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不死の僕と死に戻りの彼で覚える面白い『日本史』  作者: 妙原奇天
【序章】文字のない世界(0〜50話) 旧石器〜縄文前期

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第12話 囲い

 朝の湿り気は、昨日より薄かった。

 地面の表面だけが乾き始め、足裏の土が粉になる。粉は軽い。軽いものは風に運ばれる。風に運ばれると、匂いも運ばれる。匂いが運ばれると、境界の外まで人の暮らしが漏れる。

 静は、火の残りを見ながら、空を見上げた。

 雲は低い。雨の匂いはしない。けれど空気が重い。重い空気は、音を遠くへ飛ばさない。遠くへ飛ばない音は、近くの音を大きくする。

 枝を踏む音が聞こえる。

 焚き火のそばで眠っていた者が起きる音。土器を動かす音。石を擦る音。喉の奥で短く鳴る声。朝の用意の音が、昨日より揃っている。

 揃っているということは、決まってきたということだ。

 決まってきたということは、決めた者がいるということだ。

 静は目立たないように、火に枝を一本だけ足した。火を大きくしない。火は生きるが、呼び寄せる。

 蓮がこちらに来た。

 眠りの名残が少しだけ残る顔。頬に土がついている。手の爪の間に黒いもの。昨日、杭を打ったときの汚れが落ちていない。落ちない汚れは、仕事の汚れだ。汚れがある者は、ここに居られる。

 蓮は静の顔を見て、何か言いかけて、やめた。言葉を使わないほうが安全だと、もう知り始めている。言葉を使うと、間違える。間違えると、笑われる。笑われると、弱いと見られる。

 静は蓮の顎を軽く指で押し、頬の土を払った。

 蓮の肌は温い。若い体の温さだ。温い体はよく動く。よく動く体は、よく狙われる。

 静は目を逸らさず、周囲の動きを見る。

 集まりの空気がある。

 今日はまた、地面に何かを刻む日だ。

 昨日できた杭の列の近くに、人が集まり始めた。長い男がそこに立っている。昨日と同じ位置。昨日と同じ目。目の命令が、もうこの場所に馴染んでいる。

 杭の列は、昼の光の中ではただの木だ。

 夜になると、別のものになる。

 静は、そういうものを何度も見てきた。

 長い男が地面を指し、短く声を出す。合図。言葉ではない。けれど、誰も逆らわない。逆らわないというより、逆らうという形がまだない。

 代わりに、沈黙がある。

 沈黙が、同意になる。

 同意が、境界になる。

 杭の列の間に、枝が運ばれていく。細い枝。太い枝。曲がった枝。まっすぐな枝。蔓のようなものも持ってくる。柔らかく、引けば伸びる。伸びるものは縛れる。

 静は蓮と並んで、枝を集めに行った。

 森の縁へ近づくと、空気が少し冷たくなる。木陰の冷たさ。冷たさは痛みではない。けれど、長くいると皮膚が鈍くなる。鈍くなると、怪我に気づかない。気づかない怪我は、腐る。

 蓮が地面にしゃがみ、指で土を触った。

 足跡がある。

 獣の足跡だ。爪が深い。深いということは重い。重いということは大きい。大きいということは、肉の量が多い。肉の量が多い獣は、こちらも食う。

 蓮は足跡の縁の湿り気を指先で確かめる。昨日の夜の湿り気がまだ残っている。つまり、夜に近づいてきた。

 蓮の目が杭の列のほうへ向いた。

 囲いが必要だと、蓮はもう分かっている。分かっているが、恐怖の顔はしない。恐怖の顔をしても、助けは来ない。助けは、自分で作るしかない。

 静は足跡の近くに落ちている獣の毛を拾った。

 短い毛。硬い。水を弾く。毛の匂いは生臭い。湿りの匂いが混じっている。川のほうから来た獣かもしれない。

 静は毛を掌で揉み、匂いを覚えた。

 覚えた匂いは、夜に役に立つ。

 蓮が枝を一本持ち上げた。まっすぐではない。少し曲がっている。けれど、曲がりは使える。曲がりは、囲いの角になる。角ができると、そこは弱くなる。弱くなる場所は、守る場所になる。守る場所が決まると、立たされる者が決まる。

 蓮はその枝を抱えたまま、静を見た。

 静は頷いた。

 蓮は枝を抱え、杭の列へ戻った。

 囲いの作業は、言葉が少なく進む。

 杭と杭の間に、枝を渡す。枝を渡したら、蔓で縛る。縛る者の手つきが速い。速い手つきは、縄の癖を知っている手つきだ。癖を知っている者は、誰かを縛る癖も知る。

 静は、縛り目を見た。

 きつすぎない。きつすぎると、枝が折れる。緩すぎない。緩すぎると、獣が押す。押されると、囲いが崩れる。崩れた囲いは、内側の安心を壊す。

 安心が壊れると、人は誰かを責める。

 責められるのは、いつも弱い者だ。

 蓮が枝を渡す係になった。

 若い者の仕事だ。力仕事の端。中心ではない。けれど重要だ。重要な仕事ほど、責任もついてくる。責任は、肩から削れる。

 昼が近づくにつれて、囲いの形が見えてくる。

 囲いが見えてくると、囲いの内側にいる者の姿勢が変わる。背中が少しだけ伸びる。目が少しだけ穏やかになる。囲いができるというだけで、安心は生まれる。

 同時に、囲いの外側が生まれる。

 外側は、冷たい。

 冷たさが、目に見えるようになる。

 長い男が囲いの端を指し、声を短く落とした。

 今度は、夜番の話だ。

 夜番という言葉はない。けれど、夜に立つ役目があるのは誰でも分かる。獣の足跡が近い。匂いが残る。囲いができても、囲いは完成ではない。囲いの外側に立つ者が必要になる。

 長い男は、若い男たちを見回した。

 目が止まる。止まった者は、選ばれる。選ばれた者は、断れない。断れないことが、ここでは当然になる。

 目が蓮に止まった。

 蓮は固まらなかった。

 固まると、弱いと見られる。弱い者は、仕事を押し付けられる。押し付けられた仕事は、命を削る仕事になる。

 蓮は、短く頷いた。

 頷きは、受け入れだ。

 受け入れは、ここに居るための証だ。

 静は、蓮の横に一歩進んだ。

 長い男の目が静に移る。目が、静の体を測る。測られるのは嫌だ。けれど、測られないとここでは居られない。

 静は目を逸らさず、囲いの外側を指した。

 自分も外に立つ、と行動で示す。

 長い男は、ほんの少しだけ顎を上げた。許可か、どうでもいいのか。どちらでもいい。静は、中心に居るために外に立つのではない。蓮の隣に立つために外に立つ。

 外側に立つということは、内側から見られるということだ。

 内側の者たちは火のそばに寄る。

 火は温い。温さは安心だ。安心は、人の声を柔らかくする。柔らかい声は笑いに変わる。

 外側は火の温さが届かない。

 届かないところで、皮膚が痛む。冷えではなく、乾いた冷たさが肌を刺す。刺す冷たさは、眠気を消す。眠気が消えると、音に敏感になる。敏感になると、恐怖が増える。

 静は恐怖を顔に出さない。

 蓮も出さない。

 夕方になる前に、囲いの仕上げが進む。枝の隙間を埋める。蔓を追加する。人の体が通れない程度に狭める。獣の頭が突っ込めない程度にする。

 囲いは、守りの顔をする。

 守りの顔をしながら、選別の顔もする。

 内側に入れる者と、入れない者を作る。

 静は囲いの内側に足を踏み入れた。

 足裏の土の匂いが少しだけ変わる。人の匂いが濃い。火の匂いが濃い。煮物の匂いが濃い。囲いが匂いを溜めるのが分かる。

 蓮が静の横で、囲いの内側を見回した。

 顔の角度がわずかに上がる。内側に入ると、人は少しだけ上を見る。外側にいるとき、人は足元ばかり見る。足元を見ていないと、何かを踏む。踏むと怪我をする。怪我をすると遅れる。遅れると捨てられる。

 内側に入ると、捨てられる恐怖が薄くなる。

 薄くなると、人は余裕を持つ。

 余裕は、序列を生む。

 序列は、言葉より先に生まれる。

 囲いの近くで、骨と灰と貝殻が積まれている場所があった。

 誰かが意図して積んだというより、自然にそこへ捨てられてきた堆積だ。火のそばに捨てると臭いが残る。住居の近くに捨てると虫が寄る。川の近くに捨てると流れが汚れる。結果、捨てる場所が固定される。

 固定されると、その場所はただの捨て場ではなくなる。

 静は、その堆積の前で立ち止まった。

 灰の匂いが強い。骨の匂いは薄い。貝殻は白く、光が当たると少し眩しい。眩しさは目立つ。目立つものは意味を持つ。意味を持ったものは、やがて避けられる。

 蓮がその堆積に近づこうとすると、子どもが先にそこを跨ごうとして、足を止めた。

 足が止まる。跨がない。回り込む。

 子どもは何も言わない。ただ、そこに直接足を置かない。

 怖がっているわけではない。怖いという言葉はない。けれど、身体が避ける。

 避ける場所は、いつか禁になる。

 禁は、誰かの力になる。

 蓮が子どもの動きを見て、静を見る。

 静は答えない。

 答えたら講義になる。講義は中心の者がする。中心の者がする講義は、命令になる。命令になったら、その言葉は刃になる。

 静は、堆積の中から小さな骨片を拾い上げた。

 骨片は軽い。軽いものは、忘れられる。忘れられるものが積もると、目立つ。目立つと、忘れられなくなる。

 静は骨片を元に戻し、土を軽くかけた。

 それだけで、堆積の輪郭が少しだけ強くなる。輪郭は、境界だ。

 夜が近づいた。

 囲いの内側で、火が起こされる。火が揺れ、煙が上がる。囲いが煙を抱える。煙は匂いになる。匂いは笑いを呼ぶ。笑いは声になる。声は外へ漏れる。

 静は囲いの外側へ出た。

 囲いの外側に出ると、温度が変わる。皮膚がすぐにそれを覚える。内側の温さが、外側の冷たさとして実感される。温度差は、階層の原型だ。温かい場所は中心になる。冷たい場所は端になる。

 蓮も外側に立った。

 若い者が数人、外側に並ぶ。槍を持つ者。石を持つ者。何も持たない者。何も持たない者は、声を出す役目かもしれない。声は武器だ。声は怖さを伝える。怖さを伝えると、内側は固まる。固まると、逃げる準備ができる。

 静は声を使わない。声は目立つ。

 蓮は槍を握っている。

 槍の先が、わずかに震えている。震えは恐怖ではない。冷えだ。冷えと緊張が混じった震え。震えは止めようとすると大きくなる。静は何も言わず、蓮の槍の握りを見た。握りが強すぎる。強すぎると、腕が疲れる。疲れると、いざというときに遅れる。

 静は、自分の手を開いて見せた。

 力を抜けという合図。

 蓮はそれを見て、少しだけ握りを緩めた。

 囲いの内側から、笑い声が聞こえる。

 笑い声は、温度のある音だ。温度のある音は、外側には届かないと思っている音だ。外側に届くことを、内側の者は忘れる。

 蓮は囲いの内側を見た。

 囲いの枝の隙間から、火の赤が見える。赤が揺れる。赤が揺れると、人の影も揺れる。影の揺れは踊りに見える。踊りに見えると、胸が痛くなる。自分はそこに居ない。居ないことが、痛い。

 蓮の口元が、笑いの形になりかけて、すぐに消えた。

 静はそれを見て、目を逸らさなかった。

 逸らしたら、蓮の痛みは誰にも見えないままになる。見えない痛みは、やがて怒りになる。怒りは、自分に向かうか、弱い者に向かう。

 静は蓮の隣に立ち続ける。

 それが、今できる唯一の手段だ。

 夜の湿り気が戻ってきた。

 空気が肌に貼りつく。貼りつく湿りは、匂いを運ぶ。匂いが運ばれると、獣が寄る。寄る獣は、目で見えないうちに近づく。

 蓮が、囲いの外の地面を見た。

 足跡が増えている。

 さっきの足跡とは違う。新しい。湿りが濃い。つまり、今夜も来ている。

 蓮の喉が動く。唾を飲む動き。音は出さない。音を出すと、内側が騒ぐ。騒ぐと、囲いの中でぶつかり合いが起きる。ぶつかり合いが起きると、外側はさらに弱くなる。

 静は囲いの外側へ一歩出た。

 囲いの影から外れる。外れると、自分の匂いが夜に露出する。露出した匂いは、獣に届く。届く匂いは危険だ。けれど、囲いのそばに寄らせないほうがいい。囲いを押されると、内側の安心が壊れる。

 静は地面にしゃがみ、土を指で軽く掻いた。

 土の匂いが濃い。足跡の方向を確かめる。囲いに沿って歩いている。弱いところを探っている。獣も、囲いを見ている。

 静は立ち上がり、槍を少しだけ構えた。

 構えるが、振り回さない。振り回すと、音が出る。音が出ると、獣は逃げるか、飛び込むかの二択になる。飛び込まれたら終わりだ。逃げても、別の夜に戻ってくる。

 蓮が静の動きを真似る。

 槍の先がまた少し震える。けれど、今度は握りが強すぎない。強すぎない握りは、動ける握りだ。

 暗闇の向こうで、目が光った。

 光は一点。すぐに二点になる。二点が動く。低い位置。獣だ。体が低い。犬に似ているが、犬ではない。野のものだ。野のものは、人の匂いを怖がるが、食の匂いには勝てない。

 囲いの内側から、煮物の匂いが漏れている。

 匂いが獣を呼ぶ。

 獣は、囲いの外側を試すように歩く。歩く音が、湿った土に吸われて小さい。小さい音は怖い。怖いが、目で追えるうちはまだいい。

 静は槍を水平にし、獣の進路へ向けた。

 突くのではない。線を見せる。ここから先は入れないという線。線は、獣にも通じることがある。獣は線の意味を完全には知らない。けれど、痛みの予感は知っている。

 獣が一歩、近づいた。

 目の反射が強くなる。鼻先が動く。匂いを嗅ぐ。風向きが変わり、獣の匂いがこちらへ流れた。湿った毛の匂い。土の匂い。血の匂いは薄い。空腹ではない。けれど、食えるなら食う匂いだ。

 蓮の槍が、わずかに上がる。

 上がりすぎると、獣が潜る。潜れば腿に噛みつく。噛みつかれたら、そこから腐る。腐ったら遅れる。遅れたら捨てられる。

 静は、蓮の槍の先端を、指先で軽く押した。

 下げろ、ではない。高さを合わせろ、だ。

 蓮が気づいて、槍を少しだけ下げた。

 獣が立ち止まる。

 立ち止まるときが一番怖い。逃げるか、飛び込むか、判断している。

 静は足を半歩前に出し、体重を乗せた。

 足裏が湿った土を押す感触。音は出さない。けれど圧は出る。圧は、相手に伝わる。

 獣が後退した。

 一歩。二歩。

 それでも去らない。去らずに、囲いの角へ回る。角は弱い。弱いところを、獣は本能で知る。

 静はすぐに追わない。

 追うと、走りになる。走ると音が出る。音が出ると内側が騒ぐ。騒ぐと、囲いの中で火が揺れ、匂いが増える。匂いが増えると、別の獣も来る。

 静は角へ向かって歩いた。

 歩幅を揃える。息を乱さない。息が乱れると匂いが出る。匂いは獣に届く。

 蓮も、静の半歩後ろを歩く。

 角に近づくと、獣はまた目を光らせた。今度は距離が近い。槍の先と獣の鼻先が、互いの空気を感じる距離。

 蓮の肩が硬くなる。

 硬くなるのは仕方がない。硬くなっても、動ける硬さに留める必要がある。

 静は槍の先で地面を軽く叩いた。

 音は小さい。けれど、湿った夜にはよく響く。獣の耳は人より敏い。敏い耳には、あの音は刃に聞こえる。

 獣が身を翻し、闇へ溶けた。

 溶けたあとに、湿った土の匂いだけが残る。

 蓮の息が少しだけ漏れた。長い息。身体の中に溜めていた空気が出た。出た空気は白くはならない。けれど、喉が乾いているのが分かる。

 静は蓮のほうを見ずに言った。

「戻る」

 戻るという言葉が、ここでの命令になる。戻らないと、次の獣が来る。次の獣が来たとき、角から離れていたら囲いが押される。

 蓮は頷き、静の後ろについた。

 囲いの外側に戻ると、内側の笑い声がまた聞こえてきた。

 笑い声はさっきより大きい。危険が遠のいたからではない。内側は危険を知らないから大きい。知らないことが、内側の特権になる。

 蓮は囲いの枝の隙間を見た。

 火の赤。土器の影。人の肩の動き。口の形。声。声は輪になって回っている。輪がある。輪の中にいる者は、輪の外を見ない。

 蓮の口元がまた動く。笑いの形にはならない。ならないまま、唇が乾く。

 静は蓮の横に立ち、同じ方向を見た。

 同じ方向を見ることで、蓮は一人ではなくなる。けれど、同じ方向を見るだけでは、内側には入れない。入れないことが、外側の定義になる。

 夜番は長い。

 眠気は冷たさと一緒に来る。冷たさが皮膚を痛くし、痛みが眠気を散らす。散らされた眠気は、別の形で戻ってくる。目の奥が熱くなる。涙のような熱さ。泣いてはいない。ただ、乾いている。

 静は囲いの外側を歩き、足跡を確かめた。獣は去ったが、匂いは残っている。匂いが残っているということは、また来る。

 来るものは、獣だけではない。

 夜は、人も運ぶ。

 囲いができた夜は、特に。

 囲いができると、内側は守られると思い始める。守られると思うと、誰かを外に出してもいいと思う。誰かを外に出すと、外は外として固定される。固定されると、外にいる者は外である理由を背負う。

 背負う理由は、やがて罪になる。

 静は囲いの内側に目を向けないようにした。

 目を向けると、笑い声が刺さるからだ。刺さるものを抱えて夜番をすると、判断が遅れる。判断が遅れたら、獣が入る。獣が入ったら、外側が責められる。

 責められるのは、蓮だ。

 静はそれだけは避けたい。

 囲いの近く、捨て場の堆積が夜の中でぼんやり白い。貝殻の白さが月の光を拾う。拾った光は、そこが場所だと知らせる。場所だと知らされたところは、避けられる。

 子どもがそこを跨がなかったのは、偶然ではない。

 場所が場所になり始めている。

 場所が場所になると、捨てる行為は意味を持つ。意味を持った捨てるは、いつか捧げるになる。

 静は堆積に近づき、足で土を軽くかけた。

 貝殻の白さが少しだけ隠れる。隠しても、堆積そのものは消えない。消えないものは積もる。積もったものは、いつか祈りになる。

 祈りは、人を救うこともある。

 同時に、人を縛る。

 夜の中で、蓮が小さく言った。

「なか」

 言葉が出たことに、蓮自身が驚いた顔をした。驚いた顔をすぐに消した。消すが、目が静を見る。静が聞いたかどうかを確かめる目。

 静は頷いた。

 蓮は続けて言う。

「そと」

 音はまだ弱い。けれど、音が意味を持ってしまう前の弱さだ。意味を持つと強くなる。強くなると刃になる。

 静は、蓮の言葉を否定しない。

 否定すると、蓮は黙る。黙ると、蓮の中に言葉が溜まる。溜まった言葉は、いつか爆ぜる。

 静は短く言った。

「ここ」

 ここ、という指示だけを置く。

 蓮は頷き、槍を持ち直した。

 囲いの内側から、また笑い声が上がった。

 今度は高い声。子どもの声。子どもの声は、外側にいる者の耳を刺す。刺さるが、刺さった痛みを顔に出すと、外側はさらに外になる。

 蓮は笑い声のほうを見て、すぐに目を戻した。

 見てはいけない、と身体が覚え始めている。見てはいけない場所が増えるほど、世界は狭くなる。狭くなった世界の中で、人は息をする。息をするために、誰かを外に出す。

 静は空を見た。

 雲が流れて、月が少しだけ見えた。月の光が囲いの枝に引っかかる。枝の影が地面に落ちる。影が線になる。線が増える。線が増えると、境界が増える。

 境界は、安心と排除を同じ手で作る。

 夜が深くなると、内側の声が減る。火のはぜる音だけが残る。はぜる音は、一定のリズムになる。一定のリズムは眠気を呼ぶ。眠気は危険だ。

 静は足を動かし続けた。

 歩く。止まる。嗅ぐ。聞く。見る。

 蓮もそれを真似る。真似ることで、蓮は夜を越える方法を覚える。

 夜の終わりは、いつも突然だ。

 空の重さが少しだけ軽くなる。湿り気の匂いが変わる。鳥の声が一つ鳴る。すると、内側が動き始める。内側は朝を迎える。外側は、夜を終える。

 夜が終わったとき、囲いはそこに残る。

 残った囲いは、当たり前になる。

 当たり前になったものは、もう疑われない。

 疑われないものほど、怖い。

 静は、囲いの枝に手を触れた。

 枝は冷たい。湿っている。縛った蔓が硬く締まっている。ここから先は中。ここから外は外。

 静はその線を見つめながら、蓮の横顔を見た。

 蓮はまだ幼い顔をしている。けれど、目は夜を越えた目になっている。夜を越えた者の目は、少しだけ遠くを見る。遠くを見る目は、いつか別の時代にも適応する。

 静は、胸の奥に言葉にならないものを押し込めた。

 押し込めたものは、いつか溢れる。

 溢れる前に、静はやるべきことをやる。

 蓮を、外側だけにしない。

 外側が生まれたなら、外側に立つ者の価値も生まれる。価値が生まれれば、捨てられにくくなる。捨てられにくくなれば、蓮は次の季節まで生きる。

 静は、朝の薄い光の中で囲いを背にした。

 囲いの内側から、まだ眠い声が聞こえる。火を掻く音がする。土器が触れ合う音がする。生活の音がする。

 その生活の音が、囲いの外側まで届く。

 届く音を聞ける限り、静はここに立てる。

 蓮も、立てる。

 それでいい。

 今は、それで十分だ。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。続きを追ってもいいと思っていただけたら、評価やフォローで応援してもらえると励みになります。次話も、毎話きちんと見せ場を作って進めます。

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