#05
翌朝、朝食はフーゴが運んできてくれた。簡単に今日の予定を説明がてら。昨日聞いたことと変わりはなく、午前中はヘルマン家で学習。午後からはサトルに必要なものの買い出し(主に衣類)とハローワークもといギルドへの仕事の相談。付け足されたのは、昼食はヘルマン家でとることになったくらいだ。
「フロレンツさんは、今日はお仕事ですか?」
「はい。何がご用事がありますか?」
「いえ、昨日は一日使わせてしまいましたから、今日は邪魔にならないようにと思って。大丈夫そうですね。お手数おかけしますが、今日はよろしくお願いします。フーゴさんのお仕事は大丈夫なんですか?」
「えぇ、もちろん。そのために孫を鍛えていますから」
今はフーゴとその孫のホルストがフロレンツ宅で働いている。フーゴの息子はヘルマン宅で同じように使用人頭をしているのだと聞いている。
「代々ヴォルフ家の使用人なんですか?」
「はい。ありがたいことに、長く続けています」
ちなみに、その日の朝食のスープは味気があった。昨日だけハズレだったのだろうか?
ヘルマン宅で聞かせてもらった学習内容は、地理と歴史を混ぜたような内容だった。途中でその歴史を大きく動かした漂流者なるものが出てきたので、わざわざ用意してくれた教材なのだろう。
ローザとヘルムントは真面目に聞いていた。素晴らしい学習意欲だと思ったのだが、家庭教師いわく、『今日はずいぶん真面目に聞いてくれました。たぶんサトルさんがいらしたからです。明日も来てください。毎日来てください!』とのことである。
予定通り、昼食はヘルマン宅で。ここでも、大人しく行儀のよい兄妹の様子に、エリザが『毎日来てほしい』と言っていた。
慣れてしまえばもとに戻ると思うのだが、それまでは二人を先輩と思って尊敬することにしよう。まだ何もできない身だが、役に立つならそのほうがいい。
午後も予定通り、フーゴと出かけた。サトルの一年とこちらの一年の差は無視できる誤差と考えた上で、サトルの祖父より一回りほど下の年齢を聞いた。サトルの感覚では、こちらの年齢は二割増三割増くらいの計算で、だいたい一致する。その計算を加味しても、フーゴはお祖父ちゃんくらいの年齢だ。フーゴも例外ではなく体格がいいので、老人に分類される年齢なのだが、しゃっきりとしてサトルより大きい。年齢は確かに身体に刻まれているが、不思議な感覚である。
「フーゴさんもそうですけど、大人の人は髪が長いのは、エリザさんが『髪の長さは威厳』と言っていたことが常識だからですか?」
元からの色ではなく、白髪の色合いのフーゴの髪も、長髪と十分に言えるくらい長い。
「威厳までいうと言い過ぎかと思いますが、髪が長いのが普通ですね。サトル様は、我々から見ると、幼い顔立ちをしているだけではなく、髪が短いために余計に子どものように見えます」
「あはは……。この世界では子どもも同然ですけどね」
笑い事ではないが、笑っていなくてはやってられなかった。そろそろ切ろうと思っていたくらいなのでサトル基準では短くはないのだが、周囲の人々に比べれば短い。
「エリザさんにも言われましたけど、伸ばしたほうがいいんでしょうか」
「ご自由に、と言いたいところですが、事情を知らない方が見ればサトル様を子どもと判断しかねません。私としては、伸ばしたほうがいいと思います。独り立ちを目指すのであれば、よけいに」
「ですよねー」
郷に入っては郷に従え。凝ったヘアアクセサリを付けていたエリザはこだわりも強そうだ。相談しよう。
訪れた衣料品店では、大人用の衣類は案の定サトルに合うサイズがなかった。オーダーとなると、また手間がかかるということである。
「すみません……」
「サトル様が気になさることではありませんよ」
急遽、二着はその場でどうにか繕ってもらった。仕事がないか伺いにいくのに、子ども用の服では印象がよくないだろうということで。頑張って袖丈を詰めてもらったが、どうしても布が余ってしまう。腰回りがどうやってもぶかぶかだったので、サスペンダーをつけることになった。それも子どもっぽいと思ってしまうのは、三〇年近く小学生を続けている探偵のせいだろう。
受付窓口が並ぶギルドは、物々しい想像をしていたが、役所めいた場所だった。学生の身であったサトルは、縁はなかったが、ハローワークもそういうところだったのかもしれない。
フーゴの用事も終わらせ、窓口にサトルが仕事を探している旨を伝える。教会での能力判定板の話も添えて。
「何の能力があるのか、やってみないとわからないから、まずは手広くいろいろやってみたい、ということですね」
受付の女性は熱心に話を聞いてくれた。フーゴも時々言葉を足してくれた。
「難しいでしょうか?」
「いえいえ、探し甲斐があります! ただ、条件が条件ですから」
しばらくはローザとヘルムントとの学習予定がある。午後の短い時間のみとなると、合致する求人は限られてくるのは想像に難くない。
「いっそ、サトルさんの方から募集をかけてもいいくらいですね」
「あれ? 僕、雇ってほしいって話だったんですけど?」
「縁起がいいと思われているんでしょう。後ろで聞き耳を立てている方がいらっしゃいますよ」
そう言われた途端、ガタタと背後がにわかに騒がしくなった。
「短い時間でもうちは大歓迎だよ!」
「オレのところもかまわねえぜ!」
「今から求人の条件かえていいかい?」
「ひぃ!」
迫ってくる人々に身をすくめる。
「お待ち下さい」
フーゴが守るように立ちはだかる。
「物珍しさはすぐに飽きられますよ。そんな表面的なものをお求めの方に、サトル様はお預けできません!」
「お、お父さん……」
まだまだ庇護対象なのだと思い知らされたのであった。
すぐに働けるように各種情報を登録してもらった。
「今騒いだ方はペナルティとして優先順位を下げておきます。今ある中からも探しておきます。すぐに出せそうなものを探しておきますから、明日以降またきてください」
とのことである。
「ずいぶん優先的にやってくれるんですね」
「サトル様のやる気をくんでもらえたのでしょう」
「生計を立てるって、大変ですね……」
まだ何もなしていないのに、どっと疲れた気分である。昨日ほどではないが、漂流者の物珍しさにジロジロ見られたり、声をかけられたりは続いている。今日は、フーゴがうまくあしらってくれている。フロレンツにも言われたのだが、まだ一人で町を歩けそうにない。
「サトル様の国でも成人しているのではないのですか?」
「まぁ、そうですけど……。自主的にいく、より専門性の高い教育を受けるために、親元を離れる予定でした。ほんとにもうすぐそうなる予定で、ちょうど一人で生活できるように父と母から教えてもらっているところだったんです。親元を離れると言っても、親の援助ありきの生活で、身を立てるには程遠いんですけどね」
漂流直前の記憶はないが、それより以前の記憶までないわけではない。時期としては大学入学直前。下宿先の準備は整い、あとは向こうでの生活を始めるだけ、というところまで進んでいた。
「元いた世界では行方不明扱いになってるのかな……」
聞いたのがサスペンスドラマであるため信憑性は怪しいが、行方不明は届け出だけで年間何万と出ているらしい。本当に行方不明になっているかはその一部だろうが、その中にサトルと同じように他の世界へ漂流してしまったものがいるのかもしれない。エイリアンによるアブダクションやチェンジリングの中にも、あるいは。
「大学の費用だけ出させて行方不明とか、最悪だな……」
「ダイガクの費用がどれほどのものかはわかりませんが、それよりもご家族の方はサトル様のことをご心配していると思いますよ」
「そう……ですね。せめて、無事だけでも伝えたいです」
言葉にするのが怖くて、『無理なんでしょうけど』は飲み込んだ。
家族仲は悪くなかったと思っている。スカッとした性格の母、鷹揚な父、ハツラツとした妹。たぶん、よくある家族だ。サトルにとっては唯一無二の。おそらくもう二度と会えない。急に突きつけられた気がして胸が重かった。
その日も夕食はヘルマン宅に招かれた。メニューは昨夜とそれほど変わりはない。もしかすると、サトルの感覚より食事に重きをおいていないのかもしれない。サトルの生活の中でも、思いつくだけでも(日本風にアレンジされているが)数カ国の料理が出てくる環境は案外稀有なのである。気づいてしまい、すでに挫けそうだ。
食後は、昨日は大人での話で子どもたちは追い出されていたが、今日はローザとヘルムントが中心だった。フロレンツとヘルマンは別室で話し中である。エリザに見守られながら、漂流者であるサトコの本について子どもたちに教えてもらうことになった。
内容は、サトルもよく知る童話や小説をこの世界風にアレンジしたものだった。共著となっているのは、そうやってアレンジの手が入っているからだろう。
「この本って、そんなに売れたんですか?」
「えぇ。とても斬新な物語で、今でも版を重ねているわ」
本の奥付にかかれている出版社がここからどれほど遠くにあるのかはわからないが、印刷技術、輸送能力、識字率の高さが推測できる。読書は好きな方なので、心の栄養はすぐに見つけられそうだ。
「あ、そうだ、昨日に言ってた髪を伸ばす件についてですけど、そうしようと思います。そんなつもりはないですけど、子どもっぽい見た目なんですね、僕は。髪を伸ばしても気休めにしかならない気はしますけど、マシかな、と」
「まぁ、素敵。黒髪は、このあたりでは珍しいから、きっとミステリアスになるわ」
ミステリアスとは、ついぞ己に向けられたことのない評価である。
「困ったことがあったら何でも聞いてちょうだい。協力するから」
「よろしくお願いします」
やはりエリザは本気度合いが高い。
「のばしたら、どんな感じになるんでしょうね。長かったことないから、ちょっと想像つかないです。妹に頼まれて髪を結んであげていたことはあるんですけど」
「サトルは髪が結えるの? どんなのかしら。見てみたいわ。お道具、取ってくる!」
止める間もなくローザが飛び出していった。昨夜のエリザと同じである。
「えーっと、そんなに大したものじゃ……」
「サトルがいいなら、ローザの髪を結ってあげてくれるかしら?」
「わ、わかりました。気軽に髪って触っていいものですか? 大事なものなんでしょう?」
「家族ぐらいにしか触らせるものじゃないけど、サトルならかまわないわ。その気持ちがあれば大丈夫よ」
大丈夫らしい。
ローザが持ってきたヘアブラシとアクセサリで柔らかいふわふわの髪を整えていく。
「少し引っ張るね。痛かったら言って」
ゆるめに編み込んでまとめ上げた。『お兄ちゃん器用だから』と雑誌や動画を見せられながら妹の髪を結っていたが、思いの外、手が憶えていたようだ。
「どうかな?」
後ろも見えるように鏡を構えて見せる。
「うん、いいわね! サトル、私の専属にならない?」
「光栄なお言葉です」
「サトル、オレも」
「はい、喜んで」
「専属は!?」
「独り占めはダメよ」
ヘルムントは、細いリボンがあったので一房リボンを編み込んでまとめてみた。
「かっこいい!」
「気に入ってもらえて何よりです」
毎回凝った編み方をするわけではなかった。慣れるためだと言い張られ、普段の簡単に一本にまとめるだけのときもサトルが整えた。妹よりずっと細くて柔らかい髪質だが、十分に憶えていた手は思うように動いてくれた。引きずられて、妹のことが脳裏によぎる。兄に結んでもらったのだと、妹はよく自慢していたらしい。優しい兄(都合がいいというニュアンスもあったが)は、自慢するに値するのだとか。もうすぐ離れる予定だった。同じ屋根の下で暮らしていた家族だ。何もなければ、毎日顔を合わせていた。さみしくなるだろうと思っていた。それはまだほんの少し先で、離れてもさみしいよと連絡が取れる心づもりでいた。しかし、特別な理由もなく、サトルは選ばれてしまった。“漂流者”に。
「すみません、ちょっと外します」
エリザに断ってそっと部屋を出る。廊下にも明かりはあるが、一段回暗い。明るさが切り替わった途端、どっと押し寄せてくる郷愁に嗚咽が漏れる。
離れようと数歩歩いてみるが、力なくしゃがみこみ、小さくなりながらどうにか口元を抑えて声だけは殺す。
最後の会話は何だっただろう? 憶えていないくらい、何ということのない言葉だった。いってきますとか、いってらっしゃいとか、おはようとか、おやすみとか。数日顔を合わせないことは今までもあった。今回は、これからは、もう二度と会えない。失われてしまったのだ。あまりにも当たり前にそばにあったものが。
嗚咽はこらえたが、溢れる涙は止まらなかった。
あぁ、自分には、もうこの身以外なにもない。
「サトル? どうした?」
駆け寄ってくる声に、あわてて目元を拭う。立ち上がろうとして、少しふらついた。力強い手に支えられ、それ以上のことはなかったが。
「すみません……。ちょっと、家族のことを思い出してしまって」
ごまかしが効くとは思えなかったので、正直に吐露する。
「お兄さんとのお話はもういいんですか?」
「あぁ、話はまとまった。サトルを迎えにきたが、その顔では子どもたちの前には出られないな」
「すみません……」
「私が行ってくる。少し待っていてくれ」
ハンカチを渡された。涙を拭って待っていると、フロレンツはすぐに戻ってきた。
「子どもたちに髪型を自慢された」
「恐縮です。よく妹にしていたので、慣れているんです」
また涙が加速しそうになった。
「帰ろう」
「はい、戻りましょう」
自然に手をひかれた。サトルの手をすっぽり包みこんでしまえそうな大きな手に。年齢を明かしても、まだ子ども扱いは抜けないらしい。子どものように見えてしまうのだから、仕方がないことなのだろうが。となり合うヘルマン宅からフロレンツ宅へのわずかな移動だ。拒絶するほどでもないので、そのままにしておいた。
「代わりにはならないが、新しく家族を築くことはできる。私が、家族になろうか?」
「え?」
一瞬、理解が遅れた。
サトルはまだ領主という位置づけがどれくらいのものなのかわからない。だが、町の名前が家名であるくらいには、代々続いている。今のところそんな様子は見られないが、どうしても血なまぐさい後継者争いといったものがちらつく。そんなところに入り込めないし、フロレンツも簡単にそんなことを言っていいものではないだろう。
「ご心配おかけしてすみません! 大丈夫です、すぐに慣れます。まだこの世界に不慣れも不慣れですみません。どうしようもないことだって、理解はしています。すぐにっていうわけにはいかないですけど、できるだけ早く自分の身を立てられるようにしますから!」
この世界にただ一人放り出されたことは理解している。もとに戻ることはできず、どうにもならないことも。気持ちが追いついていないだけだ。いずれ慣れる。慣れなければいけない。
「フロレンツさんが僕の責任を負ういわれはないんです。すみません、僕が軟弱なばっかりにご迷惑をおかけして。早く、僕は大丈夫だって思ってもらえるようにがんばりますね」
子どものように見えるということは、頼りなく見えているということだろう。ならば、言葉にして行動に移すしかあるまい。ちゃんと大人なのだと認めてもらえるように。
「がんばります!」
「あ、あぁ……」
サトルは決意を新たにするのだった。
その夜、一人になったベッドの中で少し泣いてしまったのだけど。