扉の向こう側
小学校の校門から続く桜並木。その並木に沿ってすっかり苔むしたコンクリートのがっしりした壁が並び立つ。校門の横の桜堂は、学校御用達の文房具店で、学校の校章をはじめとして、書初めに使われる半紙や絵の具、クレヨン、画用紙、工作用紙など、様々な商品を扱っている。この学校に通う生徒は、一度はここで買い物をしたことがあるはずだ。この文房具店桜堂は、店の佇まいからみても、かなり歴史のある文房具店で、気のいい老夫婦の営むこの店を悪く言うものはいなかった。老夫婦の耳が、少しばかり遠くなってきてはいること以外は……
ボクらは、そんな気のいい老夫婦を困らせるようと思ったわけではない。G朗もS夫もそんなことを考えてなかったし、U治の親はPTAの役員だ。ボクらはただ、普段は開けることにできない扉がそこにあり、その中を覗いて見たいだけだった。冒険心と好奇心だけがボクらを突き動かしていたし、そこまで行った証として、何か欲しいと思っただけだった。もし、この行為が本当に『やってはならないこと』であれば、行為の途中で誰かに見つかるに違いない。怒られて未遂で終わる。或いは、もうカギが修理されて扉はかたく閉ざされているかもしれないし、持ち帰れるようなものがないかもしれない。
いずれにしても、本当に『やってはならないこと』を小学生のボクらがやろうとしても、そう簡単には事は運ばないもので、世の中のルールや仕組みはそんなふうに成り立っている。それに、成功したからといってボクらが味をしめて、なんどもそれをやれば、必ずろくなことにならない。これはいたずらの数々をこなしてきたボクらの経験から学んだ法則であり、ルールなのだ。
『やってはならないことは、やってみないとわからない――ただし、慎重に、そして、一度だけ』
ボクらはこの日、いたずらの法則とルールに従い、見事に冒険を成功させた。G朗、S夫、U治の三人が桜の木を登り、枝を伝わって、高さ2メートルほどある壁の向こう側の様子を注意深く覗いている。
「よし、行くぞ」
G朗の掛け声とともに三人の姿は壁の向こう側へと消えていった。ボクは校舎のほうに気を配りながら、誰かがこちらのほうに来ないか、ハラハラしながら奴らの帰還を待っていたが、この日の運はボクらに向いていた。
「おい、大丈夫か?」
G朗の声が壁の向こうから聞こえた。
「急げよ、早く!」
まるで刑事ドラマか特撮ヒーローのようだった――或いは、土曜夜8時のコント番組か。
「これ受け取ってくれ」
壁の向こうからこちら側に何かが投げ込まれた。
「戦利品だ」
G朗の声だったか?
「これも」
今度はボールが投げ込まれた。S夫のボール?だが、投げ込まれたボールは1つではなかった。それはあまりにもあっけなく、そっけなく、味気のない、期待していたよう冒険ではなかった。
「やばいと思ったから、これしかもってこなかった」
G朗たちが「戦利品」と言って投げ込んだのは、ビニールの袋に包装されたガムテープだった。K山のビニールテープに対抗してのことなのか、少しだけそれを上回るもの。だとしたら実にシンプルな選択だ。
「で、中はどうなってた?」
ボクはG朗に聞いてみた。
「とにかく、これを隠さないと」
U治は、不安げな様子だ。確かにこんなところを誰かに見られでもしたら厄介だ。特に女子には。ボクらはガムテープとボールを上着の中に隠して、急いでランドセルが置いてある登り棒のところまで行った。校庭には何人かの生徒がボール遊びをしたり、鉄棒や、ゴムとびをしたりして遊んでいた。その中にN子の姿を見つけると、これは、ここでランドセルを開けるわけにはいかなくなった。
「おい、どーする?」
S夫はN子が大の苦手だった。
GW前、漢字の小テストの時に、机の上にこっそりと答えを書き込んでいたのをN子に見つけられた。先生にはチクられなかったものの、60点以上を取ることができずに居残りをさせられたことを今でも根に持っているようだ。
学校から出るという選択肢もあったが、この状態で、桜堂のそばを通ることはできない。ボクらの頭の中は、一刻も早くランドセルに隠したい、或いは、しっかりと手にとって『戦利品』を眺めたいという誘惑が交差していた。
「今日は木曜日だから校舎の裏なら誰もこないよ」
U治は清掃係で、時々学校の裏にある焼却炉が何曜日に使われているかを知っていた。たしかG朗は保健係でS夫は体育係だった。ボクは新聞係だった。
「よし、行こう」
ボクらは顔を突き合わせて、作戦会議を始めた。