七 怪物というなら
月が紅くなった夜、有栖と白銀の彼は一緒に過ごした。いつもと変わらない同じベッドでの添い寝。それが彼にはこの上なく落ち着くことだったらしい。その寝息は穏やかで、安心しきっている。
(自分を怪物というのなら、私はどうなのだろう)
未だ自分の事について整理しきれていない。話すのは先になりそうだ、と溜息をつきそうにすらなる。朝、起きると彼は普段と同じ眩い白銀の姿に戻っていた。改めて彼の顔をまじまじと見直してしまう。自分を化け物と自称していた彼の顔には、王という仮面は剝がれていた。仮面のなくなった彼は物憂げな青年でしかない。だがそれも彼。本来の自分とは別であっても。いつからこうしているのだろう。
有栖はいつになく物思いに耽りながら、王城をぶらつていた。王城について知ろうとする行為は先日に戒めを受けたばかりだが。有栖は昨日の秘密を知り、部屋でじっとできるほど能天気ではない。
「うっ!?」
(いけない、またやちゃった)
今度の相手はに隼に似た見覚えのある人物であった。
まずい事態になってしまった。直感が告げていた。それでも目の前の人物が、なにかしてくるという気配はしない。その直後に、先日の忠告を即座に頭をよぎった。そうして自分が置かれている状況を彼女は理解する。たった数日の探索だったが、目の前の者が誰かくらいはわかった。シェリルとの会話で特徴を聞き出しといてよかったと胸を撫で下ろす。
「貴様のような人間が傍にいるという事実は、陛下にとって弱点なのだ」
改めて突きつけられる。内心わかっていた。有栖は白銀の彼のためなら、この身を捧げたいという思いを抱いた。白銀の彼とてそれは知っている。だがそれに彼は我慢できない。愛する者が、血肉を切るようなことは容認できないのだ。
宰相は目の前の小さな人間の娘を眺めている。彼女の前方不注意で二人はぶつかった。実の所、彼としてはそんなことは些細なことでしかない。この人間の所為で、起こっている事に比べれば。宰相が連日の如く王に抗議をしているが、再考する様子は一向にない。それどころか人間の娘が王城を歩き回りはじめている。宰相やその他の高官にとっては頭の痛い話だ
白銀の王とはまったく不釣り合いに思える、ちっぽけな人間。器量があるようにも感じられない。あまりにも不適格。最初なにかの冗談とさえ、宰相は思った。だがすぐに理解した。本気だ。長い付き合いである王と宰相。その二人は言外の意図を読み取ることも、発言の是非もすぐにわかる。認めない。宰相として、王の最も古い側近として彼にはこのような者は認められない。
「あの私と話すの初めてですよね?」
宰相であるベフデティへ有栖は臆することなく声をかける。彼は思わず目を細めてしまった。こうも能天気な者だとは。この状況を鑑みれば、そのような振る舞いはできないはずだ。やはり器量なき者である。確信させてしまう。
「私、有栖っていいます。宰相さんですよね?今後ともよろしくお願いします」
その有栖の声色は信用していますよと言いたげであった。眼前の人間が何を言っているのか、ベフデティには理解できない。
ここまで愚かとは。やはり排除しなければならない存在だと確信させてしまう。
「小娘よ、貴様は陛下の立場を考えないのか?身の振り方一つで攻撃される材料になるのだぞ?」
そう言われた本人の顔つきは憂いを帯びたものへとなっていく。彼女にもわかっていたことだろう。認めない。そこは変わらない。だが王が置こうとするのなら、排除するその日までは、せめて彼の立場を危うくしないようにしてもらいたい。
それが宰相として、神経質な男が思う事だった。
「人間の娘よ、貴様は陛下の地位を盤石にしたいと思わないか?私にいい考えがあるのだ。乗ってくれれば、後はこちらが調整する」
「私になにかできるなら、なんでもやるよ」
迷わない答え。宰相は少しばかり驚いた。認めたくはないが、王を想う気持ちはこの者にもあると。この者なりに考えていることはあるのだ。
「そうか、分かった」
華奢な人間である有栖はあっさりと乗った。ベフデティが我ながらあくどい手を取ったものだと、眉を顰めるのに気づかずに。
これも王の為。宰相としてやるべきことをやる。そうして今まで王を補佐してきた。言質はとったのだ。あとはこちらの掌の上。
宰相は王が妃としたという、人間の娘に一礼をし、その場を後にした。それがいったいどんな意味を持つかは、後々わかるだろうとほくそ笑みながら。
宰相が会話を終わらせ、己の執務室へ戻っていった。有栖がその背中を見送ると、入れ替わるように、白銀色の塊が柱の陰から出てきた。近くで待機している守備兵の空気が、一気に引き締まる。白銀の王が明らかに、不機嫌そうにしているのが伝わっているのも一因だろう。
「お前は何度言えば・・・」
有栖に掴みかかり言った彼は言葉を詰まらせてた。
「ある程度は目を瞑っていたが今後は気をつけろ。今回の件はよい教訓としておけ」
そう言って、有栖を抱え上げる。やはり不機嫌だ。それは彼女と宰相とのやり取りの終いを聞いていたため。
「戻るぞ」
一言だけ言い、白銀の王は有栖を抱えて自室へと戻っていく。有栖がこってりと絞られたのは言うまでもない。迂闊であったと彼女が自覚することとなったのは、彼の語気の強さからであった。自分は迂闊でしかなった、と。だが宰相と呼ばれる人物は信用ならないとは、感じなかった。それは彼が信用しているというのを、知っていからでもあるが。有栖はいざ面と向かい話しても、そうだと思った。