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獣国のツァーリ  作者: のろま亀
妃への道
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十四 次に

 晩餐会から五日ほど経った日。白銀の王とその臣下たる高官たちは花嫁争いの後始末に追われていた。候補の一人たるシャフールが身を引く決意を晩餐会翌日に表明したのをきっかけとし、他の姫たちも同じくその座から下りていたのだ。そうして多くの高官の当初の思惑は崩壊した。誰も王の心を射止めることななく、有栖が立場を固くしただけ。



「有栖様、おはようございます」


「おはようございます」


「お、おはよう」


「ふふ、まだ慣れないのですね」



 面白そうに、主人を揶揄うのは橙色の虎にも似た姫。そして揶揄われるのは、未だ変化に馴染めていない裏付け。恥ずかしそうに有栖はもじもじとする。自分が主人など夢にも思っていなかった。

 どうしてそうなっているのか。話は晩餐会の翌々日にさかのぼる。それは有栖が疲労感から、部屋から出ずにいた日。

 


「お前の意向を最大限汲んでの決定だ。お前のためにもなる」



 未来の王妃たる有栖の侍女として、二人の姫を召し上げた。形式的には主従だが、どう扱うかは彼女次第。

 書庫へ向かって歩く有栖と付き従う侍女の二人。歩きながら侍女の一人であるシャフールがくすりと笑いながら釘をさす。



「コルキス姫から有栖様の悪癖など大まかには聞いてます。だからあまり飛び出していくような真似をしないことです」


「あはは」



 コルキス一人に重く圧し掛かっていた責任は三人に分散している。それはきっと良いことだ。彼女の仕事は、有栖が来てから多岐にわたっていた。元々のお針子としては無論、教育係とお目付け役。二人の主君の内の一人である有栖の無茶な行いでずいぶんと心労をかかっていた。

 くすんだ青とも緑ともできる、大きな嘴の姫。彼女もまた辺境の王国の娘でありながら、魚獣族が崇敬するもう一つの対象。



「いいの。一応侍女って体だけど、友達だと思ってるから」


「友達だなんて、過分すぎる待遇です」



 謙遜しつつ、年若い主人をシャフールは諫める。チュニックらしき衣服を身に纏っているのは、誘惑する相手がいなくなったからだが、厳しく管理されている体はゆったりとした服装でもわかりやすい。

 シェバとシャフールは有栖の希望から侍女となった。といっても本人は主従などとは扱っていない。城に居続けられる理由を作ったにすぎないのだ。偽善でしかないとわかっていても。

 ちなみにコルキスはお役御免というわけにはいかなかった。彼女の教養は三人の中で突き抜けていたので引き続き教育係を任じられている。



「ところでコルキスさんとはどこで知り合ったの?」


「ふふ、気になりますか?」


「ちょっと気になったの。すぐにコルキスだってわかってから」



 シャフールは初対面の時、すぐさまコルキスと判断していた。彼女は金羊族の王族特有の金色の毛が交じってない。教養深いが、それは話してみないとわからないはず。それなのになぜわかったのか。



「あれはまだ陛下がご即位したばかりの頃です。我が国ファルース王国を含めた東方従属国への訪問に際し、大規模な夜会を開いた時に会ったんですよ」



 王都から見れば南東方面に彼女の故国はある。波斯虎族と称される種族が多く居住する土地。コルキスの故郷のグルカスはそのすぐ近くではあるが直接面しているわけではない。東方諸国と一括りにしているが歴史的な背景から、関係は良好とは言い切れなかった。かつては地域覇権に手をかけていたファルース王国と、それに踏みつぶされかけた周辺国とでは無理もない。北西より現在のマスカヴィア王国の東方遠征軍が来たので、周辺国は難を逃れる形となった。



「最東端のマスカヴィア直轄領でのことでした。若き王に見初めてもらえるかもしれないという淡い期待もあり、東方従属国の姫が何人も参加していた時に」


「コルキスさんが運が良かったて言ってたのはそういうことだったんだ」


「私たちのような家に縛られて生きていくしかない者には、幸運なことでしかないのです」



 憑き物の落ち切ったすっきりとした表情で、本来の温和な顔つきでシャフールは噛みしめるように言う。



「だから、有栖様も同じことをしてくださったんです」



 シャフールの話を静かに聞いていたシェバが付け加えた。王城に形はどうあれ留まれることとなったのはそれだけで名誉である。ただの小間使いではなく、妃となる娘の侍女としての召し上げ。それだけで王が信用していることになる。

 王はかねてより用心深いと定評であった。宰相と軍事大臣は言うまでもなく、側近は多かれ少なかれ王からは信用のおける人物ばかり。そんな彼が最愛の妃の侍女にとしたのだ。悪評はつくことはないだろう。人間が妃というので心境は複雑だろうが。


(大したことしてないのに)


 ただの我がまま。それではいつか限界がきてしまう。妃に相応しい人柄とはもっと、別。形容できない、不安や焦燥が入り混じった感情がまた渦巻いてくる。

 それは顔色にも出ていたのか、侍女ではなく、友達と訂正された二人は勘付いた。貴族のどろどろとした底なし沼のごとき世界を生きていた彼女たちにすればあどけなさが残る有栖は可愛く、支え甲斐のあるらしい。



「有栖様はそのままでいいんですよ。正しい道と思って進んでいるのならそれで。私たちが生きるために身に着けるしかなかったことなんて考えず、有栖様らしさを失わずにいれば」


「そうかな?」


「ええ。きっと間違っていませんから」



 シェバの言い分にシャフールも同意見であると何回も頷く。彼女たちには有栖の生き方は短い時でも鮮烈に印象付けさせている。損得を度外視し、正しい道へと前に進もうとする。自身の考えを真に理解できる者が一人だけしかいなくても。たとえ一人だけの孤独な瞬間がいつか来るのをわかっていても。

 人は孤独になることに恐怖し、進むことを諦めることもある。魔族でも人間でも、人であるのなら。貴族においてもそうである。だからこそ孤独を感じさせない場所や地位に身を置くことをする。それが有栖には欠落しているのだ。孤独であることを当たり前だとして、進むことしか見ていない。彼女自身、無意識にではあるが。

 


「そういえば、魚獣族の人たちってどんな人たちなの?」


「見たことがないんですね」


「うん。王城や王都じゃあんまり見ないから」


「では書庫に着いたら魚獣族の方たちのお話をしてあげます」



 にこやかにシェバが言う。差別の対象である魚獣族だが彼女にとっては良き思い出ばかりなのか、思い浮かべている姿は実に嬉しそうであった。



「公爵のおじさまをはじめ、魚獣族の方々はとてもよくしてくれました」


「公爵のおじさま?」


「それも書庫についてから詳しく話します」



 未知への興味を膨らませている有栖は微笑ましく見守られている。

 




 花嫁争いを仕組んだ高官たちにとっては期待外れも甚だしかった。王の心は人間の娘から離れなかった。逆に彼女の立場を強化するための人材を呼び寄せてしまった。一人は敬われる存在としての心持ちを。一人は貴族社会の在り方を。それは妃となるであろう彼女にとっては最良の選択。



「当初の予定通り、近衛中隊を率いてイルーシへと入るので問題ありませんね?」



 白銀の王は執務室で宰相よ今後の協議をしている。晩餐会の翌日に宰相であるベフデティは明らかに落胆しきっていた。それでも事後処理は手抜かりなく行っていきている。

 そんな彼は主君を直視せずに、伏目がちにつつましく喋っていく。



「陛下、私から折り入ってご相談が」


「うむ、申してみよ」



 許しを得れ、視線を白銀の王へと合わせる。



「此度のイルーシへの対処に有栖様もお連れなってはどうかと思いまして」



 国を統べる者が座るには申し分ない調度品の椅子の肘かけを白銀の王は強く握りこむ。宰相からは執務机で見ずらいが、主の細かな差異に目敏く反応する。



「有栖様のこれからのために経験は必要でしょう」



 彼の言い分は至極簡単。今後もきっと人間が不用意に侵入してくることがある。それを毎回隠しきれる保証はないので、彼女が来て初めて侵入してきた人間の処遇を決定するのに同席させ、現実を見させる。


(イルーシにいるというあ奴ならなんと言うか)


 かつて王都にいた、今はイルーシで隠居しているという知り合いを思い出す。



「私から有栖へ伝える。それまでお前は口を挟まなくてよい」


「わかりました」 



 ベフデティはそこで王の執務室を退室した。調度品の椅子にもたれかかり、伝えた時の反応を想像する。

 失望するだろうか。いつまでも隠し通すことなどあの有栖相手には不可能だ。活発で知識をひたすら蓄え続け、未知や無知であることを良しとしない。そしてなにより彼女の前ではどんな隠し事でも丸裸にされる。彼は恐怖していない。事実は事実として受け入れているだけ。

 

 白銀の王はうだつがあがらないまま自室へと戻った。有栖は晩餐会の夜までシェリルの部屋で寝ていた。彼女が戻ってきた部屋はやけに暖かく、物はあまり増えていないというのに充実している。最近は書物などをせっせと運んできている。今日もベッドの上で書物を読んで出迎えていた。

 そんな彼女にロボは思わず訊ねた。何をそこまでさせているのかと。



「なにか興味をそそられる話でもあったのか」


「あったけど、それよりももっと知らないとって思ったの。私がお妃さんになるっていう意味をもっと知らなくちゃ」



 隣に座られても本へと意識を向けたまま。ロボはそこでむっとしてしまう。


(またそんなことを。お前は難しく考えなくともいいというのに)


 仲違いした日にすれ違ってしまったこと。改めて有栖は結論を出そうとしている。難しくはない。ただただ隣にいてほしい。それだけがロボと名付けられた白銀の彼の想い。



「私が愛する女はお前以外にはいらぬ」


「へ?」


「そのような間の抜けた声を上げるとは、心外だぞ。人の心を読めるののなら、私の心を読んでみろ。私はお前は再び相まみえた時から何も心変わりしていない。私の妃はお前一人だけだ」



 有栖はしばらく瞬きを繰り返し、頭上の彼を見つめ続ける。静かに彼女の顔を紅潮していき、慌ててふためきながら持っていた本で赤々とした顔を覆い隠した。何かあったのか訊いてみるが、



「な、何でもないよ!!」



 と言って隠し続けるだけ。何をしても無駄だと悟った時には夜が更けていた。ようやく諦めたロボは部屋の明かりを消して、眠りに就く。紅潮しきった顔の有栖は本の代わりに寝具で、彼に見られないようにしていた。

 部屋に戻った時のうだつのあがらなかった気分はすっかりなくなっていた。五日の間、お互い疲れやそれ以上に気を割くことなどがあってまともに、雑談すらできていなかった。ロボにとっては有栖と二人だけの時間が、諸侯や高官との折衝で生じた気苦労をかき消すのだ。

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