第32話
リーンベルはシスター見習いの少女だった。
山賊に襲撃された孤児院から、赤子だったエミリアたちを必死に抱えて逃走したときは大分幼かった。
それからアシュレイの工房で生活し、エミリアたちが13歳となって旅立った今、リーンベルは20代前半となっていた。
今日も工房で一人静かに修理するアシュレイの背中を見つめて溜息をついている。
「この場合は幼馴染なのかなぁ……」
お互いにアシュレイが生まれ育ったド田舎の村出身だが、リーンベルが物の分別が付くころには、アシュレイは王都で働いていた。
村には遊ぶ子供がいなかったので、帰ってきたアシュレイと遊ぶのが何より楽しく、何でもできるアシュレイに憧れたものだ。
――だから偶然、助けを求めたらアシュおじさんだったのは運命的だなって思ったよ。
「はあ……」
唯一、歳が近いと言っても、歳の差は――いやいや、考えるのは辞めよう。
歳の差なんて、気にしたって仕方がない。
リーンベルは胸に手を置いて、小さく息を吐いた。
当のアシュレイは、今日も普段と変わらぬまま、トンカチを振るっている。
アシュレイは早朝に近くの海岸に流れてきた様々な物を修理して、新品以上の品物に生まれ変わらせるほどの技術を持っている。
腕前はリーンベルからはよく分からないが、それは実に見事なもので、王都でもやっていけると思うのに、彼は頑なにこの工房から離れようとしなかった。
――もう10数年も一緒に住んでるのに何もないってことある?
確かに3人娘を育てるのはお互いに余裕がないほど過酷だった。
けれど、けれどもだよ。
――花も恥じらう年頃の女子と一つ屋根の下で住んで、心が動かないなんてことがあるの?!
確かにアシュオジサンは目つきは悪いし、猫背だし、ヤル気もなさそうだし、友達もいないし、人付き合いは苦手だし、素直じゃないし……けど最高に家族思いの人だ。
女性が4人住む工房でどれほど気を使ってくれた方か分からない。
しかもそれを悟らせないんだから。
――今となってはあの子たちも旅立った。
チャンスは……そう、今しかない!!!
「どうした、リーンベル」
背中越しに穏やかな声で話しかけられて、リーンベルは心臓が飛び出るほど驚いた。
「あ、えっと、紅茶を入れたから、どうかなあって」
「そうか、ありがとう」
いつもだったら『そこに置いてくれ』と言うだけだが、今日は静かに立ち上がって工房の椅子に座った。
「どうした?」
「あ、ううん」
どこか寂しそうだ。
リーンベルはトレイに乗せた紅茶を近くの台に乗せて、カップを手渡しした。
彼の手はごつごつとして、長年色々なものを修理してきたのがよく分かる。
「――あの子たちの為に、頑張ってくれてた手、ですね」
「ん、ああ」
いつも通り口数が少ない。
「もしかして寂しいですか?」
「うっ――」
危なく紅茶を吹き出しそうになり、アシュレイは咳込んだ。
「なんだ突然」
「素直じゃないんですから」
――いつもは言いくるめられる事も多いけど、今日の主導権は私だ。
これはこれで、なんだか気分が良い。
「エミリアの手紙、読みました?」
「あ、ああ、上手くやってるようだ」
「あの子は優しくて暖かい子だから、仲良くできているみたい。
なんでも、カタナっていう特殊な刃物を使うお友達と、悪魔を聖具で追い返したみたいですよ」
「……そこまで鍛えた記憶はないんだが、まあ、エミリアが上手く使ってくれたんだろう」
上手く使うだけで悪魔なんてモンスター以上に危険な物を追い返せるものだろうか、とリーンベルは苦笑した。
「ツキノはアルケミスト学術院で師匠に出会えたんですって」
「師匠、あのツキノが?
ふはは、師匠が大変そうだな」
「研究の基礎となる考えが次々と覆されてるとかなんとか……私は読んでもよく分かりませんでした」
ツキノの会話は難解だが、リーンベルは全てしっかりと理解できる一人だ。
だが錬金術の専門用語ともなると、流石に読み解くことはできなかった。
「ミルフィから連絡はあったか?」
「先日、《《騎士団長さん》》から達筆な文字で手紙が届きましたよ。
騎士団候補生なのに騎士団に同行してドラゴン討伐でドラゴンブレスを一人で防いだとか、秘密結社の魔術師を片っ端から捕らえたとか――」
「絵空事の話みたいだな……」
「騎士団長さんからの手紙なので、真実だと思うんですけどね。
出来ることなら装備をどこで揃えたか教えて欲しいと書かれていました」
ミルフィは優しい子だ。
きっと工房の穏やかな生活を壊したくないから、自分が使っている武具が父親による修理品だとは教えていないのだろう。
「そうか、騎士団が……」
遠くを見るように目を細めてアシュレイは呟いた。
王都で過ごした遠い過去を思い出しているのかもしれない。
「出所は分からんが、壊れた物なら相談に乗ってやる、とでも返しといてくれ」
「……」
普段なら、しらんの一言で終わるところを、珍しく譲歩しているらしい。
「なんだ?」
「ふふ、分かりました。
私がそう返しておきますね!」
話がひと段落すると、二人は紅茶を口に含んでゆっくりと飲み干した。
リーンベルはティーカップを手の中で、回しながら言葉を探しているようだ。
「……工房も静かになったな」
何かを察したのか、アシュレイがポツリと呟く。
3人娘の幼き日の幻影を見ているように、視線をゆっくりと動かしていた。
「今までありがとう、リーンベル」
「え……?」
アシュレイを見上げると、いつの間にか彼はしっかりとリーンベルに向かい合っていた。
「リーンベルがいなければ、俺は何も変化がないまま、一生、この工房で一人だったろう」
「そ、そんなこと」
「リーンベルのおかげで、エミリアもミルフィもツキノも立派に成長した。
本当に――ありがとう」
アシュレイは立ち上がり、しっかりと頭を下げた。
これには流石のリーンベルも戸惑った。
「え、ええ、アシュおじさん、頭を上げてください!
うわあ、もう、えっと、二人で頑張ってきたじゃないですか!」
「そ、そうだな」
アシュレイは鼻の頭をかいて、照れくさそうに笑う。
「それでだ、リーンベルも年頃だ。
これまで苦労も掛けた。
だからもう――」
「ちょっと待ってください、その先はダメです。
いくら鈍感なアシュおじさんでも、そんな言葉は聞きたくはないです!
多分それって私が求めてない言葉ですから!!」
リーンベルはアシュレイの手を両手でぎゅっと握り、しっかりと眼を見つめた。
届けこの想い――。
「だが、疲れたオッサンとこんな辺境の工房で住んで、お前の人生を棒に振ることは――」
「棒に振ってません! あああ、もうそれ以上何も言わないでください!
ものすごおおく、勘違いしてます! 私はですね、年齢なんて関係ないんですよ!」
だってずっと一緒に、支え合いながら子どもたちを二人で育ててきたんだから!!
「だから、言ってください。
本当の気持ちを――言わないなら私が先に言いますからね、良いですか、私は――リーンベルはですね……!!!」
ガラガラ――。
先日、工房のドアをシャッターに改造してみたのだが、今まさにそれが開いた。
「おっすー、暇人のアシュは今日も上手くやっとるかね。
新たな仕事を持ってき……」
入ってきたのは、こちらもオッサンが一人。
ぼさぼさの髪に無精ひげ、猫背でやる気のない治癒師のバルバトスだ。
「あー……………………何時間後に戻ったら《《コト》》が済んでる?」
「今話せ、バル」
二人は耳まで染めながら、音よりも光よりも早く離れ、お互いに背中合わせになる。
「いや、俺は嬉しいよ?
元は金にも興味なく、人間に興味もなく、女性にも興味なかったアシュが、家族を持って、全てに興味が出るなんてよ」
「うるせえ、早く要件を話せ」
「……いいのか、嫁さんは?」
「すぐに海辺に来い、砂浜に埋めてやるよ。満ち潮の時に」
「うへえ、こええ」
おどけたバルバトスは工房に背中を向け、アシュレイもすぐにその後を追う。
「ア、アシュおじさん、あの、その」
「リーンベル、俺は……まだよく分からんが、気持ちはずっと変わらない」
「え?」
「お前も大切に思ってる。幸せになって欲しい、幸せにしたい。
昔も今も、ずっとな」
それだけ言い残してアシュレイは、普段よりも足早に工房を去った。
リーンベルは右手を強く握った。
――胸が高鳴る。
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「さて、今回の依頼だが港町で大型客船を修理する大仕事だ」
「なんでもやるさ」
「いいのか、もう養育費は貯まったんだろ?」
「そうだな、だがこれからも――」
アシュレイはバルバトスの言葉に、穏やかな笑みでこう答えた。
「金が要る、娘の為に」
END
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【あとがき】
こんにちは、ひなのねねです。
初めての方、作品を追ってくれている方いつもありがとうございます。
皆様のおかげで、また一つの作品が、切りの良いところまで書ききることができました。
ひとえに読者様の力添えによるものです。
本当にありがとうございます。
過去の公募作品ということもあり、
一度、切りの良い現状で更新を保留させていただきます。
心に傷を負ったおじさんの人生の一部から、何かを伝えられたのならば嬉しく思います。
それではもし良ければ、次回の作品でお会いしましょう。
ひなのねねでした。
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