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音芸神話 - yukito's side story -  作者: 七海 雪兎
第一章 -humanoid-
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Macuilxochitl / TOMOSUKE


随分と遅くなってしまった。

今夜は雨が降ると出先で聞かされたのだが、あいにく私は傘をもっていない。

なので慌てて帰宅しようとしていた矢先だった。

唐突に一匹の黒猫が私の前を横切った。

踏んでしまう。

そう直感した私は、なんとか回避しようと無理な体勢になってしまった。

気付けば電柱が目の前に……。






雨打つ音で私は目が覚めた。

どうやら降り出してしまったらしい。

慌てて体を起こすと、少しフラつくのがわかった。

「あぁ、起きたのかい。いいよ、まだゆっくりしていきな」

声がした方を見る。

そこには初老の男性がカウンターの向こうで佇んでいた。

状況が把握し切れず、私の口からはもごもごという音しか出てこない。

「君、うちの前で倒れてたんだよ。余所見でもして電柱にぶつかったのかな」

なるほど、それで私はここに担ぎ込まれ寝かされていたというわけか。

あのまま外で倒れていたら、雨に打たれて風邪でも引いてしまっていたことだろう。

いや違う。

「あ、ありがとうございます…」

そうだ、お礼を述べるのが先に決まっているじゃないか。

ソファーに座ったまま頭を下げると、男性はにこりと笑った。

「なに気にすることはないさ」

そう言って私の前に一杯のコーヒーを置いてくれた。

なんだか申し訳ない気分になってもじもじしてると、熱いうちに飲んでしまいなさいと言いたげに私に手のひらを向けた。

このまま冷ましてしまうのも勿体無い。

ありがたくいただくとしよう。

軽く会釈し、一口。

……ああ、美味しい。

ついホッと顔を綻ばせる。

あまり長居しても悪いので、これを飲んだら家に帰るとしよう。

傘がないのはもう仕方ない。

帰ったらさっさと熱いシャワーでも浴びれば大丈夫だろう。

そんなことを考えていると、私をじっと見ていた男性がふと口を開いた。


「…久しぶりだな、覚えているかな」


…………確かに私はこの男性を初老だと決め付けていたが、まさかもう呆けが始まっているのだろうか。

口に出さずとも眉を寄せたのを見て、男性は察したらしい。


「呆けてなどいないさ、私は待っていたんだ、君を」


男性は心底懐かしそうに微笑む。

一体何を言っているんだ。

待っていた?私を?

私はこの男性を知らない。

幼い頃の記憶まで保障は出来ないが、それでもやはり見覚えはないように思えた。


「遺伝子のもっと奥。意識の海の底よりも深く。君には伝わっているはずだ」


やばい、この男性呆けてるのではない。

完全にイッているんじゃなかろうか。

警戒で体が強張る。

早いとこ帰ろう。

ここにいるのはマズイ気がする。

しかし私は動けなかった。

まるで見えない何かに押さえつけられているかのように。

変な汗が私の背を伝う。


「君は恋をした」


男性は私に構わず話し続ける。

その瞳に私はどのように映っているのだろう。

私の瞳には困惑しかない。

そもそも何だって?

私は恋をした?

そりゃあ人間誰だって生きていれば恋ぐらいするだろう。


「君は可能性を見た」


人間には可能性がある。

そう言いたいのか?

だとしても意味がわからない。

さっきの恋がどうのこうのとはなんら関係ない。

あながちないとは言い切れないが、少なくとも男性の言葉に繋がりは感じられなかった。


「君は冒険者だった」


人生は確かに冒険だ。

だからどうした。

私にはこの老人が何を言いたいのかわからない。

老人。

今私は老人と言ったか?

初老という評価は依然変わらないが、老人と呼ぶにはまだ若いんじゃなかろうか。


「君は系譜をなぞった」


家系のことだろうか?

別に私の家はたいした家系ではない。

…と、思う。

家系なんて知っているやつなんてどれほどいるのかわからない。

多くはないはずだ。

ダメだ、老人の妄言にしか聞こえない。

話にまとまりがなさすぎる。


「君は幸福に困惑した」


困惑した、とはどういうことだろう。

惑いはすれど、困るようなことではない。

いや待て、何故さっきから過去形なんだ?

いつしか私は冷静になっていた。

ずっと口元に寄せていたことにハッと気付き、まだコーヒーの入っているマグカップをテーブルに置いた。

考える。

この老人が何を言ったのかを。


「長い長い旅だった。しかしまだ終わったわけじゃない」


旅に出た覚えはない。

しかしまだ旅の途中だと言う。

私に何を伝えようとしているのかまだわからない。

だけど、だけれども。

私の内からこみ上げてくるこのイメージはなんだろう。

これは……花?

蕾ばかりが目立つ花畑。

そのイメージが私の中で確立した時、目の前の景色が一変した。


「成長したね……またいつか、ここで再び会う時は、私に聞かせてくれ」









君の物語を。






































私は風邪を引かないよう、熱いシャワーを浴びていた。

上がったら暖かいコーヒーでも飲もう。

未だ雨の降る外から、猫の鳴き声が聞こえた。


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