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#02


 快適な寝具なのだろうか、熟睡には程遠かった。窓の外が明るくなってきた頃、声をかけられた。渡された食事は、そのまま部屋で摂った。素朴な味のスープと、どっしりがっしりしたパン。昨夜は気にすることもなく食べてしまったが、悪意の有無はともかくとして、サトルの身体に悪いものが入っている可能性があるのでは、と思ってしまった。手が止まってしまったが、それでも少しは腹に入ったので、いくらか体力が戻った気がする。

 与えられた部屋は客室だと聞いた。それよりずっと広くて豪華だが、機能は大学受験のために泊まったビジネスホテルとあまり変わりはない。ベッド、机、鏡台、ソファ、洗面台、トイレ、クローゼットとそんなものである。

 窓の外は牧歌的な光景。二階の高さにあり、遠くまで見ることができた。見下ろせば、管理の行き届いた庭。塀の向こうには畑。さらにその向こうには森が見えた。田舎の町だと聞いていたが、そのイメージを損なわない光景である。

 室内は一通り見て回ったが、それくらいのものだろう。

 サトルはもうすっかり手持ち無沙汰になってしまった。ここが安全地帯であるという保証もないが、何も知らないまま出歩くのも危険であるように思える。迷っているうちに食器を下げに来た男にそのまま待つようにと言われて、ますます動けなくなってしまった。

 待つ、とはどれくらい待てばいいのだろうか。すでに起きた頃から窓の外はより明るくなっている。

「あれ?」

 もう一度窓から外を眺める。足元を見て、首を傾げる。

 と。ノック音が響いた。

「は、はい!」

 反射的に返事をする。

「待たせた」

 入ってきたのはフロレンツである。昨日今日で変わるはずもないのだが、相変わらず厳つくてゴツい。

「我が家の書庫を探したが、そうとわかる漂流者の書物は見つからなかった。探させているが、あまり期待はできないだろう。ただ、教会は別のルートで知識を得ることができる。町の散策も兼ねて教会へ行こうと思うが、それでいいだろうか?」

「わかりました。教会って、改宗が必要だったりしますか?」

「改宗? 教会は宗教施設ではないぞ」

「教会なのに?」

 辞書がないので確認はできないが、教会は宗教施設のことを言うはずだ。キリスト教の宗教施設のイメージが強いが、この世界にキリスト教があるのかは怪しい。思うに、サトルの知る言葉で一番近いニュアンスの言葉が“教会”なのだろう。

 フロレンツを始めとして、今まで言葉を交わしたものとは苦も無く意思疎通ができていた。不思議に思い、よく見てみると、サトルが聞こえている言葉と口の動きがあっていなかった。まるで吹き替えの映画を見ているように。どういう仕組なのかわからないが、翻訳されたうえで耳に届いているのだ。あるいは、脳でそう認識している。言語学でも学んでいなければ、効率的に意思疎通できるまで少なからずかかる。いわゆるチートスキルというよりは、備わっていないと詰みかねないため、デフォルトで与えられる能力だろう。

「コートも探したのだが見つからなかった。外は少し寒い。これを使ってくれ」

 青みがかったグレーのストールが肩からかけられた。外を見るために窓を開けたとき、フロレンツが言ったとおり外気はひやりとしていた。一枚羽織るくらいがちょうどいい。

「ありがとうございます。お仕事はいいのですか?」

 領主の仕事はよくわからないが、日がな一日何もしないわけでもあるまい。

「指示はもう出している。今日は一日いなくても問題はない」

 出かけることになった。



 サトルと比べて頭一つ分背が高いフロレンツは、それにふさわしく足も長い。歩幅が大きいのである。サトルは小走り気味でついていく。

「フロレンツさん、“杞憂”っていう言葉、わかりますか?」

「あぁ。サトルは難しい言葉を知っているんだな。子どものころに一度くらいは向こう側から人が降ってこないかと考えることもあるだろうと思うが」

「はぁ、そうなんですね」

 故事成語がどう伝わるのかと思って聞いてみたが、なにかこの世界特有の故事成語があるらしい。降ってくるのは空ではなく向こう側の人。四面楚歌や背水の陣を聞いても、この世界の歴史の話が選ばれるのだろう。世界が異なっても、環境が似ているならば、似たような歴史を通るものなのかもしれない。

 町は大雑把に、端のほうにヴォルフ邸があり、反対側のはしに教会がある。教会と政治の分離を表すためだそうだ。その二箇所をつなぐように道があり、中心部は目抜き通りとなっている。大通りを中心として外側に向かって住宅街。さらにその外側に牧場や耕作地。工房や作業場は必要な場所に。だいたいそういう構造で町ができている。

 家を出てしばらくは住居が並んでいたが、商売の店が見え始めた。人通りも多くなる。フロレンツとサトルに気づくものも現れ始めた。

 町の住人の容貌や体躯を見るかぎり、やはりサトルの感覚よりも一回り大きい。色素は薄く、髪色は濃くても赤茶やヘーゼルくらい。サトルのような黒髪は見られない。その中でもさらに体格もいいフロレンツと、子どもに見紛う小柄なサトルが目を引かないはずがないのだ。

「フロレンツ様、その子が漂流者ですか?」

 いかにも“おばちゃん”と言ったふうな女性が声をかけてきたのを皮切りに、あっという間に人だかりができてしまった。

「幸運をもたらしてくれるんだろう?」

「富をもたらしてくれるんじゃなかったか?」

「フロレンツ様に? 幸運でも富でも、この町にもたらしてくれよ」

「そうだそうだ、もっと豊かになるのはいいことだ」

 サトルの意思とは関係なく、一瞬で富や幸運に象徴に祭り上げられてしまった。無遠慮に触られ、引きつれた悲鳴が漏れる。フロレンツがサトルを抱えるようにして人を突破するまで、サトルはまったく動けなかくなっていた。


「町の様子を見てもらおうと思っていたが、それどころではなかったな」

 やっと教会の前までやってきた。これからが一番の目的なのだが、すでに疲労困憊である。

「僕がたいしたものじゃないってわかれば、こんなことなくなりますよ。すみません、ストール落としちゃったみたいです」

「想定以上の人出だった。しかたあるまい」

「すみません……」

 少し肌寒い腕をさする。涼しいを少し過ぎたくらいだ。凍えるほどではない。それよりもぞっとするのは、ストールを持ち去られた瞬間を見てしまったからだ。

 ストールはピンで留めたり、しっかり巻き付けたりするでもなく、羽織っただけであった。引っ張られたらすぐに落ちてしまう。サトルに触れようとした手がストールを引っ張ってしまったのだろう。身体から離れていくそれを捕まえられず、さらには身動きが取れず目で追うしかなかった。ストールは、少年が拾い上げ、抱きしめるようにもっていってしまったのだ。

 とっさに何もできなかった。人の物を盗ってはいけないなんて、小学生でも知っている。だが、あの少年は、サトルの知る“普通の小学生”ではないのだ。この世界にはそもそも、普通の小学生などいない。きっとサトルの常識は、この世界では通じないだろうとは思っていた。善悪、倫理、価値観など、それらの常識まで。ストールの持ち去りに悪意があってもなくても、あのような少年が普通の少年であるならば──そう考えると、生きていける気がしなかった。

 そもそも、この世界で“生”に執着する意味はあるのだろうか?

 恐怖と諦念に思考が蝕まれていく。

 と。肩から温かいものに包まれる。

「しばらくはそれで我慢してほしい」

 肩からかけられたのは、フロレンツが着ていたコートだった。

「ぼ、僕そんなに寒くないから大丈夫です」

「着ていろ。顔色が悪い」

「すみません、じゃあ、お借りします」

 心身ともに冷えれば顔色も悪くなるだろう。ありがたく借りることにした。袖を通すと、言うまでもなくぶかぶかだった。

 さて、教会である。十字架はついていないが、教会と言われて想像する教会であった。それを踏まえたうえで、サトルには“教会”と聞こえているのだろう。

 重々しい扉を開けると、中もサトルの思う教会に似ていた。説教者が立つような演説台。それを聞くためのベンチ。中にも十字架のようなシンボルはなかったが、宗教画のモチーフを描いたようなステンドグラスが陽を取り込んでいた。丸を抱えている女性のようなものは、この世界の神なのだろうか?

 そして佇んでいるのは、白い衣の女性。白いベールをかぶり、顔を隠している。白い髪、白い肌、透けて見える目だけがただ赤い。雪うさぎのようだと思った。

「お待ちしておりました、漂流者の方。私はヴォルフの神の指先。名はありませんが、マリーア、あるいは短くマリーとお呼びください」

 一歩一歩とサトルの方へ歩み寄り、

「あっ」

 と声を上げ、つんのめってころんだ。“びたーん”と音を付けたくなるような転びっぷりだった。

「大丈夫ですか?」

 あまりの転びっぷりに思わず駆け寄り膝をつく。

「ありがとうございます……。せっかくの漂流者の方ですから、正装でお迎えしようと……久しぶりすぎました」

 その正装とやらは引きずるような衣装だ。裾も踏みやすかろう。

 サトルの手を借りて立ち上がったマリーは、ぱぱっとホコリを払い、何事もなかったように口を開く。

「お待ちしておりました、漂流者の方。私はヴォルフの神の指先」

「それ、さっきも聞きました」

「漂流者についてお聞きしたいそうですね? どうぞ、奥へ。我々からお伝えできることは、お話します」

 促されてついていく。マリーはまた転びかけたが、今度はフロレンツが支えた。


 少々お待ちくださいと連れてこられたのは応接用の部屋だった。待つ間、フロレンツはマリーについて教えてくれた。

 神の指先とは、この世界の“神”の末端で、人の形を取っているが人ではない存在である。神は神であり、名はなく、その末端にも名はない。その集落の名の神の指先と名乗るのが、だいたい自然と愛称がつけられる。その愛称が、この町の場合はマリーア、あるいはマリーなのだ。この町の名前とフロレンツの家名が同じなのは、領主だからである。マリーとフロレンツに特別な関係はない。

 “神”が出てくるならば教会は宗教施設ではないかと思うのだが、“神”(大いなるもの)は確実に存在しており、この世界を成している。崇め奉られてはいるが、信仰心ではないそうだ。“神”はあるのは、この世界の有り様一部で、生活の一部である。サトルも仏壇には手を合わせる。正月に近所の神社に行けば、受験時に神頼みもする。厳密に言えば宗教的な行為だろうが、特定の宗教を信仰しているつもりはない。生活の一部とは、そういうことなのかもしれない。

「お待たせしました」

 次に現れたとき、マリーはこりたのか、正装から白いワンピースに着替えていた。それは標準なのか、白いベールはかぶったままだが。正装であれ、簡易的な装束であれ、上から下まで真っ白──いや、スカートにうっすら赤茶色いシミがある。

「お時間がかかるでしょうから、お茶をどうぞ」

 テーブルに置かれたカップには、紅茶のような色の液体が注がれていた。スカートのシミはそれをこぼしたものだろう。神の指先は、人の中にあるために人の形を取っている。所作の一つ一つも人らしく作られているのだろうが、おっちょこちょいもその一部なのかもしれない。人間らしさかもしれないが、それでいいのだろうか?

 フロレンツはシロップらしきものを入れて茶を飲んでいた。サトルは、コーヒーや紅茶には、疲れたと思ったときにしか砂糖をいれない。そのまま飲んでみた。色は紅茶と思ったが、清涼感のあるかおりがした。同じものではないだろうが、似たようなかおりと味のハーブティーを飲んだことがある。ハーブティーなのだろう。そういうことにしておいた。

「お待ちしていましたが、おまたせしてすみません。あなたが漂流者のサトルさんですね。よろしくお願いします」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 フロレンツが先触れを出しておいてくれたとかで、すでにマリーはサトルの名も用件も知っていた。

「我々から申し上げたいことは、三つ。まずはそれを聞いてください」

 マリーは仕切り直すように居住まいを正したが、おっちょこちょいが尾を引いてイマイチ信用ならない。そもそもこの世界の何もかもが信用ならないのだが。

「一つ目。サトルさんが元いた世界に戻れるかという話ですが、無理でしょう。望むのであればこの世界から送り出すことはできますが、その流れ着いた先が元いた世界である保証はできません。また異なる世界へ流れ着くことになるだけかと思います。サトルさんが耐えうる世界かどうかも保証できませんから、おすすめはできませんね」

「はぁ……。神様の見解もそんな感じなんですね」

 聞いていた推測とそれほど変わりはなかった。少し落胆はしたが、それに関するショックはもう受けている。

「二つ目。サトルさんは漂流者です。この世界に流れ着いたのは、偶然で、それ以上のことはありません。この世界を救ってくださいなどという使命はありません。これからどうするかは、サトルさん次第です。我々は見守っていますが、我々から求めるものはありません」

「それはそれではしごを外された気分です。僕に、意味はないのですか?」

「そんなことはありませんよ。サトルさんはこの世界の一部で、この世界を動かすものの一部です。外部からの刺激は大切なものですからね。安寧と停滞は似ています。停滞とならないよう、この世界は動き続ける必要があるのです」

 話の規模が大きくてサトルにはピンとこなかった。

「三つ目はフロレンツさんに。サトルさんは、何もわからない状況にあります。本当に些細なことまで。根気よく付き合ってください。教会で預かることもできますが?」

「え?」

「いや、今は問題ない。ただ、いざというときの逃げ場所としておいてほしい。──サトルは教会預かりの方がいいか?」

「え? えーっと、何も知らなさすぎて、決められないです……」

 どちらのこともよく知らないのだ。決める基準がない。

「なるほど、何もわからない状況とは、そういうことか」

「そういうことです。市井のことを知るには、市井で暮らしたほうがいいと思います。ここは隔絶されているわけではありませんが、“市井の生活”ができる場所ではありませんから」

 たしかに、サトルの目から見てもマリーは浮世離れしている。その生活も想像がつかない。

「サトルは我が家預かりだ。それでかまわないか?」

「よろしくお願いします。早くこの世界に馴染めるように努めます」

 何が変わったわけでもない。ただ、宣言されただけ。それでも、ふわふわしていた足元がしっかりした気がする。未だに弱い立場ではあるのだけど。

「神はすべてを見通しますが、この世界の外までは目が届きません。我々から教えられるのは、漂流者がこの世界でどうあるか、どうあったかというくらいです。今の三点も、今までの蓄積から出たものです。もっと細々としたお困りごとも蓄積はありますから、いつでもご相談ください」

「はい、ありがとうございます」

「では、次は教会らしく能力鑑定をしましょうか」

「異世界物っぽい。ステータスで数値が見えたりするんですか?」

 異世界物というジャンルは知っている。読み込むほどではないが、まったく読んだことがないわけでもない。ありがちなことは知っているつもりだが──。

「数値で表せることはできますが、項目数が膨大になりますよ?」

「あ、はい、そうですね」

 “ありがち”とはいかないらしい。

「こちら、機能判定版と言いまして」

 ノートほどの大きさの板がテーブルに置かれていた。

「ここに指を置いて痛っ!」

 凹みに指をおいたかと思えば、ぱっと離してしまった。

「……えーっとですね。このように、ここに針がありまして。血液から読み取れる情報が、たくさんありまして」

 こんなにおっちょこちょいで神様は舐められないだろうか。サトルは心配になってきた。

 あわあわするマリーの話をまとめると、その板に血液の情報を読み込ませて、膨大な項目の数値を見やすく表示するものということだ。

「見やすくなると言っても、読み解けるのは我々くらいなのですけどね」

 その板の存在意義がよくわからないことまで言い始めていた。

「というわけですから、ここに指をおいてください」

「マリーさんの血は大丈夫なんですか?」

「我々の血は反応しませんから、大丈夫ですよ」

 ガイドらしき凹みに指を置く。

「チクッとしますね」

 軽く押さえられた。チクッとした。

「あぁ、出てきましたね」

 板にまだら模様が浮かび上がる。その模様から読み取れるらしい。

「これは……どうしましょうか……」

 まだら模様から何を読み取ったのか、マリーはむむっと口元を引き締めて考え込んでいる。

「なにかよくないものでもありましたか?」

「いえ、珍しい……見たことがないタイプですね。だいたいは偏りが見られるものですが、サトルさんはまんべんなく素質があるように読めます。言語や伝達、意思疎通が飛び抜けているのは、漂流者に見られる特徴なのですが。それに関しては、『ホンヤクコンニャクヤンシランケド』と漂流者の方がおっしゃったそうですけど、わかりますか?」

「一瞬で理解しました」

 やはり国民的アニメは強い。どういう仕組なのかまったくわからないが、どういう能力が発揮されているのか、飲み込めてしまった。

「その言葉がわかるのでしたら、先に伝えておいたほうがいい言葉もあります。『ショーユガナイ』だそうです」

「あぁ、それは……辛い言葉ですね……」

 食を何より優先するほどの食道楽ではないつもりだが、突きつけられた事実が思いの外ショックだった。

「サトル、それはそんなに大事なことなのか?」

「そうですね……。でも、期待を持ち続けるより、先に聞けてよかったとは思います……。メンタルが一瞬死にそうです……」

「気をしっかりもて。私はサトルを不自由させるつもりはない。できる限り手を尽くす」

 よっぽど悲壮感が出ていたらしい。フロレンツが慌てた顔で慰めてくれた。背をなでてくれる手が温かい。

「我々にはわからないことなのですが、そんなに大事なことなのですか?」

「僕の血の一部はそれでできているといっても過言ではありません。一部は塩で代用できます。塩くらい大事なものです」

「それはたしかに命に関わることですが……塩……?」

「自家製の味噌はまだしも、しょうゆは流石に高度な発酵食品すぎます。どうにもならないことはわかりましたので、どうぞ、話を続けてください」

「は、はい。続けますね」

 マリーは板に目を落とした。

「誤解のないように言っておきますが、ここでいう素質がないからといって、目指すものにたどり着けないわけではありません。目指すところに必要な素質があればスムーズに進める、くらいの指針としか思われていませんから。必要と思われる素質すべてが必須とも限りません、現時点、その芽が出ておらずとも、あとから花開くこともあります。これがあれば安泰という素質もありません。向き不向きはありますが、いくらでも覆せます。ですから、占いのようなものと思って聞いて下さい」

 占いがあるんだ。サトルは思った。

「言語、伝達、意思疎通。それらは話すことに困らないようになっていると思ってください。他のほとんどは、均されて一斉に芽が出たような状態です。特徴があれば具体的なことが言えるのですが、うーん……手先の器用さは少し見えますが、これは誰しも持ちうるものです。自己治癒能力は他より少し高いですね。先程針でつついたところはどうなっていますか?」

「傷?」

 指を見る。もう痛みはない。治っているように言うので、突かれた箇所を圧迫してみるが、傷の気配はない。

「ふさがってるの、かな?」

「練度が低いとそれくらいですね。練度が上がれば、首の一瞬で断ち切られるか、心臓を一突きにされないかぎり、すぐ治るところまでいけるそうです。それは極端な例ですが」

「それ、怖いんですけど」

 腕くらいなら切り落とされてもくっつくか、生えてくるくらいの勢いだ。

「その練度っていうのは?」

「大抵のことは、練習すれば上手になります。練度を上げるということは、そういうことです」

「それで、傷の治りも早くなる?」

「そうです」

「怖い……」

 便利そうではあるのだが、サトルの感覚がまだ着いていかない。

「サトルさんが自己治癒能力を伸ばさなければいけない理由はありませんよ。これが得意な傾向がありますと言いたいのですが、偏りがありません。なにか、これからの指針になればと思ったのですが、その点についてはお役に立てそうにないです。サトルさんは、これからどうなりたいですか?」

「それを決める指針も知識もないです……」

「サトルの生活は私が保証する。サトルがどうしたいのかは、この世界を知り、慣れてから考えればいい」

「よ、よろしくお願いします。僕は、その、富を招くなんてできないと思いますけど、ご迷惑にならないようにします」

「そんなことは考えなくていい。すまなかった。漂流者が富を招くなどという話を持ち出してしまって。この町も、私も、切羽詰まってはいない。まだ不安も多いだろう。まずはサトルが心安らかに過ごせることを目指そう。余裕が生まれれば、自ずと進める方向も見えてくる」

「はい、ありがとうございます」

 温かい手がサトルの背中を温める。身を委ねてもいいと思える安定感を覚えるが、同時に、本当に信じていいものだろうかと疑念がちらつく。まだ、サトルはこの世界の善悪を確信できていない。

「サトルさんはまだ知らないことも多いでしょう。何でも聞いてください。我々の答えられることは、お答えしますので」

「何がわからないのかも、わからないです……」

 眠れぬベッドの中であれこれ考えていたことをメモしておくべきだったかもしれない。

「僕は魔獣?に襲われていたところを助けられましたけど、そういう物は神様がどうにかしてくれないんですか? 生活が脅かされて討伐することになったって聞きましたけど」

「たしかに我々はあらゆるところに存在して、魔獣被害のことも知っていましたが、それは各自で解決すべきことですから。神は人を贔屓しません。サトルさんは私しか見えていませんが、我々(神の指先)が生活に溶け込んでいるのは、人間だけではありません。木々や草花の中に、虫の中に、人が魔獣と呼ぶ中にも、我々はいるのです」

「監視のために?」

「いいえ。求められれば応えることはありますが、神は基本的に干渉しません。世界を維持しているだけです」

 すわディストピアかと背が冷えたが、そういうわけでもないらしい。口先だけでどうとでも言えるのだろうが。

 “神は人を贔屓しない”。それを聞いて少し安心した。理不尽の只中に身を置くサトルとしては、理不尽は誰のせいでもなく起こり得るのだと言われた気がして。その言葉が本当に信じられるのかと疑う気持ちもずっとあるのだけど。

 マリーにもいくらか疑問に思ったことを尋ねた。丁寧に答えてくれたが、本当に正しい答えなのだろうかという疑念が消えることはなかった。


 ある程度で切り上げることになった。

「いつでもいらしてください。我々でできることでしたらお手伝いします。心配性も程々にしておいたほうがいいですよ」

「それ、判定板から読み取ったんですか?」

「ふふっ」

 マリーは小さく笑っただけだった。

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