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#09

 サトルの思う人間と同等の人間がこの世界の住人かと思っていたが、それだけではなかった。一見すればサトルの知るこの世界の住人なのだが、ふわふわとした毛に覆われた耳がついているのだ。スカートの中にしまい込まれているのだが、しっぽもあるらしい。獣人である。

 この町に獣人の住人はいない。差別などではなく、性質上一部生活様式が異なるため、住み分けられているのだ。大きな街になれば、獣人が住んでいるところもあるらしい。

 ヴォルフの町を訪れたその獣人は、曲芸を見せてもらった投げ銭を路銀としている放浪の獣人なのだという。この町は娯楽が少ない。旅の大道芸人は一度の芸の披露だけでなかなか稼げたらしい。上機嫌でちょっといいものを食べようとしたのだが、時間が中途半端であったため、とにかく開いている店にやってきた。つまり、サトルのアルバイト先の食堂である。最近、コッペパンに日替わりのフィリングを挟むサンドイッチ(サトル考案)が人気である。

「漂流者! それでアンタだけ他と違ったんだ。いいな、いいな! 私とつがいになろう!」

「なりません」

 サトルはフェリシーと名乗った獣人にナンパ(?)されていた。

「ぜぇ~ったい私好みの顔になる顔してるもん。ねー、お姉さんと結婚しよう?」

「僕はもう大人です。老いる方向で顔はかわりますけど、思うような変わり方はしませんよ。それとは関係なく、結婚もしません」

 執拗に絡まれる理由はわからないが、蓼食う虫も好き好きだ。何かがフェリシーに引っかかったのだろう。サトルには何も引っかかっていないので、お断り一択なのだが。

「止めろ止めろ。領主様から預かってる大事な子なんだよ。それ以上はこの店からじゃなく、この町から追い出されるぞ」

 裏で作業をしていたはずの店主がいつの間にか出てきていた。

「領主んチの子とか、ボンボンじゃん! 余計にお姉さんと結婚しよう!」

「そんなんじゃないです。僕はただの居候ですよ。それとは関係なく、結婚しません」

 この町にも慣れたと思っているのだが、どうも子ども扱いは据え置きである。

「そろそろ時間だろ? ここはもういいから、カルラばあさんとこ行ってきな」

「は、はい。ありがとうございます」

 店主がフェリシーに睨みを効かせているうちに裏へ引っ込んでおいた。

 子どものように見えるという見た目が影響して、まだまだ頼りないのだろう。親切ではあるのだが、気を使われていると思う場面がよくあった。

 フロレンツの仕事の一つに、自警団の訓練というものがある。町に害をなす魔獣を倒したことも自警団の仕事の一つだ。団員は、基本的には一般市民で、必要なときに集められる。一定以上の訓練も課されるのだが、サトルはそれに少し混ぜてもらって身体強化を図っている。それはあまり才がないらしく、見た目まで変わるほどではない。さすがにフロレンツを目指すのは難しいが、それでももう少し逞しくなりたい。訓練のスミでトレーニングを行っているが、そこでも子どものように扱われているのだ。親切ではあるのだが。

「おばあちゃん、みんなが優しいけど、優しさがつらい……。自立が遠い……」

「サトルくんはまだまだひよっこよ」

「はい……」

 今でこの状況だと、一生このままになりかねない。打ちひしがれながら、フロレンツ宅へ戻ることになるのだった。

 “いつもの日々”である。カルラにはひよっこと言われてしまったが、この世界でもできることが増えている実感は十分にあった。先日の教会での判定板からもそれは読み取れる。自立での道のりを着実に歩いているのだと信じたい。推測も含まれるが、ホルストがサトルに当たりが強い理由の解消にもつながるために。

 ホルストは、フロレンツの子の面倒を見ることを夢見ているらしい。今もお見合いの話は出ているが、サトルがフロレンツ宅に住み始めて以来、ずっと断り続けている。ホルストにはサトルが邪魔な存在に見えていることだろう。サトルも、フロレンツには早くいい人を見つけてもらいたいと思っている。その邪魔にならぬよう、迷惑にならぬよう、自立に向けて己を鍛えているわけだ。

 フロレンツの家を出るだけなら、教会に身を寄せるという選択もある。あのマリー預かりになることには不安もあるが、最近はそれも一つの手段だと浮上しつつある。最後の手段枠に割り振られているが。

「……明日もがんばろう」

 サトルにできることは、けっきょくそれしかないのである。

 決意を固めてベッドに入る。今日は少しだけ大変だった。娯楽が少なく人の流動もあまりないこの町で、フェリシーは刺激になっただろうが、サトルには困った刺激だった。困ったことにならないうちに次へ旅立ってくれればいいのだが。

 心地よい寝具はサトルを夢の中へとそっと落としていく。早く自立して出ていかねばと思っているのだが、安眠できる場所というものは得難いものだ。

 日中はずいぶん暖かくなってきた。この世界にも四季はあり、サトルが流れ着いたのは秋口だった。雪が降るくらいには寒い冬があり、まだ朝夕は冷えるが春がやってきつつある。

 ヘルマン宅では王都へ居を移す準備を始めている。家庭教師による学習は終わり、エリザとヘルムントの髪を結うことも少なくなった。アルバイトで一日使うことができるようになったため、できる仕事も広がっている。そろそろ出ていけるのではないだろうか。多少強引に出ていくくらいでもいいかもしれない。

 まだ肌寒い中、くるまる毛布は心地よい。

 と。ザラリとした感触が顔をなでた。

「っ!?」

 とっさに声も出せず、身体を震わせる。

「サトルくーん、お姉さんと番になろっか」

「な、なりません!」

 フェリシーだ。何をどうやったのかはわからないが忍び込んできたらしい。どかりとのしかかられた。

「とりあえずやっとこ? それから考えたらいいからさ」

「ひぃ!」

 悲鳴らしい悲鳴もでなかった。

 フェリシーはサトルにまたがり、抑えながら服を脱いでいく。貞操観念がちがいすぎる。こちらの怯え方が見えていないのだろうか。

 腰を浮かせた瞬間、渾身の力で抜け出る。

「あっ! 逃げるな意気地なし!」

 意気地がなくてもかまわない。サトルは転がるように部屋を飛び出す。デタラメに走り、後ろについてきていないことを確認して適当なドアに飛び込む。

「はー……ひー……」

 フェリシーは軽業の曲芸をしていた。それを利用してどこからか侵入したのだろう。ついてきていなかったが、身体能力を思えば、サトルが逃げ切ったのではなく、追ってこなかったと考える方が妥当だ。

 息を整える。人がいないため必要ない明かりはついていないが、目が慣れてくるとそこがどこだか知れた。フロレンツの仕事部屋だ。紙とインクと何かケミカルなにおいが残っている。手探りで部屋のスミのソファにたどりつき、そこに座るフロレンツの“友人”にしがみついた。

 フロレンツの“友人”は、大きなくまのぬいぐるみだ。フロレンツほどの大きさ、まではいかないが、サトルとは同等の大きさである。おさないころにプレゼントされて、それからずっと“友人”で、今も仕事を見守ってもらうためにこうして特別席を用意しているのだ。

 ふわふわした感触で心を落ち着ける。

 方法はどうであれ、不法侵入だ。それが該当する罪状があるのかは知らないが、やっていいことではないだろう。物盗りに発展しかねない。誰か対処できる人に知らせねば。

 誰か、というと、必然的にフロレンツか今日泊まり込んでいるホルストになる。言いにいかなければ。しかし、身体がこわばって動かなかった。闇に浮かび上がる金の対の目がそこにいるような気がして。

 落ち着いてきたと思ったが、心音は平時にはまだ戻らない。呼吸はせわしなく、うまく酸素が吸えていない気がする。

 そのままどれほど時間が経過したのかはよくわからない。

「サトル……?」

 呼びかけられ、はっと顔を上げる。

「フロレンツさん……」

「無事か!? 怪我はないか? 痛いところは?」

 光の氷石の淡い光が厳つい顔を浮かび上がらせる。

「大丈夫、です。その、獣人の人に襲われそうになりましたけど、逃げたので。すみません、誰かを呼びに行くべきだってわかっているのに、怖くて、身体が動かなくて……」

「もう大丈夫だ。その獣人はこちらで捕まえた。……またこの家で不安にさせてしまった。すまない」

「フロレンツさんのせいじゃないですよ!」

 誰が悪いのかで言えば、セキュリティの甘さがあったとしても、スキを探してまで忍び込んできたフェリシーなのである。

「夜はまだ冷える。サトルも、ずいぶん身体が冷えている」

 するりと頬をなでられた。フロレンツの手は熱い。それだけサトルの身体が冷えているのだろう。

 氷石ランプが渡されたので受け取ると、ふわりと身体が浮いた。フロレンツがこともなげにサトルを抱え上げたのである。

「フロレンツさん!?」

「もう夜も遅い。すぐにでも眠ったほうがいい」

 怯えるように震えていた心臓が、ばくばくっとまわり始める。身体に一気に血が巡っていく。

 いや、しかしとサトルは考える。少女漫画のようなシチュエーションだと思ったが、それにドキドキするのはちがうのではないだろうか。フロレンツは領主としての責任でもってサトルの身を預かっている。漂流者という物珍しさくらいしか持っていない自分は、ことさら特別な存在ではない。自分は、凡庸なのだ。自分にある特別は、勝手に付与されたものばかりで、己から出たものではない。

「あぁ、見つかりましたか」

 大人しく運ばれていると、氷石ランプを持ったホルストに遭遇した。ホルストもサトルを探していたようだ。

「今見つけたところだ。今夜は私のところで寝かせる。闖入者には町の外まで送ってさしあげろ。焼印がいやなら二度とくるなと言っておけ」

「承知しました」

 ホルストはくるり背を向けていってしまった。捕まえたフェリシーは、追い出されることになったらしい。

「焼印ってなんですか?」

「重罪人には特殊な焼印が見える場所に押されるんだ。罪の証だな」

 江戸時代には罪人にそれとわかる入れ墨を彫るという罰があった。それと同じようなものだろう。焼印も入れ墨も痛みを伴う。サトルには縁のないことだが、ゾッとする話である。

「今の状況では、安全と言えるのが私の見える範囲になってしまう」

 ずっと運ばれていたサトルが降ろされたベッドは、フェリシーに襲われかけたベッドではなかった。

「すまない。安全を保証できるのはここだけになってしまうが、いいだろうか?」

 フロレンツの寝室、フロレンツが毎日使っているベッドである。

「僕は……」

 戻れるだろうか? あの部屋へ。フェリシーは町外に追い出される。もちろん戸締まりのチェックはより厳しく行われるだろう。安全と言っていいのだが、わかっていても気持ちは追いつかない。“なんとなくいや”と思ってしまった。

「……お邪魔します」

 すみっこに潜り込んだ。

「そんなところで寝たら落ちてしまう。私が嫌でなければ、もっとこっちへ」

 ずるい言い方だ。嫌などと言えるはずもなく、サトルはフロレンツに身を寄せる。

「たしかにここは安全ですね」

 幼い頃、妹が怖い話を聞いてしまったと、サトルの布団に潜り込んできたことがあった。あのときの妹も、同じように思ったのだろうか。

「今日は何も考えずに身体を休めるんだ。おやすみ」

 温かい手で軽くなでられた。

「はい、おやすみなさい」

 ぬくもりだけでフロレンツに包まれているようで、怖いものはもう何もなかった。


 後に詳細を聞いたのだが、フェリシーはサトルに逃げられたあと、フロレンツも襲ったらしい。そこから捕獲とサトルの捜索が行われた。

 どれくらいの成功率だったのかはわからないが、『今までうまくいってたもん!』とのこと。それが本当なら、今回は相手が悪かったのだろう。サトルはお断りの一択としか思えないのだが、そうでないものはいくらでもいたようだ。


 翌日、ベッドが一台、フロレンツの寝室に運び込まれた。もちろん、サトルのためである。フェリシーから聞き出したセキュリティの穴は強化したものの、安全で安心して眠れるのはフロレンツのそばだろうと、フロレンツが言い出したのだ。ベッドの移動は独断で行われ、サトルが聞いたのは就寝直前であった。布団一式だけならば往復すれば運び込みは完了するが、ベッドも運び込まれるとなると、一仕事である。何故かはりきったフーゴの腰に大変な負担がかかってしまった。その犠牲を聞いて、戻してくれとも言えず、寝室をともにすることになってしまったのである。

 ますますフロレンツの結婚が遠のいてしまう。早く自立せねば。サトルは決意を固めるのだった。


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