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蟲夢  作者: めけめけ
序章
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挿絵(By みてみん)


 用事のある妻を残し、子供二人を連れて実家のある品川へ向かった。春――目黒川は桜の花びらが舞い落ち、水面は薄いピンク色に染まる。

 私が育った町――品川は、昭和の面影を多く残しながらもバブル時の再開発、そして近年の再々開発を経て昭和の旧家、高度成長期の集合住宅、バブルの遺産、再構築された近代的ビル、さらには旧東海道の観光地化が進み、よりアンバランスなものになっていた。


 実家に連絡を取らずにぶらりとこの町にやってきたのは、愛すべき子供たち――小学五年生になる娘とそのふたつ下の息子に、自分が最も美しいと思う桜並木を見せようと思ったからだ。

 私が通っていた小学校は入学当事で一〇〇年の歴史を有していた学区内でも一番古い学校で、山手通りに面して校門がある。そこから校舎までは五〇メートルほどあるのだが、校門から校庭脇に至るまでの幅五メートルほどの通路の両脇には、桜の木が立ち並び、トンネルのようになっている。


 今から三八年前、私は、桜の花がヒラヒラと舞い落ちる中、母に手をひかれてこの学校に入学をした。母が学校の行事に和服を着ていったのは、あれが最初で最後だったと思う。

 子供の頃には、それほど美しいとは思わなかったが、学校を卒業して社会人になり、桜の花を酒を飲みながら愛でるようになると、私の記憶の中で『もっとも美しい桜』であると位置づけになっていた。

 だが、実際はどうであろうか。思い出は美化されるものである。私はこれまでその思い出を大切にするばかりに、大人になってからというもの、実際に母校を訪れたことはなかった。


 『形あるものはいつかなくなる』とは、使い古された陳腐な言葉である。これまでしみじみと実感するようなことは、良くも悪くもあまりなかった。

 二0一一年三月十一日、巨大な地震は、多くの人々の心に傷跡を残した。その時、私は都内いたので、直接何かを失ったということはなかった。それでも『形あるものや命が永遠ではないのだ』ということを、十分に思い知らされた。おそらく、多くの人がそうであるように……。


 母校の桜を――私が最も美しいと思っている桜を、子どもたちに見せるなら早い方がいい。


 そう感じた。いや、それは後から思いついた理由であったかもしれない。たぶん大地震がなくとも、たとえ自分に家族がいなくとも、或いは遠く離れた地に移住していたとしても、私は今年、このときに、この場所に訪れていたのだろう。


 不思議なことというのは、あるものなのだ。



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