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それとなくポンコツ

作者: すだち
掲載日:2026/02/25

売れない芸人のコンビ愛は深まるのか——。

いわくつき廃病院での肝試しを巡る、ある一夜(1998年)の

とてつもなくゆるい物語。



 沖縄出身でもないのに、どうやったらウチナータイムが、ここまで体に染み込むのだろう。

 いつもながら決まって遅れる。今日は30分、まだマシな方だ。戒めの為に僕が帰ろうと駅に足を向けた途端、待合場所の駅前ロータリーにクラクションが響き渡る。行き交う人達が振り返る中、相方の弓削がレンタカーでやって来た。ワゴン車のタウンエースだった。想像していたのとかなり違う。

 バイト続きの弓削と会うのは一ヵ月ぶりだ。Tシャツ、短パン、ビーサンという秋の到来を一切拒み続ける装いが眩しかった。何食わぬ顔でヨッと手を挙げるのを目の当たりにし、弓削の鋼の神経ぶりに今更ながら感心する。

「ギリ間に合えばいいかなと」 

「どこが」

「おっ、イラついてる。久しぶりだし」

「二人だけなのに、デカすぎるだろ」僕はシカトして車を眺めた。

「いいじゃん、旅気分でさ」

「意味分かんないよな」

 後部座席のドアをスライドさせて乗ろうとすると、弓削が異議を申し立ててきた。

「えっ⁈ 何で後ろなんだよ」

「いや、後部座席こんなに空いてるし」

「ホテルの送迎みたいで嫌だな、それは」

「いやいや、旅気分って」

「それとこれとは違う」

「じゃあ、最初から軽トラ借りとけよ」

 僕が渋々、助手席に移るのを見るなり、弓削が満面の笑みを浮かべて車を出した。

「顔がむかつく」

「レッツ豪徳寺!」

「だから軽トラ借りろよ」

 

 ガランとした奥まで見渡せる後部座席。静寂に包まれた空間。どこかで見た風景。そう、後部座席は自分達の小宇宙——そこらで漂ってはさまよい続ける——自分らの笑いが届かないライブそのもの。

「帰りも助手席だからね」

「軽トラにしとけよ」

 二人はコンビを組んでお笑いをやると奮起して以来、まともに売れていない。なんだかんだで7年目になる。結構、自信あるネタなのに客席の反応といったら、劇場で売っていた飲料に睡眠薬でも入っていたのではないかと、疑いたくなるほど静かだったり。その一方で、他組がやる『ありきたり、ぬるい、薄っぺらい』の三拍子がウケたり。同期ではテレビでしっかり仕事をもらってる奴もいたり。遂にはネタ合わせもいつしか「会議の為の会議」という悪い流れに陥り、笑いの神様は遠ざかっていた。自分が神様だったら席を蹴り倒すであろう。

 今回のドライブは、弓削が気分転換にと言い出したのだ。バイト仲間から「ガチで怖い廃病院がある」「暴走族が肝試しに行く」と聞き付けたらしい。普段から全くネタを作らない奴から「話のネタに」と振られるのが一番腹立つのだが、かと言って他にすることもないので仕方なく付き合うようにした。

「途中でさ、おねえちゃん拾ったりとかサプライズないの?」

「今夜も二人きりだぞ」と満足そうな弓削。

「ホラー映画だとさ大体、男女四人じゃん。こういう場合」

「そんじゃあ、道すがらに熟女拾うか?」

「そういう年代の話じゃなくて」

「タンクトップのおねちゃん二人用意したとするぞ。そしたらお前ら三人、後部座席で勝手に盛り上がってさ、クソだな」

「だったら軽トラにしろよ」

 駅から離れしばらくするとビル群を見かけなくなり、のどかな住宅地が広がり出す。本当にこの辺りに廃病院などあるのだろうか——車窓から流れる静かな夜景を眺めているうちに疑問が湧いたものだが、芸人生活の隔靴掻痒の思いがぶり返して綺麗にかき消された。


 弓削との出会いは、学生時代でのバイト先だった。仕事内容というと、百貨店子会社の管轄内で行われる小物やDMの自転車配送。歩合制だったので、ひたすら配るしかなかった。

 そんな中で、どんな日でも驚異的なスピードで届けるターミネーターみたいな奴がいる——そう噂されていたのが、弓削だった。

 ある日、弓削と同じルートになり一緒に行動することになる。噂通り、移動中の歩道では歩行者の間を全速力かいくぐり、こちらはヒヤヒヤしながら後を追う。

 一瞬の出来事だった。目の前で中年男性のサラリーマンが突然立ち止まり、弓削がすかさずハンドルを切ったものの、ドンという鈍い音がした。避け切れず、自転車後部にある横長の荷台に接触したのだ。振り返ると、ぶつかった勢いで中年男性は、フィギュアスケートのように360度舞っていた。氷上でもないのにスピンする姿に驚愕する。

「謝らくなくていいのかよ」必死に僕が追走すると「届けるのが先だろ!」と弓削は逆ギレし、全身全霊で駆け抜けた。逃げたいだけだろと思ったものだが、その後は飯も食わずに猛烈な勢いで配り続け、ノルマ以上の激配ぶりに「全部配り切ったのか」と、上司が呆気に取られていた。

 案の定、会社にクレームが入り、翌日には「代わりはいくらでもいる」と弓削はあっさりクビになった。どうやら以前にもやらかしたらしい。自転車の荷台に百貨店のロゴが入っていたので、程無くバレたのだろう。僕もその一件で上司から咎められたが、弓削が「野島は全く関与してない」と言い張り難を逃れた。

 その後、どちらが先に誘ったかは憶えていないが、二人で飲みに行くことになる。

 弓削とまともに話すのはこの時が初めてだったのだが、お笑いが好きという共通点が見つかるとすぐに打ち解けた。お気に入りは太平サブロー・シローだと一致し、何と言ってもコンビどちら側からでも攻め込んでくる「ものまね漫才」の醍醐味に話が盛り上がる。

 弓削は幼い頃から笑いを心の拠り所にし、ハチャメチャなテレビの世界に憧れてはいたものの、これといったきっかけも無く、一歩踏み切れずにいた。僕は既に芸人の道を歩み始めてはいたが、当時の相方が何も言わず地元に帰ったきり戻る気配は無く、宙ぶらりんの状態だった。そこで酔った勢いもあったのか、飲み屋のオヤジさんに「看板です」と催促された際に——お互い馬が合うなと感じ取り——じゃあ二人でお笑いやろうぜとなったのが、コンビ結成の経緯だ。

 それからしばらく経って、二人とも全くものまねが出来ないことに気付いた。

 僕は弓削の話しぶりから、それなりに引き出しがあるのだろうと思い込む。弓削は弓削で僕が芸人目指しているのだから、そこそこレパートリーはあるのだろうと決め込む。

 こっちは「えっ?」と、なんとか言葉を発し、向こうは「ええっ」と、あっさり言葉を失う。

 そんなこんなで出だしから『アルバート』は残念なスタートとなった。

 コンビ名は、よく訊かれるのだが特に思い入れがあるわけではない。案を色々出し合ったものの決まらず、段々トーンが下がってきて、出会いのきっかけとなった「アルバイト」を単にもじっただけの、何のひねりも無いものに、いつの間にか落ち着いていた。今でも「自分が決めたわけではない」と互いに予防線を張り、火の粉を被らないように努めている。

「売れたらな、そういう話。『徹子の部屋』で」

 元カノの、やさぐれた一言が懐かしい。


 弓削ときたら、ここ最近、居酒屋チェーン店でバイトリーダー的な存在に成り上がっていると聞く。ピーク時でもホールの注文、配膳、片付けを一気にこなす姿が尋常でないらしく、本業そっちのけで、舞台がターミネーター2へと移っている状況に目を疑う。

「お客様の要望にしっかり応え、笑顔をお届けする」と、もっともらしく聞こえはするが、まかないが目当てなのは疑う余地がない。

「料理ってさ、何もかも、きっちりきっちりしてなくても、おいしくて心がこもっていれば、それでいいよね」

 オフの日にも足しげく食いに来てる奴が、どの面下げて言うのだろう。

 それだけではない。いつからか他店にヘルプに入るだけでなく、各店舗の女の子に手を出しては「忙しい、忙しい」が口癖になっていた。そうやって嬉々としている様子に、僕がイラついて足蹴りを食らわしたこともあったが、それに対し弓削は、ただ静かに吐き捨てるように言い切った。

「なるようにしか、ならんだろ」

 そう、なるようになる。そうあって欲しい、ここまできたら。しかし僕自身は三十歳に近付くにつれ、あせりが募りだし、世間とどう向き合っていいのか考えるようになっていた。そのせいか弓削ともギクシャクしだしている。

 こうやって思い返すと、高校の頃にラジオの深夜番組にハガキを投稿したら、難なく採用されただけでなく、思いの外ウケたのが勘違いの始まりとも言える。クラスのリスナー仲間に「あれさ、僕なんだよ」と、さり気なく自慢したらいつの間にか「スゲー!」と学年中に広がっていた。何の取り柄もない自分にとっては、それまで味わったことのない高揚感だった。

 忙しく振る舞う弓削と違いこちらときたら、バイト先の写真屋で現像された35㎜フィルムが、次から次へと柳のようにフィルム専用ラックへと掛けられ、いつまで経ってもプリント作業が終わらない、お渡し時間に間に合わないというループ状態の夢に追われる。時にはネガフィルムを現像機に流すところを、うっかりポジフィルムを流してしまい、真っ青になる夢で目覚めが悪いこともある。

 自分は、あの夢のように選択を誤ったのか。未来の自分は、今の自分にどんな言葉を投げかけるのか。無邪気でいられたコンビ結成当時に比べると、いわば三軍にとどまる現状に、困惑がじわじわと広がり、芸人としての立ち位置を失いかけている。ある日、そんな思いの丈を弓削にぶつけてみると「立ち位置なら俺の右だよな、いつも」と、すんなり返してきたっけ。

 そうじゃないんだってば、弓削くん。


 車内では、日本シリーズでの横浜ベイスターズ優勝で盛り上がるラジオ番組をさっさと飛ばして、カーオーディオのCⅮからオリジナル・ラブ/『プライマル』が流れ続けている。弓削にしてみればコンビ愛を伝えたいのかもしれない。が、明らかにベクトルが誤った方向に解き放たれていたのは明白だった。

 そんな弓削はサビを熱唱しながら、とろい前方の車に急接近してパッシングしまくる。

「廃病院よりお前の方が怖いよ。事故ってガチの病院に運ばれるぞ」

「美人ナースにお世話になるか」

「なるな」

「タンクトップの」

「いるかよ」

「あっ、あそこだ。バカナビによると」

 キーが全く合っていない歌を聴かされ続けることに限界を感じていたので、軽い解放感に浸る。目の前の道路沿いには、敷地が思ったよりも広範囲に及んでいた。中を進むと奥の方に新築らしきビルがそびえ立つ。病院なのか寮なのか、室内は真っ暗で人気は全くない。

 当初の予定では日没前に現地に到着する予定だった。行き当たりばったりなので、明るいうちに場所を把握したかったからだ。インターネットの普及率はまだ低く(夏に販売されたWindows 98やiMacはお祭り騒ぎだったが)、人伝てというのもあり信憑性に疑いがあった。

 しかし言い出しっぺの弓削が遅刻したのと、タウンエースのサンルーフを開ける、開けないで、ひと悶着して出発が更に遅れた為、着いた頃には辺りはすっかり陽が落ちていた。

「おかしいな、住所は合ってるんだけどな」

「ただの噂話だったんじゃないの」僕は内心、ホッとしていた。

 弓削が納得せず新築建物を通り抜け裏側へと車を回すと、そこには一見して何の変哲もない駐車場が広がっていた。

「やっぱ無いよ」僕はそう願った。

「取り壊されたか……残念だな。いわくつきの肝試しスポットって聞いたのに」

 ところが駐車場を更に進むと、先には周辺からの灯りを一切拒むような真っ暗な空間が大きく口を開けていた。

 嫌な予感がした——

 弓削がゆっくりと車を傍まで近付け停車。意を決して前方にハイビームを照らし出すと、うっそうとした木々が浮かび上がり、ライトが届かない奥は闇に浸食されている。

「うわっ、マジか」弓削が引いた。

「これかよ」

 そう言ったきり、僕はシートに深く沈み、弓削はハンドルに前屈みになって黙り込んだ。想像していた以上のものが、目の前に横たわっている。新築建物の裏側には解体されることなく、廃病院が闇の中にまだ眠っていたのだ。

 景気づけに己の脳内で、今年メジャーデビューを果たした、ゆらゆら帝国の『Evil Car』をかき鳴らしてみたが——

「帰ろうか」開口一番そう漏らしていた。

「帰らんよ。せっかく、ここまで来たんだから」

 融通が利かないな。弓削は一度言い出したら引かないタイプだ。仕方がない。僕はテンションだだ下がりの状態で、懐中電灯を取り出した。弓削のは、やたらバカでかい代物だった。

「素人はこれだから困るんだよ」

「レスキューか」

 裏側の敷地は、木々が荒れ放題の森にいるようだった。地面は舗装されておらず、落ち葉で覆われていた。完全に外部から閉ざされた異界。右奥には大きな廃病院があるのが分かった。見る限り三階建てで、窓や戸にベニヤの板が打ち付けられている。

「どっから入るんだ?」弓削が無邪気に巨大懐中電灯で、スポットライトを当てるように廃墟を照らし出していた。

「いいねぇ、雰囲気あって。これよ、これ」

「やめろよ、そういうの。怖いから」

 以前にも何回か廃墟巡りはしたが、全て日中だった。どれもお気楽な探検気分だったことに比べると、今回は王道を行く肝試しだ。情けない、さっきからため息しか出ていない。

 地階らしきものなのか、戸は閉まり窓も完全に塞がれていて、どこからも入れそうではなかった。敷地を少し奥に行くと土手のようなものがあり、段差で一階部分に連なっているようだった。二人で急な土手を上り切ると、封鎖されていない唯一の戸口が目に飛び込んできた。

「これだ。肝試しに来た連中は皆、こっから入ってんだろ」

「ヤバすぎるし」言った瞬間、僕は思わず唾を飲み込んだ。

 敷地内の暗がりに愕然としていたが、更に深くて重い暗闇が目の前に待ち構えているのだ。弓削に引っ張られるようにして、土手部分から戸口へと飛び移ると、どことなくカビ臭く、ひんやりした室内に遭遇した。

 廊下を抜けると病室が並んでいた。野郎二人で身を寄せ合いながら、おっかなびっくりで各部屋を覗いてみたが、何も無かった。そのうち暗闇にも目が慣れ、いつしか二人は別れて探索するようになった。とある部屋では黄ばんだ古新聞が、なぜか無造作に段ボールに積まれていた。よく見ると廃刊になった「平凡パンチ」が混じっており、お宝発見かと浮足立ったものだが、思ったほどではなかった。。

「凄いのがあるぞ」

 もっとエロいのがあるのかと弓削の声がする方に行くと、まさに昭和の代物——蛇腹式扉のエレベーターがあった。これを見る限り相当に古い病院らしい。二台のうち片方は、蛇腹式の扉がぎこちなくスライドして動く。開けて、閉めて、開けて——弓削の素振りからエレベーターガールのボケでもするのかなと心待ちにしていたが、何も起こらなかった。

 エレベーター横の階段で上階へと行ったものの、構造は同じ造りで代わり映えはしない。しかし、ある部屋だけは違った。

「何でここだけ片付いてないんだ」僕は訊かずにはいられなかった。

 朽ち果てたベッドが一台、薬品類が入っていたと思われる戸棚が壁際に無造作に置かれたままだった。そして錆びついたステンレスの医療用ワゴン。ステンレスは錆びにくいのであって、絶対に錆びない代物ではない。にしてもここまで錆びに覆われ、表面に穴が空くほど浸食するものなのか。

 横では棒立ちの弓削が、ざらついた表面に釘付けになっている。

「何か文字が浮き上がっているように見えないか」

「気味悪いな」僕はそう返すのが精一杯だった。

 というのも、さっきから微かにだが、音がするような気がしてならないからだ。この室内だけ、時折くぐもった声のようなものが——暗闇に三人目がいるのではないか。こちらを見極めているようだ。恐る恐る弓削に確認してみる。

「気のせいだと……違うのか」弓削は動揺を隠せずにいた。当然のごとく医療用ワゴンをネタに看護師のボケをする余裕など全く無い。

 落ち着かず部屋を後にし、逃げるように階段を昇ると屋上に出る。これ程の解放感を得たのは初めてだった。弓削を見ると、もうタバコを口にしている。心なしか背中が小刻みに揺れているようだ。タバコをやめた自分も、この時ばかりは一服せざるを得なかった。

 気分を落ち着かせる中で、幼少期に抱いた恐怖感が鮮明に蘇ってきた。

 近所の神社で夏祭りがあり、広々とした境内の階段を降りていくと、夜道を彩る露店が両脇に立ち並ぶ。雰囲気は和やかであっても、なかなか通り抜けないほどの来訪者でごった返していた。その参道すぐ横に入ると公園があり、それは突然現れる。

 名物のお化け屋敷が、そびえ立つ大きな木々の下に鎮座していたのだ。小屋の看板の絵はおどろおどろしく、あまりにも舞台が整いすぎて前を通るのも嫌だったのに、親ときたら冗談半分で僕を連れて行こうとして、大泣きした憶えがある。

 大人になってからは、ホラー映画で徐々に免疫が出来たのか、作り物というイメージが強まり、化け物役のアルバイトの皆さんお疲れ様とか、手の込んだセットだなとか、そういうところに目が行くようになっていた。なので、幼少期に味わった、あのどっしりした恐怖感はだいぶ薄らいだものだが、ここはさっきから違和感しか残らない。作り物でないリアルの、ただならぬ気配——決して向こう側を覗き込んではいけない、誘いに乗ってはいけない——が漂い続け、喉が締め付けられる思いだ。

 終始、無言のまま弓削と屋上から階段を降りてくると、廊下の反対側に面している部屋で、一瞬だけだが動く黒い影が視界に映り込む。

 全てがスローモーションに見えた。僕は咄嗟に、前を行く弓削の肩を掴もうとして空を切る。気付かぬ弓削は、そのまま階段を降りて行く。止めようとする僕を尻目に、通路右へ曲がろうとして——

 急に通常速度に戻ったかのように、「ウオーっ!」と弓削が絶叫を上げ、こっちに崩れ落ちた。あおりを食って僕も地面に倒れ込む。

 何かがいる。得体の知れない何かが——

「軽トラか」パニクった弓削が力なく言った。

「何でだよ」

 目の前には男が立ちはだかっていた。よく見ると向こうも驚きのあまり心底怯えていた。対面の部屋からは二人の男が出てきて「カームダウン」「イージー」とか、多分そう言って僕らに手を差し出した。「オーケー?」という気遣いに、二人とも言葉がうまく出てこず——英語、喋れないな。日本語は通じるのか、という以前に——機械的にうなづくしかない。

 懐中電灯に照らし出される弓削の顔は、見るからに死んでいた。ブサイクに拍車が掛かっているせいか、彼らが明らかに困惑の色を浮かべていたのが切なすぎる。

 僕らがそのまま呆然としていると、外国人三人組はよろよろ階段を昇っていった。たぶん緊張が解けたのだろう。屋上辺りでヒステリックな笑い声がこだました。

「思うに外国人が喋った反響音じゃね? さっき病室で耳にしたの……てっいうか、いつまで抱きついてんだよ」

「なんだかなぁ……これから、どうする?」

「地下は? まだ行ってないだろ」僕は訊いてみた。

「えっ⁈ あっ、そうだな」

「そこは『レッツ豪徳寺』だろ」

「うるさいよ」

 弓削は完全に戦意喪失状態だった。


 地階は一転して医務室のようなものが連なっていた。どこも空っぽだった。廊下を真っすぐ進み、突き当りの部屋に近付くと、思わず顔を背けたくなるほどにツンと鼻を衝く臭いがする。

「あった」二人は顔を見合わせた。

 部屋に入ると三段の木製戸棚が室内の奥まで何列も立ち並んでいた。戸棚には青い無数のバケツが保管されている。

「都市伝説じゃなかったな」

 噂通りのホルマリン漬けがそこにあった。この廃病院が『いわくつきの肝試しスポット』として語り継がれる由縁だ。

「手首や赤ん坊もあるらしい」弓削がしたり顔で続ける。

「怖っ。マジかよ」

 バケツには木札が付いており、日付や臓器の種類が書かれていたようだが、木札は朽ちマジックで記された文字もかすれて読めない状態だった。仕方なく一つ一つ、バケツの蓋を開けていく羽目になる。

「さあ、どちらが先に見つけるでしょうか」弓削が言った。

「臭っ!」

 蓋を開けると、ホルマリンの強い異臭でひっくり返りそうだった。室内の臭いに慣れてきたはずが、それをはるかに上回る状況に思わず鼻をつまむ。

「先に見つけたら、帰りは後部座席。サンルーフを開けて」

「サンルーフを閉めた上で運転席です」弓削の調子が戻ってきたようだ。

「それから『プライマル』は厳禁な。別に似てなくていいんだけどさ、あれは無いわ」

「どこらへんが?」

「全てが」

「あんだけ熱唱したのに——」

「田島貴男に、まず謝れ」

「ジャイアン扱いか」

「直接、謝ってから歌え」

 こうやって会話が噛み合わない状態でやるのもどうかと思うが、とにかくバケツを次々と確認していった。中身が空なのがほとんどで、たまに臓器らしきものが幾らか入っていたものの、医学生でもないので、どこの部位かも分からない。どれも黒ずんだ塊で同じように見える。もっと想像を絶する、驚くべきものが飛び出してくるのか——?

 が、ここにきて元来の飽きっぽさが顔を覗かせてしまった。明らかに蓋を開けるスピードが落ちてきている。情けないが、いつもこんな感じだ。中途半端、貫徹できない、放り投げる。ふと弓削と目が合う。「これだから売れないんだよ」口に出さずとも長年コンビを組んできた間柄、お互い心の内は分かるものだ。「こんなんで話のネタになるのか」弓削の固まった顔には、そうも書いてあった。だからさ、お前が言うなよ。

「この肝試しでコンビニ愛は深まったか」弓削が振ってきた。

「コンビ愛な。どうだろう」

「こんな時に何なんだけどさ」

「急にどうした」

「最近、なんか答え合わせをしようとしてないか」

「んっ⁈」 

「答え合わせだよ。芸人目指しておいて」

 いきなりの剛速球にたじろいだ。

「この前、芸人の立ち位置うんぬんって言ってたな」

「聞き流してたと思ってた」

「答えが無いものを探し求めるのが、俺ら芸人じゃないのかな」

 そうだった、弓削くん。

「笑いを届けるって、そういうことだろ」

 学生の時からお前なりに〝届ける〟を優先してたよな。

 弓削のポンコツぶりばかりに目が向いていたが、結局はそれをいいことに、全てを相方のせいにして逃げていただけだろ。良くも悪くもブレないこいつが相方だと何とかなるか、なんだかそう思えてきた。

「こんな自分と、コンビ組んでくれてありがとう」

「えっ、まさかの解散?」弓削の目が泳いでいる。

「いや、それ以前に……ちゃんとやってないよな、必死こいて。やったつもりでいるだけで。もっとできるはずなんだよ」

 この一ヵ月はどちらが言うわけでもなく、距離を取るようになってはいた。そうであっても、今夜ばかりは思わぬ息抜きができ、久しぶりに呼び起こされたものがあった。そう、コンビとしての、この二人だけの感覚。

「自分達の持ち味を活かしきれてないくせにさ、周囲に当たり散らし……くすぶり続けるなんて、どう考えてもダサすぎる」

「まぁ、イキってたしな、俺ら……でも、マジで焦ったわ、このまま解散かと」

「いや、これから自分達は、印象に残る笑いを見せつける」

「届ける」

「あぁ、はいはい。印象に残る笑いを届ける」

「そこ大事だから」

「そこか? どっちでもいいし……まぁ、そこまでこだわるからには、お前も心入れ替えて、ネタ書くよな」

「あー、目が痛くなってきた。痛くない?」

「ホルマリンの刺激臭な、って、おい! やらねえのかよ!」

「無理。無理だから、そういうの」弓削が、かぶせ気味に言ってのける。

「ビックリだわ。だったら、スタッフとか芸人仲間のネットワークを今以上に広げて、仕事に繋げるとか。そういうの得意だろ、今までのバイトの経験も活かせるし」

「あのさ、バイトやめようかと思ってて」

「はあぁ?」

「今のままだと、お笑いに集中できないよな。これでも考えてるから」

「なんだよ。そんなこと知らないからさ、こっちは——」

「なんだけど、周りがやめないでくれ、やめないでくれって言うもんだから。ほら、こう見えても人望厚いからね、どうしたもんかなぁと」

 弓削のどうでもいい話は全く頭に入ってこないが、あるイメージだけが鮮烈に開けてきた。

 ——光を寄せ付けない、海深くに沈殿していた二人。ゆっくり、ゆっくり浮上していく。日差しを浴び、まばゆく透き通った海面が、ようやく頭上に姿を現す。ちぎれんばかりに僕らは手を伸ばして——

「そっか、そっかぁあ」無遠慮な弓削の声に、秒でイメージが吹き飛んだ。

「遂にアルバート復活の狼煙か、いいねぇ。それもこれも『プライマル』効果」

「それは無い」

「じゃあ、帰りは肩組んで熱唱して——」

「それも無い」

 弓削がしょっぱい顔で、胡散臭そうにこちらを見るので、僕は気まずさから話をそらした。

「これ、相当な数あるよな」

 見渡す限りのバケツの山。これ全部チェックするのは流石にしんどい。

「そうだな」弓削がぶっきら棒に答える。

「こういう場合、バケツを前にして、バケツリレーとは言わないのか」

 こちらの素朴な疑問に対し、弓削は無表情で突っ立ったままだ。ここでもバケツを餌にして釣り人のボケを披露するといった気配は微塵も無く、何も期待できなかった。

 最初のうちは興味津々だったが、好奇心はとうに消え、もはやただひたすら蓋を開けるという「単純作業」へと成り果てている事態に、弓削も薄々気付いているようだ。

 そんな様子にたまりかねて、僕は思わずつぶやいた。

「飽きた」

「飽きたな」

「帰ろうか」

「帰ろう」

 かくして貞子やゾンビ、サイコキラーのいない殺風景な夜は、あっけなく終わりを告げた。






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