偽聖女の妹に追放されましたが、私の力で国が保っていたので、もう手遅れですよ?
「エリアナ、あなたは国外追放です」
王太子アルフレッドの冷たい声が、華やかな謁見の間に響き渡った。
私の隣で、妹のリディアが涙を流している。透き通るような金髪が陽光に照らされて、まるで天使のようだ。廷臣たちが同情の視線を彼女に向けている。
「お姉様が私を妬んで、聖女の力を奪おうとしたなんて……」
リディアの震える声。
(私が? リディアを妬む?)
笑ってしまいそうになるのを、必死でこらえた。
「エリアナ・ハーヴェスト侯爵令嬢。あなたは妹君の聖女の力を妨害し、国に害をなそうとした」
アルフレッドが淡々と告げる。
私と彼は婚約者のはずだった。だが、彼の視線は一度も私を見ていない。見ているのはリディアだけ。ずっと、そうだった。
「明日の朝までに、この国を出て行きなさい。二度と戻ってくるな」
「……分かりました」
私は静かに頭を下げた。
父も母も、何も言わない。ただ、リディアを抱きしめて慰めている。
(ああ、やっと終わるんだわ)
胸の奥で、何かがすっと軽くなった。
(この息苦しい生活が)
(誰も私を見てくれない日々が)
(もう、いいや)
謁見の間を出る私の背中に、誰も声をかけなかった。
いつも通り。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
部屋に戻ると、荷物をまとめ始めた。
といっても、持っていくものなどほとんどない。この部屋自体、使用人部屋より少し大きいだけの狭い空間だ。
窓から見える中庭では、リディアが貴族の子女たちに囲まれて笑っている。
「リディア様、お可哀想に」
「お姉様があんな方だったなんて」
「でも、これで安心ですわ。聖女様をお守りできます」
(私が、妹を妬む?)
ベッドに座り、思い返す。
五歳の時、リディアが生まれた。
その日を境に、両親の態度が一変した。
「リディアは神に祝福された子なのよ」
母が微笑みながら、金髪の赤ん坊を抱きしめていた。
「お前とは違う。特別な子なの」
(私は、特別じゃない)
その言葉の意味を、五歳の私は理解できなかった。
でも、分かったのは「私は愛されない」ということだけ。
十二歳の時、リディアが初めて魔法を使った。
小さな光の玉を作っただけだったのに、両親は大喜びした。
「さすが聖女の力!」
「リディアは本当に特別な子だわ!」
(私も、同じくらいの歳で光の魔法を使えたのに)
誰も覚えていない。
いや、最初から見ていなかった。
十五歳の社交界デビューの時。
リディアのドレスは、最高級のシルクで仕立てられた真っ白な美しいドレス。宝石がふんだんに散りばめられていた。
私のドレスは、三年前の流行遅れのデザイン。しかも、元はリディアのために作られたものの「色が合わない」という理由で私に回ってきたもの。
「エリアナは地味だから、これで十分でしょう」
母はそう言って、私を見ようともしなかった。
(地味)
(華がない)
(リディアの引き立て役)
社交界で、何度も聞いた言葉。
そして二年前、王太子アルフレッドとの婚約が決まった。
政略結婚だった。ハーヴェスト侯爵家と王家の繋がりを強めるため。
アルフレッドは一度も私に優しい言葉をかけなかった。
「君は地味だな」
それが、彼が私に言った最初の言葉。
そして、リディアが社交界にデビューした瞬間、彼の目は彼女に釘付けになった。
「リディアは美しい。君とは大違いだ」
(ええ、知ってますよ)
もう、何も感じなかった。
慣れていた。
そんな日々の中で、私には一つだけ居場所があった。
裏庭の小さな花壇。
誰も来ない、静かな場所。
そこで花を育てることだけが、私の楽しみだった。
「綺麗に咲いてくれたわね」
青い小さな花に水をやりながら、微笑む。
(ここだけは、私の場所)
不思議なことに、私が育てる花はどんな種類でも美しく咲いた。
でも、それも誰も気にしなかった。
「花を育てるくらい、誰でもできるでしょう」
母の言葉。
(そうね、誰でもできるわよね)
荷物をまとめ終えた。
本当に、少ない。
服は数着。多少のお金。そして、裏庭から摘んできた小さな花の種。
(これで、全部)
二十二年間生きてきて、これだけ。
でも、不思議と悲しくなかった。
(むしろ、せいせいする)
部屋を出る前に、一度だけ振り返った。
狭い部屋。色褪せた家具。小さな窓。
(さようなら)
私は、扉を閉めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、誰も見送りには来なかった。
使用人さえも。
一人で門を出て、国境に向かう道を歩く。
わずかな荷物を抱えて、一歩ずつ。
(重くない)
むしろ、足取りは軽かった。
「あの……エリアナ様?」
振り返ると、侍女の一人が息を切らして走ってきた。
「これ、お持ちください」
差し出されたのは、小さなパンと水筒。
「ありがとう」
「……お元気で」
彼女はそれだけ言って、走り去った。
(優しい人もいたんだわ)
少しだけ、温かい気持ちになった。
国境までは丸一日かかる。
途中、何度か休憩を取りながら歩き続けた。
陽が傾き始める頃、ようやく関所が見えてきた。
(やっと、着いた)
でも、長時間歩き続けた疲労が一気に襲ってきた。
視界が揺れる。
足がもつれて——
「危ない!」
倒れそうになった私を、誰かが支えた。
「大丈夫ですか?」
見上げると、黒髪の美しい男性が心配そうに見つめていた。
深い青い瞳。整った顔立ち。高貴な雰囲気。
「あ、ありがとうございます」
「無理をされていますね。少し休まれた方が」
彼は私を近くのベンチに座らせてくれた。
「水をどうぞ」
「すみません……」
差し出された水筒から水を飲む。
喉が潤って、少し気分が良くなった。
「あなたは……」
「ルシアン・ヴァルトハイムと申します。隣国エルドリア帝国から視察に来ておりました」
(エルドリア帝国……?)
聞いたことがある。この国の隣にある、強大な国。
「そして、あなたは聖女ですね」
「え?」
思わず、彼を見つめた。
「何を……」
「この光が見えます」
ルシアンが私の周りを指差した。
「純粋な癒しの力。間違いありません。あなたは聖女です」
(私が、聖女?)
胸が高鳴る。
「でも、私は……聖女なんかじゃ」
「いいえ。間違いありません」
ルシアンの声は確信に満ちていた。
「あなたの周りに、淡い光が見えます。これは聖女の証。しかも、非常に強い力です」
(力……?)
「私には、そんな力は——」
「ありますよ。ただ、自覚がないだけです」
彼は優しく微笑んだ。
「あなたは、無意識のうちにその力を使っているのでしょう。周囲を癒すために」
(無意識に?)
そういえば。
私が育てた花は、どんな種類でも美しく咲いた。
私がいる場所では、人々が病気になりにくかった。
(それって……)
「もしかして、あなたはこの国から追放されたのでは?」
ルシアンが静かに尋ねた。
「……なぜ、分かるんですか?」
「一人で国境を越えようとしている。荷物も少ない。そして、何より——」
彼の瞳が優しく細められた。
「あなたの目は、長い間苦しんできた人の目をしています」
(この人は……私を見てくれている)
生まれて初めて。
誰かが、本当に「私」を見てくれている。
「もしよろしければ」
ルシアンが手を差し伸べた。
「私の国へ来ませんか? あなたの力を、正しく評価してくれる場所があります」
「……本当に?」
「ええ。私が保証します」
(行こう)
迷いはなかった。
「お願いします。連れて行ってください」
私は、彼の手を取った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エルドリア帝国の都は、想像以上に美しかった。
白い石造りの建物が立ち並び、街路樹が整然と植えられている。
人々の表情は明るく、活気に満ちていた。
「ここが帝都です」
ルシアンが馬車の窓から外を指差す。
「美しい街ですね」
「ええ。我が国の誇りです」
馬車は宮殿に到着した。
壮麗な建物。美しい庭園。
「ルシアン公爵、お帰りなさいませ」
侍女たちが一斉に頭を下げる。
(公爵……?)
「驚きましたか? 私はこの国の宰相も務めております」
「そんな方が、どうして私なんかを」
「『なんか』ではありません」
ルシアンが真剣な表情で私を見つめた。
「あなたは、かけがえのない存在です。そのことを、これから証明してみせます」
謁見の間に通された。
玉座に座っているのは、威厳のある中年の男性。
「陛下、ハーヴェスト王国より、真の聖女をお連れいたしました」
ルシアンが跪く。
(真の、聖女?)
皇帝が立ち上がり、私の前に歩いてきた。
「これは……」
彼の目が驚きに見開かれる。
「なんと強大な癒しの力。ルシアン、よくぞ連れてきてくれた」
「光栄です」
皇帝が私に向き直った。
「我が国に、真の聖女をお迎えできることを光栄に思う」
「え……」
「エリアナ・ハーヴェスト。あなたを、我が国の聖女として迎え入れたい」
(私を、聖女として?)
涙が溢れそうになるのをこらえた。
「陛下のお言葉、ありがたく受けさせていただきます」
その後、宮殿の美しい部屋に案内された。
広々とした空間。大きな窓。柔らかいベッド。
「ここが、エリアナ様のお部屋です」
侍女が微笑みながら案内してくれる。
「こんなに広い部屋……」
「当然です。あなたは聖女様ですから」
(私の、部屋)
生まれて初めて、本当に「自分の部屋」を持った。
ベッドに座ると、ふわりと沈む。
(柔らかい……)
そして、気づいた。
窓から見える景色。美しい庭園。青い空。
(私、笑ってる)
鏡に映った自分の顔は、微笑んでいた。
こんな表情をするなんて、何年ぶりだろう。
翌日から、私は聖女としての仕事を始めた。
病に苦しむ人々を癒す。
傷ついた兵士たちの傷を治す。
「ありがとうございます、聖女様!」
「痛みが消えました!」
人々の感謝の言葉。
嬉しそうな笑顔。
(この力、人を救うために使えるんだ)
初めて、自分の価値を実感できた。
「素晴らしいですね」
ルシアンが隣で微笑んでいた。
「あなたの力は、本物です」
「でも、私は今まで何も……」
「いいえ。あなたはずっと、周囲を癒し続けていた。ただ、誰もそれに気づかなかっただけです」
(そうなの?)
「あなたがいた国では、疫病が少なかったはずです。魔物の襲撃も減っていたはず」
「……そういえば」
思い当たることがあった。
私がいた頃、確かに国は平和だった。
「それは全て、あなたの力のおかげです。無意識に、国全体を癒しの結界で包んでいたのでしょう」
(私が?)
「ええ。そして、あなたが去った今——」
ルシアンが資料を広げた。
「ハーヴェスト王国で、疫病が蔓延し始めています。魔物の襲撃も激化している」
「それは……」
「あなたの力を失ったからです」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帝国での生活は、幸せだった。
毎日、人々を癒す。
侍女たちは親身に世話をしてくれる。
「エリアナ様は優しい方ですね」
「いつも笑顔で素敵です」
(私、笑えるようになったんだ)
鏡を見るたび、そう思う。
そして、ルシアンとの時間も増えていった。
「今日も一日、お疲れ様でした」
夕暮れ時、彼が庭園を散歩に誘ってくれる。
「ルシアン様も、お疲れ様です」
「ルシアン様、ではなくルシアンと呼んでください」
「でも……」
「あなたは、私にとって特別な存在です。堅苦しい呼び方は必要ありません」
(特別……)
胸が温かくなる。
「それに」
ルシアンが立ち止まり、私を見つめた。
「あなたは、笑う方が美しい」
「え……?」
「あの国では、一度も笑ったことがないでしょう」
(バレてた)
「ここでは、笑っていてください。ずっと」
彼の瞳が優しい。
「……はい」
私は、微笑んだ。
そんなある日。
ハーヴェスト王国から使者が到着した。
「エリアナ様にお会いしたいと」
侍女が困惑した表情で告げる。
「……誰が来たんですか?」
「王太子殿下と、ハーヴェスト侯爵ご夫妻、そしてリディア様です」
(来たんだ)
驚きはなかった。
「会いますか?」
「……会います」
謁見の間で、彼らを待った。
ルシアンが隣に立っている。
「無理はしないでください」
「大丈夫です」
扉が開き、見慣れた顔ぶれが入ってきた。
アルフレッド。父。母。そして、リディア。
リディアは、明らかに憔悴していた。
「エリアナ……」
父が一歩前に出る。
「戻ってきてくれ。国が、お前を必要としている」
(今更?)
「疫病が蔓延している。魔物も襲ってくる。リディアでは、国を守りきれないんだ」
「そうね、母さま」
母も懇願するような目で見てくる。
「あなたが本当の聖女だったなんて、知らなかったの」
(知らなかった?)
笑いそうになった。
「お願いだ、エリアナ」
アルフレッドが膝をついた。
「君が必要なんだ。戻ってきてくれ」
「お姉様……」
リディアが泣きながら手を伸ばす。
「ごめんなさい。私が間違っていたの。だから——」
「いいえ」
私は静かに首を振った。
「戻りません」
「エリアナ!」
「私は、もうあの国の人間ではありません」
ルシアンが私の肩に手を置いた。
「彼女は、我が国の聖女です。そして——」
彼が一歩前に出る。
「私の婚約者でもあります」
「な……!」
アルフレッドの顔が蒼白になった。
「婚約者、だと?」
「ええ。先日、正式に婚約いたしました」
ルシアンが微笑む。
「エリアナ。私の妻になってください」
昨日、彼は私にそう言ってくれた。
「あなたが聖女だからではありません」
「あなたが、あなただから欲しいのです」
(あなただから)
初めて、「私自身」を愛してもらえた。
戸惑いながらも、私は頷いた。
「はい。喜んで」
「お前たちは、彼女を追放したのでしょう?」
ルシアンの声が冷たくなる。
「それなのに、今更戻れと? 虫が良すぎませんか」
「しかし、国が——」
「あなた方が選んだ道です」
私も言葉を続けた。
「リディアを選び、私を捨てた。それだけのことです」
「だが、国民が苦しんでいる!」
「それは、お気の毒ですね」
私は淡々と答えた。
「でも、私にはもう関係ありません。私には、新しい家族ができましたから」
ルシアンが私の手を握った。
温かい。
「エリアナ……」
リディアが泣き崩れる。
「本当に、ごめんなさい……」
(今更、謝られても)
「許してください」
母が頭を下げる。
父も。
アルフレッドも。
「許す?」
私は首を傾げた。
「私が、あなた方を?」
「お願いだ」
「違います」
私は静かに言った。
「私は誰も恨んでいません。ただ、もう関わりたくないだけです」
それが、本心だった。
恨んでなどいない。
ただ、もう二度と、あの苦しい日々には戻りたくない。
「お引き取りください」
ルシアンが告げる。
「これ以上、彼女を苦しめないでいただきたい」
彼らは、項垂れて去っていった。
リディアが最後まで振り返っていたけれど、私はもう見ていなかった。
「大丈夫ですか?」
ルシアンが心配そうに尋ねる。
「はい。大丈夫です」
本当に、大丈夫だった。
胸がすっきりしている。
「もう二度と、あなたを一人にはしません」
彼が私を抱きしめた。
「私が、あなたを守ります」
(守られる)
こんな感覚、初めて。
「ルシアン……」
「愛しています、エリアナ」
彼の声が耳元で囁く。
「私も……愛しています」
初めて、誰かにそう言えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから数ヶ月。
私とルシアンの結婚式が執り行われた。
帝国中が祝福してくれる。
「聖女様、おめでとうございます!」
「お幸せに!」
温かい声援。
白いドレスに身を包み、ルシアンの隣に立つ。
「誓いますか? この人を、生涯愛し続けることを」
司祭の問いかけ。
「誓います」
ルシアンの声は力強く、私の手を強く握っている。
「誓います」
私も、はっきりと答えた。
式が終わり、二人で宮殿のバルコニーに立つ。
眼下には、祝福してくれる人々。
「幸せですか?」
ルシアンが尋ねる。
「はい。とても」
心から、そう思う。
「あなたと出会えて、本当によかった」
「私もです」
彼が微笑む。
「あなたを見つけられて、幸せです」
風が吹いて、髪が揺れる。
空は青く澄んでいて、雲一つない。
(追放されたあの日)
ふと、思い出す。
(私の本当の人生が始まったんだわ)
謁見の間で告げられた、追放の言葉。
あの時感じた、不思議な解放感。
全ては、あそこから始まった。
「エリアナ?」
「なんでもありません」
私は微笑んだ。
「ただ、幸せだなって思っただけです」
「これからも、ずっと幸せにします」
ルシアンが私を抱き寄せる。
「約束します」
「はい」
そして、私を愛してくれる人の隣で、私は心から笑うことができた。
もう二度と、一人じゃない。
もう二度と、価値を認めてもらえないなんてことはない。
ここに、私の居場所がある。
ここに、私を愛してくれる人がいる。
(ありがとう、ルシアン)
(そして、ありがとう、あの日の私)
追放を受け入れた、あの日の自分に感謝した。
あの決断があったから、今の幸せがある。
遠くで、鐘が鳴り響く。
祝福の音色。
私たちの未来を祝福する、美しい音色。
そして、私はもう一度、心から微笑んだ。
追放されたあの日、私の本当の人生が始まったのだと、今なら分かる。
読んでいただき、ありがとうございます。
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