第7話
村の診療所で冷却魔導装置を修理してから数日後。
誰が直したのかは分からないまま、領主の耳にも噂は届いていた。
――これほどの技術を持つ者を見た者はいないのか!
――探せ探せ、その力があれば、我が領地も大きく拡大できるぞ!
しかし村長はおろか、診療所のバルバトスも聞かれるたびに肩をすくめて笑うだけだ。
「さぁな。夜に神様が直したんじゃないっすかね?」
――あの朴念仁は人に利用されず、家族と静かに暮らしたいと願っている。なら今はこれで十分だろう。
そんな折、村には別の問題が迫っていた。
あまりの酷暑により、山から降りてきた巨大なワイルドボアが畑を荒らし、農園が壊滅的になりつつあるらしい。
夜警に出る兵士たちも、牙で馬ごと吹き飛ばされ、誰一人仕留められない。
農民たちは疲弊し、いつ人が襲われるかと怯える日々だった。
「……うちの農園まで来られては困るな」
リーンベルから聞いた話題を思い出し、鍬の修理をしながらアシュレイがぼそりと呟く。
コトッと音がしたかと思うと、背後から紫髪の少女が静かに近づき、立てかけられた盾を胸に抱いた。
ミルフィ――七歳にして、褐色の肌に映える凛々しい瞳を持つ。
普段は多くを語らず、表情もあまり変えない。
けれど、その瞳の奥には炎のような決意が宿っていた。
「私が、守る」
アシュレイは手を止め、ミルフィに視線を合わせる。
真剣すぎるその表情に、胸が少し締め付けられた。
「聞いてたのか。
危険だぞ。ワイルドボアは大人の男も吹き飛ばす」
「父さんが作った盾も……剣もある」
あの嵐の日からミルフィはアシュレイと二人の時だけ、照れくさそうに父さんと呼ぶようになっていた。
「訓練も手を抜いてない」
ミルフィは工房の片隅に置かれた訓練用の剣を持ち上げた。
小さな手で柄を握り、ほんの少しだけ震えている。
怖くないはずがない。
それでも――彼女に引くという選択肢はないようだ。
アシュレイはしゃがみこみ、娘の目をまっすぐに見つめた。
ミルフィは自分に厳しいが、周りには優しい子だ。
盾を扱う騎士を目指すのであれば、優しさだけでは自分自身を傷つけてしまう。
「守るとは攻めに転じる必要もある。
身の危険を感じたら、ためらわずトドメを刺せ」
言葉が重く落ちる。
だが、ミルフィの答えは即答だった。
「……やだ」
驚いて眉を上げるアシュレイに、ミルフィは静かに続ける。
「ワイルドボアが下りて来たのはご飯がないから。
家族のために探しに来たはず。だから……殺したくない」
その声は震えていたが、目だけは揺るがなかった。
敵の命も含めて守りたい。
たとえ命を懸けても――その覚悟が、幼い顔立ちからあふれ出ていた。
アシュレイはしばし黙り、やがて大きな手でミルフィの頭をくしゃりと撫でた。
「そうか。ならミルフィの想いのままにやってみよう」
「ありがとう、父さん」
その夜、寝苦しさもあるがアシュレイは眠れなかった。
水を一杯、口に含んでからすぐに着替え、自宅の農園に向かう。
農園の古びた柵を強化する。
侵入者が入れば一段目の鉄網が降りて、農作物に近づく前に捉える仕組みだ。
さらにミルフィ用に盾のバランスを再調整し、受け流すことで衝撃を半分に分散する改良も施した。
訓練用の剣には軽量化と補強を加え、握りやすくする。
――この子は、俺が守るだけの存在じゃない。
――もう、自分で誰かを守ろうとしている。
朝日が差し込む頃、アシュレイが工房から出ると、ミルフィはすでに庭で剣を振っていた。
額に汗を光らせ、黙々と盾を構え、足を運ぶ。
普段はクールな娘が必死に動く姿を見て、アシュレイは声もかけずに壁に背を預けて見守った。
夜、森の奥から地響きが近づいた。
予想通りというべきか、巨大なワイルドボアが自宅農園を目指して突進してくる。
柵に仕込んだ鉄網が作動し、獣の進行を止めるが、暴れるたびに軋む音が響き、いつ破られてもおかしくない。
「随分と大きいな――こっちだ!」
柵が破られる前にアシュレイは鍋を片手剣で叩きながら、猛獣の意識を引く。
念のため、足元に野菜くずをまとめておいて正解だった。
奴は実っている新鮮な野菜よりも、アシュレイの足元を選んだ。
それもそのはず、その野菜くずは錬金術により甘みが強化されている。
「父さん、私も――!」
「ミルフィ、こいつはかなり大物だ、俺がやる」
アシュレイは距離を取りながら、柵を突き破ってきたワイルドボアへと片手剣を向ける。
――悪いな、こっちも家族を守ってるもんでね。
ボアの鼻先の角は槍のように尖り、一直線に突き進んでくる。
「だめ!」
だがアシュレイとボアの間に割り込むように、少女が割り込んだ。
「ミルフィ!」
ミルフィは腰を低く盾を構えて、一歩踏み出した。
大きな影が迫る中、少女の体重移動は不思議なほど滑らかだ。
ガンッ!
最初の突進を盾で受け、足元で砂が爆ぜる。
衝撃で身体が吹き飛ばされそうになるが、盾の角度を調節することで、ミルフィは耐えた。
「……っ!」
すぐさま剣で眉間へと突き立てる。
「これ以上、前に出ないで!」
二度目の突進をするため、ワイルドボアは足を踏み込む。
「ごめん!」
ミルフィの大声にワイルドボアが一瞬動きを止めた。
隙を付き、彼女は盾を地面を叩きつける。
金属音が辺り一帯に響き、獣は怯んだように鼻を鳴らす。
次の瞬間、ワイルドボアは踵を返し、森の奥へと走り去った。
ミルフィは剣を下ろし、ふらりと膝をつく。
――ミルフィは誰も傷つけず、守りきった。
アシュレイは駆け寄り、娘を抱き上げた。
「ミルフィ、お前――無理しやがって」
「ごめん……」
「怪我はないか?」
「うん、大丈夫。
だけど、あの子たちに野菜くずはあげても良い……?」
自分が危険な目にあったにも関わらず、ミルフィは目元を細めてアシュレイを見上げた。
「自然に人が手を入れるべきじゃないが……今回だけ、山奥に俺が置いてこよう」
「ふふ、良かったね……」
ミルフィはアシュレイの胸に顔を埋め、小さく頷いた。
朝の食卓。
工房のテーブルには、特製のパンケーキが山のように積まれていた。
ふわふわの生地に、とろける蜂蜜と果実ソースがたっぷりかかっている。
エミリアとツキノの分も同じように並べられていたが、ミルフィの皿だけ――蜂蜜がこれでもかと溢れていた。
「これ、私の……?」
「ああ、ご褒美だ」
普段は無表情なミルフィが、ぱっと目を輝かせた。
蜂蜜の匂いに頬を染め、フォークを握る指先が震えている。
「ミルフィだけ、ずるいー! 私も早起きすれば良かった!」
「ミルフィ、少しちょうだい」
エミリアとツキノがと手を伸ばすと、ミルフィは抱くようにプレートを守り、
「……ホットケーキは私が守る」
と、蜂蜜の塔を死守した。
エミリアとツキノは顔を合わせて、小さく笑い合った。
アシュレイは珍しく目を輝かせながら、ホットケーキを頬張るミルフィを見つめる。
――この子は、きっと誰よりも強く、優しい騎士になる。




