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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
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二十二 収束

 保護観察となってしまったジョシュアへの対応は、白銀の王とかねてより親交があったゲールに一任された。王都への経過報告義務を遵守し、ゲールがまめに書簡を書き記すぐらい筆まめで、何か異変を察知すれば即刻報告される。他は何か目に見えた変化はなく、事件以前と何ら変わりない生活を送っていた。


 王都へと来るならば義理の妹として丁重に扱うと言われ、姉について行くならばそれでも良いと言われもしたが、ジョシュアは断ってイルーシの教会に留まった。

 軟禁下から解放されてからも、白銀の王と有栖はしばらくイルーシに滞在しており、帰ったのはイルーシ入りしてから実に半月以上が経過してからである。



「本当に良かったのですか?」



 ゲールは王都の方が過ごしやすいのではと憂慮したが、それはいらぬ憂慮でしかなった。



「姉さんのそばにいれるのは嬉しいですけど、堅苦しい肩書を持つのは私には合わないからいいんです」



 いくら離れようと、絆は薄れることなく、それどころか強くしてくれる。機会があれば王都へ物見遊山に行ってみてもよいが、今すぐではない。とりあえずはイルーシで慎ましく暮らすこととなる。

 保護観察の期間はおよそ半年。その間一度でも市街へ出れば、ゲールが報告し、今度こそ吊るし上げられてしまう。明確なる罰を求める声と、義理の妹という名目と実際の会話を根拠に無罪放免としたいという、平行線の主張の妥協点なのだ。



「孤児院の子たちが悲しみますしね」


「ふふ、その通りです。ジョシュア様が軟禁されている間、皆心配していましたよ」



 ジョシュアは魔族そのもの憎んでいるのではない。子供には何の罪もなく、基本的に純粋な彼らを憎むのでは話が違う。そしてなによりも不幸な身の上の子供を遠ざけるなど、彼女にしてみれば言語道断である。かつての自分のような幼子を生み出されるのは本望などでもない。


(何か助けになることはないかな)


 匿ってくれた事へのわずかながらの恩返しになれば。



「そういえば、身隠しの魔術をを施した布はまだもっていますか?」


「もちろんです。これからはもっと注意深く行動していきます」


「そうしてください。また人間がいるなどと騒ぎになっても困りますから」



 匿い、生活の面倒を見てくる一貫として、ゲールは身隠しの魔術と呼ばれる特殊な技術を施された布をジョシュアへと譲渡した。それはかつて王都にいた頃に私的に入手したもの。


 この世界に存在する特有のエネルギー、いわゆる魔力を利用する術が古来から研究されてきていたらしい。身隠しの布もその一つで、王都の歴史ある工房が特注した一品なのだそう。

 いわば友情の証である品を、得体もしれない人間が受け取ってよいものか、と貰った時にもジョシュアは訊いた。それでも清貧を旨とする老司祭には、いつまでも持っているという考えはなかったらしい。倉庫で埃を被らせているのも忍びなかったので、丁度必要であろう状況のジョシュアへと渡ったのだ。



「あれさえあれば怪しまれることはあっても、人間と露見するのは避けらるでしょう」


「わかっていますよ」



 これからも誰かを助けることを止める気はない。いつかの姉のように、涙を流す誰かを助けられたなら。

 教会に匿われた初めの頃は、歪な覚悟や勝手な思い込みが顔から体から滲みだしていた。そんな纏っていた負の雰囲気を一切感じさせない、さっぱりとした言い方。心からの淀みや、行き過ぎた執着はとうになくなり、元来の割り切りの良さを覗かせている。



「ジョシュア様にとってお姉さまは、どのような存在なのですか?」



 ここまで聞くに聞けなかったことはゲールにしてみても多い。心を開かれたからといって、ずけずけと踏み込むほど不躾でもなく、時間が解決してくれるのを待っていた。



「どのような存在か、ですか」



 ジョシュアにしてみれば簡単なようで、難しい。彼女の中では神と同列と言ってもいい。なぜそうなったのか。薄れることなく、今でも最も眩い輝きを放っている記憶の一つ。助けてくれた、背筋が凍ってしまいそうな、あの曇りのない瞳。無邪気であっても、世間知らずなどではない。今のジョシュアには擦り切れる寸前であったのだともできた空気感。

 どれを取っても普通とは言えなく、異質すぎた少女。時代が違えば神の生まれ変わりと持て囃されるか、異端の魔女と忌み嫌われ蔑まれるか。両極端だが、それらのほうがよっぽど幸せであったのかもしれない。



「上手くは説明できないんですが、私にとって姉は特別過ぎたんです。いつも何か見えていて、同年代の中でもずば抜けて優秀で、だから普通に生きるのに苦労していた。そんな姉に私は普通の幸せを噛み締めてほしくて」


「だから受け入れたくなかった、と」


「司祭様には全てお見通しですよね」



 こくりと頷かれると、ジョシュアは恥ずかしさで苦笑いをしてしまいそうになる。この老司祭は王都にいたというだけあって、いとも容易く人の内面を読み解く。そして無遠慮に口にしない。



「本当はそれが望みだった。でもあの時は悔しさや嫉妬とか色んなものが御しきれなくなって、恥ずかしい限りです」



 改めて振り返れば、悔いることばかり。もっと話を聞けば、もっと理解しようとすれば、違う結果になっただろう。あの涙は、一生残る記憶の一つになった。

 天を仰ぐわけでもなく、ただ瞳に鋼のような意志宿す。そんな彼女の眼差しだけでゲールは勘づき、口元を緩まる。



「人生の転機など一つではなく、いくつもあるのです。あなたを形作るのは小さくとも、たくさんあるそれらなのですから」


「私、姉さんに償いをする前に司祭様からの受けた恩をお返します」



 ジョシュアの申し出は彼にしてみれば、実に嬉しかったのか笑顔にこそなりはしたが、丁重に断りだす。



「いいのですよ。出会ったのは何かの縁。ならば私は教えに従い無償で手助けをするまで。見返りを望んでしろなどとは書かれていません。それでは信じる主に申し開きができないというもの」


「それでも、返さなきゃならない恩です。この教会のみんなにも」



 柔軟な姿勢であるもの、決心すれば強情に。そんな姉を間近で見てきていたジョシュアも、いつからかそうなっていた。

 老司祭もそれは重々承知している。翻意できないと知っていても、彼自身もまた譲れない。聖職者として志す在り方。だからこそ、丁度良く折り合いをつける術も身に着けた。様々な状況でもなるべくのその在り方を維持するために。



「その腕っぷしを活かした、用心棒を含めた何でも屋をやってみてはどうですか?教会に売り上げの一割でも寄付すれば、恩返しにもなるでしょう?」



「司祭様がそう言うなら・・・・・・」



 不承不承で、なんとも納得しきっていない返答。



「そのような顔では子供たちも怖がってしまいますよ」


「――善処します」



 教会には孤児院が併設されている。過激な反政府運動に巻き込まれ、家族や家を失った子。純血を至上とする者たちからの迫害を受けがちな中で親を失くす、もしくは捨てられた混血の子。種族柄として差別をされ、行きついた先で力尽きた親を持つ子。

 多様な理由から孤児になってしまった子供らを、ジョシュアは見て見ぬふりはできない。かつての自分と同じなのはそうだが、彼らの根底を歪めかけている境遇に耐えろ、など言う選択はなかった。


 そんな時、教会の正面扉が開け放たれた。快活で無邪気な年相応の声の塊。孤児院の子供たちが、修道女も同伴し、三十人近くがぞくぞくと教会へと入ってくる。



「お姉ちゃんだ!!」



 一人が気づくと、どんどん人だかりを形成してすぐにジョシュアの周りを埋め尽くした。



「なんでしばらくいなかったの?」


「みんな心配しんたんだよ!」



 思い思いに発言し、収拾のつきづらい状況へとなっていく。さすがにここまでとは思っていなかったためか、次第にジョシュアもたじろいで後退りを始める。

 老司祭はただ眺め、流れを見守っていた。まるで自身を省みなかった罰だと言いたげだ。やがて落ち着きだした頃を見計らい、場を収める一言を発した。



「これこれ、あまり困らせるものではありませんよ。お祈りが終わったら遊んでよいので、今は席にお着きなさい」



 柔らかく慈愛に満ちた声音で、孤児院の子供たちを説く姿はまさに聖職者そのもの。それがジョシュアが慕う理由であり、自らの理想を体現できている様は誰しもが尊敬するだろう。



「私もお祈りするから、その後に遊ぼう?」



 そこでひとだかりは完全にばらけ、ジョシュアの周りには余裕はだいぶ生まれた。以前の彼女ならば慕われる気持ちに好意的になれど、言えなかったこと。複雑に絡み合った心境に大きな変化があったから。

 祈りの言葉とともに、かの竜神へと祈る。これからの自分が正しくあるために。たとえ祈る神について深く知らなくとも、信じることを否定などできない。

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