第8話
夏の夜。
海沿いの工房には、予想外に強い風が吹き付けていた。
外の木々はざわめき、屋根が時折きしむ。
アシュレイは今夜、バルバトスの依頼で山間の村へ修理に向かっている。
帰りは明け方になる予定だ。
この風はアシュレイが出かけてから数時間後に始まったので、朝方までリーンベルと三姉妹だけで夜を超すことになる。
「リーンお姉ちゃん……アシュレイさん、ほんとに帰ってくる?」
寝間着姿のエミリアが、リーンベルの袖をぎゅっと握る。
ツキノもランプの火を見つめたまま、静かに息を呑んでいた。
ミルフィは口には出さないが、盾を抱いたまま窓から外の様子を探っていた。
リーンベルは十七歳とまだ若く、母親と呼ぶには幼い面差しが残っている。
けれどアシュレイの不在の夜は、彼女が子どもたちを守らなければならない。
強い風が吹きつけるたび、彼女の胸の奥がきゅっと縮む。
「大丈夫。アシュおじさんは約束を破らない。ちゃんと帰ってくるよ」
リーンベルは微笑み、エミリアの髪を撫でる。
ツキノがぽつりと呟いた。
「悪鬼夜行が叫び声をあげてる」
「いつそんな言葉覚えたのツキノ……」
その瞬間、窓の外で枝が折れる音がして、エミリアが小さく悲鳴を上げた。
ミルフィが盾を構え、玄関に駆け寄る。
「私が前に出る」
リーンベルは慌ててミルフィの肩を掴んだ。
「ありがとう、ミルフィ。
でもみんなを守るのはお姉ちゃんの役目。あなたたちは一緒にいて」
子どもたちは渋々頷き、リビングの隅で肩を寄せ合った。
リーンベルはしっかりと鍵を確認し、窓に補強の木板を打ち付けた。
心臓が早鐘を打っていたが、背筋を伸ばして子どもたちの前に戻る。
――はあ、心細い。
夕食後。
エミリアは小さなスプーンを握りしめたまま、俯いていた。
「アシュレイさんいないと……夜ご飯も寂しいね」
「わかる」
ツキノが頷く。
ミルフィは黙っていたが、盾をテーブルに立てかけ、手を合わせて祈りを捧げてから、パンを口に運んだ。
リーンベルは三人を見渡し、小さく微笑んだ。
「ならアシュレイさんが帰ったら驚くようなことをしようよ。
みんなで特別な夜を作って、帰ってきたら一番に見せてあげるの」
「特別な夜……?」
エミリアが首を傾げる。
「そう。お守りを作って工房を“安心の砦”にするのよ。
これで魔物も怖い夢も、ぜーんぶ吹き飛ばしちゃおう」
「お守りで守れるの?」
ミルフィがぽつりとつぶやく。
「も、元シスター見習いのリーンベルお姉ちゃんを信じなさい。
神様なんて天にも地にも、その辺の物にも宿ってるんだから、お守りだって効果すごいんだから!」
昔は神を信じていたリーンベルも、孤児院が燃えたあの日から、神の存在は信じていなかった。
けれどこの子たちが不安を吹き飛ばせるなら、今は何だって言ってやろうという気持ちだ。
「やってみたい」
その言葉に、ツキノが目を輝かせた。
「木片、工具、ある」
「ツキノ、ありがとう。
ミルフィはどうする?」
「……やる」
こうして、三人とリーンベルは夜更けの工房で小さなお守り作りを始めた。
ツキノは工具箱を抱えて木片を削る。
エミリアは不器用ながらも、カラフルな布で小さな袋を縫い、ミルフィは盾に刻む紋章を考えている。
「ミルフィ、なに描いてるの?」
「盾とハンマー」
木くずが舞い、工房は少しだけ温かい空気に包まれた。
風の唸り声も、子どもたちの笑い声にかき消されていく。
「できたっ!」
エミリアが声を上げた。
お守り袋の中にはエミリアが育てた薬草、ツキノが磨いた泥団子が入っている。
どちらも二人が大切にしているものだ。
「これで唸り声なんて怖くないね!」
ミルフィも完成した紋章を盾に打ち付け、ツキノは三人の名前を刻んだ木札を玄関の内側に吊るした。
リーンベルは出来上がったお守りを手に三人を抱きしめる。
「みんなすごい。
きっとアシュおじさんも喜ぶよ」
しかし、夜も更けて寝る時間になると、不安が再び顔を出した。
「……寝る前にトイレ」
エミリアが小声で訴えると、ツキノは小さく頷いた。
ミルフィは盾を抱きしめ、すっと立ち上がる。
リーンベルはよだれを垂らして、奇妙なポーズで寝ている。
これまでどんな騒音が聞こえようとも、夢の中に落ちたリーンベルは絶対に朝まで起きない。
「私が前衛、ツキノが後衛、エミリアは中央……目標は――夜のトイレ」
三人は手を繋ぎ、盾を前にゆっくりと廊下を歩く。
外の風がドアを揺らすたび、エミリアが飛び跳ねてツキノに抱きつく。
それでも、彼女たちは泣かずにクエストをやり遂げた。
「アシュレイさん、早く帰ってこないかな」
「うん」
「どこで何をしてるんだか」
エミリアは目を細め、三人は毛布の中で静かに会話を交わした。
風が窓を叩くたび、エミリアとツキノは小さな手をぎゅっと握る。
ミルフィは盾を抱いたまま、眠らないように目をこすっていた。
「ツキノ、寝てしまったら怖い夢、みちゃうかな?」
不安そうなエミリアを見てツキノは、小さな唇から、小鳥が歌うように流れるような音程を奏でる。
「ありがとう、これなら……ねれ――る、かも……」
ツキノの優しい子守歌は風音を和らげ、エミリアの瞼を重くする。
「長い夜……だ、ね」
エミリアが呟き、ツキノが指を絡めるように握った。
ミルフィも横になり、ツキノの歌声に耳を傾けつつも、盾を抱いたまま目を瞑る。
その夜、ツキノの歌声が途切れた頃、三人の寝息が静かに響いた。
朝。
海から吹く風が柔らかくなり、工房のドアが静かに開く。
泥や土にまみれたローブを着たアシュレイが、寝室で寄り添って眠る四人を見て、足を止めた。
お守りが玄関に揺れ、盾とハンマーの紋章が朝日に光っている。
リーンベルは子どもたちを抱きしめたまま、うたた寝しながらも、右手にエミリア、左手にミルフィ、そして左足にはツキノが抱きついていた。
アシュレイはローブを脱いだ後、そっと毛布を直し、リーンベルの頭を撫でた。
「……留守の間、ありがとう」
リーンベルが目を開け、かすかに微笑む。
「おかえりなさい……みんな、頑張ったよ」
子どもたちの寝顔を見れば分かる。
大人が一人いただけでも安心して寝れたのだろう。
「お前も大きくなったなリーンベル」
「は、ほえ?」
アシュレイの記憶の中では、帰郷したときに見た子どもだったが、エミリアたちとの生活で、しっかりとお姉さんにまで成長していた。
「ど、どういうこと、アシュおじさん!」
「そのまんまの意味さ」
朝の光が差し込み、夜を乗り越えた家族を静かに包み込んでいた。




