第20話
山間の村を後にした三人娘の足取りは、どこか弾んでいた。
春の空気はやわらかく、山桜がほころび始め、遠くで鳥のさえずりが響いている。
雪解け水が谷を流れ、道端の小さな草花が顔をのぞかせていた。
アシュレイとリーンベルに見送られてから、まだ半日も経っていないというのに、胸の奥はぽかぽかとした温もりで満ちていた。
村を離れた寂しさよりも、これから広がる未来への期待のほうが、今の彼女たちには強かった。
「ねえ、二人とも」
先頭を歩くエミリアが振り返ってにこりと笑う。
淡い金髪が朝日に揺れ、光を反射してきらきらと輝いた。
「やっぱりアシュレイさんってすごいよね。
杖も聖具も、あんなにぴったりに仕上げてくれて……」
「そうね」
ミルフィが力強くうなずく。
褐色の頬が陽射しを受けてきらりと光る。
「私の盾、重いのにぜんぜん負担にならない。
持っただけで、工夫して調整したのが分かる。
まったく……また夜遅くまで調整してたんでしょ」
ツキノは一歩後ろを歩きながら、抱えた道具箱を見つめる。
「……磨き方も、すごく丁寧。
触ると冷たいけど、なんだかあったかい気がする」
三人は顔を見合わせ、同時に笑った。
工房で過ごした七年の記憶が、自然と心に溢れてくる。
幼い頃、アシュレイに叱られて泣いた日もあれば、リーンベルに甘えて寝落ちした夜もあった。
薬草を摘みに出かけたこと、畑の手伝いで泥だらけになったこと――全部がもう二度と戻らない時間で、だからこそ愛おしかった。
「思い出すと、胸がいっぱいになるね」
エミリアが小さく息をつく。
「ええ――ほんとうに」
ミルフィの瞳は力強く、それでいて少し潤んでいた。
やがて山道の先に、石造りの小さな休憩所が見えてきた。
旅人が馬をつなぐ柱が並び、近くには干し草の香りが漂っている。
一台の馬車が停まっていた。
荷台には麻袋や木箱が高く積まれ、馬が鼻を鳴らしている。
御者台には、無骨な体つきの中年の男が腰を下ろしていた。
深くかぶった帽子の下から鋭い視線がちらりと三人をとらえ、すぐに前へ戻る。
表情は無愛想で、まるで岩のように動かない。
「……こわそう」
ツキノが小声でつぶやく。
「でも、ちょうどよかったかも」
エミリアが明るく前に出る。
「港町まで馬車があるなら、お願いしてみようよ」
彼女が声をかけると、男は無言で顎をしゃくった。
どうやら乗せる気はあるらしい。
ミルフィが盾を背に回しながら小声で言う。
「……悪い人じゃなさそう」
三人は互いに目を合わせ、思わず苦笑する。
緊張が少しほどけていった。
荷台に上がり、積み荷の隙間に腰を下ろすと、馬車がぎしりと音を立てて動き出す。
春風が頬をなで、馬の蹄が石畳を小気味よく打つ。
揺れる荷台のリズムに身を任せていると、ふと懐かしい匂いが鼻をかすめた。
干し草の香りに混ざり、アシュレイがよく持たせてくれた薬草の匂いや、工房の木の匂いが蘇る。
「ねえ……この匂い、なんだか昔のこと思い出さない?」
エミリアが小さく声を上げる。
淡い金髪が陽の光に揺れた。
「工房や山道の匂い……だね」
ミルフィも静かに頷く。
盾をそっと撫でながら、幼い頃の記憶がゆっくり呼び戻される。
ツキノは荷物の横に手を置き、抱えた道具箱をそっと撫でる。
膝に道具箱を置き、窓の外の木々を眺めながら、小さく笑った。
「この香りで思い出す。
工房で隠れて食べてたの」
ツキノが小さく笑う。
視線は窓の向こうの景色にあった。
エミリアも微笑む。
金髪が光を受けて揺れる。
「あはは、ツキノが呼ぶから行ってみたらお菓子があるんだもん。
びっくりしたよ。その後アシュレイさんに見つかったけど、まさか追加で作ってくれるとは思わなかったな」
ミルフィが少し肩を揺らす。
「珍しく笑ってたよ、あの時」
「そうだったんだ、私、工房で待ってたから見てなかったよ」
「わたしも――そうだったんだ」
二人もつられて笑った。
馬車はゆっくりと山道を進み、揺れる度に木箱の中の道具がかすかにぶつかる音がした。
外の風景は次第に開け、遠くに川のせせらぎや小さな牧場の煙が見える。
春の匂いと温かな陽射しに、三人は自然と肩の力を抜いた。
「あとさ、リビングで寝ちゃうと知らぬ間にベッドにいるの不思議だったんだ」
エミリアが楽しそうに言うと、ミルフィが苦笑する。
「毎晩、アシュレイさんが運んでたの」
「え、リーンベルが運んでたと思ってた」
「リーンベルも運ばれてた」
「……頼れる」
思い出話に花を咲かせながら、ひとしきり3人は笑い合う。
「けどあの二人だから、私たちも安心して眠れた」
ミルフィが微笑みながら、手のひらを見つめる。
守られていた感覚が、今もこの手に残っているようだった。
御者の男は黙々と馬を操りながらも、時折ちらりと三人を見やる。
無言だが、視線の端に優しさが滲んでいた。
「工房から離れてる、少しづつ」
ツキノが遠くの山を見やる。
「そうだね、初めて離れるね」
エミリアの声には、穏やかでありながらも迷いのない決意が込められていた。
三人は言葉を交わすたび、笑ったり頷いたりしながら、静かに思い出を共有した。
馬車の揺れと風のリズムが、まるで時間をやわらかく伸ばすようで、会話も自然と穏やかになっていく。
夕暮れ近く、馬車は小さな宿屋の前に停まった。
石畳に落ちる影が長く伸び、空は淡いオレンジ色に染まっていた。
エミリアが荷物を整理しながら言う。
「今日の宿はここね。
明日の港町までもう少し」
そしていい考えが思いついたと言わんばかりに振り返った。
「あ、そうだ。
久しぶりに三人一緒に寝ようよ!」
「もう子供じゃないんだけど」
ミルフィが溜息をつきながら荷物を抱える。
「――まあ、たまにはいいでしょう」
照れたようにミルフィは笑った。
「ミルフィの隣は温かくて気持ちいい」
ツキノも嬉しそうに応じ、三人の顔に柔らかな光が差し込む。
宿の扉をくぐる前、三人は馬車に背を向け、軽く肩を寄せ合った。
笑い声と小さな思い出の欠片が、まだ春の空気の中でゆらりと揺れている。
別々の道を歩くことになるけれど、この時間、この風景、この思い出は、確かに三人の心に刻まれていた。




