#01
その直後の記憶は断片的だ。
緑、樹木と認識、拘束、暗転して闇、焼けるような痛み痛み苦しい痛み。
意識が途切れたのか、脳が記録を止めたのか、それくらいしか憶えていない。サトルの傍らで、身につけているものから体格、声まで何もかも厳つい男が説明するところによると、その断片的な記憶はまちがっていないようだが。
「それで、お前はなぜ魔獣討伐の場にいたのだ?」
威圧感に身がすくむ。変に力が入ったのか、傷が引きつれて痛みが走った。
反射的に腰が引けてしまうのもしかたのないことだ。よくわからない状況で、筋肉由来で腕も足も首も太い男に詰め寄られればそうもなる。顔も厳つい。表情からして厳つい。切れ長の目の宝石のような青さと、光を紡いだような長い金髪はとても美しいけれど。
「それは、僕にもわかりません……。急に、放り出されたみたいになって、気がついたら今こうなっていて、なにがなんだか……」
厳つい男の表情が歪んだ。
「名前は?」
「如月聡といいます」
「キサラギサトル……聞かない名前だな。お前、漂流者か?」
「ひょう……何ですか?」
「当人にはわからないか。知っているものを探してくる。少し見ていてくれ」
「はい、わかりました」
厳つい男が席を外した。かわりにとなりに立っていた男が座った。先程の男ほどではないが、がっしりした体つきをしている。中肉中背──の九割程度のサトルはさぞかし小柄に見えていることだろう。
「こんにちは。僕はゲオルグと言うんだ。フロレンツ様がお戻りになるまで、お兄さんとお話しようか」
「え? ……は、はい」
何かとてもやさしくやさしく話しかけられているように感じる。もしかして子ども扱いされているのだろうか。
「キサラギサトルというのは、家名込みの名前かな?」
「キサラギが名字でサトルが名前です」
「サトルくん、でいいかな?」
「はぁ……。僕も聞きたいことが……多分たくさんあるんですけど、いいですか?」
「どうぞ」
サトルは簡易的なベッドに寝かされていた。周囲に目を走らせると、どうやらここはテントの中であることが知れた。キャンプで使うようなものではなく遊牧民が住居として使うような規模のテントだ。横になっている者はいないが、治療を受けているものが数人いる。男ばかりである。誰も彼もがみながっしりと厳つい。
ゲオルグに目を戻す。
「えーっと、ちょっと待ってください。言葉をまとめます」
知りたいのは今の状況。まさか、もしかしてとぐるぐる推測がまわる。確証を得たいと思うも、まず自分が信じられず、言葉がうまく出てこなかった。沈黙。それでも、ゲオルグは待ってくれた。
「ここ、どこですか? それと関係していると思うんですけど、“漂流者”って、何ですか?」
「うん、いい質問だ。君は賢いね」
幼子を見守るような慈しみを感じるのは気のせいだろうか。今は気のせいということにしておく。
「先に漂流者について説明しようかな。それは世界のほころびに転がり落ち、別世界にはじき出された者のことだ。世界が固着しないための流動だといわれているけど、我々の考えで世界の思惑を理解できるのも思い上がりだろう。っと、少し難しい言葉を使ってしまったかな」
「あぁ、いえ。わかりますので、お気づかいなく」
認めたくはないのだが、子どもあつかいは気のせいではないようだ。
そして、推測は確信に変わった。
これ、異世界物だ。
「ここはどこかという話なんだけど、サトルくんが漂流者っていう前提で話したほうがいいかな? どこにでもある田舎町の外れにある森だよ。魔獣が畑に悪さをする。それだけでなく、人も襲われるという訴えも上がってきたから、魔獣退治に出てきたんだ。その魔獣に、サトルくんが食べられかけてた。魔獣を倒したうえで、君を助け出し、今の状況だよ。ちゃんと人払いをしたのにどうして人がいるのかってすごく怒ってたけど、漂流者なら納得だ。よかったね、間に合わなかったら何もわからないまま消化されてたよ」
わははと軽く笑っているが、サトルには笑い事ではなかった。
「フロレンツ、様?は、偉い人なんですか?」
「うん、そうだね。町を治める領主だ」
サトルが思っていたよりえらかった。
「魔獣がどういうものかはわかりませんけど、領主自ら討伐ですか?」
「そうだよ。正しくは、フロレンツ様とお兄様のヘルマン様でこの町を治めている。フロレンツ様の方が今回の対応に向いていたという役割分担だ」
「へぇ。ゲオルグさんは何の役割なんですか?」
「医者だよ。まだ修行中の身だけどね。今回は現場の体験ってことで、助手の立場。メインの医者は、」
ゲオルグはサトルに耳打ちするように少し顔を近づけてささやく。
「あっちで怪我人に説教してる人が、僕の師匠なんだ」
ゲオルグがちらりと見た先に、怪我の治療にあたっている人がいた。たしかにむっすりしたまま口を動かしている。聞こえないが、言うことを信じるなら説教しているらしい。
「適材適所で弟の方が出てきたってことですか」
「サトルくんは難しい言葉を知っているね。と、こちらとそちらの教育の差なのかな」
間違いなく子ども扱いされている。サトルは確信した。
ほとんど何もわからないままだが、いくらか現状は把握できた。もしかして夢でも見ているのだろうかと淡い期待を抱きつつも、諦めて開き直ってきた。
ゲオルグに目を戻す。フロレンツはずっと厳ついが、サトルの目から見て、ゲオルグも体格がいい。見える範囲全員厳つい。魔獣討伐のために集められた人員なのであれば、偏っている可能性は高いが。
「ん? なんだい?」
柔らかく微笑まれるが、顔も厳つい。堀が深いというべきか。顔のパーツがはっきりくっきりしている。髪の色と目の色は淡い。金髪と、琥珀のような瞳。それと比較すれば、己は丸を描いてちょんちょんちょんくらいの薄さだろう。同じパーツのはずなのだが、どうしてこうもちがうのか。そもそも、同じような人間の形をしていることが疑問だ。何が苦しいわけでもなくサトルは呼吸できている。だからこの世界の空気の構成要素はほぼ同じなのだろう。世界の物質の構成要素が似ているから、同じような形の生物ができたのだろうか。もし、サトルが生き残れないような世界であるならば──。
「生存バイアスか」
「サトルくん?」
「あぁ、すみません。考え事です。ところで、僕そんなに子どもじゃ……」
「待たせた」
よく通る声で中断を余儀なくされる。
フロレンツは男を連れてきていた。やはり厳つい。それくらいが平均なのかも知れないと思い始めていた。
「漂流者の親戚がいるものを連れてきた。検分させてもらう」
「は、はい」
威圧感に身がすくむ。サトルは平均はないものの、目立って小柄なわけでもなかった。中肉中背の範囲だと思っている。孤立している状態で大きな男に囲まれれば、ビビリもする。
「たしかに、親戚に近いですね。こう、つるっとして小柄で、幼い容貌が特に。名前を聞いていいかな?」
「キサラギサトルです。キサラギが名字で、サトルが名前です」
「偶然かもしれませんが、名前もにていますね。私の親戚は、サトコという名前でした」
「僕と同じような日本人がいるんですか!?」
耳に馴染む日本人の名前に思わず問う。
「もう数年前に亡くなったんだ。孫が何人もいるような年になっても、少女のような風貌の人だったよ」
「そう、ですか」
漂流者という言葉で通じる程度に、この世界ではその概念が浸透しているのだろう。おそらく日本人だろうと思われる前例があった。漂流者は珍しい事象ではないのかもしれない。
「あれ? もしかして、サトルくん、そんなに子どもじゃなかった?」
「えぇ。子どもあつかいされてるなと思ってましたけど、やっぱりそう見えてたんですね。この世界の年齢感も、そもそも一年っていう物差しが同じなのか、わかりませんけど、僕の国では成人してます」
「それは、すみませんでした」
「いえ、気にしてません」
日本人は若く見えると聞いたことはあるが、こんなところで我が身に降りかかるとは思ってもみなかった。孫もいる年齢で少女のような風貌は言いすぎだと思うが。本当に年齢不詳だったのか、もしかして“不老”が付与されたのか。ファンタジーが過ぎるが、まだ強く否定できるほど、この世界のことは何も知らないのだ。また、不安がふつふつとわきあがってくる。
「右も左もわからないっていうことはわかりました……。帰れますか? 助けて……ください……」
サトルは震える声で訴えることしかできなかった。
確実に帰る方法はないと断言された。また別の世界へ流れることは可能だが、その先が元いた世界、元いた場所、元いた時間であることは確率があまりにも低い。サトルが順応できる環境の世界に流れ着き、一時命の危険はあったものの協力的な人物と合流できた。もうその時点で奇跡的だ。漂流者について調べてくれるとは言ってくれたが、さて、これからどうなるか。
サトルはフロレンツ預かりになった。助けを求めたものの、いざ手を差し伸べられると申し訳なくなってしまう。何もわからないサトルは負荷にしかならないと思えたからだ。それが顔に出てしまったのか、『漂流者は富をもたらしてくれるといわれている。親切だけで助けたわけではない』と言われてしまった。あやふやな伝承なのではないかと疑うが、親戚に漂流者がいたという男が言うには、あながち間違ってもいないらしい。
その親戚とは、となりの町に嫁いだ姉の義理の母にあたる人で、子どもが寝るときにこの世界では馴染みのない物語をたくさん聞かせたそうだ。それが作家の耳に入り、共著で本を出版して大ヒットした。そのため、ずいぶん裕福であったとか。それは結果的に富を運んできたのだろうが、その漂流者の知識をうまく活用できたからであって、漂流者全般に言える話ではない。前例やサンプルが一件では判断しようがないのだ。
己にこの世界でも活用できそうな能力があるだろうか? 部活で目覚ましい成績を残したこともなく、少し勉強ができるていど。なにか特別にできることがあるとも思えない。やはり負荷になる未来しか見えなかった。
フロレンツの家は、サトルの思う“レンガ造りの洋館”と一致していた。建築にはくわしくないのでぼんやりとしたファンタジー世界観の屋敷っぽい、くらいのものだ。となりに同規模の屋敷があり、それはフロレンツの兄の邸宅なのだそうだ。
まず、湯を使わせてもらった。服も借りた。フロレンツが子どもの頃に着ていた服だそうだ。十分な大きさどころか、サトルには少し大きいくらいだった。フロレンツも赤子のころからいきなり今の姿になったわけでもないはずなのだが、ずいぶん大きな子どもだったのだろう。
となりに住んでいるということで、フロレンツの兄家族にも紹介された。
フロレンツの兄であるヘルマンも、やはり厳つい。その妻のエルザも、さすがにごついというほどではないが、がっしりして(サトルよりも)背が高かった。美人だと思うのだが、堀の深さもあって、顔が濃いと感じた。子どもは男の子と女の子。五歳児くらいに見える。かわいらしいのだが、幼いながらに骨太さが見て取れた。会う人会う人がすべてそれなのだ。やはりこの世界(狭くてもこの地方)では、それが標準体型なのだろう。
フロレンツの邸宅に戻り、湧いてくる疑問を潰すことに協力してもらったが、サトルの不安を払拭するにはいたらなかった。
食事は素朴な味だった。邸宅の設備の簡単な説明を受け、就寝。ベッドに入ったものの、ほとんど眠れなかったが。
フロレンツは些細な疑問にも丁寧に答えてくれた。だが、思考のすみにはずっと、その言葉を信じていいものかという疑念がつきまとっていた。サトルにとってこの世界のすべてが得体のしれないものだ。フロレンツから見てもサトルは得体のしれないものだろう。漂流者は富をもたらすという伝承?はあるものの、メリット足り得るほどの信憑性があるとも思えない。口先だけならなんとでも言える。一時的な優しさなどいくらでも取り繕える。
サトルはまだ安心して眠れるほどその世界のことを信じていなかった。