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音芸神話 - yukito's side story -  作者: 七海 雪兎
第六章 -death added to death-
54/69

Evans / DJ YOSHITAKA


その日は少しばかり優れない空模様だった。

私は妻子に軽く挨拶を済ますと、小走りに家を出た。

さして焦ることもなく、のんびりと朝の空気を吸いながら職場へと向かう。

この新鮮な空気を、今のうちに沢山補給しておかねば。

あの空調の利き過ぎたオフィスは、私の肺を軋ませる。

まあこの辺りも車通りが多いせいで、お世辞にも綺麗とは言えないのは事実なんだが。


「やぁ、おはよう、じいさん」


公園を抜ける際に、いつものじいさんと遭遇。

毎日欠かさずこうして散歩しているそうだ。

私も老後はこのじいさんのように、穏やかに過ごしたいものだ。


「あぁ、おはようさん」


よぼよぼとしながらもハッキリとした口調で、じいさんも朝の挨拶を返してくれる。

これから先も、ずっと健康で元気であって欲しいな。

私は晴れやかな気分に浸りながら道を急ぐ。

たまにはじいさんと世間話でもしてみたいのだが、まだまだ若い自分には時間が足りない。

遅刻こそないが、最近上司が私の出社時間を気にし出しているらしい。

もっと早く来てほしいのか、前残業を心配しているのか。


……前者だろうな、どうせ。

溜息。

せっかく吸った新鮮な空気が逃げてしまいそう。

とにかく今はまだ、業務に滞りはない。

むしろ良くやっていると言われるぐらいだ。

自分ではそんなつもりはないのだけれど。

と言うと絶対同僚には嫌味だと思われそうなので、いつもにっこりと沈黙で通している。

それはそれでズルいなと言われるので、あんまり意味はなさそうだ。


ふと立ち止まる。

赤信号。

職場に行くまでに信号は三つあるのだが、今日はいきなり一つ目でかかってしまった。

経験上、一つかかると全部かかる。

どうしてそうなるのか不思議でならない。

勿論全てひっかかる想定で家を出ているので、遅れることなど有り得ない訳だが。


青信号。

そういえば今日はやけにサイレンがうるさいことに今更気が付く。

何かあったのだろうか。

それかどこかの偉いさんでもこの街に来るのだろうか。

私にはきっと、どちらであっても関係はないだろう。


赤信号。

案の定ひっかかる。

全くどうしてこう、ここの信号は優しくないのだろう。

私がここを通る時は大体どこかの信号にひっかかる。

一度くらい立ち止まらずに職場まで行かせて欲しいものだ。

憤慨。


青信号。

そう言えば、妻が第二子を授かったんだっけか。

昨晩明かされたのだが、なんだか嬉しすぎて現実味がない。

そうだな……帰りにケーキでも買って帰ってやろうか。

お祝い事にはやはりケーキだろう。

そうだ、そうしよう。

他人には見せられないようなニヤケ顔で、堂々と街中を歩く。

この時間帯でなければ、きっと誰かに見られていたことだろう。

そうなったら私は出勤ルートの新規開拓をせねばなるまい。

出来ればそれは御免こうむりたいところ。

キリッとしないとな。


赤信号。

今日もまた全ての信号にひっかかった。

いやぁ、こうもひっかかると、何か称号でももらえるんじゃないかと期待してしまう。

オールレッド?

なんだろう、絶対に発進出来なさそうなロボットみたいだ。

くだらん。


青信号。

さて、ようやく我らが職場とご対面。

今までに補充してきた新鮮な空気を使って、今日も一日頑張りますか。






――――――――――






携帯の音でふと目が覚める。

……あぁ、そうか、寝ちまったか。

昼食後はどうしても眠い。

眠いと効率が落ちる。

別にそれを解消するためではないが、昼食後に一度休憩があるので私はいつもそこで仮眠を取っ


ている。

眠いものは眠い。

仕方ない。

携帯を手に取る。

アラームかと思ったが、どうやらメールが届いたようだった。

送り主は妻からだった。

今日は何時ごろに帰れるかとか、そんな簡単なメール。

普段はこういうメールはあまりない印象なのだけれど、今日は彼女も少し高揚しているのかも知


れない。


「あれ、お前今日はもう上がりじゃないっけ」


私が目を覚ましたことに気が付いたのか、背後から同僚が声をかけてきた。


「さっきムーが勝手に退勤にしてたぞ」


ムーというのは上司のことだ。

よく「むぅ」とか唸るので、見た目も相まって裏ではそう呼んでいる。

というか、上司とは言え部下を勝手に退勤にしてもいいのだろうか。

先日の急な呼び出しの振り替えということなのだろうが、それならもっと早く言って欲しかった


つい先ほど妻に帰宅時間を伝えてしまったので、それより早く帰るのはなんだか気まずい。

何か準備するためにメールしてきた可能性もあるので、とりあえず私は再び眠ることにした。


「おーい、寝るなら仮眠室行けー」






――――――――――






辺りはすっかり暗い。

帰りも行きと同じように信号にひっかかりながら、家路へと付いた。

当然のことながら、ケーキは調達してある。

これはサプライズとして、帰ったら早速渡そう。

そして抱き締めて、愛情の籠った言葉でも囁こう。

ウキウキしながら自宅を見上げる。

ダイニングの窓から明かりが零れている。

きっと私の帰りを待っていることだろう。

ガチャリ、とドアノブに手をかける。


「ただいまー」


……沈黙。

おかしいな、聞こえなかったんだろうか。

それならそれで、ビックリさせてやるだけだ。

私は抜き足差し足で音を立てないように、静かにダイニングに向かった。

娘の部屋には人気がない。

私の帰宅時間を知らされているから、ダイニングで待っているのだろう。

可愛いやつめ。


ダイニングの前に立つ。

談笑などは聞こえない。

まな板を刻む音も聞こえない。

不自然な沈黙。

そこでようやく私はおかしいと気が付いた。


「おい、どうした!」


慌てて扉を開けた先に広がっていたのは、赤色。




赤色だった。











――――――――――











「だから言ってるでしょう、私じゃない……私じゃないんです」


否定する声に力が入らない。

魂が抜けたように私の四肢はだらしなく垂れ、頭も上がらない。

涙は枯れ果てても枯れ果てても湧き続け、話にならないと思ったのか警察も放り出す始末。


私には、妻子を殺害した罪が科せられた。


そんなことある訳がないと言うのに。

どれだけ否定しても相手にされない。


凶器に残された指紋は私のものしかなかったそうだ。

慌てて妻の体から異物を抜いたのだが、それが裏目に出た。

職場は適当な時間に出たためアリバイは不確定。

とっくに退勤はしていたため、どこで何をしていたのか誰も証明出来ない。

ケーキを買った際のレシートも紛失。

さらには先日大声で喧嘩してしまったのを、ご近所が聞いていたらしい。


覆すための証拠が足りなかった。

警察はあらゆる時間帯に私を詰問し、自白を求めた。

私の精神も肉体ももう限界だった。

妻もいない。

娘もいない。

産まれてくるはずだった子もいない。

私に残されているのは一体なんだと言うのだろう。

ここで意地を張って無罪を主張して生き永らえるより、さっさと自白して無実の刑に処されてし


まった方がいいのではないだろうか。

そうすれば、あの世で妻に、娘に会える。


意識も朦朧とする中で。

私の意思とは無関係に、私はただ無言で頷いた。




死刑。


単純明快。

判決はすぐに決まった。


はは……そうだよな。

妻も子も殺しちまったんだもんな……。

しょうがない……しょうがないよな……。




……でも…私じゃないんだ……私じゃ…………――――











――――――――――











はっと目が覚める。

テーブルの上で携帯が振動しているのが分かる。


あれ……私は、一体何を……。


「あれ、お前今日はもう上がりじゃないっけ」


私が目を覚ましたことに気が付いたのか、同僚が背後から声をかえてきた。

私はその声を無視して、額から滴る汗を無視して震える手で恐る恐る携帯を確認する。

アラームが鳴った訳ではないというのは、なんとなく分かった。


これは妻からのメールだ。


何故かそう思った。

確信があった。

はたしてそれは間違っていなかった。

私の帰宅がいつになるのかを確認するメール。

きっとめでたいことに対する準備のために、サプライズを用意するつもりなのだろう。

そう考えたが、どうしてか体の震えが止まらない。

どうにも嫌な予感がする。

喉の奥から胃液がよじ登って来そうな感覚。


「さっきムーが勝手に退勤にしてたぞ……っておい」


同僚の声が遠くなる。

私はオフィスを飛び出していた。






――――――――――






いやまさか、そんな。

そんなことある訳がない。

私の愛する妻と娘が殺害されるなど。

そんなものはただの夢だ。

信じ込もうとすればするほど、私の足はどんどん速くなっていく。


間に合ってくれ……。


……何に?


わからない。

それでも急がなければ。


信号は…青。


走り抜ける。


次は……青。


最後……青。


行きが赤で連続ならば、帰りは青が連続しやすい。

普段から赤だったことに、これほど感謝する日はそうそうないだろう。

――こんな時でなければ。


公園を抜ける。

じいさんはこの時間にはいないようだ。

それとも急ぎ過ぎていて、私の目に映らなかったか。

代わりに私の目には、そこらの少年が使っているであろう数本の木製バットが映った。


「……すまない、借りていくぞ」


ほとんどスリのように音もなくバットを一本かっさらっていった私に、少年たちはポカンとして


いた。

本当にすまない。

でも、必要な気がしたんだ。

何事もなければキチンと返す。


この時私は「このバットをちゃんと返すことはない」と、そう感じ取っていた。






自宅に着く。

息も絶え絶えでまともにしゃべれそうもない。

だがまだだ、まだ膝に手を当てて立ち止まってはいけない。

ダイニングには明かりが灯っている。

しかしそこからは何の音沙汰もない。

私は急いで玄関を潜り抜けると、そのまま大股でダイニングの扉に手をかけた。




男が振り返る。

この男は知っている。

近所でも私たちによくしてくれているご近所さんだ。

手には包丁。

男の足元には口を塞がれた妻と娘。

驚いた表情を浮かべる男。


バットを握る手に異常な力がこもるのを、私は自覚した。


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