二十五 何故
白銀の王は苛立ちを隠さず、どすどすと足音を立てて廊下を突き進んでいた。委縮して息をするのがやっとになる兵士も現れるが、横目で見るだけで、大きく関心を割かない。
(あれほど言ったというのに、どうしてだ)
ここまで不機嫌な様も滅多にない、意識的に感情を抑制している王らしからぬ態度。ここ半年、彼の奇行を目の当たりにしている者なら、なぜなのかわかるが。
執務室から大広間へと近づくにつれ眉間の皺を深くし、畏まって跪く兵士や高官に、緊張の汗を走らせる。誤った瞬間に首が飛びかねない雰囲気。その一瞬を切り取れば暴君さながらであり、彼が思慮深く賢明だったのが、彼らにとって最も運のよいことだった。
まさに怒髪衝天であり、何故ここまで取り乱しているのか。単純であり、王に憚って口にこそされないが、普通の魔族の価値観からは下らないことだとできる。
前日の有栖の態度にわずかな気がかりを残し、普段通り執務に励んでいた時。息を荒げながらコルキスが執務室へと慌てて駆けこんできた。彼女がここまでなるのは、お針子として召し上げてから初めてといってよい。
「落ち着いて話せ。火急の用というのはわかるが、そうならば尚のことだ」
「は、はい」
王自らの言葉も話半分に受け取り、息を整えるのも忘れて口を開き始める。無礼などと言っている場合ではないと判断する事態らしい。
「有栖様が大広間で・・・・・・」
そこから先を聞かずとも、彼にはわかった。有栖が何をしているのかも。コルキスがここまで慌ててるのも全て。すぐに立ち上がり、コルキスも置き去りにして足早に大広間へ向かっていったのだ。
そうして大広間へと着いたが、もうすでに遅かった。おおよその説明を受け、これを妃になるための試練として、正式に了承するという旨の書面に判を押していた。以前の誓約でも王妃なるための試練のいずれも容認すると書き記されていたが、さらに駄目押しの誓約。ここから逃げることを封じるためのもの。
宰相が立ち合いのもと判は押され、二日後からでも召喚を執り行うとされている。白銀の王にはおよそ了承されない。なので主を介さず、有栖へ直接話をした。
「貴様ら、我が意思を蔑ろにするというのか!!」
王に即位して以来、ここまで強い語気で咆哮を上げた例はない。越権行為に及んでいると自覚している多くの高官が怯み、後退りしそうになる。そんな中で王の両翼たる宰相と軍事大臣が前へと一歩踏み出す。命惜しさに引き下がるほど浅はかな思考で立ってなどいないのは、火を見るよりも明らかである。
「有栖様はあくまでも陛下のためなら、とおっしゃっているんです。それを陛下自ら、無下にするというのですか?」
いつもは宰相が言うであろう言い回しで、ウィンディゴが主と相対していた。隣にいる宰相は一杯食わされたと悔しがっている。
(こいつ、何を考えて・・・・・)
思考を巡らせると瞬く間に答えは導かれた。
「貴様の、私と有栖への忠義の示し方がこれか」
「左様です、陛下」
ウィンディゴはこれまで王城内の変化に心苦しく感じていたのは、彼も知っていた。すべては自身の教育不足が招いてしまった故の結果。無用の誓約を結ばせ、主たちにいらぬわだかまりを作らせた。それはあまりも酷で、彼の至らなさが招いたこととして。
拮抗状態になった両者の間に、割って入る小柄な人影があった。国有数の実力者二人の間に入れる、計りきれない度胸を、持っているのかもしれない人間。あまりにも無力だが、力など彼女の前では無意味に思えてしまえる強さを持っている。
「私は強くなりたい。そのためにはどんなに傷つこうと構わない。あなたの為なら、どんなに傷だらけになっても」
やめてくれと言ったというのに。有栖は自分の身の危険など一切考慮しない。数か月前に血を吐いたばかりで、またいつそうなってもおかしくない体であることも忘れて。誰かのためと、動き続ける。白銀の王には胸が痛むことばかり。
召喚をすれば非業の死を遂げてしまうかもしれない。召喚した獣に食い殺され、遺体すら残らずに跡形もなく。魂もまた永劫に囚われ、安らからな場所へ行くことなど叶わない。虚空、暗闇の中で意識だけを保ったまま。王家の記録の中でそう伝えられている。確証は持てないが、それが虚偽だと断じる材料もないので信じるほかない。
無力だと内心で己を嘲笑う。傷ついてほしくなくて、だから妃というこの国で王と並ぶ地位にしようとした。
(その結果がこれか)
今の彼女には何を言っても心変わりしない。白銀の王はがっくしと肩を落とすこそしないが、幼少期を知る者たちならばわかってしまうほどに落胆していた。
溜息すら吐くのが億劫になる、今までの人生の中で初めての経験。これまでは意図的に考えないように律してきていた。それが許される身分などではなく、ただ王としての道を突き進むしかないとしていたため。その道を歩んだ末の犠牲は数えることこそしても、決して後悔をしてはいけない。
それが眼前の人間の少女への愛を証明している。愛しているから、戒めすら解いて。
「ご納得いただけたらば、近日中にでも召喚をしていただきましょう。ただし陛下が手助けするのはおやめください。あくまでも有栖様ご自身で条件を達成してもらいますので、そのことよくよくご承知を」
遠くからの声だとできた宰相の発言。街はずれからの鐘の音のような、認識こそできるが聞き取りにくい遥か彼方の音。肝を冷やしていた高官たちは命がいくつあっても足りないとしつつも、そこでやっと安堵する。
有栖の召喚を行うのは二日後。彼もそれに立ち会うことを条件として取り付け、その場は閉幕した。真冬の寒さすら忘れ去る怒りも冷え、ただ無力さに打ち震えるのみ。
■
「なにか弁明はありますか、ウィンディゴ」
きつく見据えられ、王城内のほとんどの者が尻込みしてしまう圧を、首謀者の一人にぶつけ続けていた。愛称で呼ぶのもやめ、冷ややかな態度を崩すことなく向かい合っている。
「姫様の怒りは最もです」
「では答えられますね?どうしてあんなことをしたのかを」
王都と比べれば小さいが、確かな生活圏を成している王城。その片隅へと、シェリルは乗り込んできていた。自らの足で直接。その意味がどれだけ重大かは、誰もが知っている。私情とはわかっていながら、よほど我慢ならなくなっていたのだろう。
猛然とウィンディゴに抗議しに来たと知ったからか、ガルムも急いで部屋へと入ってくる。白銀の王と同様に、人前で激情を露わにすることの少ない彼女の剣幕に、次第に気圧されていく。
「あ、姉上と言えど、そんな私情で避難するのは」
「あなたは黙っていなさい、ガルム。どうしてあなたに、私を止めれるというのです?」
きつく、以前に浴びせられた叱責よりもさらに苛烈で、激情を抱いてなお持つ、母譲りの冷淡さ。それを言われ、ガルムは小さく同意して縮こまる。
「それで、どうして死ぬとわかることを姉上にやらせるのですか?」
魔法の知識は浅くとも、軍事大臣である彼にもわかるはずだと、シェリルは思っている。もしもに備えて門外漢であろうと知識を蓄え、準備を怠らない。それがこの男の心がけていることで、シェリルも知っており、そのように薫陶も受けてきた。
では何故、あのような無茶な要求をしたのか。理性的になろうと努力しても、はらわたが煮えくり返る衝動を抑えきれていない。
「姫様は、有栖様が妃に相応しいと思いますか」
「今更それを聞きますか。兄上を理解し、支えられる人はあの人しかいません。たとえどれだけ良い生まれで、最高の教育を施された者でも、無理だと知っていますから」
今更すぎる問い。シェリルは初めて会った時から、王である兄に、人としての生き方を示してくれると、直感で感じた。魔族と人間。種族はかけ離れ、生まれもまた同様の二人は、それなのに鏡合わせの存在だ。人として生きれなかった、人から逸脱しつつあった二人。お互いを理解でき、傷を埋め合うことができる。
シェリルには不可能で、だから羨ましい。せめて二人の行く末をささやかだが応援しよう。そう決めていた。ウィンディゴもその点で同士だとしていた。
「あなたも同じだと思っていたのに。違ったのですね、ウィンディゴ」
裏切られた。それが根底にはあり、煮えたぎる怒りに変換されている。
「姫様、私は有栖様を排そうなどは微塵も考えていません。今回に関してもそれは揺らいでおりません」
「では改めて聞きます。なぜ姉上に召喚をさせるということになったのですか」
もう一人の主を死なす真似を忠義とするのなら、それは忠義と言えるのか。王女である彼女はそう言いたかった。
「王城はガルム様の一件で、かねてから分断が進んでいました。イルーシでのことがさらなる引き金となり、このままではよくない方向へとなりかねません」
それならば制御できるうちに、せめて好転できるよう動こう。それがこの偉丈夫がだした、一つの答えだった。二人へ最大限の働きをもって忠義とするために。
シェリルもそこで理解する。このまま好きに任せていれば、二人を引き裂く出来事が起きてしまう。彼女の母にもあった毒殺騒ぎも考えられる。ではそれが起き、問題なく無事でいられるか。母は存外に頑丈で、なんともなかった。だが人間である有栖へは、どうだ。そうなって兄はどうなるか。いつ弾けるかわからない、だが弾けたときには国を大きく一変させる、大事件を引き起こす。
「綱渡りにはなるけど、確実に足元を固められる手段を取ろうというわけ?」
「姫様の仰る通りです。きっと有栖様ならばやってくれると私は信じております」
今は効いている鎖が破損する前に、なんとしてでも。