#06
翌朝の食事にスープはなかった。かわりに、ミルクたっぷりのお茶が添えられていた。食べさせてもらっている身なので文句はないのだけど。
身支度を整えていると、ヘルマン宅に行くよりも先にローザとヘルムントが訪ねてきた。
「昨日の髪型、このリボンでやって!」
リボン他道具持参である。
「はい、承ります」
ふわふわした髪質のローザはルーズに編み込みを。しっかりした髪質のヘルムントはかっちりとした編み込みを。
「おじさまにはこのリボンを使って」
「おじ……フロレンツさん?」
「呼んできた!」
兄妹の連携により、フロレンツの髪にもリボンを編み込むことになった。
「サトルは髪が短いからできないじゃない。早く伸ばして!」
「一年待ってもらっても、やっとくくれるくらいかなぁ。自分の髪に編み込みは難しいよ」
「じゃあ、私がやってあげるわ。やり方、憶えなきゃ」
手元をまじまじ見られながらは、なかなか緊張感があった。
「ふふっ、サトルに髪を結ってもらうと、くすぐったけど気分がいいわ」
「大切な御髪ですから、愛情込めて丁寧に扱わせていただいています」
「おじさまもそう思うでしょ?」
「……あぁ、そうだな」
フロレンツに肯定されると、こそばゆくて気恥ずかしかった。悪い気はしなかったが。
「今日は今日で二人ともご機嫌みたいでやりやすかったです。サトルさん、ずっといっしょに勉強してください」
「たぶん一時的なものだと思いますよぉ……」
ちょっと困った。
午後からはまた町にでた。今日は(何故かサトルにあたりが強い)ホルストとともに。昨日に頼んでおいた衣類の一部の受け取りと、ギルドに状況を聞くために。ホルストはホルストで用事があるらしく、そのついでである。
サトルの物珍しさに話しかけてくるものはまだいたが、当初に比べればさばける範疇だ。サトルが目に見えてわかりやすく特殊技能を持っているわけでもないことが知れてきたのだろう。ほんの数日だが、人の口から口へわたる話題の速度は時々想像を超えるものだ。
サトルはそもそも胸を張れるほど突出した“得意”を持っているわけでもなかった。普通や常識の定義は時と場合によるが、普通や平均に埋もれるくらいだ。さすがにこうして世界すら異なると、普通から外れることはあると思うが、結局“普通”に埋もれる。それくらいが心の平穏にはちょうどいい。
「あら、サトルくん」
「おばあちゃん」
通りがかったカルラに話しかけられ、見知らぬ顔ばかりの中、素性知れた相手にホッとする。
「ちゃんとご飯食べてる?」
「うん、おかげさまで」
「そう、よかった」
なんてことないやり取りだが、何故か話に混ざってすらいないホルストが不機嫌をマシマシにしていた。
「あっ! 漂流者のお兄ちゃん!」
そしてもう一人、今度は気が休まらない者が現れた。ストールを拾ったという少年である。反射的に身がすくみ、口元がこわばる。
「こんにちは!」
「あぁ、うん、こんにちは」
できるだけ表に出ないように努めるが、うまくできた気がしなかった。それが少年にも伝わったのか、上機嫌に見えていた顔が、むっと怒気を帯びる。
「やっぱりお兄ちゃん怒ってるんだ。ボクがマフラーもっていっちゃったこと!」
言うが、怒っているのは少年の方である。己の行動を棚に上げて。子どもの自分勝手に、ますます身がすくむ。
「言ったな? “持っていった”って」
少年の身体が持ち上がった。ホルストが捕まえたのである。
「ちょっと落とし前付けてくる。あー、ばあさん、そいつとこの辺で茶でも飲んでてくれ。そいつを一人にすんなって言われてるから」
「いいわよ」
「じゃあ、頼む。オレの用事も片付けてくるから、しばらくかかる。変なとこ行くなよ?」
「は、はい」
ホルストはじたばたする少年を持っていってしまった。
フーゴからちゃんと情報共有されていたのだろう。物騒な言葉を使っていた気はするが……。
「おばあちゃん、僕とお茶、付き合ってくれますか?」
ホルストは、サトルにはあたりが強いが、祖父であるフーゴと主であるフロレンツへの尊敬は厚い。評価が下がるようなことはしないだろう。ということにして、それ以上考えるのを放棄した。
「そういえば、おばあちゃんのお店も求人出してましたね」
どんな仕事があるのだろうと、ギルドの求人掲示板を眺めているときに見つけたのだ。
「えぇ、そうよ。見てくれたの?」
「うん。この世界で生きていくしかないって聞かされて、じゃあお仕事を探さないとって思ってなったんです。しばらくは、文化とか常識とかをヘルマンさんのところで子どもと一緒に学ばせてもらっていて、すごく短時間になっちゃうんですけど、僕でもできることを見つけたいんです」
その条件でもいい仕事を探しておくとギルド職員は言っていた。そんな都合のいい仕事があるのかと、不安はある。
「ちょうどいいかもしれないわ。合いそうなら、おばあちゃんのお店、お手伝いしてくれる?」
「ホント? どういう条件になりますか?」
「お店はね、お昼と夕方に人が多いのだけどね、串を焼く以外がおろそかになっちゃうのよ。その時間、手伝ってくれたら嬉しいわ」
「おばあちゃんが集中して焼き物ができるように、接客のお手伝いってことですか? 夕方の時間なら、お手伝いできると思います。さっき、ホルストさんが言ってたみたいに、僕はまだ一人で出歩かないようにって言われていて。帰ったら確認します」
「まあ、嬉しい。サトルくんの事情もあることはわかっているから、急がなくても大丈夫よ」
「ありがとうございます! ギルドの方に出している求人は大丈夫ですか?」
「長く出してるけど、応募がなくてね。急いで取り下げなくても問題ないわ」
「わかりました。おばあちゃんのところなら、フロレンツさんも心配しないと思います」
ありがたくも、早速足がかりができてホッとする。
「いい話を聞かせてもらった。俺のところにもこないか?」
と、二人が座るテーブルに混ざったのは、お茶を飲んでいるその店の店主だった。
「うちは、今の時間帯に店番を置きたくてね」
ちらり店内に目を走らせる。先程メニューを聞いたが、飲み物と焼き菓子のみのカフェタイムといった雰囲気の品揃えだった。人を追加したいと思えるほど客が入っているようには見えないが。
「わかるか? 正直、金になる時間じゃないんだ。ただ、じーさんばーさんがちょっと休むにちょうどいいって言って使ってくれるからな。開けるからには、誰かが店に出ていないといけない。俺は裏で仕込みや片付けをしたい。そんなだから、店番がほしいんだ。何かあったら俺を呼んでくれればいいってだけの仕事で、金になる時間じゃないから、あまり金も出せない。時間も短い。求人に出すほどじゃないから保留にしてたが、それでもいいなら考えてくれないか? 店番を置いて変わるか、試したいっていうのもあるんだ」
「そうなんですか。おばあちゃんの方は夕方ですよね?」
「えぇ。毎日じゃなくてもいいわよ。サトルくんができることを探す隙間にでも手伝ってくれたら」
「うちは夕方頃から本腰いれて営業始めるから、ちゃんと人を用意してる。時間は被らないな。こっちは実験みたいなところもあるから、毎日じゃなくていい。働くことの足がかりにしてくれ」
「いいんですか? 二人とも、すごく僕に合わせてくださってますけど」
「いいのよ。お手伝いさんがほしいのはちょっとだけ。あたしも都合がいいの」
「うちも、都合がいい」
「ありがとうございます! このあとハロ……じゃなかった、ギルドでお仕事がないか聞きに行くので、お返事はそれも聞いてからになっちゃいますけど、前向きに考えさせてください」
ギルドでもいくつか条件が合う仕事をピックアップしてくれていた。依頼人の人柄まで考慮してくれたとのことである。
串焼き屋と食堂のことについても、条件は妥当か聞いてみた。たしかに相場より少し安くはあるが、聞く限り業務内容を加味すれば安すぎることもなく、条件も悪くない、とのこたえだった。
「不安に思うことは何でも聞いて下さい。私、サトルさんの担当ですから!」
いつの間にかそういうことになっていた。
ホルストにも、家のことで手伝えることがあればと言っておいたが、適当な返事しか返ってこなかった。望みは薄そうだ。
******
翌朝も、隣家の兄妹はヘアアレンジ用品を持ってサトルを迎えにきた。芸がないので、前回とは異なる結び方をした。流れで、フロレンツの髪型も整えた。
「サトルのは私がしてあげるから、早く伸ばして」
「ごめんね、あと一年か二年くらい待ってもらわないと」
「その時には学校じゃない!」
この町にも学校のようなものはある。ヴォルフ家からの支援はあるものの、ボランティアによって支えられている私塾で、簡単な読み書き計算を教える場所だ。
ローザのいう学校は、都にある王立の学校のことである。入学は六歳から。つまり、ヘルムントが来年に入学する。それに合わせて、一時、ヘルマン家は王都に居を移す。代わりに、今王都に住んでいるフロレンツとヘルマンの父母・祖父にあたる者が戻ってくる。一定規模以上の集落を治めている領主は、血族のうちの誰かを王都に置くことが通例なのだそうだ。そのため、王都にはヴォルフ家の別宅がある。
それらを聞いてサトルは思った。寺子屋と参勤交代だ、と。歴史は繰り返す、というわけでもないが、似たような道はたどるらしい。
「二人が王都に行っても、会えなくなるわけじゃないよ。気軽に会うのは難しいんだろうけど」
「サトルも一緒に行けばいいんじゃない? オレたちのお兄ちゃんになればいいよ」
「あはは……。嬉しいけど、僕は二人のお父さんのほうが年が近いよ」
朝、ヘアメイク用品を携えたローザとヘルムントがむかえにくる。二人の髪をセットし(時々フロレンツの髪もセットする)、ヘルマン宅で勉強と昼食。午後からは、各所でアルバイト。まだ一人で町を歩かせられないと、フーゴかホルストの付き添いがあったが、顔見知りも増え、付き添いの頻度減っていった。
最初は右も左もわからなかったサトルだったが、“日々の生活”ができていったのだった。