小学5年のボク
品川を離れて、一五年が経つ。今住んでいる江戸川区から実家までは、地下鉄を乗り継いで一時間ほどの距離である。
母校に行くのなら、京浜急行がいい。だが、桜の木を愉しむのであれば、浜松町からモノレールで天王洲アイルまでいくのもいい。
モノレールの車窓から所々で桜の木を見ることができる。真上から眺める桜もわるくない。
天王洲アイルを降りたら、目黒川沿いに歩く。途中神社を通っていくのもいい。川沿いの道には桜の木がずっと先まで並んでいる。
良く晴れた日の午後、ビデオカメラとデジタルカメラを持って、ここぞと思うポイントで動画や写真を撮る。途中すれ違う人々と、気持ちのいい会話をするのもいい。母校に近づくにつれて必然、私の気持ちは昂揚していく。
なんて、美しい風景だろう。そして、その頂点にあるのはあの桜並木。桜の花びらが舞い落ちるトンネルは、さぞかし感動的な場面になるだろう。子供たちだって、喜んでくれるにちがいない。
川沿いの道を横にそれ、そこから二〇〇メートルほど行ったところに、学校の門が見えたとき、興奮は最高潮に達した。
「ほら、みてごらん! あれがパパの通っていた小学校なんだ」
子どもたちは意に反してそっけない。モノレールを降りてからここに来るまで三〇分弱。桜の木を見ることにすっかり飽きてしまったらしい。
目黒川に浮かぶ桜の花びらのじゅうたんを見たときには「すごい」「きれい! きれい!」と喜んでいたが、私が子供のころそうであったように、見るだけではつまらない。しかし、かつて子供であった私には想定内の反応でもあった。学校のそばには、少し大きな公園があり、コンクリートで作られた大木をモチーフにした滑り台や恐竜のオブジェなど魅力的な遊具が並んでいる。そこで子供たちを遊ばせ、私は学校へと急いだ。
「おや、なんだ。あれは……」
そばまで来ると、校門になにやら立て看板がついている。建設工事の案内板だ。そして校門横にあるべき建物がなくなっていることに気づく。
「桜堂がなくなってる」
桜堂――母校の横に隣接した文房具店である。登校時間には店の前に人だかりができていた。工作で使う文房具や画用紙、流行りのキャラクターや人気アイドルの下敷きや筆箱、フルーツの香りのする消しゴム。人当たりのよい『気のいい老夫婦』の営むこの店は、児童みんなに愛されていた。
もしかしたら二人とも、この世を去っているかもしれない。それにしてもつい最近までは建物があったと言うことのようだ。そして校門から中をうかがうと、そこには信じられない光景が私を待ち受けていた。桜の木も、落ちてくる花びらも、そして桜の木のトンネルも健在であったが、その先に見慣れないものが私の行く手を阻むかのように、そこにあった。
「学校統合。取り壊し工事実施計画……」
この校門からの通路は小学校だけのものではなく、同じ敷地内に小学校と中学校がある。向かって左が小学校。右が中学校である。その中学校があるべき場所に真新しいコンクリートの建物がそびえ建ち、母校は工事用の柵で囲まれ中に入ることはできない。三階建ての建物の中央にある時計は、三時一〇分を指して止まったままである。私の母校は死んでいた。
小学校と中学を統合し、小中一貫の教育システム――ニュースで聞いた事がある。だが、それがこんなことに……。自分の母校がなくなるなんて。
田舎に限らず、都心でも子供の人口比率が低下し、廃校や統合される学校があることは聞いていた。しかし、品川は近年でも新しい建物ができ、若年層の人口も他に比べれば多いと聞いていた。まさか、自分の学校が亡くなるはずがない。これだけの歴史を重ねた学校がなくなるはずなどあるはずが……。
頭が混乱する中、私は先へと押し進んだ。新校舎と母校の間の道は通ることができた。母校を囲むように新校舎は建設されていた。どこまで行けるのか、ビデオカメラを回しながら、私は取り壊される運命を待つ建物を撮り続けた。
校舎の横を通り、裏側へと回ることができた。校舎の正面は教室、裏には廊下がある。廊下の窓から教室が見える。教室の扉はすべて閉まっており、中を見ることはできなかったが、教室の壁にたくさんの落書きがしてある。
どうやら、廃校になったあと、一般に公開されたようである。学校を名残惜しむ言葉があちらこちらに見える。遠めなので、はっきりはわからないが、「ありがとう」や「さよなら」の文字はすぐに見て取れた。今すぐにでも校舎の中に入りたい気持ちを抑えながら、私はビデオカメラを回し続け、そしてデジタルカメラのシャッターを押し続けた。
郷愁――それだけではない。くたびれた校舎を見れば見るほどに、すっかり忘れていた昔の事が、次々と思い出された。
「みんなどうしているかな……。元気で、やっているのだろうか」
不意に背筋を何か嫌なものが走った。懐かしい思い出にまぎれて、私の背筋をゾクゾクとさせる『あのこと」が思い起こされた。
そう、私はきっと、『あのこと」を思い出すために、この場所に呼ばれたに違いない。今日、この日このとき私がここにいるのは、きっと偶然なんかじゃない。私は呼ばれたのだ、
あの頃の僕に――、小学五年生のボクに。