第五話 余命格差
魂の選別が行われない魂楽界は、現世よりも無秩序になりやすかった。
あるのは法律ではない。
神の使者が定めた“理”だけ。
しかし、その理は――弱者を守るものではなかった。
魂楽界における弱者。
それは余命力の少ない魂を指す。
この世界のほとんどの問題は、余命力で解決できる。
だからこそ、余命力の差はそのまま生きやすさの差になっていた。
「私はね……現世では病気だったみたいなの」
ホテルの廊下を歩きながら、紗彩が静かに話し始めた。
「気付いた時には、もう手遅れだった」
少し視線を落とす。
「アメリカで手術を受ける予定だったんだけど、その前に医者に言われたの。“こんな症状、見たことがない”って」
紗彩は苦笑する。
「もし早期発見が出来たとしても……」
小さく息を吐いた。
「あの当時の医療じゃ、きっとダメだったのよ」
「ママ……」
紗羅の声がかすかに震える。
紗彩は娘を安心させるように微笑んだ。
「私はね、この世界に来た時に悟ったの」
胸に手を当てる。
「私には余命がないって」
「……え?」
蒼は思わず声を漏らした。
「余命力を使わなければ、長生きできる」
紗彩は静かに続ける。
「そういうことなんだって」
「……!」
蒼は思わず紗羅を見た。
紗羅は余命力を使わない。
その理由を、蒼は聞いたことがなかった。
だが――
(もしかして……)
紗羅も同じ理由なのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
「前にいた魂楽界はね」
紗彩が遠くを見る。
「武器を持ち歩く魂が多かったの」
その言葉に、蒼はヴィクターを思い出した。
「でも私は……持つことが出来なかった」
紗彩の視線を、紗羅が追う。
「自分の余命力を削って作る武器」
紗彩は続けた。
「さらに使う時も、余命力を消費する」
「武器を使うのも……責任が生じる、か」
蒼はぽつりと呟く。
ヴィクターの姿が脳裏に浮かんだ。
全身を武器で固めた男。
あの姿は――
まるで全ての責任を背負っているようだった。
「護衛用の武器を持つだけで、私の余命は尽きかねない」
紗彩は静かに言う。
「でも周りの魂は、武器を持つことで自由を得ていた」
そして蒼の武器を見る。
「あなたも……責任を背負っているのね」
蒼は少し困ったように笑った。
「俺は、そんなんじゃないですよ」
肩をすくめる。
「出来ることをしてるだけです」
紗彩は小さく頷いた。
「そうね」
優しい笑顔を浮かべる。
「私も、出来ることを頑張るわ」
そう言って、また案内を続けた。
ホテルの施設をいくつも回り――
最後に、食事が出来る場所へ案内してくれた。
「ここなら、ゆっくり食事が出来るわ」
「ありがとう、ママ」
紗羅が言う。
「私は仕事に戻るわね」
紗彩は軽く手を振り、仕事へ戻っていった。
三人は席に座る。
しばらく無言の時間が流れた。
やがてミチルが元気よく言う。
「お腹すいた〜!」
その一言で、重かった空気が少しだけ和らいだ。
三人はそれぞれ料理を注文し――
静かな夜のホテルで、夕食を取るのだった。
――ハァ、ハァ、ハァ……!
「パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!」
乾いた銃声が鳴り響く。
「くそっ! 切りがねー!」
「そっちじゃねー!」
「パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!」
叫び声と銃声が入り混じる。
「あっ……あっ……あっ……」
「くそっ! こいつもかよっ!」
「パンッ」
「うわぁ――」
――そこで、夢は途切れた。
「……っ!」
ヴィクターは勢いよく目を開けた。
額には汗が滲んでいる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
荒い呼吸を整えながら、ベッドの上で起き上がった。
「また……あの時の夢か……」
五年前。
街が壊滅したあの日。
地獄のような現実の記憶は、今でも夢となって蘇る。
ヴィクターはこのホテルが出来てから、毎回ここに泊まっていた。
クロが指定した宿だからだ。
「ここに泊まると、毎回同じ夢を見るな……」
天井を見上げながら呟く。
(俺の街を守るために……)
拳が自然と握られる。
(この街を危険に晒しているかもしれない)
そんな思いが、胸の奥にある。
(しかし……)
ヴィクターはゆっくりと立ち上がった。
ベッドの横に並べていた武器を手に取る。
剣。
銃。
ランチャー。
全身に装備していく。
金属の重みが身体に馴染んだ。
「……行くか」
ヘリの調整を確認するため、部屋を出るのだった。
◇
一方――
紗彩は、この世界に来たばかりの頃のことを思い出していた。
余命力を使う仕事は、高額の報酬が得られる。
それはこの魂楽界では当たり前のことだった。
「私には……縁のない話ね……」
紗彩は小さく呟く。
当時、紗彩が住んでいたのは寂れた街の片隅。
仕事はレストランのウエイトレスだった。
同じ仕事でも、余命力を使える者は違う。
料理を運ぶ速度を上げたり、演出をしたり――
そういうサービスが出来る者には、チップが弾まれる。
だが紗彩は違った。
余命力を使えない。
だからチップも、ほんのわずかだった。
(……貰えるだけマシよね)
そう自分に言い聞かせていた。
仕事帰りの夜道。
人気の少ない通りを歩いていた時だった。
ドンッ!
「キャッ!」
誰かにぶつかり、紗彩は尻もちをついた。
その瞬間――
手に持っていた鞄が奪われた。
「あっ……!」
男は振り向きもせず走り去る。
紗彩は手を伸ばした。
だが――
取り戻すための余命力はない。
追いかける力もない。
ただ、その場に座り込むしかなかった。
「もう……イヤ……」
涙が溢れる。
「なんで……私だけ……」
紗彩は、その場で泣き崩れた。
◇
「……はぁ」
紗彩は小さく息を吐いた。
現在に意識が戻る。
「昨日、あんな話をしたからかな……」
紗羅たちに昔の話をした。
そのせいで、記憶が蘇ったのかもしれない。
「思い出しちゃったわね……」
それでも紗彩は、いつもの朝の準備を始める。
簡単な身支度。
朝の軽い食事。
そして――
今日は仕事が休みだった。
紗羅たちと会う約束がある。
鏡の前で髪を整えながら、ふっと微笑んだ。
「今日は……楽しい一日にしましょう」
そう呟きながら、紗羅に会う準備を進めるのだった。
蒼は朝から護衛の依頼に向かっていた。
ホテルの入口を出たところで、見覚えのある男と出会う。
「ヴィクター、おはよう」
「ん? おう」
ヴィクターが軽く手を上げた。
「これから仕事か?」
「あぁ」
ヴィクターの周りには、見慣れない魂が数人いた。
どうやら昨日ヘリで運ばれてきた外来魂らしい。
ヴィクターは、この魂楽界での生活について説明していたようだった。
「邪魔しちゃマズイな」
蒼が言うと、ヴィクターは首を振る。
「いや、ちょうど終わったところだ」
外来魂たちを見送りながら続ける。
「俺も城壁へ向かうところだ」
「そうか」
二人は並んで歩き出した。
城壁へと続く道。
その途中、蒼はふと先程の外来魂たちのことが気になった。
「さっきの連中……」
ヴィクターの横顔を見る。
「望んでこの魂楽界に来たのか?」
ヴィクターは少し考えるように空を見る。
「そうだな」
だがすぐに、苦い表情になった。
「昔はな、望めば誰でも来れたんだ」
「へぇ」
「だが……」
ヴィクターは鼻で笑う。
「希望者が殺到してな」
少しだけ声が低くなる。
「今じゃ金で優先権を買い取る魂ばかりだ」
「金か……」
蒼は呟いた。
「立場の弱い魂は淘汰される世界なんだ」
ヴィクターは前を見たまま言う。
「俺のいる魂楽界はな」
拳がわずかに握られていた。
◇
一方――
紗羅はホテルの中庭にいた。
ベンチに座り、ミチルと並んでいる。
そこへ紗彩が歩いてきた。
「おはよう、紗羅。ミチルちゃん」
「おはよう、ママ」
「おはよ〜、紗羅ママ〜」
今日は三人でホテルの外へ出る予定だった。
向かうのは商業地区。
「どこに行こうかしらね」
紗彩が楽しそうに言う。
「昨日、ミチルが行きたいって言ってたんだけど……」
紗羅が少し視線を逸らす。
「動物園!」
ミチルが元気よく手を挙げた。
「いいわね〜」
紗彩が笑顔になる。
「ミチルがどうしてもって言うから……」
紗羅は照れくさそうに言う。
何かとミチルを言い訳にしているが――
紗彩には、娘の気持ちがなんとなく分かっていた。
(かわいいわね……)
紗彩は内心で微笑む。
母親らしいことが出来る機会。
それが嬉しかった。
一方のミチルは、すでに動物のことで頭がいっぱいだった。
「カラス〜、シカ〜、キツネ〜、ネコ〜」
「その辺、普通に街にいるから」
紗羅が即座に言う。
三人は商業地区へ歩き――
やがて動物園の入口に着いた。
紗羅がポケットからチケットを三枚取り出す。
「はい」
「紗羅?」
紗彩が驚いた。
「私がお金出すわよ」
「経費よ、経費」
紗羅はあっさり言う。
調査の名目で落とすつもりらしい。
「ケーキ、ケーキ」
ミチルがよく分からないことを言っている。
「そうなの?」
紗彩は少し感心した。
「紗羅は頑張ってるのね〜」
だが次の瞬間、小さくため息をつく。
「はぁ……」
「どうしたの?」
「母親らしいこと、ひとつ取られた気がして……」
紗彩が肩を落とした。
紗羅は苦笑する。
そして動物園の中へ入る。
広い敷地。
子供たちの笑い声。
平和な空気が流れていた。
紗彩は空を見上げ、ふと呟く。
「こうやって楽しめる世界は……やっぱりいいわよね」
動物園の中は、多くの魂で賑わっていた。
家族で魂楽界へ来るケースは少ない。
それでも、気の合う仲間同士で訪れている魂は多く、年齢も性別もさまざまだった。
楽しそうな笑い声。
動物を指差してはしゃぐ声。
穏やかな時間が流れている。
一見すれば、この世界には格差などないようにも見える。
だが――
紗彩は知っている。
この世界にも確かに“差”は存在することを。
それでも。
隣で笑う娘の姿を見て、紗彩は静かに思った。
(それでも今は……)
こうして娘と同じ時間を過ごせている。
それだけで――
十分に幸せなのだと。




