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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
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十六 古都

 魔族とズメイは切っても切れない関係である。マスカヴィア王はかの竜神の、代行者と最初期から自称していた。湖の主で、その湖底に住まうとされるズメイと盟約を結ぶ我こそは神の代理であると。

 魔族世界をいまなお統一できている理由でもある。現世に存在し、世界を見回しても唯一の、生物ですらないであろう竜神から授けられた絶対の王権だからこそ。


 かつてから今に至るまで、ズメイが大地そのものを豊かにしている、そう信仰されてきた。魔力はズメイ湖の奥底から発生したとされ、恵みの一つであると伝えられていた。またズメイ湖は大陸の北部へ向かって広がっており、厳冬期では凍ってもおかしくない地域だというに、年中凍らずいにいる。これも湖そのものが魔力を含んでいるためと考えられている。

 それらについて学んだ有栖はただ首を傾げるばかりだった。生物とは言えない年月を生きているズメイと、それが与えられている恵みは、これまでの彼女の常識からは大きく逸脱している。


 そんな有栖は今は遠大な湖を航行する船上にいた。古い文献では聖都と記される都市、イルーシへの公務のため。イルーシ自体は国有数の大都市というわけではない。その歴史は王都と肩を並べられるが、かねてからズメイ信仰の中心地であったので、国を挙げての開発はあまり行われてこなかった。そして王都へ教会勢力の本拠が移転してからは、街そのものの活気も減少した。今でこそ水運の中継地の一つとされ、徐々に活気も戻ってきているが、慎重な扱いを求められる都市というのには変わりない。歴代の王はイルーシの発展には目を光らせ、教会勢力そのものが下手に力をつけないように気をつけていた。


 

「船酔いはしないのか」


「大丈夫だよ。私そういうの平気なの」


「そうか。くれぐれも海には、落ちてくれるなよ」


  

 季節は冬であるから、水中へ落ちてしまったら危険ではある。凍ってこそいないが、その水温は命を奪うには十分すぎるほど。それでも有栖は船室から甲板に出て、風を一身に受けている。


 世界広しといえど、ここまで広大で海と見紛う湖は、元の世界でも片手で数えられるほどしかなかった。なによりも淡水であったから、古来から今に至るまで、湖岸での生活を豊かなものにしてきた。魔力も濃く滞留しており、独特の進化を生物に促していったとも考えられている。魔物と魔族は、その最たる例。土地由来のその力が、生物としては並外れた強靭さを獲得させた。


 水平線のその先へ、王家の紋章が描かれた帆に風を受け、悠然に進んでいる船の甲板上。何もない湖面を吹き抜けていく風が、船首が切り裂いた波飛沫をわずかばかり甲板へ飛ばしてきている。


(船の上もいいよね)


 海上ではないが、湖水の満ち引きが起き、潮騒に似た音が発生していた。高くない乾舷の上の甲板のいる有栖には、とても心地良く聞こえる。甲板上には船を動かすための船員と、船の警備の兵が、そこかしこに配れている。

 イルーシへの視察を知ったのは二日前。終幕した花嫁争いの事後処理を終えた宰相が彼女を大広間へ再び招いて告知してきた。背後の玉座にもたれかかっていた白銀の王はいつになく難しい表情で、狼によく似た顔で眉間に皺を深く刻んでいたのが印象的であった。何か裏の意図でもあるのかと勘繰ってしまい、彼に訊ねてみた。



「イルーシへ到着したら言う」



 そこまでで濁すだけ。部屋をでれば王としての仮面を被っているからわからないが、自室ではどことなくそわそわとしている。それはシェリルが教えてくれた白銀の毛並みの有栖がロボと名付けた、彼の隠し事をしているときの癖だ。イルーシで何があったのかは彼女にはわからない。

 有栖と白銀の王が乗っているのは、共に航行している中では最も巨体の帆船。王族専用船とその護衛兼近衛隊輸送の船が四隻いる。

 艦隊といえる規模の一団は矢じりのような陣形で湖上を進む。その矢じりの最後尾に二人が搭乗する船があった。王族専用船であるそれは装飾や各部の造りはどこをとっても目を見張り、当代の王が乗るのに適当だ。また移動時にも公務のための事務作業をこなすための執務室もある。宰相の部屋もあり、航海がはじまってからはそこで持ち込んだ書類作業に没頭していた。それは白銀の王も同様で昼間はしばらくしない内に執務室に籠りだした。


 木製で帆船ということもあってか巨体でこそないが、近くを通る船と比較すれば、抜きんでているのは明白だ。帆船の中でもガレオン船らしき船に見えるが遠目では平べったく、少し違う発展をしてきたというのは明らか。波があるといっても、比較的穏やかな湖上を進むのには適しているかもしれない。


 結局イルーシへの移動は一日以上かかり、到着は翌日になった。王都のおおよそ西に位置し、広大なズメイ湖を挟んでいるため、船でもそれだけかかってしまう。



「ようこそお越しくださいました、陛下。守備兵一同、心よりお待ちしておりました」



 守備兵を数十人ほど率いたイルーシの城代が湖港で形式的に歓待してくる。王のとなりにいる人間の有栖には、さすがにその場に居合わせた初対面の者たちは怪訝な顔したが、異議をいっさい発しなかった。


 イルーシの政庁は平地に築かれた城であった。湖のすぐ近くで平野が広がり、これといった山岳はあまりない。国境からは遠くはないが近くもない。国境の最前線の一つのヘレニアからみれば北東の離れた位置で、国境線からは奥まった東方の都市。だからこそ戦火にはあまり晒されず、ゆっくりと歴史を積み重ねて発展してきた。


 滞在用に準備された部屋で有栖はじっとしていた。心は読めなくとも、どういった見方をされているかは、それとなくわかっている。王城ならばいざ知らず、ここで下手に動くと彼の立場を危うくするだろう。そしてなにより城内の異様な空気が気になって仕方がない。


(何か起きてる。でも何が起きて、こんな雰囲気になっているの?)


 非常事態が起きているのは確かである。それならば宰相を伴っているのにも説明がつく。そうして有栖がいろいろな可能性を思考していると、彼が戻ってきた。外はすでに暗い。きっと何か協議していて、長引いた。

 用意された部屋には控えめであるが、使用されている材質はどれも一級品で、国を統べる者とその妃が使うには相応しい家具ばかり。有栖はその一つの椅子に座り、外を窓から眺めていた。すでに外は暗く、ぽつりぽつりと明かりが灯っているだけ。彼もやがて対面の椅子に座った。



「お前の質問に答える」



 複雑な表情を崩さずに、重々しく話を切り出す。彼にとっては言いにくいことこの上ないらしい。



「今回イルーシへ来たのは、人間の目撃情報があったからだ」


「人間がいたの?」



 おかしい。なぜ、国境から比較的離れているこの都市にいるのか。



「でもここは国境から遠いよ?」


「うむ。だが事実いるのだ。少なくとも一人は確実に」



 至極単純だが、国境地帯の都市や街には少ないが、侵入されることはある。それが国境から遠い、このイルーシでは話が違う。どうやってここまで来たのか。それならば一人とは言わず、二人、三人といるはず。長旅の準備をした侵入ということにもなる。それほどの価値はなんなのか。

 状況から推理しようにもつながらない点が多すぎて、有栖は困惑した。それは彼も同様らしく、どのような目的かは、見当がつなかないとしている。



「侵入してきた人間の処遇がどうなるかは知っているだろう」


「それは知ってるよ」


「ならば、わかるな」



 言外の意図がはっきりとわかった。シェリルの言っていた言葉が頭の中で思い起こされる。あまり口には出したくないのは、彼とて同じであるのだ。



「私が離れるかもって思ったの?」


「―――そうだ」



 気まずそうに顔を逸らして同意した。幻滅されるともで決めつけていたのか。閉口している有栖を、不安気に深紅の瞳がうかがおうとする。


(私はどんな事があってもそばにいるよ)


 ロボは妃としたい有栖のことになると、威厳を保つためのどっしりと構える姿勢と心持ちも忘れ、心配性な面が全面に出る。いつか離れ離れになってしまうことに、怯えているのだろうか。



「そんなことしないよ。確かに平気な顔で傍観はできないけど、それで離れようなんて思わないから」



 たとえ彼が国を追われようと、人知れぬ秘境へ逃れるしかなくろうと、彼女はずっとついていく。人らしくあれるのは彼のそばしかなく、それだけが願いであるから。最初は依存からだったのかもしれない。しかし、今は違う。花嫁争いを経て、妃になりたいのは自身の願望なのだと気づけた。依存だったのものは、王城で過ごすうちに願望へと変化した。



「――――そうか」



 沈黙の後のつぶやきに近いわずかな相槌。それでもわかる。ひと時の安心を彼は得たのだ。有栖には十分すぎる幸福。

 しばらくしない内に二人は眠った。ロボは眠りに就く前に、イルーシの市街に明日にでも下りると伝えた。王都へ下りた時と同じく、身分を隠し、たった二人で。一応護衛も付くらしく、先日王城へ戻ってきたばかりのグーロウスがその大任にあたる。街での行動を阻害しないよう、陰から周囲に目を光らせて。苦労しながら、宰相がなんとか翻意させねじ込んだのは想像に難くない。





「ウィンディゴ様、各地から陛下がイルーシへ赴いた理由の説明を求める使者と書状が・・・・・・」


「陛下の決定だと伝えよ」


 

 説明を求める文を、眼鏡越しに確認して、すぐさま事後の対応を端的に返す。



「閣下、雪の影響で各地への備蓄食料の定期搬入が遅れてしまって・・・・・・」


「軍事大臣殿、こちら法案になります」


「税の改定案になります」


「こちら、ひと月の天気予測です」



 王城に残った留守居役のウィンディゴに、次から次へと執務が舞い込んでくる。通常ならばもっと仕事を片付けてから赴くものだが、今回は急を要すので、必要なだけを終わらせて、後は留守居役と王都への帰還後とされた。

 留守居役は王の不在を埋めるために、周囲へ睨む利かせることのできる人物を選ぶのが常だ。ウィンディゴもまたそうだが、それと同時に平和なここ数百年の間は主君や高官の不在を埋められる、実務能力が求められてきた。宰相の分はもちろん、王へ直接知らされることも多い。それが一極に集中すれば、人や書類でごった返すの自明の理である。


 普段であれば、ウィンディゴは軍事大臣の領分外の仕事をあまり請け負わない。だがこういった留守居を命じられれば、不備なくそれらを完遂するだけの能力はあった。軍事の全てを担い、書類作業もやぶさかではない。各地からの報告は彼にも届いている。城代からの定期連絡は、基本直属の上司たる軍事大臣を挟み、王への報告となる。


 常日頃は人の出入りが碌にない軍事大臣の執務室は、にわかに慌ただしくなっていた。次から次へと入室を請われ、許可をするのにも億劫になるぐらいには。いかに宰相と主君たる白銀の王が、かかる業務をてきぱきとこなしているかを留守居の度に実感させられる。



「むうぅ、多いな」



 泰然自若を旨とし、動じることすら稀な彼でもさすがに唸ってしまう。

 ある程度の裁量は委ねられていた。法案の良し悪しも判断でき、主君である白銀の王の考えも多少は推し量れる。その点で彼は適任であるが、仕事が滞らない範囲でお茶を濁しいていた。任せられているといって、増長はまったくない。それこそが武人でありながら、留守居を命じれる理由でもある。


(できればあまり関わりたくないことばかりだが、今この王城で最高位は私であるのなら仕方がない)


 机の上にどんどん積みあがる紙の山は、普段であればそうそう見ない。ちまちまとそれらを片付けていき、三分の一を終わらせたころ。直属の兵が伝令として入室してきた。



「閣下、新型の銃の初期生産分が運ばれてきました。すで試験場で性能試験の準備を済ませていますので、閣下が到着次第に試験を開始できるそうです」


「うむ、すぐにでも行こう」



 もちろん軍事大臣としての仕事も関係なく発生する。書類仕事こそあまりないが、軍用船の命名式や軍に採用予定の武具の試験の視察なども重要な執務だ。最もウィンディゴ本人は自ら戦列を率いる方が性にあっているが。雑務もほどほどに、専ら各地への視察を主な業務としている彼には、腰が重くなってしまう留守居役は栄誉ではあるが、進んでやるものでもないという認識だ。判を押すのを切り上げ、ウィンディゴは椅子から腰を浮かし、部屋を後にした。まだまだ残っていた山を見なかったことにして。

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