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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
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二十 痛み

 貫手なら悠々と臓腑に到達し、確実に貫ぬけていた。魔力で強化された身体能力はそれすら可能にしている。だが、ジョシュアはそうしなかった。

 手を強く握りしめ放たれた拳は空気を一気に押し出し、一帯に響き渡る轟音を伴う重々しい強打を放っただけ。

 目の前の男の内臓には軽くはない損傷は与えているはず。それを避けるわけでもなく、一歩下がる素振りすら見せずに、仁王立ちのまま受け切っていた。


(なんで、避けなかった。それか腕や手で防ぐこともできたはずなのに)


 対峙したからこそわかる、眼前の者と己の力量差。決して埋められない差でこそないが、年季の違いをありありと分からせられる。



「私は有栖が悲しみ、涙を流すのをこれ以上見たくはない。そして君の憤りもまた理解できる」



 視線で護衛役を止め、未だ鳴り止まないであろう鈍痛すら感じさせない、平然とした姿。


 魔族を統べている王であると認められる、その地位を戴くに過分ではない佇まい。不本意だが納得してしまう。彼こそが真なる王。そして権謀術数という底なしの毒沼に浸かりながら、いっさいの濁りも許していない、汚れない外見に劣らぬ純真さ。


 不意にジョシュアが彼の口元に目をやると、鮮血で口元がじわりと染まりだしていた。日差しがなくとも輝く純白の毛並みが緩やかに色づくそれは、内臓が損傷していると当事者以外にもわからせるには容易である。実際、痺れを切らした護衛がゲールの止めても相手にせず、両手に武器を携えて引き剝がそうと向かってきていた。



「陛下、これ以上見過ごすわけにはまいりません!今すぐにでもその者を拘束」


「ロボ!!」



 主君の許しを待たずにジョシュアへあらゆる手段を用いようとしていたが、有栖が有無を言わさずに二人の間へ割って入る。それで躊躇し、白銀の王が手で再び止めた。

 ジョシュアは一歩、また一歩と後退りしていく。その場から動かなかった相手とは真逆。敵意はとうに消え、姉の必死な様子を呆然と眺めることしかできなかった。妹には目もくれずに。


 彼はジョシュアが退くのを見て、片膝を突いた。痩せ我慢をしているのか、一切表情に出さない。



「ごめんなさい。止められたはずなのに、私にはその資格はないって決めつけて、何もできなかった。でもロボになにかあったら、私どうしたらいいか・・・・・・」


 

 声を震わせても悪い予感を払拭しようとしている。縋って今にも泣きだしそうな有栖の頬を、白銀の王は優しく撫でていた。

 


「これしきのことでそんな顔をするな。私はそれを見たくなかったから、こうしたのだぞ」



 泣き出すの堪え、どうにか取り繕う姿はジョシュアの記憶には欠片ともない。


(わ、私は、私は)


 変わった。七年も一緒だった彼女には変えられなかった。それが十分の一の時間でここまで人らしくさせている。できなかったことをまじまじと見せられ、完全に心が折れた。敵意はもとより、化け物としていた彼女の中で、大きく占めていた想いが崩れてしまっている。


 茫然自失で目の前の光景を見つめるジョシュアに、老司祭ゲールが小走りで駆け寄ってきた。老体には酷なのは明白だが、それでも自らに鞭を打って。



「ジョシュア様、今一度お姉さんと話し合うことです」



 小刻みに震える手を取って、向き合うべきと伝るためにわざわざ。


 それは有栖も聞いており、大事ないと確認してすぐさま歩いてくる。また叱られると咄嗟に目を瞑るジョシュアは抱きしめられた。ゲールがさり気なくその場を譲った瞬間。



「ごめんね。私はあなたのやさしさにずっと胡坐をかいてた。だから、もういいの。私のことを守らなくて。ジョシュアだけの人生を、私なんかで無駄遣いしなくていいの」


「姉さん、私」


「わかってる。ジョシュアが努力してたのも、ずっと独りで頑張っていたのも、私や自分自身を守ろうとしてたのも全部知ってる。だから、大丈夫。そばにはずっといられないけど、あなたを見捨てたりなんてしない」



 決壊し、涙が止めどなく溢れ出していく。


 見つけた居場所は、仮初ではなく、偽りでもなかった。今までその居場所を守ろうと、外敵になり得る存在からの悪意や敵意の全てを、跳ね除け続けていた。

 遥か上だとさえ姉を守るのため、という理由は彼女が後付けしたにすぎない。本当は居場所を失う恐怖に常に晒され、月日が経っても心の片隅に残留したままのそれに目を逸らしていた。


 歳相応に泣きじゃくり、整った顔立ちを涙でどんどんぐしゃぐしゃにしていく。ようやく掛けてもらえた、やっと確かめられた。


 

 ジョシュアにとって姉の有栖は尊敬と敬愛の対象だった。なにも歳の近い姉妹だから、などという安易な理由からではない。

 まだ幼い彼女には、疑心の種が育まれてしまっていた。誰も信じられず、独りの夜を過ごすばかり。それでもよかった。それだけ彼女に根深く、純真であるはずの幼子をその歳には似合わぬ大人びた諦観を持たせてしまったのだ。

 それはおよそ七年前。その前の年、ジョシュアは親縁の家に引き取られた。そこに至るまで、たらい回し気味にその他の親類のもとへと、次々に渡った末のこと。一つ上の義理の姉となる人物は昏睡状態で三か月を過ぎ、回復の兆しもないとされていた。


(神様、私の帰る家はどこにもないの?)


 これまでもそうだったのだから、彼女はきっとそうなのだと思っていた。不幸を呼ぶ子と、不可解な事象を呼び込むばかりの子供、そう遠ざけられていたから。両親は同時期に蒸発、公的には行方不明となった。いっさいの前触れなく、突然に。当局の捜査も空しいもので終わり、遺体どころか行方すらも掴めないまま、事件は迷宮入りとなった。



「ジョシュアちゃんはこれから私たちと一緒に過ごすんだよ」


「家族なんだから、何でも言ってきなさい」


「はい」



 何人目か数えたくない、彼女にとっての新しい両親からの言葉。最初は甘露のように、可哀想な子と優しい対応をされてきた。それが一月も経たぬうちに恐怖しだす。やがて触らぬ神に祟りなしと言わんばかりの扱いを常とし、それを片手に収まらなくなった時にようやく悟った。

 

 だというのに、それは一月しても変わらずに家族として、彼女を毎日温かく迎え入れていた。細心の注意を払うべき腫物などではなく、家族の一員として。


(私は身がわかりなんだ。起きたらきっと捨てられる、いらない子だから)


 今のジョシュアにしてみれば、視野の狭窄にも陥ってしまっていた、と回顧できる。まだ見ぬ姉が起き上がるのを自然と忌避していた。偽りでも、見つけたかもしれない宿り木に、ずっと留まていたかった。

 

 そして、ついに昏睡状態から、奇跡の生還を果たす。昏睡状態になってからおよそ半年ほど。まさか快復するなどとは誰も思ってなく、完全に予想外の出来事。ジョシュアが来てから四か月が経過した時のこと。

 それでも義理の両親は彼女へは変わらず愛し、健やかに育つために努力していった。そうして文字通り半信半疑で、来てから一年が経った頃。家族での遠出中に事件は起きた。

 人混みの中でまだまだ背丈も伸びていなかったのが原因なのか、観光先で三人と離れ離れになってしまう。はぐれたと理解した時には、どこにいるかの目星すらつかなくなっていた。ジョシュアの頭に一番考えたくない可能性が浮かぶ。


(また、居場所がなくなった。私は捨てられたんだ)


 ありえないが、人とは一皮捲れば得体の知れない化け物ばかり。肌の色も美醜も関係なく、それが普遍的な真実。今も彼女の思考に強く結びついている、かつての経験からの結論。


 そうして諦めて、また期待して、また諦めようとしていた。だったというのに、それは一瞬で払拭されてしまう。

 助けが来た。大きくないその体で、息を切らしながら人を潜り抜けて。一直線にジョシュアを助けるために。どうやって見つけたのか。それは彼女にも未だに想像できない。



「大丈夫?怪我とかしてない?」


「――でも私より、怪我して」


「私はいいの。それよりもジョシュアが怪我してるかが心配だったから」



 手の平は朱色になり、露出されていた足は転びながら来たのか、そこかしこが擦りむいていた。痛みもあるはずの姉は、気にすることなく一目散に妹であるジョシュアを助けに来たのだ。



「な、なんで、私なんかを・・・・・・」



 口ごもっておずおずと口を開く。身代わりではないと確証も持てていない彼女には、自分より価値のある姉が傷ついているのに慄いたのだ。



「私はお姉ちゃんで、あなたが妹だからだよ。それだけで自分が傷つく理由になる」



 杞憂だった。彼女から見た姉は子供らしいはずなのに、どこまでも見透かす瞳が相反してしまっていて、もっと別の存在なのだと思ってしまえた。虚無に覆われながら、煌々と周囲を照らす病的なまでの無垢さ。それこそが彼女の本質。

 だからこそ、守ると誓った。たとえ穢れを一身に受けようと、守れるなら。体を鍛え、姉より大きくなろうとも。強くなる理由がそこにあるのだから。


 その姉が人らしくなっていた。喜怒哀楽がはっきりとあり、戸惑い、恥ずかしそうにし、怒りも露わにして。それが決定打になり、ジョシュアは姉が騙されていると決めつけてしまった。


 ひとしきり泣いて、立ち上がった時には轟音に呼び寄せられた兵士たちが、神経質な文官を先頭にし、すぐそこまで駆けつけていた。ぞろぞろと、二十人は悠に超す規模で。



「あ奴め、慌てふためいて人数をさらに増やしたか」



 自己治癒を済まし、立ち上がった白銀の王は家臣の計らいに無粋だとしていた。魔法にまだ疎く、ジョシュアにはそんな芸当は無理ある。それもまた、彼との力量差を如実に示していた。

 

 何事なかったと言わんばかりに、殴った当人のジョシュアにゆっくりと近づく。巨体には似合わぬ繊細さを併せ、無音で歩いて。



「君が有栖の妹ということで、私はもちろんだが、臣下にも無碍な扱いはさせない。だから、一旦城まで来てくれぬか」



 城とはイルーシの政庁たる建物を指してのこと。とにかく事態の収拾をつけるには、正式な決定をしなければならない。さすがにお咎めなしとはジョシュアも思っていなく、当然の結果だとした。


(どうしようかな、これから)


 命題としていた姉を守るのを崩す気はなかったが、自分の人生としてそれなりに満足する生き方は模索してみよう、そう彼女は心に決める。大切な姉の願いで、もしかすれば役に立てるその日がくるかもしれないと思い。

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