十五 紅月と怪物その二
魔族世界全土を紅く染め上げる、摩訶不思議な事象。に不定期大気中の魔力が濃くなると起きるこの現象は、古来より魔族の間では神聖視されてきた。不定期ながらも一年に二回から三回ほど、多くて四回といった具合だ。それに数日前から徐々に魔力が濃くなるを魔族ならば誰しもが感じ取る。
「陛下はいつも部屋に籠られるのですか?」
侍女の一人のなんてことのない疑問。宴席を設け、酒盛りをしている国も珍しくない。そんな中で魔族世界を統べる絶対の王は、部屋に閉じこもって夜一切姿を表さない。王城に長くいる者ならいざしらず、シャフールやシェバなどには特異なものに見えているのだ。
「やっぱり、他の人には言えないの?」
昼のシャフールの質問は有栖としても思うところがあった。彼は紅月の夜だけは怪物とできる、異様な外見になってしまう。耳は尖り、犬歯と両手の爪は凶器のように鋭く伸び、体は一回りも二回り大きくなる。まさに怪物。翌朝には泡沫の幻だったように、変化のなにもかもが戻る。
もたれかかり、目を瞑る。打ち明けた初日はロボ自身も体に眠る衝動を御しきれなくなっていた。それでも今はじっとし、有栖がそばにいるがなんとかなっている。
「誰しもがお前のように受け入れることはないだろう。それにこの姿を打ち明ければ母上や父上の名誉を傷つけてしまう」
「だから仲が悪かったんだね」
父と母の王族としての名誉を彼は守ろうとしている。それはあのきつい性格の母ハティも同じなのだろう。先王の名誉を第一にしているため、彼という存在そのものが許せない。自身が生んだのに父たる先王には似ても似つかない彼を、そして生んだ自分そのものを。
「母上は私を認められないのだ。この姿は父とはかけ離れて、代々の王族にもなかった特徴であったから」
それは有栖も過去の王族の身体的特徴が記された文献を読んでいて知っていた。何十代も続く王国においても、例外中の例外。光を反射できる白銀色の体毛と深紅の瞳すら過去に表れていない特徴。アルビノともできるが、特有の身体的な障害はなさそうである。
さらに魔力の濃度によっての体の変化。それもまったく記述はなかった。魔力と生きていく進化をしたのが魔族だが、彼は極めて異質である。
では彼はいったい何なのか。王の子ですらないと疑われてもおかしくはない。きっとハティもそう思い、息子であるはずのロボを遠ざけていった。王は自身の子と一切疑わなかったのと対照的に。
「でもお父さんはロボを次の王様にって、したんでしょ?」
「そうだ。父上は私を実子ではないと疑わず、将来の王として扱い愛してくれた。この姿を見たというのに」
ロボが今は亡き父を語る口調は、王としての尊敬や息子としての愛を滲ませている。怪物の形に引っ張られ、脆くなっている彼の心の中でも揺らぐことのない記憶。それはきっと良い思い出である。
(私はそう思える前に諦めちゃったな)
うらやましく、もう自分に無理だと有栖は諦めている。この世界から元の世界へ行く手立ても、たとえ見つかったとしても往復できる保証もない。それならばここへ居続けるだけ。
「どれだけ外見が変わっても、ロボはロボだから。お父さんもわかっていたんだよ、きっと」
彼はまだ父には愛されて育った。たとえ母が存在自体を否定しようと、我が子だと言って。それはどれだけ良かったことだろうか。だからこそ、今の彼を形成している。王らしい王を目指し、万民が平和を享受し豊かに生活することを目指せている。
「父上は偉大な王で、私にとって良き父だった」
「私も一度会いたかったな」
会えていればもっと早く、自分の気持ちに気が付けたのかもしれない。シェリルやウィンディゴ、コルキスはとっくの前からわかって、助言や手助けをしてくれていた。たくさん浮かんでは沈むのを繰り返していた、彼への感情。
初めて怪物の姿と過ごし夜、彼は食べたいのではと言っていた。涎を垂らし、なんとか踏み止まって我慢して。その日は彼もなんとか区切りをつけれていいたが、今はどうなのだろう。
「ロボは私のことおいしそうって思ってる?」
「・・・・・・・・・」
横並びになりお互いに顔を直視はしない。彼が見られるのを避けているため、有栖も目を瞑る。二人の息遣いだけが静寂を保つ部屋を彩る。
「私はお前だけがいればいい。その気持ちはどんなになろうが変わりないが、もう一つある想いを私自身理解が及んでいない」
「ごめんね、いきなりこんなこと聞いて」
この七十年ほど、衝動と理性の均衡を守ってきた。孤独に、誰にも助けを求めずに。よく似た半生を送りながら、先天的に外れていた者と後天的に外れた者。どういうわけかここまで近似した二人が、奇跡的にもめぐり逢えた。
そうであるなら、せめて孤独を打ち消したい。それだけが有栖のささやかな願い。愛していると自覚してしまったから。
「もしうまそうだと言えば、お前はどうした」
うっすらと濁ごす。訊いた有栖のすぐ近くに置いていた手を離していく。
「どうしたんだろうね」
我が事ながらどうしていたか想像がつかない。もしかするとそのまま身を委ねていたのかもしれない。彼の血肉となって、いつまでも一緒にいれるのなら、それでもよかったとも有栖は思ってしまう。いずれロボとの道半ばで永遠に別離してしまう。
「ずっと一緒にはいれないのは、やっぱり嫌だから」
身に着けている指輪に取り付けられた魔術石のおかげで、魔力が命を削るということはないそう。確かに日を追うごとに有栖は体が軽くなっていた。全身を以前よりかは丈夫にしているという感覚すらあった。
(それでも、私は途中までしかいれない)
その後の彼の孤独を埋められるだけの確証もない。老いて寂しそうな彼の姿を考えただけで胸が苦しくなる。いつか来てしまう。
「私頑張ってロボと同じくらいたくさん生きるね」
「何を言っている、当然では・・・・・・」
そこでロボは察した。有栖の言葉に含まれた意味を。
「私は有栖がそばにいてくれれば、それでよい」
外見がおよそ人ではなくなっても、変わらないやさしさ。いつかが来るのも怖くなくなる。そこで有栖は考えるのを止める。いくら考えようと運命とは時に残酷だ。抗おうと藻掻く人をほくそ笑んで、さらなるどん底へ突き落す。奇跡や希望をこれ以上望むのなど、彼女にはできない。