肌色美少女とコンプライアンス(3)
原因不明の非常事態から緊急避難すべく、手をかけたノブは固く、動く気配がなかったが、ノブを握りしめた瞬間に、機械的な開錠の音がした。指紋認証ドアだったのか。
この場からの避難を最優先に手応えに任せてドアを押し開けた瞬間に足が止まった。扉の向こうはいきなりの外。まだ明るい時間らしく、急に薄暗い部屋から外部の、突然に目を刺す陽光に思わず目がくらむ。
数秒ののち、ようやく目がなれはじめたところで、ドアの外の様子が見渡せてくる。
一言でいえば、とんでもなく深い山の中である。両手で一抱えもありそうなスギやヒノキなどが林立する、うっそうとした森である。足元にはシダ植物の群生。ところどころに巨大な岩がゴロゴロと露出している。わずかに正面、樹木の間からはるか遠く、白く光る水面は海であろうか、湖であろうか。
ともあれ、ここはどこか高峰の山中と推察される。すくなくとも見える限りの付近には道を含めた人跡は皆目見当たらない。
後ろから再び美少女さんが声をかけてくる。
「利修さま、ここは鳳来奥三河国定公園に属する山々の一つです。このあたりは特に地獄谷とも呼ばれる急峻な岩場だらけのエリアですから、いくら利修さまでも、お目覚めのあとすぐにお一人で出歩かれるのは危険かと思われます。まぁ、すくなくともここから見える範囲はすべて利修さまのお庭ですけどね?」
その庭は僕のポケットには大きすぎる。
「まだ少し外は肌寒いかと思います。ぜひお戻りください。」
笑顔の美少女さんに観念し、踵を返して室内に戻る。
「あの、ドアだけは開けておいてもいいかな・・・?」
せめてもの抵抗、あるいは社会的生命保持のための措置として、思わず口にした発言だったが、こんな山の中でドアを開けておいたとて、僕の社会的生命の安全を保障してくれる人はいない。キュートな目をした野生のシカがせいぜい通りかかったところで、もはや僕の社会的生命は風前の灯であることに一分の変化もありはしない。
半分開けたドアにはもはやなんの意味もない。ほぼ密室で、半分涙ぐんだ薄い着衣の女性と二人きりになった時点で自分の社会的な生命はすでにチェック・メイトである。
この密室で、目の前の女性に痴漢行為でもあったと叫ばれたら100%こちらの過失認定となること請け合いである。決していかがわしい何かを実際にしなくても。
「・・・ドアを開けておくのはもちろんかまいませんが、寒くありませんか?」
美少女さんは誠に不思議なものを見るような表情でこちらを見ていたが、ふと何かに気が付いたのか少しはにかみを含んだ表情でいう。
「利修さま、私、ご覧のとおり、かなり薄着でして。ドアを開けたままではすこし寒い・・・です。」
ああ、それならドアを閉めて密室に二人きりであることの正当性を立証できるだろうか。いや・・・そりゃその恰好なら寒いよな、という目のやり場にも困る薄着状態の女性と密室で二人きりである。
この山中でドアをあけ放っておくことの無意味さをよく理解し、観念する。そうして、少しばかりわからない状況にうろたえすぎたことが恥ずかしくなってしまったこともあり、そっとドアを閉める。再び機械音がして鍵がかかったことを理解する。
と同時にようやく人並みの疑問に思い至る。ここはどこだ!?あなたは誰!?なぜ僕はここに?
それを解決する鍵はもちろん眼前の美少女さんにしか、ない。ただそのコミュニケーションには細心の注意が求められることは言うまでもない。落ち着け、僕のキャリアならできるはずだ。
深呼吸をそっとしたあと目の前の美少女さんに話かける。
「あの、あらかじめ言っておくけど。どうしたわけか、この部屋で君と二人になっているけれども、決して僕はあなたにひどいことをするつもりはないからね!?」
「・・・?」
「自分みたいなおっさんが、あなたみたいな若い・・・もとい年下の女性【注5】と一緒にいること自体が、不適切な状態だと思うんだよね!?ただそれは自分が望んだわけではないってことは理解してほしいんだけど!?
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【注5】:相手に対して年齢をとくに表現するような言い方はエイジハラスメントに該当する可能性がある。例えば、おばさん、おじさん、〇〇〇さんは若いから、といった発言がそれに該当する可能性があるため、諸兄らも各々の職場等においては、うかつにこのような言い方、表現をすることのないよう発言にはよく留意されたい。
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「・・・???」
そんなわからない話をしているつもりはないのだが、疑問の上に、一層疑問の表情を深めて、かわいらしく首をかしげるしぐさの美少女さん。くそ、可愛いな。
「ええと、いろんな法令や条例で、相手に不快な思いをさせてしまうことはいわゆるハラスメント行為にあたるし、それは大体どこの都道府県でも条例で禁止されていると思うんですよね!?それはいわゆるコンプライアンス違反になってしまうから、できれば早くここから解放してほしいなって思うんだけど、どうでしょうか?」
しまった、少々きつい言い方で、早口かつ声量も大きくなってしまった【注6】。
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【注6】:話す量が多すぎる、声量が大きすぎる発言は、威圧感を相手に与える可能性があるため、相手との関係が上司・部下にあたる場合には、パワーハラスメントに該当する可能性があるため、諸兄らも職場でのコミュニケーションに置かれてはよくよく留意されたい。
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「コンプライアンス・・・?ですか?」
まるではじめてその単語を耳にしたかのように、首を可愛く傾げる美少女さんである。
「そうだよ!コンプライアンスだよ!・・・です、です。【注7】、【注8】」
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【注7】:Mansplaining。Manと、ExplainあるいはSplainingを合成した単語である。男性が、女性に対し、自信過剰に過度に単純化した言い方でコメントをしたり、説明行ったりする行為をいう。男性が相手を見下して、相手より知識が豊富とのあやまった思い込みから、尊大な態度で説明等を行うものである。諸兄らも部下等に対し、今更わかりきったことを上から目線で説明などすることのないよう留意されたい。
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【注8】:ため口で話をすることも、上司から部下に対する関係においては不適切、ハラスメントに該当する可能性があるため、仮に部下を持たれている読者諸兄らがいるならば、よく留意されたい。
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「コンプライアンス、つまり法令遵守。こんなアラフォーのおじさんが君みたいな美少・・・もとい年下の女性に触れられるとか、密室で二人きりになるとか、ちょっとはだけた着衣で一緒にいるとか。
例をあげるまでもなく、青少年健全育成条例とか、社会通念とかそういうものに照らして適切ではないでしょう!?」
「くす、理解しました。そういう地球球面・世界線からおこしになったのですね。コンプライアンス、Compliance、ほうれい、じゅんしゅ、理解いたしました。次回以降気をつけますね♡」
これは、伝わったと解するべきなのであろうか?
自分の疑問はともかく、 美少女さんはとりあえず元気そうに動ける自分を見て少し安心したらしい。そうして先ほどまで自分のデリケートなゾーンに触れていた手を意味ありげに口元に触れさせたあと、不意に真面目な表情にてこちらに向き直る。
「利修さま、ひょっとして仙人さまの記憶がもどられていないのではないでしょうか?」
「・・・はい。さっきまで仕事してて、仕事直後に盛大にぶっ倒れたあと何がどうなって今この場所にいるのか、さっぱり検討もついてないです。」
「・・・まぁ、そんなこともあるかな、って思ってました。」
美少女さんは、てへっ、という音が聞こえるような表情をしたあと、先ほどまで彼女が腰掛けていたリクライニングチェアを引き寄せると、こちらに進めてきた。
「利修さま、どうぞ。もしご迷惑でなければ現状のご案内を差し上げたほうが良いですようね?」
すすめられるまま椅子に腰掛けて、美少女さんを見つめる。そのとおりだ。自分は死んでしまったのではなかったのか、なぜ自分が会社ではなくこんな怪しげな部屋にいるのか、目の前の美少女さんは何者なのか、先ほどから自分のことを利修(?)とかいう謎の名称で呼んでくるのはどういう意味なのか、そのすべてについて知りたい。
「できれば、一つずつ順を負って確認できればありがたいんだけどいいでしょうか?」
「はい。もちろんです。ゆっくり疑問を解きほぐしていきましょう・・・♡」
続く