Anti-Matter / Orbit1 & Milo
意識が覚醒する。
俺は……うん、問題ない。
ゆっくりと体を起こす。
白い天井。
白い壁。
俺は口元を歪ませる。
おはよう、世界。
最近妙だ。
なんだか見られているような感覚が消えない。
「なんか、やらかしたっけなぁ……」
思わず俺がぼやいたのを、前に座る親友は聞き逃さなかった。
「なんだ、宿題でも忘れたか?」
見せてやんねーよとでも言いたげに、親友はノートをひらひらさせて俺をからかう。
俺が宿題を忘れたことが、一度でもあっただろうか。
勿論ない。
それを分かっていてのからかいである。
俺は親友を無視して、窓の外に目をやった。
ちょうど外ではどこかのクラスが体育に勤しんでいる。
そろそろ気温も高くなりつつある中、ご苦労なことだ。
まぁ、うちのクラスも明日は体育があるわけなんだが。
それを考えるだけでも気怠くなる。
真面目に授業を聞こうかと前を向くと、親友も俺につられたのか窓の外を眺めていた。
何か見えるのだろうか。
少し呆然としているように見える。
俺は再び窓の向こうを見た。
やはりというか、特に変わったことはない。
体育をしているクラスに、好みの女子でもいたのだろうか。
どうしたんだと声をかけようとしたところで、教師の声が飛んできた。
「おーい、そんなに外が好きなら今から走ってくるか?」
慌てて黒板に目を向ける親友。
タイミング悪いな……。
後でもう一度尋ねてみるか。
俺が再度ちらりと外を見た時にはもう、聞こえてくるのはペンの走る音だけだった。
授業が終わると、親友は慌てて教室を出て行ってしまった。
なんなんだ、あいつは。
トイレでも我慢してたのか?
にしては様子が変だ。
そこまで気付いていながら、俺は親友の後を追うことはしなかった。
戻ってきてから話せばそれでいいだろうと、そう考えて。
結論から言うと、親友は帰ってこなかった。
次の授業も、その次も、昼休みも、放課後も。
流石におかしいと思いながらも、俺はとりあえず帰宅することにした。
もしかしたら体調不良で帰ったのかもしれない。
それなら自宅にいるはずだ、と。
親友の家は自宅からそう離れていない場所にある。
もし親友の家がもっと遠かったら、俺はきっと気付くことが出来なかったに違いない。
親友の身に一体何が起こっているのか。
そして、自分の身に一体何が起こるのか。
帰宅路がいつもより寂しい感じがするのは、親友がいないからだろうか。
そんなことを考えながら、とぼとぼと俺は親友の家に向かった。
きっと玄関の扉をおばちゃんが開けてくれて、親友は体調が悪いのだと少し困ったように言うに違いない。
うん、そうだとも。
だからこの胸のざわめきは、何の気にする必要もないことなんだ。
いつもの道を、いつものように通る。
不思議と誰ともすれ違わずに、時折車の音を聞きながら、俺はほどなくして親友の家に着いた。
一瞬インターホンを押す手が止まる。
何か嫌な予感がする。
頭を何度も振る。
大丈夫。
大丈夫だから。
そして俺は、聞きなれたチャイムの音を聞いた。
はたして出てきたのは親友のおばちゃんだった。
あぁ、良かった。
いつも通りだ。
何もなかった。
安堵。
そんな安堵とは裏腹に、おばちゃんの吐き出した言葉は俺を激しく揺さぶった。
「あら、あの子と一緒じゃないの?」
気が付けば俺は走っていた。
どこへ?
決まっている。
学校だ。
まだ何かあったとは決まっていない。
決まってはいないが、俺の勘が「やばい」と告げている。
こんな時に告げる言葉がそれなのだから、俺のボキャ貧も筋金入りである。
もっと本を読むべきなのだろうか。
そんなしょうもないことでも考えていなければ、俺の精神は閉じてしまいそうだった。
それほどまでに不安だった。
今までにないくらいの不安。
杞憂であって欲しい。
学校の門をくぐると俺はまず保健室へと向かった。
この期に及んで、まだ体調不良の線を疑っていたのだ。
後にこのロスが親友の命運を分けたことを、俺は知る由もない。
勢いよく保健室の扉を開け……開かなかった。
どうやら鍵がかかっているらしい。
保険の先生は帰ったようだ。
とすれば、ここにまだ誰かいるとは考えにくい。
ならば俺はどこへ向かえばいい?
親友は今どこにいる?
考えろ。
親友はいつ消えた?
そうだ、二限の後だ。
その時あいつはどこへ?
あんなに慌ててどこへ行ったんだ?
俺は思い出す。
その少し前を。
……そうだ、外眺めてたな。
なんだか呆然としていたようだが、何を見ていたんだろうか。
俺はとりあえず校庭に出ることにした。
こうして一人で立っていると、こうも広い場所なんだと気付かされる。
俺は校舎を見上げる。
俺たちのクラスがあそこだから、見えるのは大体この辺りのはず。
周りを見渡してみるも、砂が軽く舞うだけで特になんともない。
普段ならどこかの部活が校庭を占拠しているはずだが、今日はどうしたのだろう。
今更ながら学校全体が静まり返っていることに気が付いた。
校庭で騒いでる声も、体育館で叫ぶ声も、吹奏楽器が奏でる音楽も、何も聞こえない。
風が鳴く、木々がざわめく。
ただそれだけだ。
おかしい。
おかしいが、今は親友が優先だ。
俺はこの辺りに何かないかと視線を巡らせる。
すると、木々に隠れるような位置に小屋があるのを見つけた。
こんなところに小屋があるとは知らなかった。
小屋の前に立って校舎を振り返ってみると、なるほど。
上からは完全に死角になっている。
冬場の葉が散った季節でも、この小屋はそう簡単には見えないだろう。
運動部の部室だろうか。
窓ひとつなく、ドアノブは少し錆びている。
そして、ドアがわずかにずれている。
鍵の閉め忘れだろうか。
俺はそっとドアノブに手をかけ、ゆっくりと音を立てないようにドアを引いた。
親友はそこにいた。
親友に口を塞がれて。
自分で自分の口を塞いでいるわけではない。
どう見ても、どう解釈してみても、俺の目に親友は二人映っている。
ど、どういうことだ?
親友がドアから入り込んだ光に気付き、俺を見た。
その目は俺に何を告げているのだろう。
涙を溜めて、額に皺を寄せて、必死で何かを俺に伝えようとしている。
口が塞がれていなかったら、きっと叫んでいたことだろう。
「よう、どうしたんだ。
こんな時間に、こんなところで」
もう一人の親友が口を開いた。
どうしたもこうしたも、お前を探しにきたんだ馬鹿野郎!……と言いたいところだったが、むしろ「どうした」と聞きたいのはこっちの方だった。
なんで親友が二人もいるんだ?
こんな時間に。
こんなところで。
俺の気がおかしくなったのだろうか。
「あー、ちょっと待っててな。
すぐ終わるからさ。
そしたら次はお前の番だ」
そう言って、親友は大きく体を仰け反らせた。
親友は嫌だと言いたげに首を振るが、どうも逃げられそうにない。
俺にはわけがわからんが、とりあえず親友は助けねば。
そう思って走り出そうとした瞬間、俺は押し倒された。
うつ伏せに倒れる俺。
その背にまたがる誰か。
「次は俺の番だって聞いたろ?
じっとしてろって」
楽しそうなその声に、俺は戦慄した。
これは「俺の声」だ。
俺が俺の上にまたがっているのか?
混乱したまま顔を上げると、丁度親友が反り返った反動を利用して、親友に頭突きをかますところだった。
悲鳴はなかった。
額がぶつかる音すらしなかった。
親友は、音もなく消滅した。
意味がわからない。
今さっきまでそこにいたよな?
親友と、えっと……親友が。
「さーて、次は俺の番だな」
そう言うが早いか、俺は俺に今度は仰向けに寝かされた。
俺が俺に馬乗りになる形はそのままだ。
そして俺はようやく、俺の上に乗る人物が俺であることを確認した。
……いや、俺じゃない?
見た目は全く同じように見えるが、俺はどこかに違和感を感じる。
なんだ、一体……?
他人に見せれば間違いなく区別は付かない。
ニィと俺が口を曲げる。
そこで気が付いた。
ホクロの位置だ。
俺の右頬にはホクロがあるが、この『俺』にはない。
いや、正確にはあるが、位置が逆なんだ!
つまり『俺』には左頬にホクロがある。
まるで鏡写しのような。
そんな錯覚。
「おんやぁ?気が付いたのかな?」
もう一人の俺が楽しそうに笑う。
俺にはもはや混乱ばかり。
鏡写しに気付いたからなんだとう言うのだろう。
親友は消滅してしまったし……消滅?
「もういいよな、俺の番だぞ。
本当はもっと後だったんだけどな、まあ細かいことは気にスンナ」
そこではたと思い出す。
次は、俺の番……?
ということは、俺も消えるのか?
俺が思い切り仰け反る。
あぁ、それはさっきも見た。
必死でもがくが、俺を振り落すことは叶わない。
「今度は、俺らが主役になれる世界を頼むぜ?」
そして俺は、にこやかに俺の額に自分の額を衝突させた。




