二十七 召喚
。 誤爆しました。こっちが次の話です。
失敗した翌日だというのに、何事もなかったように有栖はまた召喚を試みるために地下へと赴いた。
「三日は寝込むものだと思っていましたが、思いのほか丈夫でございますね」
宰相がそんな憎まれ口を叩きもしたが、気にする素振りすらせずに部屋の中心地へと向かう。怖いなどと微塵も思っていない。いつか来る、だが確実に到来する死にも、恐怖しない。他人事に思えた、避けられない定め。
(私は生きているって、実感を持ててるのかな)
恐怖を感じないのは、生きていると実感を持てていないから。まるで呪いだ。声は聴こえなくても、いつだって後ろ髪を引くように後を追われる。
召喚陣は消えずに残っていた。円の縁を指でなぞると、指先にほんの少しの痛みが走った。夜の月が紅く染まる時の感覚によく似たもの。召喚陣自体に魔力が籠って、消えずにいたのだ。そして書いた時には見落とした、まばらにある黒い染みがあった。
「血?」
声に出てしまうほど、この空間に不釣り合いとさえできた物体の痕跡。一滴ではなく、大量に流れてしまった跡。有栖のものではなく、もっと古い、それこそ風化しかけているほど前。この部屋は王族の召喚と契約に使われてきた、由緒正しい部屋。その床に古い血痕とは。もしかすれば、この部屋は。
それ以上を考えない。自身にとってはあまり関係のない、遠い昔のこと。割り切るまでもなく、機械のごとく雑念を排除する。
そうやって正面を向くと、白銀の狼に似ていて、人間にも通ずる切れ長の瞳を持つ顔が、不安げに有栖を見つめていた。眉間に皺が寄り、誰もが畏怖する表情の中には、確かな不安がある。また彼女はあの顔にさせていた。
(私は決めたのに。あんな顔にさせないために、これから私がいなくなった先でも、笑っていてほしいから、ここに立っているんだ)
決心していなかった訳ではない。それでも彼が傷ついているとわかって、今またそうなっていると知れて、改めて強くなれる道をしっかりと見通せる。
「我が求めをここに示す」
片手を真っすぐ伸ばし、血を落とす。はじめの詞を言い切り、次へと移れる。安堵などしない。前へ、先へ進むことだけを考えるだけ。
風が吹き出し、昨日のように躊躇えば傷つくのだと有栖にもわかる。それでも迷わず、口を開き続けた。
「我が求めに応じ、その身を見せ、ここへ来い。空の彼方から、地の果てから、我が血と我が魔力をその代価として、ここへ来い」
白く眩い光は空間全体を包み、瞬きをした刹那。見守っていた者たちも身を乗り出さんばかりに成功したのか確かめようとした。
有栖もようやく明るさで反射的に瞑っていた目を開けた時。正面から重く、部屋中に響いた唸り声が聞こえた。
『我らを呼んだのは貴様か、小娘』
音ではない、されどいくつか重なった声。口を開いているが音を発していない。頭の中へと直接入ってくる、聞き馴染みある現象。直感で目の前の生物と言っていいかわからない存在が言っていると、彼女はそう認識した。
高いはずの天井いっぱいに、巨大な三つの頭があった。狼にも見えるが、頭を基準にするとあまりにも大きい。漆黒の毛並みは覗きこんでしまえば、たちまち魅入られてしまうだろう。体の正確な大きさを掴もうとするが、末端がどこかさえわからない。口から零れる液体は、切りだされた剥き出しの石畳を腐食させていく。
『恐れを抱かぬ、その勇気は賞賛に値する』
「あなたは誰ですか?」
目の前の存在が、死そのものだとしても、逃げない。吹けば飛ぶ命。誰もがそう思い、白銀の王などは助けにいこうと今にも飛び出してきそうだった。それすら有栖はわずかに視線を向けるだけ止める。
質問へ答えるつもりは毛頭ないのか、ただ話を一方的に続けられていく。
『貴様が我らを召喚したというのはわかった。だが我らの主かどうかは、しばし見極める』
青白い炎が漂いだし、明るくなるとも思えたのは一瞬で、ゆっくりと闇に消えていくのがありありとわかった。
『器なき者には永劫の咎を負わせる。そのことゆめゆめ忘れるな』
漂いだしていた炎は一気に燃え上がり、目覆う眩しさになる。やっと目を開けると、蜃気楼のように消えていた。召喚陣の付近に残されたのは有栖と、明らかに関係なさそうに見えた子犬ぐらいの大きさの生き物。
(また力が入らな・・・・・・)
考えに割く余裕もなくなり、とにかく倒れるのを避けようと、力を振り絞ろうと体全体に保とうとする。
目の前が暗くなってくのを感じていると、倍以上の体躯で有栖は支えられた。飛び出したい気持ちを抑え、直前まで見守っていた、白銀の王。
「よくやった、有栖」
遠くなる意識の中でそう声を掛けられた。有栖だけに見える微笑みを浮かべて。
起きるとまた病床の上にいた。ロボもそばにおり、一安心して息を小さく吐く。
「ごめん、私また・・・!?」
言いかけ、上半身を起こすと飛び乗ってきた生き物がいた。
「この子は・・・・・?」
見覚えのない、小さい影は子犬だった。黒く、どこか見覚えがある。
「こいつはお前が呼び出した、あの巨大な獣の使いかなにかだ」
「ずいぶんと可愛い見た目だね」
きゅるっとした目は黒い毛並みのなかでもひと際目立ち、全体像が丸っこいのも相まり、そのように印象づけた。
「ワフッ!」
鳴き声まであどけなく、あの巨大な三つ首の狼とはかけ離れている。関連付けるのが難しいが、召喚して意識を失う瞬間に視界にはいたので、有栖もなんとか理解できた。
「お前が倒れてからはじっとしていたが、起きてから元気になったということは、やはりそうなのだろう」
「そうなの?」
「呼び出した者が魔力を供給している都合上、主人が眠っていたりすれば自然と活動が鈍くなるものだ」
今は有栖の上に乗っかりぐるぐると嬉しそうにしている。見た目はもとより、仕草の全てが子犬だ。無害で愛らしく、その可愛さで王城では人気者になれる、かもしれない。
(見極めるって言ってたけど、どうやって?)
鮮明に覚えている文言。あの感覚は見知っていて、それでいて避けたい。
「有栖、あれは何か言っていたか」
あれとは闇の中に消えていった巨大な獣を指してのこと。
「私が自分の主に相応しいかをしばらく見極めるって言っていたよ」
「上位者を気取っているのか、あのような者らしい行動だ」
跳ね回る子犬の首根っこを掴みながら、ここにはいない誰かを睨む。物でも扱うように、邪魔そうにしていた。
「ズメイも誓約を結ぶ時にそんな事を抜かしていた。ああいう奴らは、私たちがどこにいて、何をしていようとも見えるらしく、隠れても無駄なのだ」
「ロボの時はどうだったの?」
「私か?そうだな、ずいぶんと前になる」
掴んだ手を離さず、横目で子犬を監視したまま述懐していく。
「心底愉快そうに私の話を聞いていた。見極めるが、結果はわかっているとのたまってもいた」
吐き捨ててる口調とは裏腹に、嬉しそうに話してく。彼にとって懐かしむに値する記憶らしい。召喚時の不安気な顔つきはなくなり、聞かれたことを嬉しそうに話す姿がそこにあった。
子犬の方も注意深くロボを見ていた。吟味でもしているのか。己を見る目と違うというのは、有栖にはなんとなくわかる。彼もそれには早くから気づいていたからか、邪険に扱っているのだ。
「普段のあいつは湖の底の地下空間に身を置いている。次代の王になる者はズメイに直接、会いに行く。そこで認められれば、正統なる次代の王と認められる」
いつからか形骸化して、一応は会うだけで認められるかは関係なくなっていたという。それがロボは直々に、王の器と認められ、呼べば快く応じられるほどに気に入られている。
「きっと今の話もこいつを通して聞いて、見ているだろうが、お前気負う必要はない。いつものままでいれば自ずと認められる」
「私にそんなことできるのかな」
「気負うなと言っている」
そこでじたばたとしていた子犬が有栖の方へと逃げ込んだ。珍しく舌打ちをしたロボが睨みこむが、譲らんと言わんばかりに、有栖の膝の上を占領しはじめた。
(何か感じる。この子から、同じものを)
似ているとか、同じ匂いがするだという単純な話ではない。まるっきり同一の気配を感じさせている。見た目は違く、愛嬌のある子犬と地獄の番犬とではかけ離れているはず。それなのに何か違和感がある。