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timeⅢ


「」内は日本語、『』はムラサ王国の言葉、“”は回想です。

『私は、廊下を、歩く』

『ワタし、ロウか、ある、ク』

『ノンノン、私は、廊下を、歩く』

『わたしは、ろうかを、あるく』

『そうそうー』


さすが飲み込みが早いねと感心したような口調で続けた青年が、腕を組んだままうんうんと頷く。ありがとう、と笑みを返してちらりと時計を見るともう昼近く、あたしは目を見張った。そんなに経っていたのか、気付かなかった。


『そろそろお昼にしようか』

『……そう、ね』

同じくあたしの視線の先を辿った彼は、軽く驚いたように眉を上げてから、いたずらっぽくにひっと笑った。




言語自動翻訳の魔法を解いて欲しいというあたしの希望通り、シザーズと話した一週間後には、もう廊下を歩く彼らの言葉は分からなくなっていた。ただ、そのまま放置されても当然困る。あたしにこの国の言葉を教えてくれるようにと、シザーズが事前に頼んだ語学教師が、目の前にいる彼――……オルガこと、オルガ・レペランツァ(中略)ティオ・パドモアシルである。


ちなみに何故中略かというと、欧米人に割とありがちなことだが、ミドルネームが長すぎるからだ。代々文官、学士、教師等を輩出してきた学問一家の出だけあって、オルガの本名は一つ一つ深い意味があるらしい。聞いていたら頭が痛くなるような古代語や暗号じみた理数記号の組み合わせで、ほとんど理解不能だったが、あたしの頭が悪いわけではないと信じたい。



立ち上がったオルガが、部屋に備え付けのベルをカランと鳴らすと、あたしに料理の希望を尋ねてきた。塩気のあるものが食べたいとざっくりしたリクエストをして、白い三人掛けのソファに腰掛ける。何と聞かれても、料理名自体それほど分からないから仕方がない。


なんでも、オルガが鳴らした銀のベルは厨房に繋がっており、頼めば部屋まで料理を運んでくれるらしい。厨房の人たち、なんとも忙しいものだ。使えるものは遠慮なく利用させてもらうからその辺に躊躇はないが。


『とりあえずナージのニルレを頼んでおいたから』

『…分からない』

欠伸をして、大きく伸びをしながらソファに沈むオルガに、やや呆れつつ拙く返事をすると、彼はぱちりと瞬きをしてこちらを向いた。


『あ、そうだったね。まぁ、あれだ――うん。しょっぱくて……来れば分かるよ』

『………』


適当すぎる。

だいたい、塩気のあるものをと頼んだのだからしょっぱいことは分かっている。言語学が専門だというのに言葉が凄まじく足りない。……天才って、みんなこんなものなのだろうか。


『…オルガさんは、ほんと、に、適当、ね』

『さん付けしなくていいって』

適当、は否定しないらしい。怠そうにまた欠伸を零す姿を横目に眺めながら、それもそうかと心中で呟いた。


栗色の、あたしの国では純粋日本人でもたまに見掛けた色の髪、見慣れた黒い瞳。メガネに白い肌の彼は、運動が苦手なわけではないらしいが不健康そうな印象を受ける。翼は、実はどうやら全国民一括して黒いなめし革のような色や光沢のようで、全体的に実に親しみやすい色をしている。

しかしまぁ、それ以上に彼のイメージを強烈に印象付けるのが、…地毛らしいくるっくるの剛毛である。


前髪はほとんど目元を覆い、腰辺りまで流れ落ちた――というか絡まり落ちた――栗色は、レノとはまた違った癖っ毛だ。レノの場合、猫っ毛でふわふわした綿毛のような癖、といった感じだが、オルガの場合、剛毛だからかしっかりと跡がついてしまっており、何というか……爆発したような、もの凄い髪型になってしまっている。

例えるなら、茨のような髪、だろうか。長さがあるから良いものの、短かったらほぼアフロでしょう、これは。


『ユラぁ?』

『え、あ…。なに?』

『なにか失礼なこと考えてるでしょ』

顔にでてるよ、とじと目で睨まれる。――たぶん。目はほとんど前髪で隠れているから不機嫌そうに歪められた唇しか見えないけど、たぶんそう。そして図星なあたしは、そっと目を反らした。


『ふっ…分かりやすいなぁ、ユラは』

『……そう、かしら?』

どちらかと言えば、表情に出辛い方だと思うのだけど。元の世界でも散々そう言われてきたし、だからそれを逆手にとって……。


『……はぁ』

『お、来たみたいだね。はいはーい』


思わず、小さく漏れた溜め息は、ノックされたドアに向かう彼には聞こえなかったらしい。そのことにホッとしたような、残念なような…、複雑な気持ちになった。

苛立ちのまま前髪をぐしゃぐしゃとかき乱して、また深く溜め息を吐く。再び横目に時計を窺えば、約束の時間まであと一時間強といったところだった。この時間ならゆっくり食べても充分間に合うだろう。


『お待たせ!』

『ありがとう。……これが、ナージ?』


カートのような台からテーブルに皿や諸々を移す手伝いをしながら、グラタンみたいなものが載った皿を指差してオルガに尋ねると、彼はそうだよ、と頷いた。


『まぁ、ナージはこの野菜の名前で、料理名はニルレだけどね。ナージは今の時期が一番美味しいんだ』

『あぁ……、「ナージはニルレを形容してるのね。」なるほど』

『あ、こら、ニホンゴ使ったらだめだよ』

軽く眉をつり上げたオルガに曖昧に微笑んで誤魔化して、イスを引き座る。どうしても、楽だから考えをまとめるのに使っちゃうのよね。日常会話からその言語を使うのが、上達への近道だとは分かってるんだけど。

『食べよう?』

『またそうやって誤魔化して……。しょうがないなぁ』

呆れたように首を振ったオルガもイスに座って、二人向かい合って手を合わせる。



「「イタダキマス」」



この国に、日本と同じ風習があるわけではない。自然や生き物に感謝する祭り行事なんかはあるのではないかと思うけど、手を合わせ祈る風習は恐らくないだろう。あたしだって本当の意味で自然の恵み、生き物の命に感謝して食事するような状況に陥ったことはない。だけど、ただ漠然と続けてきた風習をいつの間にか、言うなれば異人であるオルガも一緒にやるようになっていた、というだけの話。


『……あ、これ、美味しい』

『でしょ?この辺の野菜にしては柔らかいし、生でも美味しいよ』

『今度食べてみたい』


初めて口にしたニルレは、グラタンよりもクリームがサラサラしていて、あたしの要望通り味がやや濃い。

しばらく和やかに会話を楽しみながら――時々勉強的な話もしつつ――食事を終え、気付くと大体一時間ほどが経過していた。


『あ、そろそろ時間だね』


コンコン、


言い終わるが速いか、堅い木のドアが控えめにノックされる音がした。どうぞ、と促すと失礼しますと相変わらず緊張した声がして、ゆっくりと扉が開く。


『ユラ様、今日もお迎えに上がりました』

『毎回毎回、ごめん』

『い、いえ!私もユラ様とご一緒するのは楽しいですから』

慌てて胸の前で両手を降って、レノは少し照れたように笑う。――どうしてそこで照れるのか分からないけど、やっぱり可愛い。



『――さて、じゃあ僕はそろそろお暇しようかな』

腰に手を当て上体を反らしたオルガが、イスから立ち上がる。言語の授業は午前中だけなので、オルガとは今日はこれでお別れだ。後ろから聞こえた声に、見送ろうとあたしは振り向いた。

『今日もありがとう』

『いえいえ。また明日ね』

ドアの前に立ちっぱなしだったレノが道を譲るように退いて、オルガは軽い感じに手を振って部屋から出て行った。実際明日も会うわけだし、そんなものだ。



『………さて、と。じゃああたしも準備しなきゃね』

『外で待っています』

ドアを指差すレノに鷹揚に頷いて、大きく伸びをして。あたしは部屋を出る準備の為に奥へと踵を返した。



この世界に来てから最初の二日間は、来たときのまま、ワインレッドのドレス姿で過ごした。そんなことを考えられる状態ではなかったのだ。そのため三日目にシザーズと対談して、ようやっと一段落ついてやったことの一つが、着替えだった。


ムラサ王国のフォーマル服はまさしく中世ヨーロッパ的なもので、それがもう少し簡素になったような形が大半だ。女性の普段着は当たり前だがスカートのようで、今は黒いシックなワンピース型のものを着ている。外は割と暖かいので上着はショールを羽織る程度に留めた。


『今日は、どこに?』

『はい、今日は町の方に出て市井の見学を』

『そう』


歩きながら尋ねれば、さっきとは打って変わって凛とした声が返る。ふわふわした綿毛のような髪をハーフアップにしたレノは、それだけで少ししっかりして見えた。


――いや、髪型の違いだけではない。何が違うのだろうと首をひねって、…あぁ服かと気が付きあたしはポンと手を叩いた。


『どうかしましたか?』

『今日は服が違う、と思って』

『あぁ…、昨日までは城内と周辺だったので、わざわざ着替える必要かなかったんです。あれは城で働いている者全員に支給される制服で。これは軍の部隊服なんですよ』

『そうなの。……というか、あの、レノ、あなた兵士だったのね』

やはり以前予想したようにレノイは軍人だったらしい。

『あ、あはは…。恥ずかしながら、王国軍第三番隊副隊長で』


しかもかなり上位だった。


副隊長って……。軍の仕組みとか、よく分からないけど凄いんじゃないの?そもそもどの位の規模なのかしら。そう思って聞いてみると、一部隊大体50人くらいという返事が返ってきた。16歳でそれって……。異世界とか関係無く、かなり凄いわよね?

『す、ごいのね』

『い、いえいえ!自分なんてまだまだ未熟で…。隊の皆さんにも、迷惑かけてばかりで』

きっと本気でそう思っている口調としゅんとした様子に、感心を通り越して呆れる。どうやったらこんなに謙虚に育つものなの?


赤い絨毯の敷かれた廊下を通過して、下に降りるためのエレベーターの様なものに乗る。華美でアンティーク的で、詳しくは説明してもらえなかったが魔力を原動力に動いているらしい。


会話のないきらびやかな檻の中、くるりと体を反転させて、ふとシザーズの言った言葉を反芻する。


“早く言葉を習得したいと思う気持ちも分かりますが…、そればかりでは気が滅入るでしょう。どうです、午前はレッスンを受けて、午後はやはりこの国を見て回っては”


あたしの思惑を見透かしたような、いやきっと全て見透かした笑みに、思わず悪態をつきそうだった。忌々しい、腹立つ。

なぜ“言葉を習得したい”のか、あたしが説明した以上の理由があると分かっていて止めるでなく嫌がらせのように午後に予定を入れるなんて、本当に性格悪い。そしてそれに上手いこと乗せられた、


『はぁ…』

“――あぁそうだ、参考までに言っておきますが、”

『ユラ様、着きましたよ』

『…うん』


自分にも、腹が立つ。


“この国はね…、魔王がいるという事実でギリギリのところで成り立っている。その意味は、見に行けば分かりますよ”


「真剣な顔して、何が見に行けば、よ…」

『?ユラ様?』

不思議そうに名前を呼ばれて、今行くわとおざなりに足を踏み出す。大理石の堅い感触が、厳かに踵を打った。




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