#08
「先日はわざわざありがとうございました」
「えぇ。サトルさんが元気で何よりです」」
「“食”は生死に関わることですから、すぐに解決してよかったです」
後日、サトルは教会に訪れていた。お礼をするためだけではなく、色々聞きたいことも溜まっていたために。わからないことは漂流者であるというサトルの事情を知るものであれば、だいたい親切に答えてくれた。ただ、聞きにくいこともある。人の口に乗ってほしくないことでも、マリーであれば聞ける。懺悔ではないが、懺悔室のシステムと同じなのだ。
メモの中から疑問を引っ張り出す。その中に紛れ込ませるように聞いてみた。
「キスって、特別なことですか?」
銀食器窃盗事件は、すぐに片付いた話である。直後の、サトルが食事を受け付けなかったことのほうが解決に手がかかってしまったくらいだ。とはいえ、そちらも長引かず解決はした。自分で作った料理、いつもの味、と段階を踏み、今はもう普通に食事ができるようになっている。もう過ぎたこととなっているのだが、思い出して引っかかることがあった。
口移して食事を与えるという行為が、とっさの応急処置として躊躇なく行えるものなのか、と。
人工呼吸に近い行為だと思うのだが、いったんそれを置いて、唇を合わせるという行為はそもそもどういう感覚で行われるものなのだろうか? サトルとしては、特別な仲の間で行われるものだという認識だ。いざ人命に関わる場面に遭遇したとして、ためらいなく人工呼吸ができるのかといえば、迷いが生じると思う。
「だいたいそうですけど、キスの範囲が曖昧ですね」
「あぁ、そうですね。えっと……唇同士を触れ合わせるキスは、僕の感覚では恋人同士とかでしかしないことです。他所の国では、親しければ友人同士でもするようなことを聞いたことがあるし、あぁ、兄妹には時々ほっぺたにされるから、そこまででもないのかなぁ」
「感覚は人それぞれですからはっきりした線引はできませんが、サトルさんの感覚は重めですね。その感覚でも問題ない範囲で」
「そういうものですか。わかりました、ありがとうございます」
キスの深い浅いはあるが、親しい仲でするものという見解は間違っていないようだ。
ただ、フロレンツなら、命がかかっていると言うならば躊躇はしないだろうと思う。町に住まう人々を愛するフロレンツは、天秤にかけることなく己の感情を捨て命を優先させる。サトルの思うフロレンツはそういう人物だ。
「あと、最近の僕の能力についてですが」
「判定板出しますか? 出しました! さあ、チクッとどうぞ!」
用意していたのか、一瞬で出てきた。ためらう理由もないので、ガイドに指をおいてチクッとする。
「なるほど、さすがに全てではないですが、まんべんなく練度が上がっていますね」
「アルバイトのおかげです。いろんな氷石の扱い方もみなさんに教わりました」
火の氷石の扱いはカルラが教えてくれた。カルラほどの繊細な調整はできないが、ある程度はコンロの方で調整が可能だ。肉屋では冷気の氷石を、皿洗いで水の氷石を。教えを請えば、みな快くコツを教えてくれた。
「氷石の扱いは、得意不得意が出やすいのですが、そこもまだ特別に練度の差は見られませんね。何でもなれる素質を持っていますよ」
「選べなくて何にもなれないなら、持ち腐れですけどね」
「選択肢がたくさんあるのも考えようですか。サトルさんが伸ばしたいと思うものが見つかるまで、気長に探しましょう。いつでも調べますから、いつでもいらっしゃってください。ただ、突出してきているものもあって、気になることが三点あります。確認してもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「自己治癒能力がずいぶん伸びていますが、心当たりは?」
「あー、大丈夫です。それは医師の監視下のもと訓練を行いました」
様々なアルバイトをしているうちに、診療所とも関わることがあった。この世界で目覚めてすぐに、漂流者が何であるかを教えてくれた医者見習いゲオルグと話をする機会があり、その際に自己治癒能力について聞いたのだ。ゲオルグもその能力は高く、どのように鍛えるのかを教えてもらうことができた。想像通りなのだが、何度も傷を治すだけ、とのこと。怖いと思った能力ではあるが、いつ不慮の事故に巻き込まれないとも限らないサトルである。ゲオルグに協力してもらい、練度を上げだのだ。一度、神経を切ってしまったが、それも自己治癒できてしまった。治らなければゲオルグが治してくれるという状況で行っていたため、しびれて感覚がなくなる恐怖を訴えたが、『もう少しもう少し』と焦らされ、結局治せてしまったのだ。
『そこまでいったら、骨折までいけますよ!』
と、お墨付きをもらったのだが、耐えなければいけない痛みが限界だったので、そこまでにしている。
「……まあ、いいでしょう。無理はしないでください。もう一つ、それと関係していると思うのですが、傷の受容ができるようになっています。前には見られなかった能力ですが、これは?」
「それは心当たりはありません。ゲオルグさんが持っている能力ですよね?」
誰かの傷を自らの肉体に移す能力である。不可逆で、もらいっぱなしになるが、自己治癒能力と併せ持っていると移して治す方が早い場合もあると、ゲオルグは言っていた。
「そうです。大変珍しい能力です。この町のたった一人が誰とは言えませんが」
「言ってますよ」
神の末端がそれでいいのかと心配になるくらい、マリーは時々おっちょこちょいである。
「その能力は、伸ばす気がないのでしたら、隠しておいた方がいいでしょう。練度が低いと、調整もできず傷をそのまま受け止めてしまいます。練度が高いと、一部の傷だけ受容することもできます。軽減した状態で受け止めることもできます。自己治癒能力との兼ね合いもあるのですが。中途半端に使えてしまうと危険な能力です。気をつけてください」
「はい、肝に銘じておきます。痛いのは嫌ですからね」
「そう思っているなら大丈夫ですね。他に何かありますか?」
「……三つじゃなかったんですか? 気になること」
「一つは人に言えないものでした」
「それは三つっていう前から隠してくださいよ!」
この人大丈夫だろうか? 人ではないが。サトルは思ったのだった。