第11話
夏の名残を惜しむように、山間の村では《秋迎え祭り》の準備が進んでいた。
通りには山積みの秋野菜や果物を並べた屋台が連なり、麦わら帽子の農夫たちが朗らかに呼び込みをする。
遠くからは太鼓の音が響き、広場では子どもたちが不揃いな足取りで踊りの練習をしていた。
「今年は行ってみませんか、アシュおじさん」
修道服姿のリーンベルが、刈りたての麦束を抱えながら言った。
「……祭りか。人混みはどうもな」
窓際で工具を磨いていたアシュレイは顔をしかめる。
海風が涼しさを運び始めたとはいえ、祭りの日の人出は相当なものだ。
「でも、エミリアたちにもそろそろ社会勉強をさせないと。
お祭りに出て多くの人と触れ合うべきです。
山の工房に籠もってばかりじゃ、友達もできません」
その言葉に、遊んでいた三人娘――エミリア、ミルフィ、ツキノがぱっと顔を上げる。
「お祭り!? 行きたいっ!」
「……いい匂い、するかな」
「悪くないんじゃない?」
「うーん……まあ、そろそろ良い歳だしなぁ」
渋るアシュレイも、結局はリーンベルに押し切られ、三人娘たちはすぐに工房に駆け込み山間の村へのお出かけ準備をするのだった。
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――同じ頃。
村の入口に、王都からの馬車が静かに停まっていた。
普段は金細工があしらわれ豪華絢爛な馬車だが、今日ばかりは落ち着いた紅色のワゴンを使用していた。
馬車からは金の髪を緩くまとめた5歳の少女が、メイドを連れて降り立った。
地味なワンピースを身にまとってはいるが、背筋の伸びた佇まいと仕草が、高貴な血筋を隠しきれない。
「これが庶民の催しなのですね」
「そのようですね、アリス様。
私は村長と話を付けてまいりますので、少々お待ちください」
「もちろんよ、リリィ」
アリスと呼ばれた少女は専属メイドのリリィに満面の笑みで微笑んだ。
――なんて、チョロいのかしら。
第五皇女アリスディールはリリィの目を盗み、祭りの人混みへ足を踏み入れる。
「田舎の祭りなんて退屈な催しだと思っていたけれど……楽しめそうね」
唇に小さな笑みを宿し、好奇心の赴くまま、アリスは人波に紛れた。
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祭りの広場は笑い声と香ばしい匂いに満ち、色とりどりの屋台が並んでいる。
エミリアはリンゴ飴を握りしめ、ツキノは焼き魚に夢中になり、ミルフィは盾を背負ったまま弓による的当てに挑戦していた。
「……おいミルフィ、盾は投げるな」
「え、違うの? これはシールドロブって言って――」
「ダメだ」
アシュレイは苦笑し、リーンベルは綿菓子を買って三人に分け与える。
砂糖で口の周りを白く染めた三人の笑顔は、祭りそのものの輝きだった。
ふと、エミリアは人混みの向こうで、一人立ち尽くす少女に気づいた。
同じくらいの年頃、栗色の瞳がきょろきょろと屋台を見回し、手には小さな木製の笛。
金糸のような髪が夕陽を受けて淡く輝いている。
「ねえ、大丈夫?」
声をかけるとワンピース姿の少女は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに気品のある微笑みを返した。
カンテラの明かりが彼女の髪に金色の縁を描き、まるで物語の挿絵から抜け出したかのようだ。
「少し遠くに足を延ばしすぎました。
声を掛けてくださってありがとう――ええっと、」
「エミリアだよ」
「エミリア、感謝しますわ。
私はアリスディ――いえ、《《アイリス》》とお呼びください」
アイリスは礼儀正しく小さく会釈する。
一方のエミリアは不思議に思うこともなく、彼女の小さな手を取った。
「じゃあ私も探してあげる」
「……よろしいのですか?」
「もちろん! この辺りは庭みたいなものだから。
いいよね、アシュレイさーん!!」
大声を出すとミルフィとツキノが露店に夢中になっているので、アシュレイは手を振って頷いた。
二人は肩を並べ、色鮮やかなカンテラの下を歩く。
的当ての屋台でアイリスは興味深そうに弓矢を手に取った。
構えた瞬間、背筋が自然と伸びる。
狙いを定める眼差しは、無駄なく、正確。
シュッ、と乾いた音がして景品のニンジンが落ちた。
「すごい、いっぱつ!」
「この程度でしたら」
頬をわずかに赤らめるアイリスに、エミリアはくすっと笑った。
その後、剣術試技の屋台では、模擬刀を軽く振って見せたアイリスの動きが人混みの視線を集めた。
柔らかく、しかし芯のある剣筋――その美しさに、エミリアも思わず見入ってしまう。
「アイリスちゃんって剣、得意なんだね」
「少し習っただけです」
焼きもろこしを半分こし、歌と踊りで祭りをにぎやかす農民を見ては笑い合い、焼き菓子を分ける時には自然に距離が縮まっていた。
夜風が吹き、松明がゆらりと揺れる。
人混みのざわめきが、いつの間にか心地よい音楽のように感じられた。
二人は別れるまでとりとめのない話で何度も肩を揺らした。
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――その頃、アシュレイの視線は露店の片隅に置かれた一本の剣に止まった。
埃をかぶり、刃は欠け、柄の革は裂け、鞘は錆びついている。
だが鍔に刻まれた紋章を見た瞬間、彼の目が鋭く細められた。
「……あのスレイの銘か」
王都でも名高い名匠の作。
鍛冶を学んでいた時は憧れた一人だ。
「おお、アシュレイさん。
娘連れで祭りとは珍しいじゃないか」
「まあな、その剣は売り物か?」
「いや、売り物にもならんほどガタが来てるからな」
「そうか」
いつものアシュレイなら気にせずに買い取っただろうが、一つ妙案が浮かんだ。
それは自分で考えても自分らしくない考えに驚いた。
――安全に娘たちも祭りを楽しめるまで溶け込んでるからな、礼くらいはしてやるか。
「少し借りて良いか」
「ああ、ガラクタだから好きにしたらいい」
「悪いな」
アシュレイは人目を避け、広場の隅で修復に取りかかる。
錬金術と携帯用の工具で十分だろう。
研ぎ石で刃を整え、欠けを削り直し、鍛接で強度を補強。
新しい革を柄に巻き、錆を落とし、刃紋を浮かび上がらせる。
祭りの音が鎮まるころ、そこには蘇った美しい剣があった。
「……さすが名匠の剣だ」
アシュレイは無心で手を動かしたことが、何故か気持ち良かった。
露店の親父は価値も分からずといった風だったが、綺麗になった剣を露店に並べられると嬉しそうだった。
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エミリアと別れ、ひとりになったアリスディールは、祭りの喧噪の中を歩いていた。
ふと、背後から落ち着いた声が届く。
「お嬢様、探しましたよ」
振り向くと、淡い灰色の瞳をしたメイド――リリィが、軽く息を整えながら立っていた。
「リリィ。ごめんなさい、少し寄り道をしていました」
「寄り道、ですか。あまりおひとりで歩かれると、何かと危険です」
「分かっています。ですが私にもお友達が――あ、あれは!?」
アリスディールの視線の先、屋台の片隅に一本の剣が置かれていた。
木刀や飾り物の中に混じっているのに、その剣だけは異質な輝きを放っている。
「……相当古い剣ですが、丁寧に研がれている」
リリィが目を細める。
「分かるんですか?」
「剣士たるもの振るうだけが剣術でないと知りなさい、リリィ」
「はっ」
「これは……本物です。
なぜこんなところに――握ってもいいですか?」
屋台の主に許可をもらい、アリスディールは剣を両手で持ち上げた。
刃はよく研がれ、重さのバランスが見事に整っている。
冷たい金属のはずなのに、手のひらには温もりが伝わってきた。
「お嬢様……まさか、こんな田舎の露店で買われるつもりですか?」
「王女が露店から買っちゃいけない理由なんてないわ」
その声音に、リリィは一瞬だけ驚き、すぐに小さく笑った。
「まったく姫様は……お城では隠してくださいよ」
リリィは代金を支払い、アリスディールは剣をしっかりと抱える。
祭りのざわめきの中、その剣だけが静かに、そして確かに存在を主張していた。
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夜になり、篝火が広場を照らす。
舞台では収穫の踊りが始まり、三人娘は笑いながら手を取り合って舞う。
リーンベルは微笑み、三人と一緒にステップを踏む。
アシュレイは離れた位置から、壊れかけの農園の柵をさりげなく直していた。
燃え上がり舞い散る火の粉を見つめ、アシュレイは小さく呟く。
「……来年もつれてくるか」
秋風が頬を撫で、祭りの賑わいは星空の下で続いていった。




