三十一 命の価値
中庭から見える王都。黒い獣たちは日がな一日その景色を眺め続けていた。
冬の寒さをものともせず、雪に覆われた白銀の都を毎日のように、日が昇り、日が暮れるまで。
久方ぶりの地上の風景を堪能してから戻るつもりなのかは、呼び出した少女には定かではない。
確かなことは一つだけ。これといって殺意を抱いていないということ。
自然の一部に溶け込んでいると錯覚できるほど、白く輝く景色の中に違和感なく佇む姿。それは暗に使い魔などという存在ではないと示していたが、魔族の中の本能を逆手に取って無意識下に考えさせないようにしていた。
取るに足らない無害な子犬であると、理性に誤認させて、本能で自身の本質を見抜かれるのを防いでいるのだろう。
有栖は頭で彼らに言われたことを反芻させていた。以前からやんわりと指摘されていた事実ではあった。
命が大事であるとは誰しもが思うこと。ベロと名付けた獣たちも人の心を読んで知っており、それが普遍的な価値観であると捉えていたようだ。
時を経るごとに人らしさと言えたものを喪失していき、虚無になるだけだと諦めていた彼女には希薄でしかないが。
行き着いた先が人の姿をした化け物になるのだと、薄々でも分かっていた。
「有栖様、お顔がすぐれないようですが・・・・・・?」
声色を震わせつつシェバは有栖の顔を覗き込み、訊いてくる。訊かれていた方が心配になるほど躊躇いながらも、なんとか勇気を出して。
気の遣われすぎで有栖は逆に申し訳なくなってしまう。もともと青白い毛並みで顔色は見づらいが目の動き、震えた声でどういった状態かは把握できる。それでも主君に英気を養ってもらうために、手製の焼き菓子も用意していた。
「召喚は有栖様のお体には相当の負担がかかったはずです。やはりお休みになっていた方がよいのでは・・・・・・」
「問題ない、かな。それに休んでなんかいられないから」
どうしても認められないのなら、別の手を考えなければならない。無理強いはできれば避けたいのが有栖の本音だった。
(私のわがままでいつまでも引き止められないよ)
彼がたとえ自らの意思で残っていたとしても、これ以上はどうあっても変わりないだろう。
「また召喚をする気なのですか?それでは有栖様のお体は・・・・・・」
青白い、鳥の羽にも似た手を震わせながら言葉を詰まらせる。
「大丈夫。そんなに怖がらなくても、私は平気だから」
出されたクッキーらしき焼き菓子の一つを口にして、有栖はなんともなさそうにしていた。実際身の危険については考えていない。考えないようにしているなどではなく、どうしても考慮外になってしまう。改めようにもその身に染み付いてしまった、不変ともできた価値観。
起きて間もないというのに、有栖は書庫にある召喚について書かれた書物に再度目を通していた。召喚した者の魔力の量に応じて、現世での大きさが変化するようだ。そうして積まれた本を手にとってまた一つ、もう一つと読みこむ。
(どうして私を放っておいているのかな)
読めば読むほど、ベロと名付けられた獣の行動に首を傾げてしまう。召喚の注意点についてもいくつか記述があるが、呼び出した獣に主の器に足りないと判断された瞬間に命を奪われると書かれていた。結論は出ていると考えていいはずだ。
「あ、有栖様、せめて一度休憩を・・・・・・」
怖気つくのが常な彼女にしては強情な、怯えつつも芯の通った行動。本を持っていた有栖の手を握り、懇願するように。さすがにそこまでして止めようとされると、心苦しくなった。
「私がそんなに危ないことしていたように、みんなには見えたの?」
ただの我が儘で、蹴落としたとい事実から目を逸らすために、侍女という立場に縛り付けた。有栖自身は友達だと言いながらも、やはり後ろ髪を引かれる感覚は残っている。
心配されるということに実感も碌に持てないどころか、ここぞで発揮される蛮勇で有栖は事件を乗り切ろうとしてきた。
命すら惜しむ素振りもせず、それどころか命そのものを道具にして。
友達だと言われても、浮かれることはなかった二人だが、あまりにも自分を下げる物言いの有栖には小さな憤りを覚えていた。
どちらも自身を軽んじられたことに怒るのではない。
それは主君たる少女が我が身を無価値だと決めつけていたことに、仕える者として、友達という関係であるとされた者として憤慨していた。
「有栖様、これはこの場にいないコルキス様も同じはずです。あのようなご自分の命を捨てるようでは、あなた様を慕う者たちの、愛するお方のお気持ちどうなってしまうのですか」
説教とはまた違う、ある種の願いであり、祈りのようなもの。
「お役に立ちたいという有栖様のお気持ちは、不躾ですが私には多少なりともわかります。だから、やめてほしいのです」
言い切らない内からシェバはぽろぽろと涙を流し出す。
魔族の寿命ではまだまだ短い付き合いでこそあるものの、有栖が彼女たちに与えた影響は大きい。普段冷静であるシャフールですら涙で目元全体が大粒の雫で輝いている。
そこで黙ることしかできなくなってしまい、握られた手を有栖は無言で握ることしこかできない。
強い口調であっても、どうにか分からせるというものでもなく、ただ願いが届いてほしいという切実な思いだった。
(心の中で揺らぐこの気持ちは、どっちなのかな)
王城で過ごすうちに静かになっていった彼女の思考。だが根底には人ではない、一種の願望器のような物があった。
いくら幸福を溢れんばかりにもらい、それらに全身を浸し続けられても残滓にすら零落せず確かに存在している。
有栖は涙ながらの懇願で、一旦の休息をとることにした。
無論、彼女自身が揺れる心を落ち着けようとも考えてのこと。あまり弾まない足取りで、件の獣たちがいる空中庭園へ向かっていた。
やがて目的地まで差し掛かった時、一瞬の異状が見えた。庭園の端の塀で座っているはずの態勢を崩し、もだえ苦しみ、目下のどこかを睨むようにいた。
複数箇所から流血をし、周囲の雪を朱色に染めているのも近くなくとも見えてしまう。
寸前までの鈍くなっていた動きは、刹那で切り替わった。
後から知った事情が些細なことだったとしても、少女が走り出さない理由にはならない。助ける声があるのなら、自身がどれだけ傷つこうとも。
駈け寄っていくにつれ、あってはならない異変を有栖は捉えた。
王城という、国の最高権力者が住まう城では決してあってはならない事態。遠距離からの狙撃。この世界の技術水準を考慮すれば、弓が一般的ではあるはず。もしくは何らか魔術か魔法の類かもしれない。
そこで有栖の中である可能性が浮上してしまう。
(どうして・・・・・・、この世界にも銃が存在する?)
あくまでも可能性の一つでしかないが、ベロが対処に遅れている訳も説明がつく。弓ならば矢が突き刺さる所、銃弾が一秒もしない内に肉体へとめりこむのでは、彼らからすれば未知の脅威による急襲になる。
そうなれば有栖にできる事は決まっていた。
『・・・・・・なぜ、来る』
どこか力のない、弱りだしている声が頭の中へと響く。
もう死ぬものだとして受け入れ、すでに成り行きに身を任せていた。きっと彼らにとっては死とは身近であり、元いた地点へと戻るだけなのだろう。
(だって私は助けたいから。自己満足でも、そうしたいから)
少女は迷いで体が遅くなるでもなく、平行で走らせた思考は時間からも切り離されている。いくつもの手段がそれこそ数十と考慮され、どうすれば最良の結果を。
狙撃ができる腕ならどう動いても狙われてしまう。銃声のしない距離からの狙撃など、並大抵の技量では不可能なはず。
塀からなんとか中庭へと引き込み、そこから城内へと運び込まなければならないが、相手は手練れ。素人である自身の鈍い動きの隙を見逃されることはないと、少女の直感が警告していた。
(賭けになるし、一つしかないけど、やるしかないんだ)
有栖の中で様々な人物が浮かび出す。一瞬目を瞑り、全てを噛み締めるようにまた瞳を開く。再び開いた彼女の澄んだ双眸には確かな意志が宿り、一束に結われた黒く艶のある髪を軌跡として駆け抜けた。
中庭の端からベロが落ちかけていたのを救い上げようとし、有栖は自身の身を盾にする。
「・・・・・・っ!!!」
何発撃たれているかはわからないが、既にベロの毛並みを赤く染めている二発と、助ける瞬間に一発。激痛がその激痛がわずかな硬直を生み、すかさずもう一発の追撃を受ける。
後の追撃はなく、二か所から熱く走る激痛に耐えて、なんとか有栖は射線から逃れた。
片手で手負いの獣を抱え、腕の力だけで床を這っていく。
白銀の毛並みの少女にとって最愛の人の微笑む顔だけが、彼女の思考を支配する。走馬灯ではない、生を諦めないための確かな糧。
小さくも確かに彼女の中に存在する終着が、声にならない呻きを上げさせ、地面を這ってでも残った力で進ませていく。
次第に気が遠くなりだす有栖の耳に囁く声があったが、気づかずに意識を失くした。
■
『所詮は分霊でしかないこの身を助けたところで、何にもならないというのに』
返答されないとわかりきっているが、それでも口にしてしまうほどには人を知りすぎた獣は動揺している。
どこまでも自身を顧みず、ただ助けることを目的にし、その先に待っている事を考えずに渦中へと飛び込み続けていた。
本来であれば先の利害を見越して、最大限の見返りを求めて行動するはず。
『我らにもその情けをかけるとは、わかりかねるな』
傍観しておけば後顧の憂いを断てた。
しかし彼女は誰であっても、きっと命を賭して助けたのだろう。行動は決して賛美できず、刻みこまれた呪いそのもの。
人の本質を延々と見続けた彼らにしてみれば、およそ理解不能であった。同時に彼らには人のもう一つの本質が見えた気がしていた。
矛盾を抱えながらも走りだし、どれだけ下らなぬと謗られても、止まろうとしない在り方。召喚した少女はとりわけ異質だったが、なにも彼女が特別であるという訳でもない。きっと人ならば誰しもが持っているもの。
ベロと名付けられた獣は傷ついた仮初の主人を口で掴み、王城の中へ退避しようとした。現世へと呼ばれてから繕っていた愛くるしい姿を止め、本来の外見へ変じて。
それでも魔族の大男が可愛く見えてしまうほどの巨躯と、神獣や聖獣という呼び名相応の外見。
かなり、どころか丸々一年ほど空いてしまいした。次話も推敲の段階まで入ってますのでなんとか年内に上げらればと思ってます。




