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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
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十九 もう一人の妹

 教会の周りには有栖どころか、噂の怪しい者すらいなかった。どこへ消えたのかわからない現状、捜索隊で探すほうが効率的なのかもしれない。だがそれでは、しばし待たねばならない。わずかな時間すら惜しかったロボは、自身の足で捜索することを選んだ。

 諦めかけ、教会の門をくぐった先に手がかりがあった。有栖ともう一人の人間の残り香。そして見知った老人。



「おや、陛下ではありませんか。お久しゅうございます」



 礼拝堂で竜神像に祈っていた。信心深く、権力志向もない理想的な信仰者。だが、その性格が災いしていたのか、王都から離れた街にいまはいる。


 変装をし覆面で顔すらも隠していながら、正体を見破ってきた。この司祭は王都にいた時期から高い洞察力を示していた。教会の人間にしておくにはもったいない才を持った人物。



「ここに人間がこなかったか、ゲール。これぐらいの背の低い、娘だ」


「ええ、いましたよ。昔のあなた様によく似た、気立ての良い方でしたよ」



 彼はいまに掴みかかりそうな衝動をぐっとこらえ、冷静を繕う。



「どこへ行ったのだ。もう一人、人間がいたようだが」



 魔族の嗅覚は種族による差異こそあれど、人間と比べるべくもない。特に彼のような種族は魔族多しといえど、指折りだ。

 切羽詰めた物言いは白銀の彼には滅多にない、王としての彼ではまずありえない態度。それに気づいた老司祭はにやにやと顔を歪めていく。



「ほう、そんな風にするお方でしたか。やはり衰えには勝てませぬな。話を聞いていたというのに、そこまで考えが及びませんでした」


「何が言いたいのだ?私はなにもおかしなことを言って・・・・・・」



 口元に手を当ててはっとする。冷静を取り繕っていたつもりが、逸っていく気持ちを制御しきれずにいた。ただその身に宿った感情の昂ぶりに身を任せていた。



「ようやく陛下も出会えたのですね。王にしかなれなく、王になることしか頭になかったあなた様が、やっと人になれる方に」


「私のことはよい。それに今の私はしがない貴族の三男だ。陛下と呼ばれる身分ではない」


「はは、そうしておきます」



 愉悦しきって浮かれている。地に足つききり、今は隠居している身の老司祭には不釣り合いの在り様。紛れもない本心。



「有栖様の妹御で、ジョシュア様といいます。ここ最近噂になっている人間でもあります」


「有栖の妹だと?」


「はい。街道を彷徨っていた彼女を私がこちらで匿っていたのです」



 にわかには信じられない。有栖と同郷の、それも妹などとは。もはやない故郷だと彼女は言ってた。もしかすれば、まだ何かを隠している。



「どこへ行ったか、わかるか」


「わかりますとも。あの方はこの国にずっといるつもりはないと、よく仰っていました」



 ゲールは正確にジョシュアという人間の考えを読み解いていく。自身は嫌悪してなくとも、王をはじめとした大半の魔族にあまり好ましくない感情を抱いているのは、彼女の態度から丸わかりだったらしい。ならばこの教会から一直線に国境まで行くだろう。


(もしかすれば、有栖は故郷に帰るためについて行ったのでは)


 以前有栖は故郷に帰れなくともよいと言っていた。そう言ってくれたのをロボは疑っていない。それでも妹とまた帰りたいとも思うのが、人心というものではないのかともしてしまう。



「陛下、お早く追ったほうがよろしいかと」


「しかし、それは・・・・・・」



 ゲールは王と相対しているというのに臆さず溜息をついて、かっと目を見開く。



「それでも一国の王なのですか!想い人一人を信じ切れず、どうしてそれで人の上に立つ王といえますか!」


「ゲール、私は・・・・・・」


「浅はかさは身を滅ぼします。ですが腰が重く、誰も彼もを疑う君主などそれと同等に愚かしいです。もしくはそれ以下でしかありません」

  


 老司祭に尻を叩かれ、有栖の後を追っていく。郊外への抜け道を通っていったらしく、警備兵に気取られていなかった。

 街の境界にほど近い郊外で指輪の魔術石を感知した。彼としては不本意な仕掛けだったが、役に立った。イルーシ市街では宰相が捜索を開始しているのに、それすらもかいくぐっている。これもゲールの入れ知恵で、こちらでの生活の工面もしていたらしい。


(妹か。いるなどとは一度も言ってなかったな)


 歳の近い妹がいるというのは彼は初耳であった。まだいくつもの秘密を有栖は抱えているのかもしれない。

 やっとこさ着くと、尻もちをついて怯え切った十数人の群れの中心に、有栖とその妹はいた。状況証拠として、乱闘になっていたというのを彼は瞬時に理解する。殺気立っている、有栖と比して大柄な妹一人が十倍の人数を相手取っていたのも分かった。

 幸か不幸か、有栖には目立った傷はない。それだけでロボはほっとする。



「陛下、お下がりください。これ以上接近するのは、あまりにも危険です」



 後ろに控えていた護衛役のグーロウスが割って入った。彼もまた尋常ならざる殺気と並外れた魔力の気配に当てられながら、冷静に判断を下していた。

 腰に携えていた片手剣に順手で手をかけ、いつでも引き抜るようにしていた。いざとなれば剣を握っていない袖からさらに短い小刀を出して、二刀で本気で打ち合うつもりだ。


 そんな臣下の制止を、ロボはあえて無視した。



「陛下、どうかここは・・・・・・」


「構わん。行かねば話は始まらぬなら、臆してどうするとういうのだ」



 まだ納得がいかないのか、グーロウスは主君の正面をどかなかった。切り捨てられる恐れのある、不敬な行為だと自覚しながら。

 命を賭したその行いを、ロボは咎めることもなく、ただ押しのけていった。忠君に勤しむ者に腹を立てることをしている暇などない。そして余裕のある時であったなら、なおのことししないだろう。


 近づくにつれ、相手の殺気はどんどん増していった。彼にしてみれば何の因縁もないので、何故でしかない。



「そこまで私を警戒する理由などないはずだぞ。それとも私があずかり知らぬだけで、何かあったというのか」



 ぴりりとした肌触りは、冬の寒さではなく、空気中を漂う魔力の濃度が上がってしまっているため。強烈な敵意と激情が、魔力を経由して伝わっている。左頬は右と比して顕著に紅潮しており、有栖の片手も同じように紅くなっている。


 ジョシュアという少女は、姉である有栖より一回り以上も長身だった。切れ目がちな瞳と金色の頭髪。そこからくる印象は冷徹で、どこか理知的だ。

 そしてよもや人間がここまでの魔力量の高い者がいるなどとは、思っていなかった。だが有栖という前例がいるのだから、その血縁に連なる者ならば不思議ではないとも思い直す。



「私はあんたたち魔族が嫌いなの。そしてそいつらを統べる、あんたみたいな魔王なんか大っ嫌い。姉さんは騙せているようだけど、私は騙されない」



 騙していないと、どうして言える。ここまで嘘を並べ、最愛とできたはずの有栖を欺いてきた。否定できる材料に乏しく、反論すらもできない。

 そして有栖本人は何かを思っているのか、声一つ上げずに静観している。


 冬の寒さで増幅されている頬の紅潮に構うことなく、己の姉を守るようにジョシュアは一歩前へ踏み出す。近づくにつれ毛並みが逆立っていき、彼女の纏っている全てを感じ取れた。



「君にとって最愛の姉を奪い去った者が、私だから憎いのか」


「わかりきったこと聞いてどうするの?それともそんな簡単な判断にも困る、どうしようもない馬鹿なの?」



 挑発も意図した、かといって決して安くはない言葉。背後のグーロウスはいまにも火蓋を切りかねないほど、頭に血が上っていた。


(馬鹿であったなら、どれほど楽だったか)


 一度、ロボは弟が羨ましくなった時があった。なにもかも明け透けで明るく、童話から飛び出てきたと言われてもおかしくないと思えてしまえた弟。紅い瞳も、白銀の毛並みも、王としての資質すら、それらと比べればどこか矮小だ。もう一つの姿など、言及するに値しない。母の愛を受けられるなら、彼はこんなものはいらないとしかけた。



「どうか憎まないでくれ、と抗弁するつもりはない。だが、私には有栖が必要だ。たとえ騙していると言われても、それだけは変えようのない真実だ」



 持って生まれてしまったすべてを包み込んで肯定してくれた、たった一人。



「その怒りは甘んじて受け入れよう。どうかそれで、鉾を収めてくれないか。有栖のためにも、私は君のことは傷つけたくはない」



 あくまでも不戦と謳い、護衛役も離す。手荒な事態になるのはロボとしてはできるだけ避けたかった。勝てるなどと驕ってはいない。



「私たちが傷つくことに心を最も痛めるのは有栖だ。それは君とて本意ではなかろう」



 ジョシュアは背後の姉に視線を移し、また向き直る。構えを解かず、警戒を保ったまま。有栖は相変わらず事の成り行きを見守っていた。その面持ちもいつもの彼女とは乖離しており、難解極まりない表情は彼にしてみても読み解きづらかった。


 人とは時に感情的になっしまう。ロボもつい最近に経験したばかりの、理詰めや損得勘定での思考とは対極。



「嫌い、嫌い、嫌い!!」


 

 事実を認めたくないのか冷静ではなくり、感情を曝け出している。



「そうやって他人を労わる素振りを見せる癖に、一皮剥けば人でなしの化け物みたいな奴ばかり!そんな奴ら、私は大っ嫌いなの!!」


「ジョシュア、一旦・・・・・・」



 有栖が宥めようと試みても、点火された憎悪の炎は止まらなかった。まるで昔の傷を穿り返されてしまったかのように。


 姉の制止すら振り切って勢いよく踏み出す。体が沈み込むほど強くを地面を踏みこんだそれは、日々鍛錬を怠っていないグーロウスですら反応しきれない、常軌を逸した速さ。音すら置き去りにしてしまう一撃。

 とはいえ避けるだけならば、なんとかなる。王族の血は魔力への高い適性を示し続け、ロボもまた魔力による身体能力全般を底上げしている。日々の鍛錬も怠ったことなどない。


 魔族にも向き不向きはあり、仕掛けを起動するのが精一杯の者から魔力を手足の如く自在に操れる者までいる。なおかつ日常的に鍛えなけらばならなく、戦乱が久しい現在ではそこまでする者も少なく、後ろ暗い仕事を生業にしている者ばかり。

 素養という面ではグーロウスは凡庸だ。ロボの弟のガルムや妹のシェリルなども同じく凡庸。宰相ベフデティに至っては並以下。王城でロボと並ぶ者は、軍事大臣のウィンディゴぐらいというほどには飛びぬけている才能を持っていた。



「陛下!危険ですので、避けてください!!」



 必死に主君へと呼びかけて身代わりとなろうとするグーロウスを傍目に、ロボは不動を崩さずに相手の初撃を受ける姿勢だった。 

 冬の寒さすら見失う気迫の衝突。ジョシュアの一撃を耐えきるか、膝を屈するか。ただの数秒、ほんの刹那で決してしまう。

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