必殺の矢
呉起は戸の隙間から様子を窺った。
「全て奴らの私兵か。さすがに、俺の息のかかった者は使わぬよな」
呉起には、本気で自分を殺しに来ているのが分かった。呉起は家の者に外に出るなと言いつけ、自分は軽い皮の鎧を着込み、兜をかぶる。
その時、外から呼びかける声が聞こえた。
「宰相呉起! 公族をないがしろにした罪を償ってもらうぞ。神妙に縛に就け!」
呉起は聞きながら鼻で笑った。
「何が縛だ。弓手ばかりじゃないか」
捕らえる気など無く、その場で射殺すつもりなのがありありと分かった。
呉起は裏口の戸を開けた。
「最後の最後まで、俺は一人だったか。俺が異端なのは分かっていた。どうせ、誰にも俺の真似はできんだろうさ。今からする事もな」
呉起はそう言って、屋敷の外へ飛び出した。だが敵の数は多く、すぐに発見されてしまった。
「呉起が逃げたぞ! 追え!」
「市街でも構わぬ、射てしまえ!」
壮絶な追撃が始まった。たった一人で逃げる呉起を、大勢の兵士が追いかけ、次々と矢を放った。流れ矢で他の兵士や市民が傷ついているのに、公族たちは止める気配もない。
「そこまでして俺を殺したいか。人間の欲が、こんなにも醜いものだったとはな」
自らを振り返るように、呉起は呟いた。すでに背中と腕に矢を受けている。皮鎧がなかったら即死していただろう。呉起は狭い道を選び、身を隠して逃げ続けた。
「たった一人に翻弄されおって。まだ呉起は討てぬのか」
呉起討伐連合の主格が、兵の隊長を叱咤した。
「申し訳ありません。どうも逃げ道が以外でして。でもようやく、呉起が目指している場所が分かりました」
「どこだ? どの道、国外しかあるまいが」
「いえ、奴は我が国の宮殿に向かっています」
「楚の宮殿だと? 馬鹿な」
もはや味方などいない宮殿を、なぜ呉起は目指すのか。意図は分からないが、とにかく兵を宮殿に回した。
日の落ちるのを見ながら、呉起は逃げ続けた。血の跡が道に残り、そのせいで何度も見つかり、傷も受けている。
「よし。あの場所へ行くぞ」
呉起はぼろぼろになった鎧を脱ぎ捨て、意を決して走り出した。宮殿の塀を越え、中に入る。
「来たぞ、呉起だ!」
しかしすぐに、待ち受けていた兵に見つかってしまった。呉起は建物の間をすり抜けて走り、茂みや木立を利用して身を隠した。辺りはようやく暗くなり、血の跡もほとんど目立たない。
「……ここだ。この臭い、間違いない」
明かりは無いが、鼻を突く臭いで呉起は目的の建物を見つけた。
「穀潰しの公族ども、お前たちが恐れた呉起は、ここにいるぞ!」
呉起は大声で叫び、手にかいた汗を拭って、建物の扉を開けた。途端に、腐ったような臭いが溢れて来た。
公族たちは、急いで兵を向かわせた。
「うぬ、誰がお前など恐れるか。呉起を射よ! 討ち取った者には千金の報償を与えるぞ!」
兵士たちは、建物に殺到した。呉起がその中に入って行くのを見て、明かりもないまま、横殴りの豪雨の如く矢を射た。あまりにも連射したので、矢弦を切る者が相次いだ。
「もういいだろう。明かりを持って来い」
公族たちが、松明を手に建物に入った。川原の葦のように床を埋め尽くす矢を蹴り分けながら進むと、呉起は矢ぶすまになって倒れていた。少し笑ったような顔で、事切れている。
「おお、これは……!」
公族たちは、声を上げて驚いた。呉起の死にではない。呉起が倒れている、その下にあるものを目にしたのだ。
「……呉起の奴も、最期には人の温もりを求めたか。因果だのう」
一人が、哀れんでそう言った。ここは霊安室だった。呉起は、先日死んだ悼王の屍の上に倒れていたのである。彼は死臭でここを探し当てたのだ。
「呉起だけでなく、王のご遺体にも矢が中ってしまったな。まあ仕方ない、新王には理由を話してお許しいただこう」
そう言って、公族たちは引き上げて行った。
――呉起の一生は、こうして終わった。
だが、呉起の兵法は死んでいなかった。
新たに王に就いた粛王は、悼王の太子である。呉起を討った始終を聞いて、粛王は目を怒らせて言った。
「いくら呉起が憎いとはいえ、先王ともども射るとは不敬も甚だしい。許さんぞ。射たのは誰だ?」
公族たちは恐れをなして言い訳した。
「呉起を追っていたら夜になってしまい、先王の冥る殿とは気付かなかったのです。大勢で射たので、誰の矢かは分かりません」
「そうか……ならば」
粛王はぎろりと一同をにらんだ。
「矢を射た者は全員処刑する。その家族も連座だ」
――厳しい結末となった。こうして一族皆殺しとなった者は七十余家にも上ったという。
呉起が悼王の下へ行ったのは、これを見越しての事だった。呉起は己の死と悼王の死を利用して、復讐を遂げた。呉起は最後まで、死の力学を以て戦ったのである。
* * *
冒頭で述べた三十数人の殺人は、史書にも残されていてどうやら事実らしい。しかし、事実ゆえに常識からかけ離れて過ぎていて、呉起という男を逆に量りにくくしている気がする。だからこの事件は、敢えて謎とは考えない。
これ以外で二つ、分からない事がある。
あらゆる手段を使って宰相になった呉起だが、ではそこから何がしたかったのかが、今ひとつ見えて来ない。
宰相になるまでは、それを支えに全てを乗り越えた。そしていざ宰相となっても、いわゆる燃え尽き現象にも陥らず、楚のために鋭意に働いている。これは、彼が宰相として新たに目標を持ったからかもしれない。ではそれは何であったのか?
楚を強くする事だ、と言えばそうだが、それは果ての見えない目標である。楚の悼王と呉起が何を語り合ったのか、それは伝わっていないが、ひょっとしたら呉起は楚による中国統一を目指していたのではないか。これが一つ目の疑問である。
蛇足になるが、結局呉起の政策は極端すぎたため、せっかくの革新も彼の没後は生かされる事もなくなり、楚の勢いは下降してしまった。
そしてもう一つ。
悼王が死に、埋葬すらされないうちに呉起は襲われた。討伐の動きが、いかに迅速だったかが分かる。もしかしたら、呉起が新王の下で更なる強硬策を行うのを防ぐためだったのかもしれない。だが、そういう想像を元にして呉起を弁護する事はできない。公族たちとて、家族や生活を守るのに必死だったのだろう。
結果的に、呉起は政治家でなく兵法家として名を残した。決して負けなかった戦歴は確かに輝かしいし、己の死を活かして復讐を果たした最期も壮絶で、どこか格好良く映る。
しかし、兵士を愛する真似はうまかったけれど、それは全て自分のためであり、本当の愛や義理は持ち合わせていなかった。位人臣を極めても、人としての土壌となるべきの感情を培う事のなかったその人生は、やはり悲しいものではないか。
呉起の兵法を記した「呉子」は、彼の弟子の編纂とも言われている。また、呉起の死は紀元前三九一の事であり、享年は五十歳前後であったと見られる。家族もそれなりにいた事であろう。それらの人が、呉起とどのように接していたのかは分からないが、他の人よりは鮮明に彼の性分に触れていたはずである。
彼が死んだ時、果たしてその人たちは泣いたのであろうか。これが二つ目である。
(完)
中国の春秋戦国時代は、まさに「人の時代」だと私は思います。人が増えて広大な野に散らばり、いつか誰かがまとめるのをじっと待っていた。やがてこの広がりは、強国となった秦が統一してその後の中華文化の礎を築きますが、呉起が生きていたらそれは秦でなく楚だったかもしれない、という人もいます。
誰もが自分の使命を感じ、生き急ぐほどに生きていた時代、そんな気がします。
この作品は、史記の「孫子呉子列伝」をベースに書き起こしました。
中国の古典は昨今ビジネスマンの指南書として活用の場を得ているようですが、呉起を目指すのはちょっと、無理なんじゃないかなという気がします。
あれこそ、天賦の才能だったのでしょう。そして彼は、見事にそれを使いこなしていたと思います。ただ残念だったのは、彼のやり方がその時代にはまだ早過ぎたという事です。なぜなら、その後に生まれた厳しい法治政策が秦を強く育て、ついに広大な中国を統一したのですから。
あるいは、呉起の強引なやり方は、断固とした政治に人々を慣れさせるための布石になったのかもしれません。
そういう点で考えると、やはり呉起は偉大な兵法家、いや宰相だったのかもしれません。結果論ですけれども。
ご精読ありがとうございました。