊するつもりに違いない。今から戻れば合流は容易い。

 自然と、ゼアは駆け出していた。

 口元には笑みを、瞳には期待の光を湛えて。


 *


 列車の窓から、ソールは欠けた月を眺めていた。静かな夜の中、窓の桟に頬杖をついて列車に揺られている。

 今、ソールの家がある街まではあと二つ列車を乗り継いでいかなければならない。この列車が夜遅くに到着する街で一泊し、翌朝の列車でまた移動する。その先で列車を乗り換えれば自宅まで行ける計算だ。

 そろそろ眠ろうかと考えていた矢先、列車が急停止した。

「……なによ?」

 前の座席に両手を着いて踏ん張り、ソールは立ち上がった。

 他の乗客も何事かとざわめいている。中には荷物を床にぶちまけてしまい、慌てて拾っているものもいた。

 ソールは自分の座席から離れ、前の車両へと向かった。車掌が落ち着いてくれと叫んでいるが、他の乗客は混乱している。車掌に説明を求めているが、彼も何が何だか判らない様子だ。

 車掌とすれ違い、更に前の車両へ進み、操縦車両へと辿りついた。

 この列車は後ろ半分が貨物車両になっている。物資輸送も兼ねている。故に、人が乗っている車両が少なかった。

「何があったの?」

「あ、あんたは……?」

 ソールの言葉に、運転士が狼狽しながら尋ねた。

「……そんな事どうでもいいわ。何があったの?」

 うろたえている運転士に言い放ち、ソールは前面の窓から外を覗いた。暗くて見難い。

「あんた、旅人か何かか……?」

 ソールの荷物の中にあった弓を見つけたのか、運転士が問う。

「だから私の事なんてどうでもいいでしょう! 何があったのかいいなさい!」

 質問に答えない運転士を怒鳴りつけ、ソールは胸倉を掴んで問い質す。

「せ、線路上に何かいるんだ……!」

 運転士の言葉に、ソールはもう一度車両前面の窓から線路上に視線を走らせた。

 暗くて良く見えないが、確かに線路上に人影らきものが見える。

「何でライト点けてないのよ?」

 本来、夜間の運転中は照明で進行方向を照らすのが決まりだ。何故、照明を切ってあるのか疑問だった。

 車両の機器に目を向け、ソールはライトの電源を入れた。車両前方が明かりで照らされる。

「そういう事ね……」

 ソールは顔を顰めた。そして照明を直ぐに切る。

 確かに照明をつけたまま見つめていたいものではなかった。

 あれは化け物だ。

 この地上に存在するどの生物とも異質な感じがする。醜悪な泥人形のようだ。

「確か、今日はこれが最後の便のはずよね?」

「は、はい……」

「少し後ろに下げてくれる?」

「何をするつもりで?」

「排除してくるわ」

 運転士にそう言い残し、ソールは近くの出入り口を開けた。そのまま外に出て荷物から緑色の弓を引っ張り出す。

「あれが噂の生き物なのよね、きっと……」

 ソールは呟いた。

 列車はデリケートな交通機関だ。線路上にちょっとした障害物があるだけで脱線し、凄まじい事故を起こす。だからこそ、運転士は列車を止めたのだ。その判断は間違っていない。

 折り畳まれた弓を展開し、武器の形へと組み立てる。

 ソールの身長の八割ほどの長さもある大きな弓だ。

 それがソールの持つ神器だった。

 だが、矢は見当たらない。ソールが持っているのは弓だけだ。

 周囲を見回し、化け物が目の前の一体だけだと確認する。列車の中からでは正面にいる一体しか見えなかったが、もしかしたら他にもいる可能性があった。気付かずに複数の敵を相手にするのは危険だ。確認を怠ってはいけない。

「え――っ!」

 風向きが変わったと思った瞬間、ソールは吹き飛ばされていた。

 腹に思い切り丸太を叩きつけられたような重い衝撃だった。三メートル程吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。荷物を入れたバッグがソールの肩から離れ、線路脇に転がる。

「げほっ……」

 咳き込みながら、上体を起こす。

 何が起きたのか理解できなかった。

 化け物のいる方向から飛んできた衝撃波がソールに命中したとしか考えられない。一瞬、あの化け物が衝撃波を浴びせて列車を止めたのではないかとすら考えてしまった。

「攻撃してきたところを見ると、話せる相手じゃなさそうね……」

 立ち上がったソールに、また衝撃波が叩き付けられた。

 空中に放り上げられたソールを、真上から衝撃波が襲う。その攻撃でベクトルが捻じ曲げられ、ソールが地面に叩きつけられる。反動で身体が空中に跳ね上がり、真横から叩き付けられる衝撃にソールが吹き飛ばされた。弓が手から離れる。

 うつ伏せに倒れたソールは激しく咳き込んだ。

 地面に一度叩き付けられた直後から呼吸ができなかった。

 強いなんてものじゃない。今までに確認されているどの生物よりも強い。衝撃波を操るなど、考えられない能力だ。

「ぐ……!」

 歯を食い縛り、ソールは目の前に落ちている弓に手を伸ばした。

 化け物はソールを無力化したと見たのか、視線を列車の方に向けている。

 うつ伏せに倒れたまま、ソールは左手で弓を掴んだ。右手を伸ばし、弓の中央にある翡翠色の結晶に人差し指と中指を触れる。そのまま弦を引いた。

 指先が結晶から光を引き出していくように、淡い光の流れが矢を形作る。

 その光に気付いた化け物がソールを振り返った。

「遅い……っ!」

 ソールは光の矢を解き放った。

 光は放たれた瞬間に弾け飛んだ。

 刹那、化け物の右肩に穴が穿たれた。穴は瞬間的に抉れるように広がり、肩の付け根を吹き飛ばす。遅れて飛来した突風が化け物を数メートル吹き飛ばした。

 風の矢を放つ。それがソールの持つ神器『息吹』だった。

 光で形作られた矢は単なるエネルギーとイメージに過ぎず、放たれた瞬間に風へと姿を変える。そして、凄まじい速度で敵を射抜く。濃密な風の矢は突風を伴い、貫いた相手を吹き飛ばしさえする。肉眼で矢を捉えるのはまず不可能だ。

「流石に、直撃はできなかったようね……」

 腹を押さえて、ソールは立ち上がった。

 狙いは顔面だったのだが、外してしまった。命中したのは右肩だ。破壊力の高い矢のお陰で腕をもぎ取るぐらいはできたが、致命傷ではないはずだ。

「え……?」

 立ち上がり、化け物の様子を見たソールは絶句した。

 片腕を失った化け物は地面に潜って逃げたのだ。

 残されたのは、琥珀色で粘度の高い体液を溢れさせた腕だけだ。それだけでも、通常の生物とは根本的に違う存在なのだと認識できる。

「確かに、魔物ね……」

 かつての大戦に存在したという魔物が琥珀色の血を流していたのかどうかは判らない。ただ、恐ろしい存在としての名称なら魔物という呼び名がしっくりくるのも事実だ。

 ソールは列車の方へ向かい、バッグを拾うと折り畳んだ弓を突っ込んだ。

 そして、出てきた場所から列車の中に入る。

「この列車、引き返すのは無理かしら?」

「流石に出来ませんよ、そんな事」

 戦いは見ていなかったのだろう、ソールが戻ってきた事に驚いた様子で運転士が答えた。

「化け物はもういないわ。動かしても大丈夫なはずよ。但し、暫くはゆっくりね」

「はぁ……」

 素っ気無いソールの言葉に、運転士が生返事を返した。

 流石に得体の知れない不気味な腕を持ち帰るのは嫌だった。

 操縦車両を後にしたソールは後部の列車へと進んでいった。先程まで座っていた座席も通り越して、更に後ろへと向かう。即ち、貨物車両へと。

 列車が動き始めるのを感じて、ソールは溜め息をついた。

 今から歩いて街まで戻ったら朝には辿り着けるだろうか。だが、今から戻らなければユウと合流するのは難しくなってしまう。それは面倒だ。

 貨物車両に入ったソールは更に後部の貨物車両へと足を進めた。この列車が運んでいるのは植物系の食料らしく、大量の木箱が積まれていた。

 最後尾の貨物車両に来た時、不意に誰かの気配を感じた。

 所狭しと並べられた木箱の中を進み、気配のする場所を覗く。

「……あなた達、密航してるのね?」

 そこにいたのは、二人の子供だった。

 十歳ぐらいの男の子と、妹らしい女の子だ。男の子の方が妹を背後に庇うようにして、ソールを睨み付けている。手にはナイフを持ち、威嚇していた。それでも、確かに震えている。

「別に、誰にも言わないわよ」

 くすりと笑い、ソールはバッグの中に手を入れた。

 文明が発展しても、必ずあぶれた者が出てくる。この兄妹もその一例だ。どうにか生き延びてきたに違いない。親はどうしたとか、どこに行くのかといった質問は無粋だ。

 彼らには生き延びれるかどうかが一番の不安なのだから。

「これで、これからの事を考えなさい」

 そう言って、ソールはバッグの中から紙幣の束を差し出した。

「……何の真似だ?」

 他人の施しなど受けない、そう言いたいのだろう。男の子は果敢にもソールにナイフを向けた。

「気紛れよ。要らないならいいわ」

 でも、とソールは女の子に視線を向けた。

「その子と生き延びるためには、今は必要なんじゃないかしら?」

 普段は見せない優しげな笑みを浮かべ、ソールは語りかけた。

 男の子は背後の女の子を一度見て、おずおずと札束に手を伸ばした。

「礼なんか言わないぞ……」

「私は何も見てないわよ」

 そう言って、ソールは二人に背を向ける。

「お姉ちゃんは、誰なの?」

 女の子が尋ねてきた。

「そうね、あなた達の未来の一つ、とでも言っておこうかしら」

 悪戯っぽく笑い、ソールは貨物車両の最後尾の連結扉を開けた。

 そして、車両から飛び降りた。

 遅めに走ってくれと頼んでおいたのは飛び降りるためだ。どうにか着地し、線路を辿ってユウと別れた街へと戻る道を歩き始める。

「逞しく生きて欲しいわね……」

 そう呟いて、ソールは歩みを速めた。

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