鈴鹿一家の血夜
舟木功二が極道の世界に足を踏み入れたのは、十八の時だった。
父親は借金苦で自殺し、母親は男に売られ、妹は所在もわからず。
居場所を失った少年の胸に残ったのは、暴力への飢えと、生き残るための獣の本能だけだった。
名古屋の歓楽街錦三丁目。
そこに縄張りを持っていたのが鈴鹿一家。
当時、東海地方の広域指定暴力団の中でも特に残虐無道で知られ、敵対組織の組員を生きたまま剥ぎ、臓物を晒すことで名を轟かせていた。
「坊主、死にてぇか」
薄暗い小料理屋の裏路地、三人の組員に囲まれ、功二は無言で拳を握っていた。
すでに鼻梁は折れ、血が頬を伝い、前歯も折れている。
だが、恐怖はなかった。むしろこの血と痛みが、ようやく自分を生に繋ぎとめてくれるもののように思えた。
そのとき、一人の男が割って入る。
「そのガキ、俺がもらう」
長身痩躯、鋭い目つき。濡れ羽色の髪を撫で付けたその男こそ、後に教祖となる神堂覇真だった。
「こいつ、目がいい」
覇真は、功二の顔を血まみれのまま手で掴み、その瞳を覗き込んだ。
「地獄が見える目だ。殺しの器だな」
それから功二は、鈴鹿一家の中で覇真の直参若衆となった。
酒と薬、女と血と死体。地獄のような日々が始まる。
ある晩、功二は覇真から初の殺しを命じられる。
標的は、裏切り者の元舎弟池谷忠夫。
「功二、お前もそろそろケジメの一本立てろ」
覇真の手が功二の肩に置かれ、温度のない声が響いた。
暗闇の倉庫。
縄で縛られ、全裸に剥かれた池谷が、必死に命乞いをしていた。
「功二…功二!頼む、助けてくれ!一緒に飯食ったろうが!」
功二の手には血錆びた刺突用の出刃包丁。
横で覇真は笑っていた。
「躊躇するな。生きたまま腹割って、中の臓物をこの桶にぶちまけろ。それが鈴鹿の掟だ」
功二は、恐怖でも怒りでもない、奇妙な安堵を覚えながら、刃を池谷の腹に突き立てた。
「ッァァアアアアアアア!!」
絶叫とともに臓物が溢れ出し、腸が床を這う。
功二はそれを掴み、桶に放り込みながら、自分の中の何かが壊れていく音を確かに聞いた。
覇真はその様子を見て、静かに笑い、
「いい目をした。これでお前は狂犬だ。地獄の舟に乗ったな」
そう告げた。
その夜、功二は兄弟盃を交わした。
覇真が杯を差し出し、功二はそれを両手で受け、血の混じった酒を飲み干す。
「これより先、命は預ける。地獄の底まで兄弟だ」
「地獄の底まで、兄弟だ」
その誓いの夜が、後にすべての狂気と悲劇の発端となる。
こうして、功二の地獄の道が開かれた。
――次章、「兄弟盃と裏切りの花」へ続く。