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001.5-母の反対-8P

 いつからか、ばく然と魂の使命こん願者(ドナー)への憧れを持ち、夢見るようになっていた。



 だから、『絶対』になる! ならなきゃいけないんだ! という使命感は特にない。ただ、魂の使命こん願者(ドナー)にならなきゃなにも始まらない。そんな予感めいた気持ちがずっと僕の中にあるだけ。



 僕はどう答えるべきか判らず、口をモゴモゴさせながら黙っていると、



魂の使命こん願者(ドナー)になって、もし成れの果てになってしまったら……?」



 母さんはそんな僕に呆れを覚えたのか、現実を突きつけるように、魂の使命こん願者(ドナー)のリスクを話し始めた。



「母さんが心配する気持ち、解るよ……。魂の使命こん願者(ドナー)になって起こり得るリスクだって理解しているつもり。でも……」



 ちゃんと自分の気持ちを打ち明けなきゃ、ずっと追求してくる。そう理解してもまだ、僕は腹を決めきれず、言葉を濁す。



 僕が住むリクカルトという国には、魂の使命こん願者(ドナー)という独自の制度がある。



 ソレは『魂を遣う者(シシャ)』という、教会関係者に魂を貸し出すというモノ。



 まぁリスクもあるよね。どんな仕事にだって付きものなんだし、魂の使命こん願者(ドナー)だけはありません! なんて、そんな虫のいい話があるわけない。



 普通、人間の魂は、生きているだけで気枯(けが)れが溜まって行く。その気枯れは、神に祈りを捧げたり、教会で(みそぎ)を行わないと癒すことができないと言われている。



 だけど、魂の使命こん願者(ドナー)は見ず知らずの第三者に魂を貸し出すから、通常より気枯れの進行が速いとされている。浄化したところで限界があって、限界値に達すると不治の病や、成れの果て(・・・・)という存在に堕ちるとされている。



 諸説あるけど、成れの果てになると自我を失い、生きた(・・・)人間を襲う人ならざるモノ説が一般的かな? そして皮肉なことに、成れの果てになってしまった人は、魂を遣う者(シシャ)に討伐されることになるらしい(・・・)



 ほかにも、魂の使命こん願者(ドナー)になりたいなんて口にする家族がいれば、半殺しにしてでも止める。なんて反対する家庭もあったとか……。


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