073-タナストシアとの接触-
茂みに近づくとと、犬の頭部に似たナニカがチラリと現れる。
骨の怪物……? また以前のようにメテオリットに寄生された動物が!? 一瞬そう思ったけど、これは被り物だ。すぐに理解し、もしかして──。
そんな予感を胸に、恐る恐る茂みを覗くと黒いローブを着た背中と、四十代くらいと思われる男性の死体が転がっていた。
これは深刻な状況に陥ることになる、多分九割方、ヘレナの〔タナストシアと戦いたい〕そんな願望が実現してしまう予感がする。
僕はそんな思考が過ぎった瞬間、ここにいれば危険に晒されることになる。今は僕自身とヘレナの身を守ることが最重要。見なかったことにしよう。そう結論づけたあと、音を立てないようにヘレナの元へ戻る。
だけど──
ペキッ。
ヘレナの顔を見て安心しきっていたんだと思う。落ちていた小枝に気づかず、踏み折れる音が静寂な空間で響く。
そして一瞬で緊張感が張り詰ていく。
「誰だ!?」
その音を聞いた犬の骨を被った人物が、警戒した様子で茂みから現れ、僕と目が合う。
これは非常に危うい展開になる気がする。いくら夜目が効かないといっても、多分ヘレナもこの雰囲気は察しているに違いない。
それに十中八九、満月の夜出会した連中らの仲間。
どうする? ヘレナのことだ、戦闘に持っていく。僕はそう考え、必死に打開策を講じた。
「さっきのを見たのか?」
そんな僕なんてお構いなく、犬の骨を被った人物はノイズ混じりの声で語気を強めた。
「な、なにをですか?」
どうしよう? いや、どうする?
こんなシラの切り方で、難を逃れることができる? ううん、絶対無理。
もしかして、第一発見者なだけかも?
それは有り得ない。ほとんど確定で犬の骨を被った人物があの死体に関与している。
僕は目を泳がせながら、相手の出方を伺った。
「──まぁ良い。おまえたちも生きては返さない」
怪しげな人物は、無機質な声でそう言うと、僕の方へゆっくりとした歩調でにじみ寄る。
武器を持っていないのならば僕にもまだ勝機はある! そう思ったけど、直ぐに違和感を覚え、
「えっ……?」
僕はそう一言、緊張の雫が背を伝う。
その犬の手には全てが黒く染まった大鎌が握られていたから──。
いつ出した? いや、そんなことどうでも良い。どうするべき? ううん、悩んでいる暇はない。僕は咄嗟に魂を具現化し──
バーンッ──。
僕がロザルトの鞭を出したと同時に、静寂に包まれた暗闇で、銃声が響き渡る。
「ヘレナ!?」
僕は慌ててヘレナの方を振り返り、安否を確認する。
良かった、大丈夫だった。僕はそんな安堵感を覚えながらも、やっぱりこういう流れになるのか。そんな諦めと覚悟を決める。
ヘレナの前には大きな猫の骨を被った人物が、血を流しながら倒れていたから。
犬に猫……。
僕たちはもしかして囲まれている!? そんなことを考え、一瞬、思考が停止する。
「もう、なんなのよこの人たち!?」
そう怒号しながらもヘレナは、倒れている人物が死んでいるのか確認するような素振りのあと、「急に襲ってくるなんてマナーがなっていないわ!」なんて文句を垂れる。
普段通りのヘレナだな……。そんな感情に支配されかけたけど、そんなことを考えている暇は今ない。
ヘレナの行動と、目の前に倒れる死体。
これは、逃がして貰える可能性がかなり低い。戦闘になるのは目に見えて解る……。そんな思考と共に、一気に僕の血の気が引いていく。
そのあと緊急事態だと、停止した頭の中で警報が響き渡り、耐えきれないような恐怖に視界が徐々に霞んでいく。やばい。どうしよう……。
「リーウィン!」
そんな僕を察してか、ヘレナが大きな声で名前を呼ぶ。
その声でハッと我に返り現状を把握した。
僕の後ろには犬の骨を被った人物が、大きな鎌を振りかざし射程圏内に詰め寄っていた。
そうだ。猫の方に意識を向けすぎていた。犬もいたんだ。
僕は、鞭を持つ手に力を込め、その鎌の軌道をとっさに避けた。
鎌はスレスレを通り過ぎ、僕の代わりに大木がドーンッと音を立て倒れる。
砂埃が立込め、視界が一瞬悪くなる。
そんな隙を突くように、無数の鉄鏃が僕に向かって放たれる。
僕はそれを避けつつ、ヘレナの元へ転がるようにして戻る。
その間も鋭く尖った鎌が僕の命を刈り取ろうと、牙を剥き、少しでも判断が遅れていれば僕は死んでいたかもしれない。そんな恐怖で手汗が滲んでいく。
「……っ!」
だけど最後の方は避けきれなかったらしい。
鎌が僕の腕を少しかすめ赤々とした血がプシャッと飛び散る。
めちゃくちゃ痛い! なんでそんな危険なモノを振り回すのさ!? そんな怒りを覚えながらも僕は、血が垂れる傷口に手を当て、
「もしかすると囲まれているかも……。いつ襲ってきてもいいように、警戒は怠らないで」
そう耳打ちしながら、銃を構えるヘレナと背中合わせになる。
「解ったわ! リーウィンの背中は私に任せてちょうだい!」
ヘレナは僕の話を聞いたあと、そんな頼もしいことを言い、「私の背中はリーウィンが守ってね」なんて背中を預けてきた。
また無理難題を……そう思うけど、ここで無理だよなんて言える状況でもない。
手負いの僕と夜目が効かないヘレナ。これは非常に分が悪い。
僕は手汗で湿る鞭を握り直したあとスゥッ──と息を吸い込み、大丈夫。今は、僕自身とヘレナの命を優先に、逃げれる隙を見つけて逃げよう。そう言い聞かせ、多方向から飛んでくる鉄鏃や鎌を防御していると、
「君、意外と身体能力あるんだ〜」
木の上から下を覗き込むようにして、うさぎの骨を被った人物が無機質な声を落とす。
「あなた達はなんなんですか!?」
十中八九、タナストシアだと理解している。だけど少しでも意識を戦闘から離したい。そんな甘えから僕は語気を強め聞いた。
「我らはタナストシア。黒き月夜に赤き理を導くモノ。我らの存在を知るモノは皆、赤き理へと導く。それがルール。おまえたちにも、赤き夜想曲を奏でよう」
また別の場所から〔タナストシア〕と名乗る、狼の骨と皮が半々になった被り物を着用した人物が現れ、よく解らない言葉を発し、両手を広げる。
それはなにかの演説者のようにも見えるけど、言語と容姿が相まってかなり気味が悪い。
僕はそんな気味悪さを耐えながら、赤き理とはどういう意味なんだろうか? そんなことを考え始める。
赤……赤……赤。赤と言えば太陽に月。それから血液に命……。
この意味がなにを現すかは判らない。だけどもしかすると、逃げるためのヒントになるかもそんな理由から。
だけどそんな思考は長くは続かない。
赤き理の意味も気になるところだけど、このよく解らない言語を話す人をどこかで──。そんな思考に変わっていく。そして、いや、確か満月の日にβと呼ばれていた。そう答えを導き出し、兎やその他の存在、それからα・β・γと呼ばれている幹部的存在がいることを思い出した。
ここに狼と兎が揃っている。ということは、鹿の骨を被った人物や、山羊の骨を被った人物がいるかも!? そんな思考を駆け巡らせ、警戒心を募らせる。
そんな僕の警戒心に同調するように、どこからともなく殺気にも似た気配が辺りから漂い始める。
これは確実に囲まれている。殺気の多さ的に十や二十では収まらないと思う。
僕はそう思いながら横目で人数を確認し、ゴクリと唾を飲んだ。
正確な人数までは判らない。だけど、どうやら僕たちは百単位タナストシアに囲まれているらしい。
逃げ道は今のところ見当たらない、これは絶対絶命──。