ヤマンバ
ヤマンバ――いつからかそう呼ばれているのか?
それはボクらがこの公園で遊ぶようになってからなのか、その前からなのか。同じ小学校に通う子供ならたいがい誰でも……、少なくとも男子はみんな知っている存在。
これといってボクらに対して何かするわけではない。そのことが帰って伝説を作る。子供にとって、ニコニコと微笑みかけてくれない老人は、どこか畏怖の存在である。いつも同じ、農作業でもするかのような格好で、公園を歩き回る様は、不気味であり、異質な存在であった。
それはまるで、図書館にある怪談を集めた本に載っていた『道に迷った旅人を家に泊めては殺して食べていたというヤマンバ』という妖怪のイメージとすっかり重なってしまうのであった。
「やばい、ヤマンバがいるじゃん」
G朗が最初に口を開いた。
「ガビーン、やばいのだぁ」
U治はいつもの調子でおどけた。
「早くボール捜してよ」
S夫はせっかく取り返したカラーボールをなくしたくないようだ。
ヤマンバは木の根元にしゃがみこみ落ち葉をスコップのようなもので掻き分けて、何かを探しているようだった。誰かに聴いた話では、食べられるキノコが、ここに自生しているという噂があった。『毒キノコもあるからむやみに触らないよう』にと、理科の先生――いつもはやさしいが理科の実験のときにふざけて大目玉を食らった事がある――に注意された上級生がいるとK山がいっていたのを思い出した。K山の上級生情報はおよそ信頼できるものだった。
「毒キノコでも探しているのかなぁ」
G朗は、もはやボールを探そうとはしておらず、ヤマンバが何をしているのかが気になってしょうがない様子だ。ヤマンバはこちらのことを気づいているのか?公園で大声を出して遊んでいたのはボクらしかいなかった。向こうは当然に気づいているだろう。だが、ヤマンバはこちらには気づかない様子で、黙々と落ち葉を払っては何かを探しているようだった。
「あった」
U治がカラーボールをみつけたようだ。
「なにー、ギョギョギョー」
U治の漫画キャラクターのモノマネは、ほぼ完璧であり、あのキャラクターにモデルがいるとすれば、きっとU治に似たやつに違いないとS夫とG朗と話したことがあるほど、U治のモノマネは完璧だった。
「なんじゃ、これー! 毒キノコ発見!」
S夫の青いカラーボールはオシロイバナの枝の下にあり、そこにはなんとも毒々しい黄色いキノコが生えていた。
「これ、毒キノコじゃねーか、そのボール、ヤバイよ!」
いつの間にかG朗も寄ってきていた。
「だって、どーすんのさ」
S夫が苛立ちを隠せない様子で口を尖らせる。
「平気だよ、洗えば」
ボクはそういってS夫を慰めようとしたが、大丈夫だという根拠はなかった。だが、触っただけでどうにかなるような毒性の強いキノコなど特撮ヒーローの世界にしか出てこないのだとわかるようにはなっていた。
小学5年生なのだから。
S夫は口を尖らせながら足元に落ちていた小枝を拾いカラーボールをかき出そうとした。
「うわー、えんがちょー」
U治は両手の人差し指と中指を絡ませて『バリアのポーズ』をした。
U治は時と場所をわきまえることをもう少し学ぶべきだと、この頃からボクは思っていた。
S夫はすっかりヘソを曲げ、さらに口を尖らせた。
「お前が投げたからいけないんだろー」
S夫の目は少しなみだ目になっている。ここまで興奮しているS夫を見たことはない。よほどこのカラーボールがお気に入りだったのか、あるいは毒キノコが怖かったのか。
「触るんじゃないよ!」
4人ともその場に一瞬凍りついた。雷にでも打たれたかのように全身に緊張感が走り、髪の毛が逆立つ感覚。ヤマンバが僕らのすぐ後ろにきて、スコップを片手にボクらをにらんでいた。
「うわぁーーー!」
最初に駆け出したのは、G朗だったか? それともU治だったか。S夫は驚いた拍子にボールを落としてしまいそれを拾うのに手間取った。
ボクは先に走り出したG朗とU治を目で追いながら、S夫がボールを拾うのを待ってから、駆け出した。そのうち2番目を走っていたU治が木の根元に足を引っ掛けて、見事に転倒した。
「いってーっ!」
見ると右のひざがすりむけて滴るほどに血が流れていた。U治は目に涙をいっぱい浮かべ、必死にこらえている。ボクらはいつも、無茶なことをしているので、ヒザをすりむくなんて、日常茶飯事だったが、この傷はヤバかった。
血が止まらない。
「これ、はやく消毒したほうがいいよ」
G朗が心配そうにUを覗き込む。
「バチが当たったんだよ」
S夫がボソッという。
「そんな、ちょっとからかっただけじゃん」
「そうじゃないよ」
ボクの言葉をS夫がさえぎる。
「そのことじゃないよ……」
みんなすっかり意気消沈してしまった。みんなわかっている。桜堂から「盗んだガムテープ」そしてそれで毛虫を「大量虐殺」したこと。
罰が当たって当然である。
「今日は、もう、帰ろう」
U治はもう涙をこらえられない状態だった。U治の方を抱えて起き上がらせると水道の所までいって、とりあえず傷口を洗い流した。公園の水道は水を飲む蛇口が上向きになって、細く水がでるところと、手や足を洗えるように蛇口の先が回転する普通の水道がついている。U治は普通の蛇口のところにしゃがみこんでヒザを曲げ、ヒザ小僧を流水にあてた。
「いっ痛ぅぅぅ」
U治は必死にこらえている。ヒザは泥がこびりついている。きれいに洗い流しておかないと化膿してしまう。きっと明日の朝には赤チンまみれになっているだろう。ふと、傷を洗い流しているU治の背中に蠢くものが目に入った。
「あっ!」
思わずボクは大きな声を出し、飛びよけた。ボクの視線の先には、毛虫が一匹、U治の背中を首筋めがけて這っているところだった。
「U治、動くなよ」
G朗が、U治の腕をつかむ。S夫はすっかり怯えている様子だ――そういえばこういうシーンをよくテレビ映画で見たな。それはたいていサソリか毒グモだが。
「なに?」
U治は『かたち鬼(凍り鬼)』の時のように、見事に凍りついた。
「今取るから」
ボクは小枝を拾ってU治の背中を這う毛虫を払いのけた。毛虫はうねうねと地面をのた打ち回っている。U治は悲鳴を上げた。
「ぎぃぃいぃぃぃぃ、あぁぁぁぁ……」
それはあのマンガのキャラクターをまねた擬音ではなく、彼の本気の悲鳴だった。ボクらはもはや、想像せざるを得ない……これは毛虫の復讐なのかと。地面に落ちた毛虫は、まっすぐにボクに向かって這ってくる。ボクははじめて虫の視線を感じて背筋に震えを覚えた。
怖い
そのとき突然、音楽が鳴り出した。
ぐぁーん がーが ぐぁーん ぐぁー がぁがー ぐぁーん がー ……
『夕焼け小焼け』――この地域で5時半を知らせる時報として、公園などに設置してある緊急放送用のスピーカーからこの音楽が流れるのである。初夏だというのに、ボクらは4人とも鳥肌を立てていた。
「あせったー、もう帰ろー」
G朗だったか、U治だったか――S夫は口を真一文字に結んだままだった――もう尖っていない。ボクらは毛虫をそのままに家路につくことにした。
もう……、殺すのは怖かった。
そしてその日の夜、ボクは生まれてはじめて『恐怖』を知ることとなる。ボクは、その日、家に帰ってから布団に入るまでのことを、ほとんど覚えていない。