15分
白い煙が立ち上る。
換気口に吸い込まれるのをなんとなく眺めながら
俺は、ああ、そろそろ仮面をかぶる時間だと思った。
扉の奥から先輩たちの笑い声が聞こえる。多分、野
球の話だろう。
あの声の輪に俺の声も混じっているはずだ。昨日
も、一昨日も。きっとこれからも。
煙草の火を消す。さあ一緒に行こうか。
同じ休憩室、同じ銘柄、同じ煙。
それは1日たりとも変わっちゃいない。
変わっているのは俺のシャツだけ。
吸い込んで、吐き出して。
換気扇がそれを飲み込み、何もなかったように空気
を澄ませる。
俺の一日も、きっと同じだ。同じ時間に起きて同じ
朝食を摂る。そして同じ時間の電車に乗る。この時
間にいつも乗っているサラリーマンも俺と同じなの
か。
朝は始業の10分前に会社に着く。書類の山を片づけ
、定時のチャイムで終わる。
何も変わらない。何も起こらない。また今日が過ぎ
ていく。
先輩たちの笑い声も、俺の作り笑いも、その中にき
ちんと組み込まれている。
まるで誰かが俺を操っているかのように日常が過ぎ
てゆく。
煙草の火が短くなるのを見て、俺はぼんやりと考え
る。
「明日もまた、ここにいるのか」
先輩が放つ冗談に合わせて、俺は昨日も笑った。
口角を上げ、声を出す。
ただ、それだけ。
なんと言っていたか、もう思い出せない。
笑い終わったあと、ほんの一瞬だけ顔の筋肉が硬直
して、次に戻るまでの時間が妙に長く感じられる。
「面白いな」と言う俺の声は本当に俺の声だったの
だろうか。
隣の席の後輩が笑っている。自然に、素直に。
ああ、こうやって笑えればいいんだな、と心のどこ
かで思いながら、俺は席に戻る。
煙草に火をつけた瞬間、なぜかその光景がよみがえ
る。
吸い込んだ煙が喉にひりついて、昨日の俺の作り笑
いを誤魔化すみたいに消えていく。
窓の向こうに、夕焼けが広がっていた。
ビルの隙間に沈みかけた陽が、灰色の街を赤く染め
ている。
遠くを歩くサラリーマンの背中も、駐車場に並ぶ車
の屋根も、同じ色に包まれていた。
俺は煙を吐き出しながら、それをただ見つめる。
先輩の笑い声も俺の孤独もみんな同じ空に溶けてい
く。
どれが正解か、どうするべきかあの赤は答えを教え
てはくれない。しかし、どれも間違いではないのだ
ろう。
換気扇が唸りをあげて、煙を吸い込んでいく。
その向こうで、街は何事もなかったように明日へ向
かって動いていた。
「あれ、あいつどこいった?」先輩の声がする。
すでに火の消えた煙草をグリグリと灰皿に押し付け
て、俺は立ち上がる。
夕焼けも、煙も、すべて背中に置いて。
扉の向こうにはまた笑い声が待っている。
俺は仮面をかぶり直して、その中へと歩いていった。




