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音芸神話 - yukito's side story -  作者: 七海 雪兎
第 章 -leisure-
69/69

meme -The music myth Creation-


あなたはそっと本を閉じた。

そして目の前にいる老人を見つめる。


「この本、本当に頂いても?」


あなたが今一度確認すると、老人は目を伏せたままゆっくりと頷いた。


「その本はあなたが持つべき物だ、決して手放してはいけない」


あなたはその言葉を聞くと、半分理解出来ぬままに肯定した。

ロクに食事もしていなさそうな痩せた老人を目の端に捉えながら、あなたは椅子から立ち上がり部屋を出ようとする。

いずれ消えてしまうのであろうと分かっていながらも、あなたは老人に手を差し伸べようとはしなかった。

それが当然だとあなたは承知していたし、老人にとってもまた、それは当然のことなのだ。

いつまでも生にしがみつくのは愚者のすることだ。


「最後にひとつ、聞かせてくれないか」


扉に手をかけたまま振り返ることなくあなたは口を開く。

背後からは沈黙。


「あんたは、幸せ……いや違うな、楽しかったか」


僅かに木が軋む音。

ふぅという小さな溜息を吐き出した後、老人は返した。


「……善きことだったと、そう思うよ」


なんだか答えになっていないような気がしたが、あなたはその言葉を聞いて満足した。


「そうかい……それじゃあ、達者でな」


もう二度と会うことはないだろうと思いながらも、最後に口をついて出たのは気遣いの言葉だった。

そしてあなたは扉を開く。


瞬間、仄暗いろうの灯りに満ちた部屋とは打って変わって、視界は灰色に包まれた。

見慣れたビルの集合体を見上げて、あなたは思いを馳せる。

老人のこと、あなた自身のこと、これからのこと。

もうあなたはこれまでのあなたではない。

『普通』の生活に溶け込みながら、『普通』でないモノになったのだ。

変化とは残酷である。

あなたの脳裏にかつてのあなたがよぎる。

その顔は笑っているだろうか、泣いているだろうか。

もう同じような表情を描くことは出来ない。

あなたに出来ることは、模倣することだけ。

きっと幸せでも、楽しくもないだろう。

けれどあなたは悲観などしていなかった。


『善きこと』


そう、これは『善きこと』だから。

だから、行こう。

あなたがあなたであるために。


あなたは一度振り返る。

そこには扉などなく、ショーウィンドウがあなたを映すばかり。

あなたは目を伏せ、そしてすぐに前を向いて歩き出す。


ショーウィンドウが映し出した虚空。

それは誰かであって誰でもなく。

あなたはもはやそれがあなたなのかは分からない。

しかし同時に、やはりそれはあなたなのだ。

いつしかあなたはそれに気が付く。


あなたの抱えた本が真っ黒になる頃に、きっと。




音芸神話 -yukito's side story-



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