十七 再会
情報収集の一貫として、有栖はロボとイルーシ市街へと赴くことにした。
「くれぐれも騒ぎの起きぬよう、気を付けてください。以前は騒ぎになっていましたから」
ぐさりと刺される。秘密としていたが、王都では人間と露見し、騒ぎになったのを宰相であるベフデティにはきっちりと把握されていた。それでも王への小言の材料は他にもあったからか、ここまで温存していたようだ。
「わかっておる。お前は引き続き守備兵からの報告を統括していろ」
「仰せの通りに」
後ろ髪を引かれる思いこそあったが、変装して二人はイルーシの市街へ下りて行った。距離を空けながらも一人だけの護衛であるグーロウスを引き連れて。
イルーシの市街は、よく言えば王都と比して住みやすい、悪く言ってしまえばどこか活気がなかった。かつては聖都として栄えていたのが、宗教勢力の王都への本拠移転をきっかけとし、活気は最盛期からは失われ、今や歴史ある古都でしかない。王都のように出店で商売に勤しむ者は少なく、人通りもそれほど多いというわけでもない。
季節は冬なので雪も少し積もっている。薄く広がり、石畳の隙間に詰まっている雪が季節をいつなのか再確認させる。それでもズメイ湖が近いからか、わずかな量で済んでいる。
田舎とまではいかないが、王都と比べれば古風な造りの建築群も相まり、有栖は時の流れに取り残されかけている印象を受けた。
「ここは昔から信心深い者が多い土地なのもあって、保守的すぎるきらいがある」
どうやらあながち間違いではなく、保守的になりすぎてしまっている街の空気がそれらを加速さているのだろう。
「だったらやっぱおかしいよね」
「そうだな。ここに潜伏するならもっと別の街にするべきだろうに。なぜここなのか、理解に苦しむ」
街中を歩みながらお互いの私見を何気なくすり合わせる。普段王城内しか動けない有栖に、ロボはせめて数少ない中でも市井の暮らしや気風を知っていほしいのだ。自身が少年期に幾度となく王城を抜け出し、王都で暮らす人々をその目で確かめたように。
有栖にとってもありがたかった。王城での暮らしは彼女の性にはあまり合わなく、最近では侍女すらできていしまってどうにも動きずらかったのだ。なにより、わずかでも二人だけの時間というのだけで彼女は心が踊る。
内心では少々浮かれ気味の有栖に対し、ロボは以前と同じ黒衣の外套で緊張の糸を緩ませない。前回は浮かて、異変の察知や警戒を怠っていた反省から。
「なにか店にでも入るか」
「そこで情報集めするの?」
「それはついでだ」
有栖はきょとんしてしまう。
(どういうこと?)
何のついでなのか、彼女はわからない。
「いいから入るぞ」
ロボはそう言って有栖の手を引き、あたりをつけていた建物に入る。王都の最新の様式よりは古い、質素で堅実なつくりであった。壁の一面だけは窓ガラスがはめ込まれている。板ガラスは王城にもふんだんに使われており、一般に普及したのは彼の曽祖父の代からだったらしい。仮にも歴史のある街に店を構えているのだ、登場からしてしばらくの建材を用いられないことはない。それでも細かな装飾やガラスの質自体はお世辞にも良くなかった。
入ったのはどうやら喫茶店のようであった。紅茶をはじめとしたさまざまな種類の茶を提供している。カウンターの席とテーブル席、有栖の目にも飲食店であるとわかる。
店内の他の客はぽつりぽつりだがいた。数は五人ほど。三人がひとかたまりで座っており、入店したときにちらり一瞥してきていた。あとの二人は窓際とカウンターにそれぞれいる。そのうちのカウンターにいる人物は外套についたフードを深くかぶって、顔を隠していた。フードの陰は深淵を形成し、顔を垣間見ることをできなくしている。それだけにやけに目立ち、明るくない店内でも異様な雰囲気だった。
「冬だっていうのに旅だなんて、寒かったでしょう」
カウンターに有栖とロボの二人が座ると、熊似の店主が世間話しながら注文を促してくる。直後に彼が慣れたように注文をしはじめる。王子だったころに散々市街へ足を運んで、見聞を広めた経験でわかるのだろう。
頼むとしばらくせずに濃い目に淹れられた香りの強い紅茶が、果肉が残ったジャムらしき食品と共に提供される。王城での茶会ではみなかった取り合わせに、有栖はどうすればよいのか迷う。
「お嬢さん、ここらへんでお茶を飲むのははじめてなのかい?」
「そ、そうです」
「そうか、じゃあ東の方から来たんだね。それを舐めながら飲むんだ」
ジャムらしきものを指さし説明される。彼の方を目をやれば、覆面を外さずにわずかにあげるだけで、器用にスプーンに乗せたジャムを口にし、すかさず茶を一服していた。
(これって、ロシアンティー?)
紅茶をジャムともに飲む習慣などそうそうなく、少ない地域でしか見られない。有栖の故郷ではわりかし有名ではあった飲み方。彼女はついぞ味わうことはなかったが、寒い地域で効率的に温まろうとするとこうなってしまうのか。
とりあえず言われた通りにスプーンですくったジャムを舐め、紅茶を飲んでいく。背中には複数の視線が集まっていたが、それらを有栖は無視し、平気な顔で味わっていた。
「ここいらではありふれた飲み方さ。どうだい、おいしいだろ?」
口内に広がる果実の酸味や砂糖由来の甘味、濃い茶葉の風味を味わいながら有栖は頷く。嬉しくなったのか、無言で茶を飲み続けていたロボへ話をふり始めた。相変わらず覆面を外さないで、さりとて汚さず、無言で器用に飲んでいる。
「兄さんはこちらへきたことあるのかい?」
「昔の話だ」
顔色は読めなく、言葉もそっけない。店主は構うことなく話を続ける。話かけれることは嫌っているわけではない、と感じ取ったようだ。
「そういえば知ってるかい?街道の怪物の話」
「怪物だと?」
そっけなかった彼が食いついた。飲む手を止め、懐から路銀を出した。有栖がティーカップの紅茶を飲み干す直前。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
「長身の顔のない化け物だとか噂されている。ぼろきれみたいな外套を被って、街道を彷徨っているらしい。最近はぱったりと聞かないが、どこかの街にでも入ったのかね」
「他にこの街で変わったことはあったか?」
彼の質問ですこしうなって、あっと言う。
「教会の周辺で、怪しい奴がうろついているぐらいかね」
「そうか、感謝する。それと、うまい茶だった」
飲み終わったのを確認し路銀を料金よりも多めに渡し、店から出た。
「待機させていたグーロウスに今の話を伝えてくる。お前は少しここにいてくれ」
ロボはそこで遠目に警戒していた護衛役の方へ向かう。店を出て少し歩いた場所で有栖は待っていた。角を曲った、なんてことのない街路。建物の壁近くに立ち、静かに待っている。
そうして数分がたった時、見知らぬくすんだ色の外套を被った人物が接近してきた。猛然と距離をつめ、何かをし来ようとしている。有栖のあたま一つ半は大きい、おそらく長身の女性。
「来て!」
なりふり構っていられないと、急いで手を引いていた。引かれた有栖は戸惑いつつ、言う通りにした。やがて人気の建物と建物の間の狭い袋小路に連れこまれる。
いきなりの事態に有栖は口を開きかけるが、
「あ、あの」
「いいから、黙って」
口を塞がれ、塞いだ当人も息を潜めていた。そこは袋小路を暗くする建物の影。そうしていると街路の方から男性の、複数の声が聞こえてきた。
「どこいきやがった?ここらへんには疎いはずだぞ」
「とりあえず手分けして探すしかない」
「そうだな、俺はあっちへ行く」
三人の店内にいた者たち。ああいった店で待ち伏せし、適当な外からの外からの来訪者を襲ってでもいるのだろう。外へ出てしまえば、その店の者も知れない事柄。襲われた当人も関連性は低いと決めるかもしれない。
追ってきていた声が遠ざかるの確かめてから、有栖はようやく解放される。ふっと溜息を吐いた背後の人物を見ようと振り返ると、思わぬ反応がきた。
「もしかして姉さ、ん?」
「え・・・・・・?」
かすかに震えながら眼前の現実を再確認してかのよう。二の句が継げなくなり、今にも泣きだしそうで。
見知らぬ人物は、有栖にとって見知った人物だった。この世界にはいないはずの妹。三姉妹でたった一人の血が繋がらない、それでも彼女にとっては大切な妹。
「ジョシュア、あなたなの?」
予期していなかった、不意の再会。どうしてこの世界に妹はいるのか。こちらの世界へ来た直前の記憶を失ってしまっていた。有栖にとってありえないことが、起きている。
■
「有栖、どこ行った!!」
護衛役との今後の行動方針を共有していると、そのうちに消えていた。彼女が馴染みのない土地を無警戒に一人だけで行動するなどしない。理由があれば別だが、これといった理由もない。
「どうしますか、陛下。宰相殿に伝え、捜索隊を組織しますか?」
急いでついてきていたグーロウスが訊いてくる。まだ目撃された人間が見つかっていない現状、それは苦渋の決断になってしまう。有栖の命か、人間の捕まえることか。
(天秤にかけるまでもないぞ。はやく捜さねば)
彼は即決すると、グーロウスへ言伝を預けた。
「ベフデティに伝えろ。十人規模の捜索隊を組織し、有栖を探せと」
「わかりました。ところで陛下はどちらへ?」
主の行動を予測し、さらに訊く。護衛役を仰せつかっているので当然の対応だ。
「私は教会へ行く。話にあった怪しい者が関わっているかもしれぬ」
「私も宰相殿にお伝え次第、先行して合流します」
「わかった」
そこでロボはグーロウスと別れた。逸る気持ちを抑えつけ彼は教会の方角へ歩んでいく。己の不手際に憤りながら、一刻も早く有栖を探し出そうとしている。
彼はまだ知らない。連れ去ったものは血が繋がっていない、されど正真正銘有栖の妹だと。