二十八 疑念
まがいなりにも、有栖は召喚を成功させた。莫大な魔力が呼び水となり、それこそ人が主従の契約を結ぶには強大な存在が呼び出されてしまい、危惧されていた結果にこそなった。しかし有栖が魔力を生成できる体質というのは伏せられている、知る者はロボと、事あるごとに診察している医官のみ。真相を知らぬ者は、なぜ召喚されたのかを不思議がるばかりだった。
円卓は満席となって、議事を進めていた。真の円卓。王とその配下たちによる、公平で平等な会議。
「有栖様は我々の想像以上の成果を、陛下の妃になる方としては最適解をお出ししました」
軍事大臣は、今回の件を主導する立場だった。九割方失敗すると考えていても、わずか一割に己の命すら賭けてまで。その行動はあまりにも命知らずすぎた。できれば失敗してほしかった者たちには苦い結果でしかないが、彼の狙い通りの結果。
「ですが召喚して以降、あの獣は現れてはおりません。待っている時間などない以上、この際はもう一度行ってもらうのがよろしいかと」
満足いく結果をもたらした有栖を褒めてばかりのウィンディゴに対し、宰相は時間をとって見守るなど毛頭ないようだ。高官の多くが尻込みし、表立って賛同しない。さすがに伝統的な妃に必要な素質を備えていると、公言できるようになってしまった。
「陛下はどうお考えですか。召喚後に有栖様と会話したのは、この部屋には陛下しかおりませんので」
「試すと言われたと話していた。早ければ数日で結果が出る。それまで待っても問題ないはずだ」
王のその言葉でその場の者の大半はさすがに頷くしかない。待っている時間こそ惜しいが、それ以外では王妃に求められる資質を十分を示している。
「それはいつまでなのでしょう。最悪半年以上待つことも想定すれば、我々に待っている時間などあるのでしょうか」
時間を惜しんで認められやすい手段に出たのだから、間違ってはいない。手段を選んでられない状況であるのには変わりないのだ。口にこそ出さないが、早く結果が出ねば或いはと。時間は有限であり、国家運営においては適切な判断を、適切な時機に下さなねばならない。そうでなければ滅ぶだけ。単純明快だが、国家規模で考えることができるのは円卓に座する者でも少ない。
白銀の王はわかってはいた。何事にも時間はない。どれだけの猶予があるかもわからなく、どっしりと構えている余裕などない。
「お前の言いたいことはわかる。だがああいった自然に近い獣は、人と同じ尺度でなど考えない。どこまでもいっても相容れない生物だ」
「それならば近日中にでも」
もう一度行ったとして、有栖の命に係わる事態が起こらないとは限らない。未だ彼女が召喚や魔力を扱うことについては、予測不可能だ。
「時間がないのはわかっている。だが、そう必要以上に急ぐ意味はあるのか?」
宰相の沈黙が答えだった。時間はないのかもしれないが、明日や明後日にでもと慌てたところでどうなるというのは、彼もまた考えていた。
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「今回ばかりはさすがに肝を冷やしましたよ、姉上」
シェリルはカップに注がれている紅茶を、そこで一口飲む。普段は切羽詰まることなど早々にない王妹でも、今回に限っては余裕を持つことはできなかった。つんとして、どこか冷たい。よほど腹に据えかねたらしく、召喚の前後はずっとそんな調子だ。
「成功したとはいえ、あの部屋にいた方ならば誰しもがそう思っても仕方ないですよ」
有栖の無茶な行動を初めて見たシャフールは未だに混乱しているようだ。一国の姫として育ってきた彼女にはあまりにも刺激が強い。命あっての物種。幼少期から何かにつけて言われてきた、一族の教訓。貴族であることを加味しても、殊更に伝えられてきていた。一族の歴史がそうさせているのは明白だ。
有栖の行動は貴人のそれではなかった。命を差し出し、価値を自覚していない。どこまでも自己犠牲的な心持ちは、教訓とはかけ離れている。
「と、ところで姫様、私たちを何故同席させているのですか?」
もう一人の侍女、シェバはびくびくと尋ねる。これまでの経験から引っ込み思案な性格で、王族の前ではそれが加速し、一息も入れずに緊張しっぱなしだった。
「あなたちは仮にも一国の姫です。姉上の侍女になって日が浅いのですから、たまにの息抜きですよ」
遠慮がちな二人を安心させるように優しく諭す。有栖の相手をする以外では王女としての余裕を持ち、常に周りの言動に目を光らせている。例えそれが親しい親や兄弟でも。
「ところでコルキスはどうしたのかしら?呼んではいたのですけど」
「急遽仕上げなきゃいけない仕事が舞い込んできたから、来れないって言ってたよ」
「そうですか。姉上に言伝をさせるだなんて、珍しいですね」
よほど急な話らしいので仕方がないですね、と一応の納得はした。有栖はから見ればいつも通りのシェリルだが、侍女になって日が浅い二人からすれば生きた心地などしづらいだろう。仮にも王の妹がわざわざ呼びつけてまでいる。ただごとじゃないと受け取っても変ではない。
実際はお転婆な王妹には愚問もいいとこだった。父や母の振舞い、教育係からの薫陶。それらでお転婆でこそあるものの、第三者から見てもその行動の正当な理由を作っている。
「何も脅かそうなんて思っていませんよ。あなたたちがどのような理由で、どのような気持ちで王城に来たにせよ、今は姉上の侍女という肩書きなので、私からはなにもしません」
妹であり、間近で見てきたからこそわかっていたこと。白銀の王を誑し込める者などこの世のどこにもいないか、いるとしても既に王城にいた。だからもう誰が来ても、靡くことなどないと分かりきっていたのだ。
有栖を眺める目はどこか呆れていた。それ自体は有栖に向けられているようで、そうではない。
「まあ、女子会とでも称しましょう」
「じゃ、じゃあお説教はなしってことで・・・・・・」
「それはまた後ほどに」
完全に釘を刺された。つもる話といえばそうだが、あまりにも無謀な行動にはシェリルは腹を立てていた。一時は手の付けられない状態にまでなり、幼少の時の守り役だった軍事大臣のもとへ怒鳴り込むこんでもいる。
「ひ、姫様がお怒りな姿を見たのは、久しぶりだとコルキス様は言っていました。他の方も口を揃えていました」
ティーカップを傾けて平然としているように見えるが、内心では恥ずかしいようだ。溜息をつき、茶菓子に手つけていく。
「そんな怖がらなくても、あれは事情が事情だっただけですよ。というか姉上、この小動物はなんですか」
「この子はなんていうか、呼び出した後にいた使い魔?みたいな子だよ」
有栖の背後にいて微動だにしない小さい獣に目をやる。茶会が始まって以降、見知らぬ人物に怯えてか、観察するように有栖の足の後ろに隠れていた。黒い毛玉とさえできたそれは、しがみついて離れることはない。親だと勘違いしているのかと思えば、そうではなかった。
「ずいぶんと懐かれていますね」
「召喚してからずっとこんな感じで、私から離れないの」
「使い魔であれば話は早いんですけど」
使い魔だという説明をされたが、誰もが納得したかと言えばそうではない。シェリルなどは疑いをかけて、近くへの接近を許していなかった。お互いに警戒し合い、牽制の素振りを時折見せている。有栖をとても気に入っていると言っていい彼女には、信用ならないらしい。
(そんなにかな?)
侍女たちは可愛らしい獣としかしなかっただけに、王妹の蛇蝎のごとく嫌う反応は変わっていた。
「私にはその獣があまりにも怪しく思えるのです。外見で油断させて姉上を騙し、寝首を掻くぐらいは考えていいでしょう」
断定するだけの理由があるのだろうか。それはあの血の跡に関係しているのか、それとももっと何か別の理由があるのか。根拠なしに非難することをしない彼女が、ここまで明確に敵視するのだ、きっと何かある。
「姫様が疑うのも無理ありません。古来より生きて、人外である彼らが考えることは得てして理解不能です」
魔族の祖先だとも、魔物の祖先だとも。共通しているのは既に種としては離れ切っている、孤独な存在たちだということ。人との違いをよくよく理解し、見守るという姿勢を貫くのは稀で、多くは無理解に人に干渉して引っ掻き回すばかり。
そのような説明で、危険視されているのに有栖は納得した。孤独になって悠久を生きた結果、人の情を解せなくなってしまった。
(私やロボのありえた姿なのかな)
皮肉にしても趣味が悪い。だからこそシェリルが敵視するのか。可愛く見せているが、本質は人と分かり合うことなどできない。上位者という外面を剥がすとあるのは、化け物のそれ。
「どうして信用できるのか、私にはわかりません。人の世に害を為す、不幸そのもの。これからの時代には不要です」
「姫様、それはあまりにも・・・・・・」
「私は姉上が召喚する意味はないと思ってもいます。そんな疫病神を進んで呼び込むのは、姉上のためにもならないはずです」
ここまで不快にしているのは初めてだった。白銀の王は友好的に接していたのに対して、彼女はどこまでも疑ってかかっている。
神や上位者など不要とは、この世界の文化の水準と自然の在り方を考えれば、あまり類を見ない見解。有栖に対しての対応などを総合すると、時代にそぐわなく、あまりにも先進的すぎた。この先に不都合になってしまうのでは、利用すべきではない。それが彼女の考えなのだ。兄と同じように見えるが、改革を優先して近道を通ろうとするのとは、根本的に異なっていた。
「ごめんね、心配ばかりかけちゃって」
有栖は少しわかった気がした。シェリルがあそこまで怒ってた訳を。
「私に言ってどうするのです。それを兄上にでも言ってあげてください」
つんとした態度で注がれた紅茶を飲む。そこからいくらかの説教を受けたが、和やかに女子会は進んでいく。