第15話
山間の村には濃い霧がかかっていた。
夜明け前に降った雨の名残が、農道や木々の葉先にしっとりと残っている。
馬の吐く白い息と、車輪の軋む音だけが静かな山道に響いていた。
手綱を握るのはアシュレイ。
いつも通りの不機嫌そうな目つきで背中を丸めている。
荷馬車の後ろではミルフィが小さな手で木製の盾を磨いていた。
磨き過ぎて、もはや鏡面のように光を反射している。
今回の依頼は山間の村近くにあるダンジョンでの薬草調達――のはずだった。
だが、アシュレイの顔にはやる気がまったくない。
彼が得意なのは修理である。
百歩譲って錬金術による物質の強化や素材の調達だ。
剣を振るうことはできても、それはあくまで「素材のために必要だから仕方なく」だ。
「バルバトスの野郎……薬草調達じゃなかったのかよ」
苦々しく吐き出すと脳裏にあの髭面が浮かぶ。
村の広場でバルバトスがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、帽子を斜めにかぶって寄ってきた場面だ。
『すまん、薬草調達だけじゃなくって、ダンジョンのモンスター退治も頼む!
どうかこの通り、報酬は二倍――いや、三倍出すから!』
その時、アシュレイは即座に断った。
「俺は修理しかできん。戦闘は性に合わん」と。
だが、バルバトスは分厚い手のひらでアシュレイの肩をバンと叩き、わざとらしく声を潜めた。
『修理で使う貴重な鉱石や薬品の素材は、どうやって手に入れてるのかなぁ?
まさか市場で買ってるわけじゃあるまい、あの人嫌いのアシュレイ様がよお?』
ぐぐぐっと言葉が喉につかえる。
確かに自分は素材をほとんど自力で集めている。
人里で顔を売るくらいなら、危険な鉱脈や魔獣の巣に一人で潜った方が気が楽だった。
だがそれを、よりによってバルバトスの口から暴露されるのは面白くない。
今思えば、あの場で奴の頭を拳でぶん殴ってやるべきだった。
唯一、アシュレイの事情を知る男だが、最近は斡旋してくる依頼の内容がやたら重たくなっている。
娘たちの将来の資金集めとバレてるからなのだろうが。
「父さん、『腕っぷしもある』からやればいい」
後ろからミルフィの声が飛んできた。
六歳の娘が当然のように言う言葉ではない。
「……そうだな」
アシュレイは溜息をついた。
娘たちのために金は必要だ。
彼女たちがいつか旅立つときの資金、最低限の安全を買うための備え――そう思えば、ぐっと堪えるしかない。
「まあ、金払いは良いしな」
ぼやく父の声を背中で聞きながら、ミルフィは足をぶらぶらと揺らした。
揺れる足と一緒に、盾の金具が陽を反射する。
モンスターなんて怖くない――そう思えるのは、自分には守るべき家族がいるからだ。
エミリアも、ツキノも、リーンベルも、そしてアシュレイも。
みんな、大切で、かけがえのない「家族」だ。
彼らを守れるなら、どんな危険だって構わない――そう、ミルフィは心の底から思っていた。
***
山間の村の外れ、崖沿いの道を抜けると、ぽっかりと口を開けた洞窟が見えてきた。
吐き出される冷気が肌を刺す。
空気が一瞬で湿り、背筋に寒気が走った。
アシュレイは馬車を止め、荷台からミルフィが華麗に着地する。
「第一の目的は薬草の収集。
第二に薬草畑を荒らすモンスターの駆除だ」
「駆除……?」
以前の猪を追い払った件もあるのだろう。
ミルフィは悲し気にアシュレイを見上げた。
「そこは任せてくれ、悪いようにはしない」
「……分かった」
ミルフィは頷く。
薬草収集の依頼だったので連れて来たが、妙なことになったものだ。
下がっていろと言っても、「実践訓練がしたい」と返答がありそうだから、無理に言っても仕方がない。
「モンスターはアナグラネズミ。
普通のネズミよりも体が大きく、前歯が鋭い。
性格は臆病だが、畑に穴を掘って作物を狙う習性がある」
「父さんの部屋で読んだ。
群れになって連携して襲ってくる」
「よく勉強してるじゃないか」
褒められたミルフィは気恥ずかしそうに頬を緩める。
エミリアたちがいるときは、ちゃんとしようとして常に気張っているようだが、二人きりになると途端、感情の《《ゆるみ》》が見え隠れしている。
「家族を守るなら、相手を知るべき――でしょ?」
「その通りだ、危なくなったら俺の後ろに下がるんだぞ」
「うん、ありがとう、父さん」
このダンジョンは山間の村人から通称、薬草畑のダンジョンと呼ばれている。
所々、山岳地帯の山水が湧き出ていて、長年貯蔵された魔力が混ざり合い、様々な薬剤の元になる貴重な薬草が群生するダンジョンと化していた。
清潔な水と純度の高い魔力により、邪悪な魔物は寄り付かないのだが、昨今の猛暑により、このダンジョンまでアナグラネズミが入り込んだと見ていいだろう。
鍾乳石から滴り落ちる水滴の音が響き渡る中、アシュレイとミルフィは手を繋ぎながら踏み固められた坂道を下っていく。
「バルが言ってた畑はすぐそこだ」
ミルフィは自分用の片手剣の柄に手を当て、抜刀準備をする。
――とその時、威勢の良い甲高い声が洞窟内にこだました。
「フ、フレイムアロー!」
「先客がいる」
「うん」
足早に急ぐと開けた空洞に出た。
そこには山間の村特産である『治癒師いらずの薬草』が群生していた。
そして中央には小柄な影が立っている。
黒いローブを羽織り、長い前髪で両目は隠れているが、時折見える隙間の奥で意志の強い灰色の瞳が見え隠れしている。
年の頃はミルフィと同じくらい――いや、少し幼いかもしれない。
「あの子……」
「見たことあるのか?」
「秋迎え祭りのときに、ローブを見かけたくらい」
山間の村も特別子どもが多いわけではない。
その中で真黒なローブの少女を目にしたことを、ミルフィは覚えていたのだろう。
「あぶないっ!」
アシュレイよりも背の小さいミルフィが先に気が付いた。
薬草原の中を疾走するアナグラネズミが、背後から少女を狙っていることに。
「くっ――!」
ミルフィは滑り込むように盾を構えて少女とネズミの間に割って入る。
「えっ……」
「後ろは私が守る!」
「でかした、ミルフィ!」
アシュレイの声に、ミルフィは短く頷いた。
盾越しに伝わる衝撃で、腕が痺れる。
牙を剥いたアナグラネズミが、幾度も跳びかかってくる。
「ひっ……!」
背後で短い悲鳴が上がった。
黒いローブの少女が小さく後ずさる。
「間に合った――私が守る!」
ミルフィが叫ぶ。
その声音は6歳とは思えぬほど真っ直ぐで、迷いがなかった。
「あ、あなたは?」
「ミルフィ。離れないで」
盾を構えるミルフィたちを中心に、3匹のアナグラネズミが鋭利な爪をカチカチ鳴らしながら、飛び掛かるタイミングを見定めている。
「魔術師でも、一人は危ない」
「ち、違うのあたしは――か、母さんの薬を、あたしが何とかしなきゃって!」
ミルフィが盾を構えなおして片手剣を抜いた瞬間を狙って、3匹のネズミは同時に飛びかかった。
「くっ!」
「きゃっ」
しかし小さな『ぐぎゃ』という鳴き声が響いて3匹は地面に落下する。
ミルフィが足元を見てみると、石ころほどの大きさの鉄球が3つ転がっていた。
「ミルフィ、良いタイミングでカバーできたな」
頭をくしゃくしゃに撫でるアシュレイの手元には、何とも奇妙な武器が握られている。
ボウガンのようだが、発射台の溝は深く、そこに鉄球を乗せて続けざまに3発発射したのだろう。
「これか? 試作品だ。
殺さずの武器の研究中でな」
「ふふ、ありがとう、父さん」
きっとこれでアナグラネズミたちは、畑での危険を覚えて入り込んでくることは減るだろう。
「柵を修理する。ミルフィはその子を頼む」
「うん」
腰を抜かした少女へ手を差し出す。
「ん」
ぶっきらぼうに伸ばされた手を、不思議そうに見つめ、少女は恐る恐る手に取った。
「あ、あたしはスフレ。
ありがとう……騎士さん?」
同い年の少女に騎士と呼ばれ、ミルフィはこそばゆくて、口元を緩めた。




