夏に響くはきみのおと
逸る気持ちを抑えられず、慣れない下駄で石段を駆け上がる。低く響く太鼓の音も真っ赤な提灯も私の鼓動を速まらせるばかり。境内は人と活気に満ち溢れている。友達と合流したらどの屋台から回ろうか。そんなことを考えながら、待ち合わせ場所である社へと急いだ。
「お待たせ!」
息せき切って走ってきたが、まだそこには誰の姿もなかった。携帯のディスプレイに表示された時刻は待ち合わせ時間ちょうど。急に手持無沙汰になってしまった私は、何とはなしに社へと目を向けた。
こうもまじまじと見つめるのはいつ振りだろうか。夜の社は神秘的で、祭りの喧騒がどこか遠くに感じられる。
「なにしてるの?」
突然背後から聞こえた声に振り返ると、そこには浴衣姿の幼い少女が立っていた。興味津々といった風に瞳を大きく見開いてじっと私を見つめている。
「あ、友達を待ってて……」
「おやしろ、どうしてそんなにみつめてるの?」
まるで風鈴の音のような澄みきった声が心地好い。幾分か落ち着きを取り戻してから向き直ったが、依然少女は不思議そうにこちらを見つめたまま。
「いつもはお社をしっかり見つめたりしないから、こんな風になってたんだなって改めて思っちゃったんだ」
「そんなにみつめたら、はずかしい」
「え?」
「おやしろはおうちなの。でもこわれててきれいじゃないから、あんまりみないで」
「おうちって……。あなたの?」
少女は無言で頷く。背中を妙な汗が流れる感覚がして、頭が上手く回らない。あれほど響いていた太鼓の音すらも、もう私の耳には届いていない。
「お社は、神様が祀られている場所じゃないの……?」
目の前の少女が何者なのかわからない恐怖で声が震える。今すぐにでもこの場から立ち去ってしまいたいが、この暗闇と静寂に取り囲まれてしまった状況ではどこに道があるかもわからない。
「みんなはわたしを、かみさまってよぶよ」
普通なら信じられないような話だ。子供のふざけたごっこ遊びかもしれない。しかしこの場には、そう信じさせるような何かがあった。
「みんな、わたしのためにおうちをつくってくれた。たくさん、あいにきてくれた。でも……」
少女の表情は変わらず無表情のまま顔を俯ける。祭の灯りが遠いこの場所では、そうしてしまうと暗くてよく見えなくなってしまう。
「だんだんおうちにきてくれなくなって、さみしかったんだ。おまつり、すごくたのしそうだけど、わたしはここでひとりぼっちだから」
少女が神様なのか人間なのかは私にはわからない。それでも、少女の悲しみはわかるような気がした。
「……ごめんね」
思わず口をついて出た言葉。それはいつの間にか神様の存在を忘れていたことに対してなのか、祭に参加させてあげられなかったことに対してなのか。
「あのね、でもね、あなたのおかげで、きょうはたのしかったの」
伏せていた顔を上げ、少女は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
一際大きく響いた太鼓の音で我に返った。祭りで賑わう声はすぐ近くに聞こえる。辺りを見回しても、もう少女の姿はない。
「ごめん! お待たせ!」
振り返ると、息を切らせた友達が立っていた。手には2パック、焼きそばを持っている。
「遅れちゃったお詫び。あんた、焼きそば好きでしょ?」
「……うん、ありがと」
1パック受け取り、ふと思う。私はそれを、そのまま社の前へと置いた。
「食べないの?」
「食べるけど、お祭りの主役にもお裾分け」
鳴らした鈴の音は清らかで、少女の声とよく似ていた。