wedge:fallen leaves / 猫叉Master
うぅ……もうこんなに寒いのね。
車から降りた私を出迎えたのは、少し冬の香りのする木枯らしだった。
私は見上げる。
これから少しの間お世話になる、この病院を。
街から離れた丘の上に、悠然とそびえ立つ大樹。
その傍らに佇むこの病院は、この辺りで最も綺麗な空気を帯びている。
まるで最後にこの世界の煌びやかさを目に焼き付けて欲しい。
そんな願いのような祈りのような。
粋な計らいとでも言おうか。
正直絶望しかないであろう私たちに、その計らいは気休めでしかない。
余計なお世話だとは、別に言うつもりはないけれど。
「あと、半年……ですか?」
医者から聞かされた死刑宣告は、私の心を折るには十分過ぎるものだった。
具体的な話はもはや耳には届かず、意識を失った私が次に見たものは見慣れた白い天井。
元々長くはないだろうとは言われていた。
だから、覚悟していた……つもりだったのに。
じわりと視界が霞む。
頭がガンガンする。
呼吸もままならない。
四肢から感覚が失せる。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
そっと誰かが頭を撫でる。
顔を上げずとも分かる。
これは母の手だ。
きっと側に父もいるのだろう。
しかし私に声を掛けることはしない。
掛けるべき台詞も浮かばないのだろう。
ごめん、ごめんね。
親不孝者で、ごめん。
春色の景色をもう、私は拝むことは出来ない。
目の前に広がるのは、灰色の空と、白い壁だけ。
そして医者から最後のカードを渡される。
心臓移植。
それで助かる見込みがあるならばと、私は力なくカードを受け取った。
ベッドの脇で両親は俯いたまま。
私がいなくなった後、両親はどうなるのだろうと私はこの時思った。
きっとずっと俯いたままなのだろう。
何も悪いことなんてしてないのに、背中を丸めていくのだろう。
だから私は決めたのだ。
「あいつ、最後に笑っていたよな」
そう思い出せるように。
二人に笑顔で過ごしてもらうために。
私は、笑った。
可能性は、0じゃない……んだよね。
まさしく人生を賭けたギャンブル。
ベットしなければ、当たることもない。
このまま腐っていくぐらいなら、私は差し出そう。
どう転んでも、損はしないのだから。
そういう訳で、この病院に移転することになった。
国内ではここでしか心臓移植は取り扱っていないから。
本当は海外に足を伸ばした方が良かったのかもしれないが、私はどうしてもここから離れたくなかった。
生まれ育ったこの国に、最後までいたかった。
「ここが君の病室だよ」
そして案内された部屋。
真っ白な壁は以前となんら変わりない。
ただ大きく違っていたのは、窓から大樹が見えることぐらい。
その大樹も随分葉が散っていて、もうすぐ冬が近いのだと否応にもなく思い知らせてくる。
遠くで列車が走るのが見える。
窓を開けるとカタタンという軽快な音と、朝露に濡れた空気が部屋を潜り抜けていった。
そっか、ここが私の部屋か。
最後に過ごす場所としては、悪くない。
や、そんな言い方はこの大樹にも失礼かな。
素晴らしい、と言うべきかしら。
これから死にゆく人間が言う台詞でもないけれど。
なんだか可笑しくて、クスリと思わず笑ってしまう。
「これからよろしくね」
大樹は何も答えない。
けれど私は、微笑みを崩すことなく窓に背を向けた。
それからというもの、毎朝大樹にあいさつをするのが日課となっていた。
この病院には人がほとんどおらず、私の話し相手はもっぱら両親か専属医だけだった。
彼らは私と話していても、顔色ばかり窺っているような気がして正直少し退屈だ。
だからと言って、木に話しかけるなんてことはおかしなことではあるけれども。
ふと大樹に目を向けると、もうほとんど葉が残っていないことに気が付いた。
あの葉が全て落ちるのと、私が落ちるのは、どちらが早いのだろう。
……なんて、私の寿命はまだもう少しある。
流石に冬を拝むことはギリギリ出来るはず。
それまで葉が残っているなんてことはない。
そうして毎日大樹に挨拶しては、まだ葉が残っていることに何故か安堵していた。
「ドナーが見付かった」
母が病室に駆け込んできて私にそう叫んだのは、秋の風がまだ大樹を揺らしている頃だった。
私は驚いて声も出ない。
抱き締められているからとかそういうことではなく、本当に吃驚して声が出なかった。
まさか賭けに勝ったとは、にわかには信じられなかった。
勿論まだ完全に助かるわけじゃない。
手術自体が成功するしないもあるし、術後のこともある。
手放しにはまだ喜べないが、それでも助かるかもしれないという思いが私を湧き立たせた。
話があるからと、母は医者と共に病室を後にする。
私は少し興奮を覚えながら、窓辺に背を預けて大樹を眺めた。
そうか、どうなるにせよ、この木とはお別れになるのか。
少し寂しい感じはするけれど、いつかは訪れること。
それが少し早まっただけのことだ。
結局葉が全て落ちた姿を見ることは出来なさそうだと、それが微妙に残念な気持ちでもある。
でもなんとなく、この木はとっくに葉が全て落ちていてもおかしくないんじゃないだろうかと、そう思った。
辺りの木々はとっくに裸になっているというに、この大樹はまだちらほらと葉が付いている。
もしかすると、この大樹は私に希望を授けようとしていたんじゃないだろうか。
葉を落とさないよう、踏ん張っていてくれたんじゃないだろうか。
……考えすぎ、かな。
でも、ありがとう。
「あー、やっと解放されたぁ……」
今日のリハビリはいつにも増して厳しかったような気がする。
もう私は十分自由に動けるっていうのに。
……少しふらつくことは確かにあるけれど。
でも、ようやくここにこれた。
あれから私は少し記憶があやふやなところが出来たけれど、ここにもう一度来なきゃってことだけは覚えていた。
そういや両親が、少し性格変わったと言っていたっけか。
もしかすると、この心臓の持ち主が少し私に溶けているのかもしれない。
顔も知らない人だけど、毎日ありがとうって言いたいぐらいだよ。
私は丘から街を見下ろすと、ゆっくりと腰を降ろした。
まだ朝露で濡れた葉を見つめながら、私は当時毎日口にしていた言葉を、紡ぎ出す。
「おはよう」
カタタンと列車の走る音が、聞こえた気がした。




