二十六 傷
また一つ書きたい内容を書きました。誤字脱字があればどしどしと、その他の些細な感想でも気軽にどうぞ。
実際に召喚する日まで、召喚に関する前提知識を一夜漬け的に有栖は詰め込んでいた。召喚陣の書き方、召喚のための詠唱法。それにまつわる歴史や一つ一つの概要は置いておいて、最低限召喚をできるよう突貫気味に。
そうして二日はあっという間に過ぎた。心の準備はとっくにでき、前提の知識もなんとか覚えはした。二日間ロボはずっと無言で、納得できていないようではあった。それには有栖も薄々感じていたが、知らぬふりをした。
地下の部屋へと彼女は案内される。かなり昔、それこそ王国の最初期に造られたのだろう。王都比べれば古いと感じたイルーシよりもさらに古い、手入れこそされているが削りだされた石ばかりのあまりにも無骨な造り。天井はかなり高く、部屋へ続く階段もそれなりに長かった。
「ここで召喚していただきます。もしもに備え、陛下と我々も近くにいますので」
事前に取り決められていたこと。この召喚は儀式の側面もあるので、数人が監視できる場所も設けられていた。そこに王とその最側近の二人、有栖の侍女という扱いの三人と王女が詰めている。
白銀の王はひたすらに無言で、およそ成り行きを見守っているとは言えない雰囲気だ。燭台に載せられた蝋燭の灯りが銀色の毛並みを照らすが、それすらも霞ませる深紅の眼光が部屋の中心地へと真っすぐ伸びている。
(私はずっと一緒にいれないから、何かを残さなきゃ)
足跡が記録されることなど期待していない。記録から抹消された人物として後世には伝えられないはずだ。人間であることは入念に消され、どこぞの魔族と書き換えられてしまうのだ。ロボだけがその思い出を抱えたまま、その後の何十年を生きることになる。それならば何か形として残さなけば、彼の記憶の中だけではあまりにも不憫で、哀しいものでしかない。
強くなれば残せるものも沢山増える、召喚した記録がわずかばかりあれば記憶だけではなくなる。召喚陣を手順通りに書いていく時間、そんな考えが浮かんで消え、また浮かびだす。召喚の開始時には雑念を払わねば、手痛い返しをもらう。
魔族からすれば一人分ほどの大きさだが、有栖には大きく広がって見える円陣。これで前準備は終わった。あとは詠唱をするだけ。
(こんな時でも怖いって思えないんだ)
命の危険には足が竦くんで、怖くなるのが普通のはずだ。だが、そんなことはない。驚くほど冷静で、一切の雑念もない。指先に傷をつけ、血を召喚陣に落とす。
「我が求め・・・・・・」
召喚陣とその文字列は、白く荘厳な輝きを放つ。しかし、即座に赤黒く禍々しい光へと変じた。同時に何かに押されたようにはじき出され、地面へと勢いよく叩きつけられる。
(何が起きて)
じんわりと広がりだした痛みに目もくれずに、起きたことの把握を優先していた。陣から遠くなっている体を確認して、ようやく吹き飛ばされたと理解する。部屋の奥では何事かあったのか、話し声が耳鳴りの奥から聞こえていた。
なんとか起き上がり、また円陣へ向かう。体のいたるところが痛みを訴え、手足は紅潮している。
「我が求めにここにしめ・・・・・・」
また失敗した。今度は体中を切り裂きかねない風が発生した。頬をはじめ複数の箇所に浅い傷ができ、ぽとりとぽとりと血が滴っていく。
躊躇いも、恐怖もなかった。雑念はなかったはずなのだ。なぜ失敗した。なぜ詠唱を言い切れない。有栖の持ちうる情報では、失敗の理由は推測できなかった。
(体の力が)
一気に力が体から抜け、膝をつきながら乱れた呼吸を意識する。どうして、と反芻しながらも前を向こうと顔を上げた。そこで有栖は完全に固まってしまう。
白銀の王の悲し気な瞳。すぐに飛び出して助けたい衝動を堪え、食いしばって耐えていた。ただただ瞳だけは傷ついているのに悲しそうにして。彼の散り散りな思考も読んでしまう。
有栖の内からひたすらに焦りと、己への疑念が生じだす。どうして悲しませている。悲しませないために、彼の中の記憶だけにならないために、ここにいるはず。強くなるのはそのために選んだ道なのだ。それが実際は傷つく様を目の当たりにさせ、助けられもしない憤りに身を焦がさせるだけ。
(私はあんな顔が見たくなくて・・・・・・)
意識はそこで途切れ、その場に倒れた。
■
「有栖!」
倒れた瞬間に一目散に有栖へと駈け寄る。傷だらけになり、傷はない箇所は打ち付けた衝撃で打撲になっていた。抱えあげ、医官のもとへと運ぼうと足早になる。
それを阻む人影があった。巨大な岩とすら思えてしまえた、筋骨隆々とした偉丈夫。
「どうされるおつもりで」
「くだらん答弁をするつもりはない。そこをどけ、ウィンディゴ」
強情に押し通ろうとするが、ウィンディゴも退くことなく仁王立ちのままでいる。
「事前に言ったことをお忘れですか、陛下。いかなる手助けもなきようにとの誓約、言ったはずです」
「私は有栖が倒れてしまったから、動いているにすぎん。召喚を試みている時の手助けなどではない」
「そのような詭弁を受け入れろ、と?」
眉を動かし、烈火のような怒りを顕在化させた。ウィンディゴの勢いに置き去りにされたが、遅ればせでも主君を諫めるとした宰相もそれで閉口する。基本的に白銀の王に忠実で、多少のすり合わせはあれど意見を違えることなどありはしなかった。
「その行動がどのような結果をもたらすか、あなたはそれをわかっておられるのか!有栖様のご意思を蔑ろにすることにもなるのですぞ!」
血の気は増えども自重して、掴みかかりこそしなかったが、鬼気迫る形相で主君と対峙している。彼なりに様々なことを考え、悩んだ末の答え。たとえ後に不興を買ったとして手討ちにされても、最大限の忠節を果たすことを第一にしてのこと。
「ウィンディゴ、そこを退けよ。これ以上の下らん会話に時間を使うほど、今の私は冷静ではない」
紅い眼光が一点へ集中し、きつく据わりきっている。たとえどれだけ声を張り上げ凄まれても退くことをしない、戦場で鍛えられた武人である彼ですら無意識的に後ろへと下がってしまった。なんとか抵抗をしようにも、空いた空間に体をねじこんでいく有様で無駄でしかなかった。
医官のもとへと有栖を連れていくと、軽傷だと診断された。傷は浅く、三日もすれば完全に塞がるらしい。打撲も長引くものではない。ここ最近の疲労も相まって倒れてしまっただけで、大事はないだろうと。
白銀の王は意識が回復するまでの数時間、片時も離れずに付きっ切りだった。大事ではなくとも、彼には気が気でない。
「ここは・・・・・・?」
病床で寝ていたのに有栖は驚き、起き上がろうとする。
「無理に動こうとするな。浅いとはいえ、傷だらけになっていたのだぞ」
いつもならそこで聞き入れてくれた。無理もしてもどうにもならないと、自分の現状を顧みれるのが彼女だ。それが強情に起き上がろうと、体の後ろに手を回したまま。
「私は駄目だと、止めたはずだ。それなのにお前は分の悪い賭けに身を投じた。どうしてだ、有栖」
繕うことをせず、ただ本音をぶつける。
「私はお前が傷つくと、胸が締め付けられた。これからもお前が傷ついてく度に、私も傷つくのだ」
「ロボ・・・・・・私は」
彼女が傷ついている時、彼もまた埋まりずらい傷を負う。触れ合う時間で癒されるが、その時間が増えるほどに、傷は深い痛みになっていく。
「今からでも遅くはない。召喚をせずとも何か・・・、手段があるかもしれない」
いくら時間がかかっても別の手段を探す。そうすれば有栖が傷だらけにならなくて済むのだ。そのうちに王妃に見合った者だと、わかってくれる日がくる。それまで守っていけばよい。
彼は内心で絵空事だと理解していた。人間と魔族の寿命は違う。そのいつかを待っている間に、彼女の命が尽きてしまう可能性だってある。わかっていながら夢想を口にする己を愚かだと、情けない話だと自嘲した上で、訂正はしない。
二人が口を噤み、恐れつつ探り合う中、室外から医官が入室の許諾を伺い立ててくる。許しを与えると、手に調合仕立ての薬と水の入った容器を持って来ていた。
「もう起きられたのですか。見立てではまだかかると思っていたのですが」
若干驚きつつ、病床のすぐそばの椅子に腰を落ち着け、軽い問診を始めた。一つ一つ丁寧に有栖は聞かれ、体の状態を精査されていく。包帯の上からを腕を触っていく内に、医官は怪訝そうになる。
「もしや・・・・・・」
「どうしたのだ」
「包帯を一度取ってもよろしいでしょうか」
同意を求められたが、医術に精通している彼にすべてを任せ、白銀の王は無言で頷く。するすると解くと、浅いが塞がるのに二日はかかるとみていた傷は、跡形もなく包帯にわずかな血を残して塞がっていた。開くことすらない。完璧に癒え、不自由なく動けるようになっている。
しばらく腕を触診し、考え込む医官。王城で医官として召し上げられているのは、国内でも一二を争う実力を持っているため。誤診をすることなどはそうそうになく、病や傷はおおよそは見立て通りに推移する。
「有栖様は召喚を失敗した、そう陛下は仰っていました。召喚した対象によっては考えられましたが」
持ち上げていた腕を下ろし、また黙る。想定外の事態は経験豊富な医官を困惑させるには十分だったらしい。独り言も増え、短くも長い静寂の後に一つの可能性に気づき、ハッとする。そうして半信半疑で有栖への問診を再開していく。
「有栖様は以前倒れた時に吐血した、と私は記憶していますが間違いはないですね」
「そ、そうです」
そうしてようやくそれらしい結論が出たのか、いくらかの自信を持った目になる。
「血を吐いたということは内臓に何かあったのでしょう。ですが回復してからの有栖様のお体は、健康と言っても差し支えなかったはずです」
内臓の損傷が認められる症状はなかったか。そして今回の傷や打撲。点でしかない要素は、仮説を立てれば簡単に結ばれた。
「有栖様は魔力を無尽蔵に生み出せる特殊な体質です。それが体の治癒に寄与し、本来であればもっと時間のかかる傷も素早く治るのでしょう」
魔力で身体能力の強化ができるのと同様に、体の治癒力も強化できる。医官である彼も魔力と医術を駆使し、適切な処置を行っている。
仮説はこうだ。その魔力での治癒力の強化を、有栖の魔力を生成するという体質で、自然に行われた。意識を失っている間限定であるが。
「あなた様のお体を考えれば、治っていくのは良いことなのですが」
言葉を濁し、伝えてよいものかとちらりとそばにいる白銀の王へと目をやる。
「構わぬ。いずれ知ることになるのを、今黙ってどうなる」
「わかりました。では話させてもらいます」
王に一切の許しを得て、危惧した内容を喋っていく。
「本来我々が魔力を操れるのは、空気中に存在する魔力を蓄えるからです。鍛え、年月を重ねて量を増やす。それが体系化されている魔力を扱う上での基礎です」
「つまり生成するのはおかしいってことですか?」
当然の疑問を有栖は訊く。おおよそ考えられないことなのは口ぶりからなんとなく想像できたらしい。
「はい。そして有栖様のお体は、その生成する魔力量に耐えられるかは、不確かなのです。鍛え、増える魔力量に十分耐えられる体を作っていくものなので」
いつか膨大な魔力で甚大な損傷を負ってしまうだろう。指輪の効果で徐々に溜まりだしている魔力で体がつよくなるか、魔力を操る術を身に着けるか。どちらにせよ間に合う保証はない。体系化されていく中で、身の丈に合わぬ魔力は身を滅ぼすとわかっているので何か対策は打たねばならない。
「もしかすれば長くはないのかもしれません。それでも召喚などによる魔力の消費で一時しのぎをしていけば、時間をかせぐぐらいは」
「お前は有栖に召喚を続行させろというのか」
「いえ、あくまでも手段の一つとして挙げたまでで、肯定する意図はなにも」
どうすればその時間が伸びるか。また昏倒するまで、どれだけの時間があるか可視化すら難しい。有栖には一生ついて回る問題。今気づけたのは僥倖であり、また不幸であった。
「陛下と有栖様自身の問題ですので、医官である私としてはこれ以上は何も言えません」
最後に調合した薬を有栖に飲ませ、部屋を後にする。
「私は少しでもロボと一緒にいたい。そのための努力は惜しまいつもりなの」
何も変わることなどなかった。傷を無数につくり、倒れても、いつか分かたれると知ってなお。終着への距離は違うが、歩む速度だけはともにあろうと。
「なぜだ。お前の私と歩く先は、苦難ばかりが待っている。道半ばで、死ぬともわかっている。それなのになぜ共にいてくれるのだ」
彼は孤独へ向かおうとしていた。一人だけの、ひどく冷たい旅路。それでもよかった。数多ある犠牲という十字架を背負うのは、自分だけでいい。父に、母に、自分ならば王になれると言ってくれた最初の人に、誇れる王になろうとして。
その旅を有栖は共に歩こうとしている。最初はただの予感でしかなかったが、様々な出来事を経て確信した。一切歩みを緩めず、ただ共にいてくれる。そう安心した時、また独りになるのをひどく忌避してしまう。そう思っていい身分も、資格もないはずだというのに。
包帯のとれた腕を有栖は伸ばし、ロボの片手を持ち上げる。彼は俯いていたが、思わず見上げると裏なく優しく微笑んでいた。
「私はね、今が幸せだよ。一度も辛いとか、前の生活に戻りたいなんて思ったことない」
「私といれば傷つくのだぞ。辛くはないのか」
「そんなことないよ。胸を張ってロボの傍にいれるなら、なんてことないから」
やはり意思は固い。
「私は守ることばかり考えていた結果、お前にとっての幸せを見誤っていた。隣を歩いてくれるというのなら、私も相応しい覚悟を持とう」
彼女は決心をしている。ならば見届ける者として、伴侶として、相応の覚悟を持つ。